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選択死  作者: 雲散無常
第十三章:飛地
152/157

13-10


 アリオルは闇の中で目を凝らした。

 ベリオスの町の特別区、探索者たちがひしめくその一角のある闇酒場。

 休業中のはずのその店を張り込んで監視していた。

 時刻は深夜。

 情報によれば、今夜ここで何かが起こるはずだという。

 まだまだ宵の口とばかりに喧騒やざわめきが聞こえてくる夜の中、通りの物陰に身を潜めながらアリオルはずっと待ち続けている。

 一体何が起こるのかは分からない。詳細は一切不明だった。

 それでも何も疑いはしなかった。あのララバ=スカヤーから与えられた情報だ。上級以上特級未満と噂されている凄腕の会員だ。疑問をは差し挟む余地はない。

 警備隊との特別チームを編成して殺人事件にあたっているものの、今のところそこまでの成果は出ていない。

 幾つかの推論は出てきているが、しっかりとした証拠はない。

 おおよその合理的な答えは紡げるものの、確信には至らない。初めからそこまできっちりとしたものは期待できないことは分かっている。確定されることの方がが少ない業界だ。誰もそこまでは求めていない。せめて納得感のある話でまとめるというのが最終ゴールだ。

 そのためのピースがまだ足りていなかった。

 今夜、それが手に入る可能性がある。アリオルはそのためなら眠気など気にならなかった。

 他の会員は今日連れて来ていない。半端な技術ではバレるから参加させるなとララバから申し送りされている。

 だから、自分以外には誰もいない。部下たちを信用するしない以前に、責任を取れないと判断した。

 あのララバが邪魔をするなと警告している以上、不確定要素は排除しなければならない。自分自身を隠匿するだけで精一杯だと思った。

 じっと闇酒場の入口を見つめる。

 事前情報では、普段はそこでちょっとした賭博などが行われ、盗品などが売られているということだ。たいした規模ではなく、そうした少しの法外活動はわりとどこでも行われている。ベリオスの町は基本的には厳正に取り締まったりはしない方針だ。多少の緩みがあった方が全体的には利益になるということだろう。

 まだ誰も現れていない。周囲に人気もない。

 待ちの時間が続く。

 星明かりの元で闇酒場の建物は廃屋のようにも見えた。明かりがなく、人がいないだけで家屋というものは印象をがらりと変える。普段は使われているので実際の廃屋のような荒廃感はないものの、閉じた扉や窓がどこか不気味に感じるのは緊張しているせいだろうか。

 アリオルは深く息を吸って静かに吐き出す。

 ちょっとした心の乱れすら気配というものには影響する。潜伏している時の感情は常にフラットにしておかねばならない。

 通りを吹きぬける風に一瞬身体を震わせる際にも気を付けるべきだと教えられる。瞬間的に寒いと思うことすらも、無意識な身体の反応として表出することがある。そして、それが周囲の空気を変えてしまう。そんなことがあり得るのかと思っていたが、実際に気配察知を実行する場合には重要な手がかりとなることは体感している。

 先人の教えに間違いはない。空気の流れ、ちょっとした異音。自然の中の不自然。気づくためのヒントは無数にある。

 その中の一つに匂いがある。

 ずっと同じ場所で潜んでいると、周囲すべての匂いが一定化する。ある種の完璧な調和が保たれる。そこにほんの少しでも別の何かが混ざったとき、それは何者かの侵入を意味することは多い。その違和感はゆえに、すぐに注意をアリオルの促した。

 どこかで空気が変わったのを感じる。

 視界に変化はない。だが、何かがいる。そっとその場を撫でるような感覚。これは誰かが闇酒場周辺を探っている気配だ。

 これから自分が赴く場所を事前に警戒する行為。確認作業に違いない。

 こちらが気取られないよう息を潜める。目当ての相手ならばここでドジは踏めない。索敵に引っかからないようにひたすらに物陰で地面と同化する。この同化対象は人によって違う。アリオルは土と相性が良く、そのイメージで自分を消す。

