下
<<上条城>>
三分一ヶ原の戦の後に居城へ戻りはしたものの、私といえば、刃での傷は無かったが、強く地面へと叩きつけられた事で、体が上手く動かないようになっていた。その結果、満足に体を起こす事すらできずにいる。
この状態では、諸将へ顔を出す事も出来ず、ただ文を出す事しか出来ずにいた。
体の事は侍女に、政のほとんどは虎太郎に任せている状態だった。
「守護様より、また書状が来ております。早く怪我を治して再び長尾を討て、との事です」
ため息しかでない。
「このような状況でも、まだそんな事を言っておられるのか守護殿は。しかし、私同様に弾正も動けなくなっているのは重畳。それは虎太郎、そちの手柄ぞ」
そう言っても、虎太郎は笑顔を見せなかった。
「しかし、殿にお怪我を負わせてしまいました。なんとも申し開きのしようもありません」
「何を言うか。あの鬼神の如き弾正殿へ深手を負わせたのだ、誇るがよい。そういえば褒美を、と言っておったか」
そう言っても、しばらくは恐縮するばかりの虎太郎だったが、ようやく口を開いた。
「では、お言葉に甘えさせて頂きます。最近、子が出来ました。男児です。我が子に殿から名を頂戴できれば、と」
予想外ではあった。
「私の如き名でよいのか?そなたの子ならば、越後一の武者となるだろうに」
「はい。殿の名が良くございますれば」
「そうか」
そう言われて、考える。
「虎太郎か。では私の弥五郎から一字とって、そなたの子には弥太郎と名付けよ。そなたの子なら、先々は一角の者となるであろうから、その時にはまた相応しき名を名乗るように」
「ははぁ、ありがとうございます。これは良き名をいただきました。弥太郎。ふっふっふっ」
虎太郎が笑う。
「そなたが笑う顔を見るのは久しいな。そうだ、人は笑顔でいるのが良い」
そう言うと、虎太郎は恥ずかしそうに顔をただすが、口元には少しほころびが残ったままであった。
長尾弾正は受けた怪我が元で騎乗が困難となり、当主を子の弥六郎に譲った。その弥六郎も、越後守護の定実から偏諱を受けた定景から、時の征夷大将軍である足利義晴から偏諱を受け晴景とした。
これにより、守護の越後上杉家と守護代長尾家が、完全に敵対する事となる。
しかし、守護代となった晴景も越後国内をまとめ上げる事ができず、職位の上では使える立場の越後守護に表立った行動が起こせずにいた。また守護の越後上杉家もまた兵を率いる者がおらず、結果、膠着状態が続いていた。
このような状況だから、私が動けずとも大事にはなっていないのである。
守護殿の心中は安んじられないようだが。
しかし、虎太郎が新たな書を手に取ると、その顔は真剣な表情へと変わってゆく。
「次は、少々厄介な事が起きておるようです。どうやら中条が奥州の伊達家に接触しているようで」
今の伊達の当主である稙宗の母が姉の積翠院で、縁としては近い。
今は疎遠となっているが、実弟の定明の家もあるが、後ろ立てとする武力としては物足りない、と値踏みしだのだろう。武力としての伊達は魅力だが、結局は長尾家と同じ道を辿る事にならないか。
守護殿は、本来ならは同族で本家筋であるところの扇谷上杉家に頼るべき所だが、先の越後侵攻にて弾正殿と共に関東管領である山内上杉の顕定を討っている。
現在の関東管領は、顕定の子、顕実が継いでおり、当然ながら関係は険悪のため、頼れない。
そこで伊達に白羽の矢が当たったのだろう。
しかし、伊達もそこまで無慮ではあるまいに、上手くいくと思っているのだろうか。
まぁ、あの兄の事だから、天が味方してくれるとでも思っているのだろう。
何にせよ、今の動けない私には、こうやって情報を集める事しか出来ない。
「伊達が絡んで来ようとも、いまの所我らに出来る事は、歯痒いが力を蓄えるほか無い。今後とも動きを探っておいてくれ」
そう答えるのが体力の精一杯で、瞼が重くなってきた。
「わかりました。万事手配しておきますゆえ、今日の所はお休みください」
そう言うと、虎太郎は明かりを落とし、そっと部屋を出ていった。
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暫く眠っていたようで、あれからどれだけ時が経ったのだろうか。
まだ暗く、月明りが差し込んでいるから夜明けまでもまだ時間があるようだ。
天井を見上げながら、今の情勢と自分の体を思う。
「今であれば、長尾は弥六郎なら抑えるに安し。そうすれば兄上も譲位を断るまい。後は、この体が動かぬ事のみ、か。なんと不甲斐ないことよ」
自虐し呟くと、月が大きくなった。
音もなく戸が開けられ、月明りが部屋に差し込んできていた。
「何者、であるか」
部屋に入ってきた者は、静かに枕元へと歩み寄ってきた。
月明りは足元までしか届かず、侵入者の姿形は夜闇に溶けている。
「見ての通り、といってもこの暗さで見えるかどうかは解からないが、私の体は動かぬよ。声を出してはくれぬか?」
虎太郎が気を効かせて、夜中に目覚めた時の為、湯茶を用意しておいた、なんという事はないのだろう。
であれば、このような形で部屋に入ってくる事はない。
「……」
侵入者は声を発する事なく、ただ私を見下ろしているようで、暗闇で見えないが視線だけを感じている。
「兄上の命か」
「……」
侵入者は答えない。
「それとも、長尾の弾正殿か?それとも弥六郎か?」
「……」
侵入者は答えない。
「山内か扇谷か。それとも宇佐美、中条、新発田、まさか柿崎か」
「……」
侵入者は答えない。
「では蘆名か、伊達か?」
「……」
侵入者は答えない。
しかし、視線が揺らいだように感じた。
「伊達か?伊達の手のものか」
「……伊達から越後へ養子話が出ている。貴殿が居なくなれば、跡継ぎの選択肢が無くなる」
侵入者は答えた。
揺らいだ視線は、落ち着きを取り戻したようだった。
「そうか」
越後は今後、長尾の次には伊達によって乗っ取られる道を辿るのか。
上杉の治める地へと取り戻す事は叶わない。
「教えてくれて、感謝する」
最後に醜態をさらさずに、そう答えられた。自然と、笑みが零れた。
影は動かない。
「謝意は不要。ただの、気の迷い、だ」
影は動かない。
「それでも、最後に知れて、良かった」
落ち着いた視線は、再び揺らいだようだった。しかし、しばらくして落ち着きを取り戻したようだ。
「……いざ」
その掛け声と共に、短刀が顔に突き立てられた。
その後、越後へ伊達家から養子が送られる事は無く、越後上杉氏は定実を最後に断絶。
上杉の本家は北条により関東から追いやられる事25年、最後に頼ったのが因縁ある長尾だった。
敵対した本家に頼る事なく、途絶えた越後上杉。
敵対してきた元家臣に頼る事で、永らえた山内上杉。
歴史とは、運命とは、何とも皮肉が効いておりますな。
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