16. 運命の進捗会議
「進捗がない!? どういうことだね!!」
翌日の朝。大会議室に、磯山本部長の怒号が響き渡った。
「ら、来週には社長が視察にいらっしゃるんだぞ! 政府に提出するDXレポートの目玉プロジェクトだ! 進んでいないでは済まされないのだよ!!」
磯山の前に立つのは、開発二課の課長である佐々木と、クラウド推進部の部長の古井だ。
「も、申し訳ありません! 現場は不眠不休で頑張ってくれております。ですが、その……」
佐々木が口ごもると、隣の古井が青ざめた顔で叫んだ。
「そ、そうだ! 現場は…、現場はどうなっとるんだね!? 磯山本部長が納得できるように説明したまえ……高橋くん! それに黒川くん!!」
典型的な責任の押し付けだ。黒川が不快げに顔をしかめる横で、高橋がしどろもどろに言葉を絞り出す。
「そ、それは……つまり……要は、現場のITリテラシー不足によるフリクションでありまして……! 我々のマネジメントではなく、メンバーのマインドセットに問題が……」
「ごたくはいい! 私は、誰が責任を取るのかと聞いているんだ!」
「せ、責任……ッ?」
磯山の怒号に、高橋はビクリと肩を跳ねさせ、青ざめた顔で激しく視線を泳がせた。
逃げ道を探す高橋の濁った目が、ふと、部下である愛莉へと向く。
「そうだ、連携の責任は……ッ」
(――このクソ野郎……!)
黒川は覚悟を決め、愛莉を庇って泥を被るべく一歩前に出ようとした。
だが、彼が口を開くより早く――。
「お待ちください! 現場の皆さんは、悪くありません!」
凛とした、しかしどこか甘やかな声が響いた。愛莉だ。
彼女は胸に手を当て、役員たちへ切実に訴えかける。
「だって、そうでしょう? そもそもこの計画を描いたのは芽上さんです! 現実離れした理想を押し付けた、芽上さんの……っ!」
愛莉はハッとしたように言葉を飲み込み、潤んだ瞳を伏せた。
「……いいえ。彼女の暴走を止められなかった――私の、責任です」
「もっ、森田くん……何をいうのかね!? 我が部の、いや、君の責任では……ッ」
上司である古井が驚愕して声を荒げる。だが、愛莉は小さく首を振った。
「いいえ。……私、ずっと考えていたんです。このままじゃダメだって。現場の皆さんが苦しむ姿は、もう見ていられないって。だから、私……密かに『救済プラン』を準備していたんです」
愛莉は顔を上げ、濡れた睫毛を震わせながら、一歩前へ出た。
「もちろん芽上さんの理想には遠く及びません。私の『身の丈』に合わせたものですから……。でも――来週の社長視察に、確実にお見せできる内容です」
「なに……?」
磯山が身を乗り出す。その目が、明確な『打算』の色を帯びた。
「だから、どうかお願いです。チャンスをください! 必ず、このプロジェクトを立て直してみせます。社長にも――私が責任をもって説明しますから!」
愛莉は役員たちに向け、深々と頭を下げた。
「……ふむ。社長への報告も、キミが引き受けるのだな?」
念を押す磯山の隣で、古井も「森田くんの熱意を無下にはできない」と、都合よく責任を丸投げする算段をつけ始めていた。
「もちろんです。私は連携責任者ですから。責任も非難も――甘んじて受け入れます」
その宣言に、会議室の空気が一転した。同情、安堵、そして保身。『生贄』の登場に誰もが胸をなでおろしている。
その中で、黒川だけは、どこか冷めた顔でその光景を見つめていた。
(……そういうことかよ)
ピンチすら逆手にとり、自身の『計画』を通すための盤面を作り上げていく。その底知れぬしたたかさに、黒川は内心で乾いた溜息をついた。
だが、当の愛莉の口元は、誰にも見えない角度で歓喜に歪んでいた。
(チョロい……! 面白いくらいシナリオ通りだわ。 これで手柄は全部、私のものよ!)
愛莉が完全勝利を確信し、カバンから新プランを取り出そうとした――その瞬間。
「――それには及びません」
透き通る声が、熱を帯びた空気を一刀両断した。
結衣だ。彼女は静かに歩み出ると、表情一つ変えずに愛莉を見据えた。
「め、芽上さん……っ!? いきなり出てきて、何を……!」
「申し訳ありません」
結衣は迷いのない動作で、直角に近い角度で深く頭を下げた。
「――先ほどの件、責任は私にあります。私の完全な落ち度です」
「……え……? 自分のミスだって、認めるんですか? 言い訳もしないで……?」
予想外の行動に、愛莉から素の声が漏れる。結衣は顔を上げ、淡々と答えた。
「はい。現場の技術レベルと、理想との距離を見誤りました。森田さんの仰る通り、私の計算ミスです。申し訳ありません」
(……言質は取れたわね!)
