中
<<三分一ヶ原>>
小高い丘の上で、戦況を見渡していた。
「苦しいな」
つい、言葉が口から漏れる。
「柿崎の攻めが緩うございます。なにか企みがあるではあるかもしれませんな」
側に控えていた虎太郎も言う。
「調略されておる、か。しかし、たとえそうだとしても尚、手を回す余裕はない」
この戦で柿崎が弾正側につけば、数で上回っているお陰で何とか押し切られずに済んでいる戦況が、即時総崩れになりかねない。
空を見上げる。
晴天であった。
「弾正殿と相対するのは、一体何度目だろうか。数えるのも忘れたわ」
守護殿の餌に釣られたあの日、それ以前からも度々こうやって戦場で相対してきたのだ。その強さは重々身に染みていた。
しかしそれでいてなお、今この地で陣を構えている自身にも、戦い抜いてきた自身の才覚と天運があると自負できた。
此度が終りではない。
そう自分に言い聞かせた。
「周辺に使者を送れ。柿崎から目を離さぬように、と」
「は」
数人が伝令を手配をするため、小走りで離れていった。
「あと地図を持て。退路はどうか」
そう言った途端、駆け寄ってくる者がいた。
「柿崎殿が叛心!お味方を攻撃しながら本陣の後方へと兵を進めております!」
遅かったか。
しかし、すべてが手遅れという訳ではない。
「全軍撤退する!回り込もうとする柿崎に対して牽制で足止めを。その隙に全軍後退!!」
柿崎が寝返った時点で勝敗は決したのだ。後はどれだけ負う傷が浅くできるか。傷が浅ければ、それだけ早く再戦の機会が訪れるだろう。
しかし、側近が声を上げる。
「柿崎のような若造何するものぞ!まだ引くには早うございます。ご再考を!!」
その背中越しに、十数騎が丘を登ってこちらに向かって来ているのが見えた。
「敵襲!騎馬が僅か。私の首を取りにきたか。弓持て!!」
側仕えから弓を受け取ると、向かってくる騎馬に向かって引いた。
脇を走る騎馬から一人、落ちるのが見えた。
しかし、突入してきた先頭の騎馬の槍は、すでに兵を切り裂いていた。
その騎馬の兜の拵えには見覚えがあった。
「長尾弾正である!!播磨守の首級頂戴しに参った!!!」
口上と共に、真正面にこちらへ騎馬が向かってくる。
「そこに居るのは播磨守!!いざ参らん!!」
既に弓を構えるには遅い。
腰の刀を抜くと、向かってくる槍を何とか弾いた。しかし、武者の膂力に騎馬の勢いが加わった一撃は、弾かれてなお鎧を着た武者を弾き飛ばすには十分であった。
仰向きに倒れてしまった事で、鎧の重みが寧ろ邪魔になってすぐに起き上がる事ができずにいた。
その好機を逃すような武士ではない。弾正は地を転げる私に向かって槍を突き下ろす。
これにて、終わりなのか。その思いがよぎったところで、大きな影が突き出る槍の軌道を反らせた。
「あぶのうございますぞ、殿」
槍はそのまま地面へと突き刺さった。
虎太郎であった。
弾正が繰り出した槍を、横からの体当たりによって肩で槍がそれたのだ。わずかでもタイミングが違えば、槍が体を貫いていただろう。
そのまま虎太郎は手に持っていた刀を、弾正の腿に突き立てた。その膂力もすさまじく、弾正の鎧を貫き、貫いた刀も折れた。
「くぅ、これは堪らん。また勝負をつけ損ねたか」
騎馬は無事だったようで、そう言うと弾正はそのまま陣を抜けていった。
「御大将が手勢で奇襲とは。さすがは長尾弾正、恐ろしき男よ」
地面で空を仰ぎながら、そう嘯く。
「殿、ご無事でございますか!!」
虎太郎が駆け寄ってくると、手を上げて上体を引き起こして貰う。
途端、背中に激痛が走る。額から冷や汗が滝のように流れだしたが、周りには兜に隠れて気付かれる事は無かったようだ。
「私は無事だ。それよりも虎太郎、そなたこそ大手柄であるぞ」
「では、この苦境を無事に逃れた後で恩賞を頂きとうございます」
そうだ。
敵総大将が少数で突撃してくる想定外はあったが、今は絶賛柿崎によって退路を断たれようとしているのだ。
「もう二度は言わん!!全軍撤退。柿崎へは足止めを。急げ」
そう声を上げると、馬に乗る。その振動でまた背中に激痛が走る。それを何とか隠しながら、ゆっくりと馬を歩かせる。
柿崎の回り込みからは何とか逃れ、兵を引くことには成功した。
しかし、結果としては兵の大半が四散し、再建には時が必要となった。
そしてこれ以降、上条播磨守は戦場へ戻る事は無かった。
人物紹介
柿崎和泉守景家:越後の国人。のちに為景、晴景、謙信に仕えて功を上げる。この時代だと当主が景家かその父利家なのかは不明。実質、越後上杉を終わらせた人。




