17. 逆転のワンライナー
愛莉の勝ち誇った声が会議室に響き、結衣は唇を噛んだ。
サーバ室の地下に張り巡らされた専用線。グループ会社やデータセンターと直結し、データを吸い上げ、処理して送り出す――まさに『X-CORE』の心臓部といえる部分。
コードが複雑に絡み合った『心臓』にメスを入れ、外と繋ぐことは、結衣の解析力を持ってしても容易ではない。それは、昨晩とうとう見つけられなかった『最後のピース』だった。
(――神の力を使えば、一瞬で解決する)
(『人間』の不完全なコードを、『神の論理』で置き換えてしまえば――)
結衣の瞳の奥に、青白い光が宿りかける。指先を動かせば奇跡は完成する。だが――キーボードへ伸ばしかけた指が、見えない力に引かれたようにピタリと止まった。
結衣が弾かれたように顔を上げる。
――少し離れた席。腕を組み、静かにこちらを見据える黒川と目が合った。
(……黒川さん)
――『X-CORE』は、俺たちが血反吐を吐いて守ってきた『心臓』だ。
ドクン、と胸の奥で、彼の言葉が跳ねた。
「どうなんですか、芽上さん! 答えてください! 」
「……森田さんの指摘の通りです」
結衣は、瞳に宿りかけた光を、自らの意志で霧散させた。
「無理に繋げば、システムが破綻します。現時点での解決策は……見つかっていません」
それは全能の『女神』としてではなく――不完全なひとりの人間、『芽上結衣』としての敗北宣言だった。
彼女が初めて見せた「隙」と、微かに震えるその声に――愛莉の口角が歓喜に歪む。
(勝った……!これは、数週間程度で、どうこうなる問題じゃないわ! )
愛莉は込み上げる哄笑を腹の底に押し殺し、ひどく言いにくそうに――だが、きっぱりと告げた。
「芽上さん。せっかくの提案ですが……これ以上、あなたの『無茶』に現場を巻き込むことはできません」
さも心を痛めているような神妙な顔を作り、ゆっくりと会議室を見渡す。
「……私から提案があります。次の定例までに現実的な解決策を示してください。できなければ、私が……責任を持ってこのプロジェクトを巻き取ります」
役員たちと一人ずつ視線を合わせ、頷きを引き出していく。
外堀を埋め終えると、愛莉は再び結衣へと向き直った。決定打を放つ、完璧な勝利者の顔で。
「――――期限は、一週間。それでいいですね」
突きつけられた、短すぎる猶予。だが、今の結衣に反論の術はない。
静かに俯き、無力感にその細い肩を震わせるだけだった。
愛莉が、自らの完全な勝利を確信した――その瞬間。
―― ダンッ!!
凄まじい衝撃音が響き、会議室の全員がビクリと肩を跳ねさせた。
「ッ!?」
驚いて振り返った愛莉の視線の先。
そこには、拳を机に叩きつけた黒川の姿があった。
「黒川さん……っ、いったい、なんですか突然!?」
場の空気を壊され、愛莉が声を荒げる。だが、黒川は彼女など眼中にないかのように、ただ目の前の画面を鋭く睨みつけていた。
「……一週間、って言ったか」
ゆっくりと立ち上がった黒川が、低く、苛立ちを含んだ声で吐き捨てる。
「それが何か? プロジェクトの進捗を踏まえると、これ以上――」
「――待ってられるかよ。こっちも暇じゃねぇんだ」
「――ッ!」
愛莉の唇が、喜びに吊り上がる。
(今すぐ降りる……! 投げ出す気ね!?)
