お礼SS 夜明けに鳴く8
いくつかの仕事が立て込んで、タージがその手紙を受け取ったのはもう夏も近い頃だった。
魔女組合に立ち寄ったタージを受付係が大慌てで捕まえにきたのだ。
夏至祭りの話かと思ったら、十通も手紙が溜まっているのだと押しつけてきた。
麻紐でくくられた手紙はどれも同じ差出人だ。
ライオネル・ヒューバート。生真面目を体言するような文字でつづられていた。
案の定、手紙の内容は魔女が色めき立つようなものではなく、面白味のない近況報告といつ会えるかという会合の催促だった。
あの几帳面な騎士ならば、このあいだのタージの態度に怒って二度と連絡をよこさない、ということはないだろうとは思っていた。
彼の行動理念は主人である王子にあるのだ。私情を出すのは恥ずかしいといわんばかりにあらゆる感情を押し隠す。
けれどさすがのタージも、もう連絡が来ないことを考えないわけではなかった。
あれほど手助けしてくれた者へ失礼な態度をとった自覚はある。
突き放すにしたって言いようがあるでしょうとマルティにも叱られた。うまくやれなかったことには反省もしている。
あの騎士を前にすると、タージはいつも失敗するのだ。
結局、手紙には何の嫌味も上っ面な言葉もなかった。
向こうがそのつもりならとタージもあのときのことにはいっさい触れないで、会合を承諾することにした。
どのみち占いは続けているのだ。依頼人には結果を伝えるべきだ。
それに、マルティとリーリンから彼にはきちんとした報酬を支払うよう頼まれている。借りた恩義には報いるのが魔女だ。タージとしても、話し合いができる機会は逃したくなかった。
タージが返事を出してほどなく、滞在していた魔女組合の支部に手紙が転送されてきた。
簡潔な手紙の内容は、また視察に行くので街で会えないかという内容で、タージはさっそく街へ向かうことにした。
▽▽▽
貴族の避暑地として発展しているその街は、まるで王都のように整備されていた。道は石畳、建物は三階建て以上のものも珍しくない。きれいに塗り直されている街の表面は街の資金力を見せつけるように整っている。
午後二時を告げる鐘楼の鐘がリンゴンと晴れた空に響いた。
おそろいのアプリコット色の建物を数えながら、タージは待ち合わせの店へと向かった。
道行く人は、商人やメイドでも上等なジレやドレスをまとっていて、薄いレースと布を重ねた大胆なドレス姿のタージをじろりと睨んでいく。
この国では女性の最低限のみだしなみとして、丈の長いスカートで足首まで隠すのがマナーとされている。女が腕や足を見せるだけで娼婦か踊り子と思われるので、この街では足を出して歩いているだけではしたないと思われるのだ。かかとの高い靴を履いて歩くタージはさぞ高慢ちきな異邦人に見えるだろう。
あの騎士が指定してきたのはこの街でもひときわ上品な彫刻や外装が施された喫茶店だった。
店に入ると女性店員は一瞬タージを見て怪訝そうな目をしたが、すぐに予約はあるかと聞いてくる。
「ヒューバート卿の名前で予約が入っていないかしら?」
タージがその名前を口にするだけで店員の態度があからさまに変わった。
「こちらへどうぞ」
内装も調度品も豪華で、ほとんどの客が案内されるホールは入り口から想像するよりも広かった。大きな窓からほどよく明るい光が差し込んで、白を基調とした店内ではよく磨かれたテーブルを上等な服を来た男女が囲んでいた。さざめきのような談笑がホールに広がって、天井のシャンデリアまできらきらとくすぐっているようだ。
そんな店内を格子越しに通り過ぎて、タージが案内されたのは店の奥にある個室だった。
「こちらでお待ちです」
ごゆっくり、とタージに頭を下げた店員の目にはあきらかな嫉妬のようなものが浮かんでいて、タージは思わず笑いそうになってしまった。ここで笑ってはバカにされたとますます僻みで歪んでしまう。
極力態度には出さず、「ありがとう」とだけ言ってタージは部屋へと入った。
タージはあの店員を笑ったのではない。ああいう女を作り出してしまう騎士を笑ったのだ。
個室は小さな家のリビングほどの広さがあった。チェストには今が見頃の花が飾られて、どの調度品もひと目で高級だと分かるものだかりだ。大きな窓から少し離れた場所に小さなテーブルがある。真っ白なクロスがかけられたそのテーブルのとなりで、その騎士は肘掛け椅子のそばで立ってタージを待っていた。
