13-11
最終的な報告書を読みながら、クロウはこの結果に納得していた。
そこには断定はほとんどない。だが、推測でも分析でもかまわなかった。
白か黒か分かることはとても分かりやすくはあっても、すべてが二極化できるものではない。たいていのものは灰色で、自分がどちら寄りに見るかの判断でしかない。
今回の一連の事件は皆どこかでつながっていて、それぞれの国の思惑が複雑に絡んだものだ。
どうして他国は自分の領地を広げがるのか。一切理解はできないが、そういうものだと学んではいる。
ウィズンテ遺跡の価値を未だに自分は計り切れていないということなのだろう。
どうしても欲しがっている輩がいるということだ。個人的には好きにしてくれという気持ちだが、ベリオスの町を預かる身としては今更それはできない。
「面倒臭え……」
机の上に勝利を放って、椅子に身を預けると傍らに誰かが立っていた。
「何がっすか?」
「イルル、いたのか」
「うい。また笛に戻ったっす」
「アリーはお役御免か」
「補佐役は継続中っす」
ウッドパック商会との連絡役がイルルの本来の役割だ。ブレメッシュ方面の調査で駆り出されていたが、今はまた戻ってきていた。代役だったアリーは今後もそのそのポジションは続行らしい。例の事件の捜査担当チームはまた別の形で存続するらしいが、そこではまた別の誰かが指揮を取るとのことだ。本人があまり乗り気ではなかったと聞いている。
アリーは人を使うタイプには見えなかったので納得感はある。
「そうか。それで、お前は今回の件をどう考える?」
クロウは報告書を指し示した。
「結論を信じるかどうかって話っすか?主が準備している時点で、その通りだと思うだけっす」
「……お前個人の意見は?」
「自分も同じっすね。新人が殺されたのは運が悪かった、間が悪かったとしか言えないっす」
運がなかったから殺された。酷い言い草だが、世の中の理不尽さは身に染みて良く分かっている。そういうものだと割り切るしかない。
結局のところ、新人の会員は小悪党の商人を見張るという簡単な訓練のはずが、その商人が実はライリカ帝国が企んでいた何かの末端工作員にされていたことが災いして、監視されているのを嫌った帝国側に殺されたというのが一連の流れだ。この商人の裏を見抜けなかった時点でウッドパック商会の失点ではあるが、本人すら気づかないほど巧妙に操られていたので責めるべきものでもないだろう。
更に事態をややこしくしたのは、この殺人を知ったデオム国の諜報員がいたということだ。帝国とベリオス側両方へ打撃を与えるべく、下手人の隠蔽を図る帝国の邪魔をして状況を攪乱させたのが、例のビャフロン一家のコロック殺しだ。ここで第三者が介入しているとはすぐには思い当たらない。
警備隊と商会の特別チームは、これらの真相を見事に紐解いてみせた。証拠はないが状況証拠や細かな傍証によって根拠が示されており、すべてが紐づいている合理的推測だった。普段からこの町に暗躍する組織や他国のスパイなどを警戒しているからこその根拠の提示だったので説得力があった。
「他人の国に潜入して裏工作とか、普段からしているもんなんだな……」
自身もノルワイダの王都ワンダールで同じようなことをしたが、あれは明確に短期的な目的があったからで平時に何かしたわけではない。
何の対立もない状態でもそうした工作が日常茶飯事的に行われていることを知って、クロウは少なからず驚かされた。耳にはしていたものの、実際に体感するとやはり違って見える。
「自分らもやってるっすが、何か?」
「情報収集だけだろ?今回みたいに何か手を出してるわけじゃない」
「必要とあればやるっすよ?」
当たり前のように即答される。そういうものらしい。厳しい世界だ。
「そうか……」
「それより、準備はもういいんすか?」
「俺の方はな。面子をオホーラたちが厳選している段階だ。また少数精鋭になる」
「自分は行くっす」
「ああ、聞いている。今回のは結構ヤバそうだがいいのか?」
