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18. 不完全なハーモニー


「こ、これ……! まともに開発して検証まで入れたら、少なく見積もっても3ヶ月はかかる改修ですよ……!? それを、たった1行のコマンドで……!!」


佐藤が腰を抜かしたまま、うわ言のように呟く。

その驚きが伝播(でんぱん)するように、奇跡を目撃した熱狂がフロア中へと瞬く間に広がっていく。


だが、その熱狂に水を差すように、高橋が顔を真っ赤にして立ち上がった。


「な、なんだ今の乱暴なやり方は……! 事前承認もなしに、品質管理プロセスを完全に無視している! システムが止まったらどう責任を取るつもりだ!」


「――静かにしてください、高橋さん」


騒ぐ高橋を制したのは、屈辱に唇を震わせる愛莉だった。


「……ただの、ログの転送です。本体のメモリには指一本触れていない。通常運用と同等の……これ以上ない『低リスク』な対処だわ」


「し、しかし……!」

なおも食い下がろうとする高橋を、黒川はキーボードから手を離して鼻で笑った。


「はっ、くだらねぇ」


騒ぎ立てる彼をゴミを見るような目で見つめ、黒川は不敵に言い放つ。


「別に構わねぇよ。いらねぇんなら、今ここでこのワンライナーを消すだけだ」


黒川の指が、誘うようにバックスペースキーの上で遊ぶ。その指先ひとつで再び地獄が始まると理解した瞬間、場のざわめきは恐怖と共にスッと引いた。


「文句あるやつぁ、手ぇあげろ。――今すぐ、全部消してやるよ」


誰一人として、声を上げる者はいなかった。

黒川は満足げに目を細め、呆然と立ち尽くしている結衣に視線を向けると、小さく笑った。


「……とはいえ、あくまで一時しのぎだからな。100点の正解を出すのは、お前の仕事だ」


「……承知しました。黒川さん、お見事です」

「へっ……。言ったろ、『動けば正義』だってな」


黒川は照れ隠しのように視線を外すと、再びモニターへと向き直った。

その傍らで、結衣は流れる緑の文字列を、恍惚(こうこつ)とした表情で見つめていた。


美しくはない。継ぎ接ぎだらけの、泥臭いパイプライン。だが、システムは確かに息を吹き返し、不格好なまま力強い鼓動を刻んでいる。


黒川が使ったのは、システムが吐き出す不要なログ――本来なら見向きもされない『ゴミ』だ。それを否定せず、逆手に取って救いの一手に変えてみせた。

決して「正しく」はない。だが、今この瞬間、現場を救える唯一の回答。


(なんて……歪で、不協和音だらけで……美しい旋律なのでしょう)


それは、神の完璧な論理では決して辿り着けない、人間の「執念」が奏でた奇跡だった。





満足げな役員たちが退席し、高橋率いるクラウド推進部もそそくさと会議室を後にする。

残ったのは、歓声に沸く開発二課と――森田愛莉だ。


彼女は一人、呆然とスクリーンを見つめていた。


(私の完璧な計画を潰したこと、万死に値するわ。……けれど)


愛莉の視線が、驚異的な速度で流れるログに釘付けになる。常識外れの荒業。だが、恐ろしく速く、そして正確だ。


(この泥臭い実装……「使える」わ。シミュレーション上の綺麗なデータじゃない、現場の生の泥をそのまま吸い出せる。これがあれば、私の『AIプロジェクト』の精度は飛躍的に跳ね上がる……!)


愛莉の脳内で、損得勘定が回りだす。敵対して排除するのは損だ。今必要なのは、この「泥だらけの英雄」を懐柔し、手駒として骨の髄まで使い潰すこと。


愛莉はスッと立ち上がると、髪を払い、瞬時に表情を「可憐なヒロイン」へと一変させた。


「黒川さぁーん!!」


とろけるような甘ったるい声を出し、黒川を目掛けて駆け出す。顔には無垢な微笑みを浮かべ――だが、その一歩一歩には、どす黒い殺意と打算を乗せて。


ドスッ!!!!


鈍い衝撃音が会議室に響く。愛莉の全体重が乗った、「裏切り」への制裁とも取れる強烈なタックルが、無防備な黒川の背中に突き刺さった。


「ぐっふぁッ!?!?!?」


肺の空気を強制的に吐き出され、黒川がくの字に折れてのけ反る。だが、愛莉はすかさずその腕に絡みつき、逃がさないと言わんばかりに全力でホールドした。


「あ、愛莉ちゃん!? 痛っ、ちょ、おま、背骨が……ッ!?」

「すごぉい! 私、感動しちゃいました! まさか、あんな方法で根本的に解決しちゃうなんて!」


「お、おう……! まぁ、俺にかかればこんなもんだ……。ええと……わ、悪かったな。通知無視したりして……」

「やだぁ、もう! そんなの忘れちゃってください♡」


「へっ!? わ、忘れ……!?」


愛莉ははにかんだように、花が綻ぶような笑みを浮かべた。黒川の腕をガッチリと抱え込んだまま、豊かな胸元をぐりぐりと押し付け、潤んだ上目遣いで見上げる。


「だってぇ、とっても怖かったんですぅ……。プロジェクトが終わっちゃう、どうしようって、一人でパニックになっちゃって……。でも、黒川さんのおかげで不安がふきとびました♡」


「お……俺の、おかげで……?」

黒川の声には隠し切れない戸惑いが滲んでいたが、その表情筋はだらしなく緩みきっていた。


「はい! 私の絶体絶命のピンチを救ってくれる、本物のヒーローみたいでした♡ 黒川さんがいれば何も怖くないです! 私たち、最高のパートナーですねっ♡」


「そ、そうか、不安だったのか……! そうだよな、気が付かなくて悪かった!」


純粋な信頼と直球の賞賛、そして物理攻撃のコンボ。彼の単純な男心は瞬く間に白旗をあげた。黒川は、豪快に胸を叩いた。


「安心しな、愛莉ちゃん。このプロジェクトは、俺が完璧に支えてやるからな!」

「はい! 頼りにしてます!一緒に頑張りましょう♡」


その光景を少し離れた場所から見ていた佐藤は、引きつった顔で心の中で突っ込んだ。


(メンタル化け物かよ……! 今の最初のタックル、完全に殺しに来てたぞ……!?)