相変わらず一枚の絵になりそうな男だ。銀髪はきらきらと輝いて、地味な旅装も彼の長身をふんだんに引き立てる。
「お久しぶりね。ヒューバート卿」
そうタージが呼びかけると、ライオネルは「お久しぶりです」とだけ答えて軽く礼をする。こうして一介の魔女をとくべつに遇するのは彼の良くない性質だ。
こういう性格だから、さっきの女性店員のような煩わしい女の関心を買ってしまう。
「お元気そうでなによりだわ」
「……はい」
給仕もいないからか、ライオネルはタージが座ろうとした椅子のうしろに回って、背もたれを引いた。
肘掛け椅子に遠慮なくタージが座ると、背後の長身はほんの少し躊躇するようにとどまった。
「ありがとう。──どうかした?」
「いえ」
ライオネルはそう短く答えて自分の席につく。
「それで? このあいだのことを怒っているの?」
まどろっこしいのは嫌いだ。タージが口にするとライオネルはぎょっと目を丸くする。
「……それは、あなたのほうではないのですか」
慌てた様子のライオネルに気をよくして、タージは肘掛けに肘をついて頬杖をつく。
「私は失礼を言ったほうだもの。あなたが怒るのも分かるけれど」
怒っていたのだからあんなことを言ったのだ。そうでなければ、この堅物があんなことを言うはずもない。
思い出しそうになった言葉をタージは頭の中で打ち払う。
けれど、目の前の騎士は長いまつげを伏せた。
「──あなたが優秀だということは、凡人の私も重々承知しています」
魔女という言葉を使わず口にされると、どうにも背中がかゆくなる。
途端に居心地が悪くなったタージとは裏腹に、藍色の瞳はまっすぐに彼女を映す。
「あなたのような方を、私の仕事だけにいつまでも付き合わせておけるはずもない。それがわかっていたから、あのようなことを…」
肘掛けからずり落ちそうになった肘をタージは慌てて戻す。
「ちょっと待って。あなたが私を欲しいって言ったのは…」
「ま、待ってください。自分でも恥ずかしいことを言ったと自覚しているので…」
ライオネルが慌てて制止してくるが、タージは勢いのまま口にしていた。
「私が欲しいって──私を、女として欲しいわけじゃないってこと…!?」
ライオネルは口をあんぐりと開けてその整った顔を真っ赤に染めた。
タージも負けず劣らず顔が熱い。きっと彼と同じように真っ赤だろう。
「わ、私は、あなたに私だけの依頼を受けて欲しいと思っ…」
あまりに見事な墓穴だった。恥ずかしいことを口走ったと気づいたライオネルはとっさに手のひらで自分の口をふさぐ。
タージも思わず顔を伏せて手で覆った。もう恥ずかしいのか痛いのかわからなくなってきた。
──つまり、ライオネルは魔女としてのタージが必要だったわけで、女としてのタージにはひとことも触れていなかったのだ。
状況を整理しようとして、タージは泣きたくなってしまう。こんなに恥ずかしい思いは、魔女に成り立ての頃以来だ。料金を踏み倒されたと思いこんで依頼人に呪いをかけてしまったのだ。依頼料は魔女組合にきちんと届けられていて、あとでこっぴどく叱られた。
「……あの、あなたが女性として魅力的でないわけでは…」
「その先を言ったら呪うわよ」
ライオネルは行儀良く押し黙って、口を引き結んだまま頭を下げた。
「──申し訳ありませんでした」
ここで謝罪を口にできるのだから、彼は大した胆力だ。
全面的に勘違いしたタージが悪いというのに。
いい年をした大人が情けない。
「……私のほうこそ、勘違いして悪かったわ」
非があるのならさっさと謝ってしまうのがいい。
ライオネルもやっとひとごこちついた顔で息をつく。
「紛らわしい言い方をしてしまい、申し訳ありませんでした」
紛らわしいのは紛らわしいが、勘違いして右往左往していた自分自身をタージは受け入れがたいのだ。
だから「もういいわ」と手を振る。
「年下男の言うことに、いちいち反応した私が悪いんだから」
「え?」
ライオネルは首を傾げそうな顔でタージを見返す。
「え?」
お互いに言いたいことが分からなかったのか、タージとライオネルは不思議な顔で見つめ合う。