 何者かの索敵が終わったことを感じる。気付かれなかったがまだ気は抜かない。身じろぎもせずにじっと視線のみを闇酒場に戻す。

 人影がそこにあった。

 滑るように動いている。足音がない。歩いているという印象をまったく与えず、水平移動するようにその影が酒場に吸い込まれた。

 扉が開いたのかさえ分からなかった。刹那の間に、その人影は消え去っていた。

 アリオルは自分が冷や汗をかいているのが分かった。今見たものが信じられなかった。

 熟練の足運びと息遣い。少しでも乱れていれば瞬時にバレていた。動き一つ一つに最高峰の隠密技術が詰まっていた。それほどの相手だと分かった。分からされてしまった。

 ララバが余計なものを連れて来るなといった意味が分かった。自分ですらギリギリだった。

 あれは何者なのか。

 中を覗いてみたい。確かめたい。しかし、動けなかった。

 これ以上近づけば気取られる。そんな予感があった。

 アリオルは再び待ちに入った。今度はララバが現れることを願って。




 そんな外のアリオルの状況を知らないララバは、最初の一撃がかわされたことに不満を抱いていた。

 あらあら、ここまでのやり手だったなんて。

 迫りくる凶刃を掻い潜りながら、それでもどうにかなると手応えは感じていた。

 ビャフロン一家のコロックという男を暗殺した下手人。その捜索と捕縛の任務を与えられてから、一番その可能性の高い相手を特定した。

 場合によっては始末することになるが、まさしくそれしか選択肢はなさそうだった。

 男の身元は未だに不明。それをたやすく漏らすような者ではない。それでも、その身体の動きや視線の配り方、方法などからクセは割り出せる。大陸の諜報機関は幾つもあるが、それぞれに特徴がある。同じ訓練方法で鍛え上げられるため、ささいな違いでも分かる者には分かるようになる。

 ララバの見立てでは、今回の標的はデオムの暗殺集団、黒死団と呼ばれる一人だ。

 特に有名どころの人間がいるが、この標的はそうではない。だが、手練れだった。独自に調査していくうちにその手強さは実感していたし、実際に手合わせしてその思いは確信に変わってきている。

 不意打ちで麻痺させるつもりがかわされた。正確には芯を外された。決定的な一打をすかされた時点で一旦退くことも考えなければならない。通常であれば。

 しかし、今この状況でその選択肢はなかった。

 ここまで準備していたことよりも、時間的制約の方が大きい。既にこの件には時間がかかりすぎている。

 それは他の会員が無能だという話ではなく、むしろ外敵の方が優秀過ぎるという厳しい事実だ。

 ウッドパック商会の諜報技術は総じて低くはない。それは身内びいきの評価ではなく客観的事実だ。

 一方で、最高峰かと言われると残念ながらそこまでは認められない。結局のところ、こうした技術は実践がすべてに勝る。日々魑魅魍魎が跋扈する大国の王都や帝都で活動する組織に後れを取るのは必然だ。積み重ねられてゆく経験値が圧倒的に違う。自身がそうして鍛えられた実感があるだけに、何よりもその重要さが骨身にしみている。

 そんな熟練の工作員がベリオスの町で暗躍すれば、無双状態に近くなる。地理的優位差でそこまでの暴挙を許してはいないだけだ。

 会長が自分を呼んだわけも痛いほどに分かる。この町を任されているのだから、これ以上好きにさせるわけにはいかなかった。ここで引く道はない。

 「……田舎者にしては腕がいいな」

 鋭い手刀を振るいながらも、相手は話しかける余裕を見せて来る。実際、舐められているのは分かる。

 彼我の差が確かにあるのだ。そこは否定できない。

 「うふふ、ここがまだ田舎だと思っているようでは、あなたもまだまだですね」

 襲い掛かってくる一撃を見定めながら、受け止めることなく横へと流す。ただの手刀ではない。触れそうになる瞬間、暗器が飛び出してくるのは明白だ。

 風魔法と体術の気流を使ってその隙を失くしながら対処する。暗殺術は基本的に奇襲、初撃がすべてではあるが、実際に対峙して殴り合うこともある。昔はその時点で負けだとも言われていたが、暗殺者同士の戦闘においては対面式になることも往々にして増えてきた。拮抗した力の必然的な結果だろう。

