懐かしい思い出
工房に満ちる静寂は、深海に似ていた。
創造主の放つ輝きは、まだ何者にも汚されていない真新しい希望。
彼女はバルトロメウスが広げた設計図を覗き込み、少女のように微笑んだ。
「私一人の世界よりも、ずっと素敵になりますね」
ガリッ、ガリッ。
隅の作業台では、アダムスが石を削る乾いた音を響かせている。
彼が組み上げているのは、人類を拒絶する箱庭――『最初の迷宮』。
そのノミの音だけが、この空間に唯一の不協和音を刻んでいた。
「ええ、これで完成します。人間が幸せに暮らす、温かい場所になりますよ」
バルトロメウスの手が、慈しむような手つきで創造主の肩に置かれる。
その指先は、凍てつくように冷たかった。
彼女はその戦慄を、褒められる前の、あるいは世界が生まれる前の「期待」だと信じ、愛おしげに目を細めた。
「王都……。私には思いもよらない形です。手足のように温かい場所になるのでしょうか」
バルトロメウスの口角が、不自然な角度で吊り上がる。
「ええ、――手はそちらに、足はこちらですよ」
――ガギンッ、ガギンッ
鈍い衝撃音が、神話の幕開けを告げた。
バルトロメウスの手には、まだ「名前」も持たぬ白銀の長剣が握られていた。
目を見開く創造主の胸へ、躊躇いなく振り下ろされた。
絶叫が、言葉になる前に「世界の軋み」へと変質した。
最初に噴き出したのは血ではない。
黄金の輝きを放つ、ドロドロとした神の脂だ。
それは生き物のようにのたうち、アダムスが心血を注いでいた迷宮へと飛び散った。
「……なっ!? やめろ、汚れが飛ぶ」
アダムスは反射的に迷宮を抱え込んだ。
だが、飛沫は無慈悲に美しい回廊を染めていく。
バルトロメウスは抗議など聞こえぬように、倒れ伏した「素材」へ、何度も、何度も、淡々と剣を振り下ろした。
「……アダムス、興味深いよ。ほら、ここを潰すと雷が出る。世界を動かす『動力』だ」
アダムスは袖で黄金の脂を拭い去ると、「守護者」の顔面を再び覗き込んだ。
三柱を盗まれ、残った最後の一柱。
ノミの刃先をバイザーの極小の隙間に当てる。
「グッ、……グッ」と、喉の奥で息を詰め、指の骨が軋み、折れるほどの圧力をノミに込めて打つ。
狙うのは、矢の先端すら拒絶し、それでいて中に籠もる兵士の吐息、その「湿気」だけを逃がす絶妙な角度。
「君さ、流石に創造主の危機に無関心なのは、欠陥なんじゃない?」
すぐ後ろで長剣を振うバルトロメウスが、心底不思議そうに首を傾げている気配がした。
「……まあ、邪魔しないからいいけど」
アダムスは答えない。
バイザーの「息抜き穴」が、全て狂いなく等間隔であるか、息を殺して定規を当てている。
世界の唯一の守り手であった存在が、音を立てて解体されていく。
黄金の液体は、やがて冷えて白い石へと凝固し、工房の床を埋め尽くしていった。
「聞こえますか。『邪魔な法』を書き換えることから始めようと思いまして」
最後の一撃が振り下ろされた。
「……『魔法』と名付けます。その無残な姿を忘れないように」
バルトロメウスは剣の縁をなぞり、己の血を白い石に捧げた。
純白を汚す鮮烈な赤。
それは着弾と同時に意志を持ち、湿った音を立てて膨れ上がる。
現れたのは、悍ましいほどに肥大した赤黒い『ヒル』。
盲目の肉塊が、獲物を探すように石灰岩の上でのたうつ。
バルトロメウスはそれを、塵でも払うような無造作さで踏み抜いた。
肉が潰れる不快な音とともに、彼の掌から猛烈な『火炎』が溢れ出した。
「出来たよ、アダムス。『魔法』だ」
「ふざけるな。……王都はどうした。迷宮もこれでは台無しだ。この汚れは容易には落ちない」
アダムスは完成したばかりの『最下層の扉』を乱暴に閉めた。
その紋章の隙間にまで、神の呪いのような脂が入り込んでいる。
アダムスはその中心に立ち、散らばった創造主の残骸と、血に塗れたまま新たな『魔法』に耽る男を、ゴミを見るような眼で見据えた。
「……丸洗いだな。……人間は何を考えるのか、理解できない」
男は『最初の迷宮』に視線を落とした。
これにて、第一部が完結となります。
一切感情移入できない主人公の物語を、最後まで見届けてくださり、心から感謝いたします。
男がやったことは、神の気まぐれな創造と破壊です。
この「壊れて完成した世界」の上で、いよいよ人間の物語(第二部)が始まります。
第一部の読後感をポイントで残していただけたら幸いです。
また、もしこの世界の行く末が気になった方は、是非、作品のブクマを頂けると幸いです。
■第二部 作品情報
状態:ラフ執筆済み、推敲中
話数:35話 (70,000文字以上)
投稿:6/8(月)~ 毎日21:20