イルルは黙ってうなずいた。今更聞くなという顔だ。そのくらいは分かるような付き合いになっていた。他人の感情は相変わらず不透明でも、何となくは気づけるようになっている気がしている。成長しているのだろうか。
今回クロウが目指すべき場所は、ニーガルハーヴェ皇国の飛地である領地、ブレメッシュだ。
そこにベリオスに敵対意志を持つメリエラ皇女がいる。
その排除を目的とする。話し合いには到底ならなそうな雰囲気で、まず間違いなく物騒なことになるだろう。エルカージャ皇女の依頼でも鎮静化あるいは弱体化というものではあったが、その手段は不問だった。それが何を意味するのかは明白だった。
他国の動向にクロウは興味はない。だが、殴りかかられて黙っているほどお人好しでもない。自衛手段は取るし、必要とあれば打ち倒しもする。聖人君子にはなれない。
そのための暗躍が必要なのが今なのだとしたら、それを実行するまでだ。
既に賽は投げられた。
美しい裸体が水の中から静かに浮かび上がる。
陽光に反射するローズブロンドな金髪が水面に広がり、まるで絵画のような美女の一枚が出来上がる。
その翡翠の瞳が開き、不意に妖艶な唇から言葉が漏れた。
「首尾はどうなの、ドープ?」
「半々といったところですね、お嬢様。実験的なものは失敗していますが、その他は順調といったところでしょうか」
執事のようなスーツ姿の青年が淀みなく答える。
「あら、あなたにしては大分控え目じゃなくて?」
「相手がなかなか尻尾を出さないものでして。かの国の情報も案外たいしたことがなくて驚いております」
「それは何か問題になるのかしら?」
美女の声は甘く蠱惑的で、どこか毒々しい独特の響きを持っていた。
「それを問題にしないことがわたくしの仕事です」
「ええ、ええ。あなたはそうでなくちゃね。最近は役割が分かってない人が多くて困ってしまうわ。身の程を弁えない者ほど醜いものはないもの」
「知恵のない者にはそれすら難しいでしょう。それはそれとして、そろそろプールからお上がりください。この後、外せない会談が二件ほどあります」
「もうそんな時間?センル?」
「こちらに、メリエラお嬢主様。本日の御召し物は中級セットでございます」
プールサイドにメイド姿の少女がいつのまにか現れていた。長い前髪がその目元を完全に隠しているが、整った顔立ちであることは分かる。モノトーンのメイド服に艶のあるボブカットの黒髪が映えている。
「中級程度の相手なら、すっぽかしてもいいんじゃないかしら?」
服装のグレードは基本的に対面する人物に合わせる。どうでもいい人間に着飾って見せる必要などない。
「あまり熱を上げられても困る方たちなのでわざと下げているだけです。本来は上級です」
ドープが綺麗に礼をしてから後ろを向く。
メリエラがプールから上がったからだ。水着も何も何も着ていない。年齢よりもずっと若々しい裸体がそこにあった。
センルがすぐさまタオルでその身体を丁寧に拭き取り、服を着せてゆく。
「それで、何の話なのかしら?」
「たいしたものではありません。顔見せ程度とお考え下さい」
「余計にあたし様がいなくてもいいのではなくて?」
「お嬢様がその場にいることが重要なのです。その美と威光を知らしめるために」
「そう。それは確かに必要な役割ね。あら、センル。この髪飾りはダメよ。いつものカヴェリのものを用意しなさい」
「御言葉ながらお嬢主様。それは先日、壊れてしまわれたかと。現状ではこちらがベターな選択でございます」
「……それは、そうだったかしら?」
メリエラが小首をかしげると、ドープが補足する。
「四日前のジガンソ男爵の件で、かの首を刎ねた際に傷がつきました。修理しても元には戻らないとのことでお嬢様自ら粉々にされましたね」
「あら……そんなこともあった気がするわね。それなら、替わりをもう発注しているということかしら?」
「はい。後もう少し経てば出来上がってくるはずです。別件ですが、例のドレスの方もそろそろだと連絡がございました」