 ララバはその方面でも腕を磨いてきた。暗器使いは力勝負ではなく、手数や速さか読み合いなどに拠るところが大きい。性差が問題にならない。 

 「はっ、都会を知らぬからそんなことが言えるのだ」

 手刀をさばかれても余裕の態度は崩れない。

 踊るように身体が回転し、いつのまにか死角から爪先が飛んでくる。当然のようにその先端には小さな針が飛び出ている。きっちりと毒が塗られていることだろう。

 その針を首に巻いたスカーフで弾きながら、ララバも左肘に隠した毒針をお返しに飛ばす。

 自然な回避の中に隠したその動作はしかし、相手に気づかれて毒針はあらぬ方向へ飛んでゆく。何事もなかったように軌道をそらされていた。

 お互いに一瞬の隙を狙って至近距離での攻防を繰り返す。

 間合いを取るための一秒ですら死期を早める。それほどの読み合いの中でララバはじっと機会をうかがっていた。この場所に誘導したのは罠を仕掛けるためで、今もその罠は作動している。この場に呼び出せた時点で自分の勝利は確信していた。後は時間の問題。

 ここまでは想定通りだ。

 酒場の暗闇の中で二人は一進一退の近接戦を行っている。乱雑なテーブルと椅子の配置の中、狭い足場での命のやり取りだった。ララバは事前に間取りからオブジェクトの位置取りからすべて頭に入っている。相手よりはずっと有利なはずだったが、手練れの敵は即座にそれらにも対応できていた。さすがの適応力ではあるものの、それも予想はしていた。

 呼び出された方が不利な場になるのは必然。それでも受けるということは覆す自信があるということに他ならない。それは好都合でもあった。

 過小評価されるぐらいが丁度いい。そう仕向けているわけだが、ここまで乗ってくるのは出来過ぎている気もしていた。

 直接的な近接戦闘は危険な賭けでもあったが、それも取り得るリスクとしては許容範囲だった。

 「あらあら、デオムが都会だなんて言わないですよね?」

 「ふん、都会の引き合いで出すには小さいな。所詮、その程度の知識か?」

 ちょっとした動揺を誘うつもりだったが、まったく反応はなかった。少なくとも、表面上は完璧にごまかせていた。

 会話のみを聞いただけではそこに不自然さはない。

 ただし、ララバはその間も殺し合いの間合いにいた。微かな身体の動きでも見逃すはずもない。その時確かに男の利き腕が揺れていた。

 わずかな揺れに、攻撃を被せる。

 フェイクを織り交ぜながら、ララバは分かりやすい小型ナイフをその手に握りしめた。暗器使いは通常、あからさまな武器を可視化できる状態で装備して戦うことはない。完全にそれが囮の武器だと認識されると、本来の隠し武器の効果が著しく低下するからだ。

 見せ武器というのは究極的に極めたものでなければ、暗殺界隈ではあまり意味がないとされる。格下相手ならばそれなりの熟練度でも十分効果を発揮するが、そうでなければ弱点にもなる。それでも敢えて、ララバはそのナイフで攻撃を開始した。当然、殺意は込められている。

 あわよくばそのまま始末をつけるつもりの本気の攻撃だ。

 その悉くはしかし、相手の体捌きによってのらりくらりとかわされる。受け流しではなく、完全回避だ。それだけの力量の差を見せつけているとも言えるが、こちらもカウンターの隙も与えてはいない。