(そして黒川さん……足元見ましょう……。泥船どころか、底なし沼ですよそれ……)





騒動が終わり、夕暮れのオフィス。 疲労困憊(こんばい)で自席に座り込み、天を仰いでいた黒川の視界に、スッと缶コーヒーが差し出された。


視線を動かすと、結衣が逆光の中に立っていた。


「お疲れ様でした、黒川さん。糖分が必要ではありませんか」

「……おう、悪いな」


黒川はコーヒーを受け取り、プルトップを開けた。 結衣は、夕焼けに染まる黒川の横顔を、瞬きもせずにじっと見つめ、静かに言った。


「黒川さん。あなたの提示した『60点』は……私にとっての、満点でした」

「……フン」


黒川は顔を背け、耳を赤くして毒づいた。


「勘違いすんなよ。愛莉ちゃんを悲しませたくなかっただけだ」


結衣はきょとんと瞬きをした後、小さく微笑んだ。


(この方は、本当に……バグだらけですね)


彼は……人間は、あまりにも不完全だ。 純粋な論理に、感情というノイズが入り混じり、いつだって予測不能な動きをする。


だが――そのバグが、奇跡を生み出した。

その「不完全さ」の中にこそ、神の論理を凌駕(りょうが)するエネルギーがある。


「……ならば、私がすべきことは一つです」


彼らの可能性を信じ、導いていく。

その先にこそ、最高神の求めた「真なる調和」があるはずだ。


結衣の瞳が、夕陽を反射して青白く――そして、どこか危険なほどに美しく輝いた。





翌朝。


足取りも軽く会社へ向かう黒川のポケットで、スマホが震えた。

愛莉からの『昨日はステキでした♡』のメッセージ。あまりのわかりやすさに、黒川が苦笑を漏らす。


(――ま、今回は誤魔化されてやるか)


それも「男の甲斐性」というものだと、得意げに鼻を鳴らした。


体調は万全。プロジェクトの最大の危機は去った。

今日からは、いつも通りの平穏な日常が戻ってくる……はずだった。


黒川が開発二課のドアを開ける、その時までは。


「…………」


静寂。キーボードを叩く音がない。


田中は白目を剥いて海老反りになり、佐藤は机の下で体育座りをして震えている。まるで毒ガスでも()かれたような死屍累々だ。


「おい、何があった! トラブルか!?」


黒川の怒鳴り声に、佐藤がヨロヨロとデスクから這い出してきた。


「ち、違います……あ、あれを……」


佐藤が震える指で差したのは、黒川のデスク。そこには『広辞苑』よりも分厚い、鈍器のようなファイルが鎮座していた。


『X-CORE刷新計画 第2フェーズ:完全なる正解への移行計画書』


嫌な予感に背筋を震わせながら、ページをめくる。

そこには、昨日の急場凌ぎをすべて破壊し、一から作り直すための、あまりに壮大すぎるアーキテクチャが描かれていた。

人類の技術なら実装に10年はかかるであろう「100点の正解」。


そして、最後の『工数見積もり』を見た瞬間、黒川の血管が切れそうになった。


【 所要工数:3.5 人/月 】


「っんだ、このバカげた計画はぁあああ!!!!!」

「おはようございます、黒川さん」


背後から、コーヒー片手に結衣が爽やかに現れる。


「芽上ッ!!! なんだこれは!?!? 」

「はい。黒川さんからの宿題を形にしたものです」


結衣は満足げに目を細め、湯気の立つコーヒーを(すす)った。その表情は、自信と達成感に満ち溢れている。


「見りゃあわかる!! 聞いてんのは工数だ!! 俺たちは人間だ、お前のスペックを基準にした芽上月(めがみマンス)で算出してんじゃねぇ!」


黒川の怒号に対し、結衣はキョトンと小首を傾げ、心底不思議そうに瞬きをした。


「いいえ。それは、黒川月(くろかわマンス)です」

「……く、くろかわ、まんす……?」


結衣は、一点の曇りもない純粋な瞳で彼を見上げた。


「私は、人間のスペックを大きく見誤っていたと反省しました。あなたの発想は、私の演算を遥かに凌駕していましたから」


彼女は聖母のような慈愛に満ちた微笑みで、残酷な事実を告げる。


「ゆえに、あの『奇跡』を――これからの『標準値』として再設計したのです」


「……は?」

「あなたのバグは素晴らしいです、黒川さん。さあ、宇宙の調和に向けて……共に頑張りましょう!」


黒川はファイルを握りしめ、天井を仰いだ。


「やっぱり……なんっもわかってねぇぇえええ!!!」


オフィスの窓の外、どこまでも続く青空に、今日も彼の絶叫が吸い込まれていった。



<第一章 完>





ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

『女神のデバッグ』第一章、これにて完結です!


少しでも気に入っていただけましたら、ぜひページ下部より【☆☆☆☆☆】の評価や、ブックマークでお知らせいただけますと幸いです!



一旦、「完結」マークをつけていますが、充電後、第二章をスタートする予定です。

今後とも、結衣と黒川をよろしくお願いいたします。



本作に登場した技術ネタや、ITギャグの解説記事をnoteで連載中です!

https://note.com/endi_neer/m/m07a53de432da

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