愛莉の頭が高速で切り替わる。
(新プランは後よ! まずはこの場で芽上結衣を徹底的に弾劾して、完全に主導権を奪い取る……!)
愛莉が追撃の言葉を紡ごうと息を吸い込んだ、その刹那。
結衣は瞬き一つせず、事務的な口調で続けた。
「ですから、昨晩……その距離を埋めるための『修正パッチ』を、実装してきました」
言い終わるが早いか、結衣が手元のキーを叩く。
スクリーンに、Webアプリケーションの操作画面が映し出された。画面遷移は滑らかで、デザインも洗練されている。
多種多様な注文データや在庫の推移が、流れるようなグラフとログになって、刻一刻と画面を埋めていく。
「……!?」
愛莉の瞳が、驚愕に大きく見開かれた。
「おぉ……! なんだね、動いているじゃないか! 驚かせないでくれ!」
磯山が身を乗り出した。
「素晴らしい! これだけ動けば、社長へのデモも申し分ない! これで面目が立つ!」
「いいえ。これは『モック』です 」
結衣は淡々と、磯山の言葉を否定した。
「表面を整えただけで中身は空です。今流れているのはダミーデータに過ぎません」
結衣がキーを叩くと、勢いよく流れていたログがピタリと止まる。
「ですが、枠組みは作りました。あとはこの内側に――『泥団子』を詰めるだけです」
「泥団子……?」
「ええ。既存システムをカプセル化し、APIで繋ぐ。……これが、その設計図です」
通知音が鳴り、全員の端末にファイルが共有される。
それを開いた瞬間、開発二課のエンジニアたちの間にざわめきが広がった。
「こ、これは……スパゲッティコードの『カプセル化』の設計図……?」
誰かが信じられないというように呟く。
「外側のクラウドは、もう完璧に組み上がってる。X-COREから機能を切り出して、放り込むだけだ。……これなら、俺たちでも実現できるぞ」
沈み切っていた彼らの表情に、確かな活気と熱が戻っていく。
その空気の変化に、愛莉の顔からスッと余裕が消え去った。
(泥臭くて、現実的すぎる……! まさか、黒川が入れ知恵を!?)
愛莉は鋭い視線を向ける。だが、その先では当の黒川が誰よりも驚愕し、画面を食い入るように見つめていた。
(……嘘だろ)
黒川は震える手でマウスを動かす。販売管理、在庫、顧客DB……X-COREに増改築された百近い機能すべてに対し、詳細な「カプセル化」の手順書が揃っていた。
一見、愛莉が出そうとしていた『張りぼて』と外見は似ている。
だが、決定的に違うのはその『思想』だ。結衣は、空っぽの器に詰めるべき膨大な設計図を、たった一晩で書き上げてみせたのだ。
(俺が汚いメモを渡してから数時間で……これを全部、一人でやったのか……?)
黒川は、スクリーンの前に立つ結衣の背中を見上げた。
いつもと変わらぬ隙のない立ち姿。だが、スクリーンを照らす光に浮かび上がった横顔は蒼白で、隠しきれない疲労が色濃く滲んでいた。
(無理しやがって…… 寝ろよ、バカ野郎……!)
――ブブッ。
黒川のポケットでスマホが震える。愛莉からの『何とかしてよ!』という催促だ。だが、黒川は一瞥もくれない。
(……なによ、一番大事な時に……使えないわね!!)
愛莉は、自ら突破口を開くべく血走った目で設計図に食らいつく。画面を睨みつけ、必死にアラを探し――そして、ついに『致命的な穴』を見つけ出した。
「待ってください! この設計……X-CORE本体との接続が不可能です!」
歓喜に沸く会議室を、愛莉の鋭い声が引き裂いた。
「マイクロサービス同士ならAPIで繋がるでしょう。でも、肝心の『X-CORE』――あのオンプレのレガシーシステムに、APIなんて実装できない! どうやってデータを外へ吸い出すんですか!?」
「共有メモリも使えない構成で、そんな連携、物理的に不可能よ!」
愛莉が勝ち誇ったように結衣を指差した。
「――ここが繋がらないなら、結局はガワだけ立派な『ハリボテ』です!」
突きつけられた事実に、会議室のざわめいていた空気が水を打ったように凍りついた。