「ドレス?何か頼んでいたかしら?」
「青みの強いパーティドレスが足りないとの話でしたので、10日ほど前に西の商人から取り寄せた件でございます」
「ああ、あの時はそんな気分だったわね。でも、今は赤がいいわ。センル、赤に変えてもらって」
「かしこまりました、お嬢主様」
着替え終わったメリエラは髪をかきあげて館の中へと歩いてゆく。メイドと執事がその後に続く。
プールに隣接した部屋は広大なスペースの大広間だったが、脱ぎ散らかされた衣服や飲み食いした後の瓶や皿がそのまま散乱しており、パーティー後の混沌の痕跡が残っていた。
「ちょっと!どうしてここが片付いていないのかしら?」
「昨夜、そのままにしておくようにお嬢様が申し付けられましたので」
「嘘でしょう?こんな汚いままにしておけですって!?」
ややヒステリックに叫ぶ主人に対して、ドープはあくまで冷静に返す。
「そこそこに酔っておられましたので、醜い美を残しておきたいと仰られてました。別室でお休みになられたのもそのためですね」
「……記憶がないわ。でも、それはきっと夜のせいだったのではないかしら?今見るとただの汚泥でしかない。さっさと片付けさせて。不快よ」
「承知しました。すぐに手配します。あちらのオブジェの方も不必要だということでよろしいでしょうか?」
その言葉にメリエラが視線を移すと、壁に貼り付けられた死体があった。全身をなます切りにされたのか、血塗れの全裸で奇妙なポーズを取らされている。その四肢に釘が深く刺さっており、壁に固定されている状態だった。
「なにあれ……これもあたし様が指示したの?」
無言で首肯するドープに首を振るメリエラ。まるで記憶にないようだ。
「確かに少し飲み過ぎたようね……例の薬が効きすぎてたのかしら。あれもゴミよ。綺麗にしておきなさい」
ブレメッシュの女領主は、そうして何事もなかったかのように自分の館を優雅に進んだ。
次に向かったのは自室の一つだ。
「センル。先程の不快な部屋で嫌なにおいがついたわ。お風呂に入るから世話なさい」
「かしこまりました、お嬢主様」
部屋に消えてゆく二人を見守って、ドープはその場でまた待機状態に入る。
既に客を待たせているのだが、主人の気ままな行動には慣れている。よほどのことがない限り、反論はしない。ここではメリエラがすべてのルールだ。その他は些事に過ぎない。
部下に指示を与えてから、廊下を警護している衛兵に問う。
「何か異常はありませんか?」
「いえ、特に問題はありません、ドープ様。強いて言えば、昨晩ネズミが一匹見つかったぐらいです」
「ほぅ?どこのネズミですか?」
「ハグルスト系列かと思われますが、例によって口を割らないので確証はありません」
「本国からのものではないと?わたしはまだ報告を受けてませんが?」
「現在書類にまとめているところです。本国のネズミに動きはなかったと聞いています」
「なるほど。けれど、増員があったかもしれません。その辺りも考慮していればよいのですが……」
ドープが鋭い視線を向けると、衛兵はびくっと身体を震わせた。
メリエラ皇女付きの執事は、この領地における相談役で実質的な最高の政務官長のようなものだ。その鶴の一言で文字通り死ぬこともあり得る。中途半端を嫌う性格でも知られており、下手な解答は絶対にしてはならない相手だと知れ渡っていた。
衛兵は実際の担当ではないが、報告した以上その関係者と見なされる。
「頂いた意見も加味するように今すぐに申し送りしてきます!」
「迅速な行動を心掛けることは大切ですね」
「はっ!直ちに!」
今すぐ行けという雰囲気を察して、衛兵が駆け出してゆく。
その後ろ姿を見ながら、ドープは誰にともなく一人呟く。
「……まだあの町は動きませんか……いや、気づいてないだけなのでしょうか……気になりますね」
その声音はどこか嬉しそうにも聞こえたが、それを確かめられる者は誰もいなかった。