「……あの、今まで聞いたことなんて無かったけれど…あなた、年はいくつ?」
堅物騎士が女性の年齢なんて尋ねることはできないだろうとタージが口火を切った。ライオネルも同じようなことを考えていたのか、すんなりと答えた。
「二十五です」
今度はタージが唖然とする番だった。
どう考えてもおかしいと思ったからだ。
「同い年!?」
ライオネルは完璧な騎士だがどう高く見繕ってもタージより年下だと思っていた。
彼のほうも驚いたのか、口を開けている。
「……あなたは年をとるのですか」
魔女は年をとらないとでも思っていたのか。乙女というにはもう遅い年齢だが、同年の彼に馬鹿にされるいわれはない。
「……私も、二十五よ」
「…そうなのですか…」
二人して半ば呆然と椅子に座り込む。明るい部屋にはほかに物音ひとつせず、窓からわずかに街の喧噪が聞こえる。
「──何か飲みますか?」
「……そうね」
いっそ酒でも飲みたい気分だったが、悪酔いしそうなのでライオネルに任せることにする。彼がベルを鳴らすとしばらくして紅茶と焼き菓子が運ばれてきた。
つやつやに輝いたアーモンドタルトにはたっぷりの生クリームが添えられていて、ふくよかな紅茶の香りといっしょに空腹を刺激する。
給仕係を個室から追い出して、しばらく静かにお茶を楽しんでいると気分も落ち着いてくる。
空きっ腹が膨れたところで、タージは店を出ようと提案した。
「外にベルが聞こえるってことは、そういうことでしょう?」
部屋の中で話されている会話の内容が外へ聞こえるということだ。
もちろん従業員は口外しないことを契約しているのだろうが、人の口に戸を立てるのは難しい。
この部屋で魔女としての話をするのははばかられた。
ライオネルは早々にタージの提案を受けて、店を出ることになった。
街の外にいつかのように馬車を止めてあるのだという。
喫茶店を出て連れだって歩くと、やはりタージは注目を浴びたがひとりで歩くよりも視線が痛かった。美貌の騎士はあきれるほど目立つのだ。
街の外の馬車に乗り込んでタージは、まずはライオネルが気にかけていただろうことを話すことにした。
マルティとユリウスのことだ。
彼らが移り住む村はすぐ決まった。その村は先代魔女を亡くしたばかりで、マルティが土地を引き継ぐことになったのだ。魔女組合の支部も近いので、ユリウスは魔力の扱いを通いで学ぶことになった。
「あなたとリーリンのおかげですね」
ライオネルに穏やかに言われて、タージは肩を竦める。
タージとリーリンが魔女組合に口添えしたのは違いないが、魔女組合側の都合もある。
「私たちが過ごせる土地は大事にしたいだけよ」
魔女が消えた土地に再び魔女が住むのは難しい。少しでも魔女の住む土地を確保することができるのなら、マルティのような魔女を送り込むのは魔女組合の道理にかなう。
タージが妹魔女の行く末を気にかけるのは、魔女の土地を守るためでもあるのだ。二人の恋路は応援しているが、どうしてもうまく運ばないのならやり方を考えるしかない。
占いの行方はやはり芳しいものではないのだ。そのままライオネルに伝えると、彼のほうは思いのほか落ち着いていた。
「──大丈夫ですよ」
静かな声に引き上げられるようにしてタージが顔を上げると、藍色の瞳が細まった。
「タージ殿がついているのですから」
騎士としての性質か、ライオネル自身の性格のためか。嫌味とも取れる言葉だが、彼に力強く言われれば不思議と快く受け取れた。
「あなたもいるしね。ライオネル」
タージが言えば、美貌の騎士は照れたように笑った。少年のような顔が同い年とは思えなくて、タージもつられて笑う。
やっぱりライオネルは苦手なのだ。うまく繕うことも、おためごかしで煙に巻くことも上手にできなくなる。
「タージ殿」
氷の騎士と呼ばれるのは伊達ではなかったのかもしれない。藍色の瞳に見つめられると、タージはとたんに居心地が悪い。
「あなたはやはり、魅力的で美しい女性です」
だからタージは見つめ返すのだ。まっすぐな騎士に呑み込まれてしまわないように。
「あなたもね。氷の騎士さま」
──タージが堅物騎士への報酬をすっかり忘れていたことに気づくのは、また別の話。