最高のシナリオだ。彼女は笑みを必死に押し隠し、殊勝な顔を作って頷いた。
「黒川さん……! そうですね、これ以上長引かせるのは――」
「――ああ、時間の無駄だ。だから……」
黒川は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「今すぐ解決してやる。――この場でな!」
「え……?」
愛莉の顔が、ピシリと凍りついた。
会議室が静まり返る。その困惑した空気を切り裂くように、黒川の怒号が飛んだ。
「佐藤! 開発端末をプロジェクターに繋げ! 芽上、試作品を起動しろ! 導線を繋ぐぞ!」
「は、はいっ!」
弾かれたように佐藤が走り出す。その空気に呑まれまいと、愛莉が甲高い声を上げた。
「ちょっと、何を言ってるんですか、黒川さん!」
愛莉は歪みかけた表情を必死に取り繕い、非難の眼差しを彼に向ける。
「X-CORE本体のソースは欠落しているんですよ!? 完全に解析してパッチを当てない限り、データ連携なんて不可能――現実を見てください!」
愛莉の言葉に、会議室が再び困惑と呆れの空気に包まれた。
「ソースがない」――ならば、手詰まりなのは、火を見るよりも明らかだ。
だが、黒川の余裕は崩れない。
「誰が、X-CORE本体をいじるって言った?」
「……え?」
「本体には指一本触れねぇよ。使うのは『ゴミ』だ」
「……ゴミ、ですって?」
「ああ。X-COREは処理が終わる度に、不要なログや一時ファイルを吐き出す。誰も見向きもしない、ストレージの底に放置されるだけのゴミだ。だが――そこには『生きたデータ』が混じってる」
黒川がPCを睨み、目を細める。
見ているのはPCではなく、その奥にこびりついた――自分の記憶。
「そのゴミをリソースに換える。ゴミ捨て場からパイプを引っ張って、無理やりリサイクル工場に流し込む……!」
その言葉と同時に、佐藤が繋いだノートPCの画面がプロジェクターに投影された。
スクリーンいっぱいに広がる、真っ黒なコンソール画面。
黒川は、指をバキリと鳴らすと、キーボードの上に両手を構えた。
一度ゆっくりと目を閉じ――そして、見開く。
そこには、研ぎ澄まされた、鋭く強い光が宿っていた。
「――いくぜ!!」
爆ぜるような打鍵音が、会議室の静寂を切り裂く。
打ち込まれるのは、洗練されたプログラムではない。OSの深部を叩き、強引に繋げる、長く泥臭いコマンドの羅列。
『tail -F /var/log/x-core/trace.log | stdbuf -oL cut -d',' -f3,7,12 | ...』
「こ、これは……! X-COREが吐き出す生ログから、必要なカラムだけをミリ秒単位で切り出しているのか……っ!?」
誰かが息を呑む。結衣の瞳も、高速で流れる文字列を追って驚愕に見開かれていた。
「……信じられません。標準入出力をパイプで繋ぎ、カーネルのバッファリングも無理やり制御して……!」
『| awk -F',' '$1 != "" {print $0}' | stdbuf -oL sed -u 's/\[PENDING\]//g' | ...』
次々と流れていくコマンドの恐ろしさに、佐藤が顔を真っ青にして叫んだ。
「し、正気ですか!? 検証もなしに、実行中の本番環境を直接ハックするなんて……少しでもミスして事故ったら、システム全体が吹き飛びますよ!」
「飛ばさねぇよ! 隣のコアは遊んでる。バッファの余裕も計算済みだ。俺を誰だと思ってる! 泥船には泥船の漕ぎ方があるんだよ!」
黒川の指が、最後の一節を叩き込む。
『| socat - UNIX-CONNECT:/var/run/cloud_gateway.sock,retry=10,interval=0.1』
田中が、思わず拳を握りしめて叫んだ。
「クラウド側のソケットに直接パイプを突き刺した! これ全部、たった一行で……!? すげぇ……! 黒川さん、マジカッケー!!」
「――通れッ!!」
ッターン!!!
渾身の力で、エンターキーが叩かれた。
その瞬間。
画面を埋め尽くしていた赤いエラーログが、一気に、正常を示す鮮やかな緑色へと反転した。
ダミーでしかなかったはずのシステムが、ドクン、と脈動するように生きたデータの波を刻み始める。
「……通りました」
結衣の震えるような声が、静まり返った会議室に響く。
「『X-CORE』のデータが……リアルタイムに、すべて同期されています……!」
一瞬の間の後――。
会議室は、爆発したような歓声に包まれた。
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作者こだわりのワンライナーの詳細は、別途、
『ITコラム&ギャグ解説』マガジンで紹介する予定です!
https://note.com/endi_neer/m/m07a53de432da