 相手はこの微妙なズレに気づいているだろうか。圧倒的に技術の違いがあるのに、拮抗しているこの状況。すべてはララバの罠があるせいだ。

 「存外にねばっているが、そろそろ終わりにさせてもらう」

 男が手数が一気に増えた。攻守が逆転し、ララバがすぐさま劣勢に立たされる。

 「くっ!?」

 踏ん張り時だった。

 どうにかテーブルを挟んで間合いを取る。危うく難を逃れた。一瞬落ち着く空白を作り出す。

 「油断している暇などないぞ?」

 その瞬間、相手の飛び道具が繰り出された。典型的な投げナイフ。ただし、足元も同時だ。テーブルの上下から絶妙に角度を変えてその凶器が飛んでくる。

 男の口角が上がっているのが薄闇の中でも分かった。必殺の一撃だったのだろう。実際、そのままでは絶対に避けきれない。

 ララバがギリギリで死線を一度越えて乗り気った。そういう雰囲気を醸し出したのだ。わざと作り出した隙間。そこへと誘導した。

 ゆえに、ララバの罠が発動する。

 このテーブルには予め仕掛けがあった。反転の魔法が仕込まれている。単純なものだけに隠蔽もたやすい。相手が投げたナイフがそのまま手元へと戻ってゆく。

 男はその不測の事態にも見事に反応した。

 瞬時にその場から身体を逃がして難を逃れる。とっさの反応で無理な体勢になりながらも、即応した点はさすがだ。

 だが、ララバはそれも読み切っていた。その崩れた体勢の死角へと痺れ針を放つ。男はその場に倒れた。

 呆気ない幕切れ。どうにか捕縛まで持って行けた。

 そう思ったのも一瞬で、近づいて確認すると男は既に事切れていた。何事かと眉を顰める。男の唇から少量の血と泡。毒を含んだ症状だ。

 麻痺した瞬間に死を悟って歯か何かに仕込んでいたものを発動させたようだ。そうさせないための痺れ針だったが、訓練された人間の反射速度はそれよりも勝ることもある。

 「……そう甘くはないか」

 どこまでもプロの諜報員、暗殺家だった。行動に一切の迷いがなかった。最後まで皮肉に嘲笑ったような表情のまま、男は息絶えていた。




 「――要するに、その黒死団の男がビャフロンのコロックを殺した以上、デオムが今回の黒幕だったって話になるのか?」

 報告書を流し読みしながら尋ねると、ミレイは首を振った。

 「それがそうでもないねんな。きっちりとした証拠がないから、なんも証明できへんけども、例の二人組の方はどうやらライリカ帝国関係者とつながっていた可能性が高いんや。持ち物に保身のためにそういう匂わせるものを持っとった。もちろん、それが偽装工作っちゅう線もあるんやけど、分析班の結論としては本物らしい。となると、一番ありそうな真相は複雑なパターンAってところやろうな」

 報告書には幾つかの考えられる推論が並べられていた。いずれも確たる証拠はないものの、納得できる論理はあった。

 ウェルヴェーヌがまとめる。

 「つまり、ウッドパック商会の総論としては、当初の監視対象の商人がライリカ帝国の工作員によって操られていて、そのことが露呈したためにこちらの会員の方が殺されたのが一つの事実だということですね。その下手人がおそらく例の妙な二人組でその正体は少し腕の立つ小悪党でしかなく、この二人も利用されただけに過ぎないと」

 「ん、そことデオムはどうつながるんだ?」

 「二つ目の事実として、例の二人組の逃亡を手助けしたビャフロン一家がいます。業界用語でいう帽子、身代わりを用意したその担当役のコロックを殺したのが、先程クロウ様も口にされた黒死団の男です。黒死団はデオム国の暗殺集団の名であり、この暗殺は事態をかき乱すためのある種の嫌がらせのようなものだということです」

 「攪乱目的か……その場合、二つの勢力は協力関係なのか?」

 「現状は、違うという判断ですね。おそらく、デオム側が帝国とベリオスの状況を見てひっかき回しただけだということらしいです。実際、それぞれが独立した思惑の二組が動いていると分かるまで、こちらは完全に混乱状態でしたから」

 「なるほど、嫌がらせとは良く言ったもんだな……けど、よくこんなことが分かったな?推測すら俺には到底できそうにない」

 「そこはボクらの情報網の賜物ッス。とはいえ、結構好き勝手やられちゃったんであんまり胸を張れるもんじゃないッスけど」

 「キミは少し黙りんさい、アリー。一応、最低限の名誉挽回はできた思うけど、正直なところ曲者たちを遊ばせ過ぎたんいうのもある。そこは反省や。そもそもの発端の商人監視を小物と決めつけて新人育成にあてたところから、下手打ったと言われたら何も否定できひんしな」

 「その点は確かに問い詰めたいところではありますが、補足事項にあったように帝国の末端の関係者とのつながりから、ここまでの事件性を予見することは難しいでしょう。不幸な事故と片付けるのも、失われた命に対して不誠実かもしれませんが、そうとしか思えない偶然だと言わざるをえません」

 商人を監視していた商会の新人も、おそらくそれを見つけた相手側も間が悪かったという結論が出ている。この商人自身、自分が帝国の手のひらで踊らされていることに気づいていないことは後の調査で分かっていた。ちょっとした賄賂を受け取って便宜を図るだけの悪事が、これほど大事になっていることで商人は真っ青になって震えていたという。

 「偶然でも必然でも人が死ぬのは変わらん。残されたウチらにできるのは、これからを良くすることだけや」

 「そうだな。で、ライリカとデオムの奴らのその後は?報告書によれば、完全に追い出せるって話でもないみたいだが、どういう対処になるんだ?」

 「せやな。帝国の拠点らしきところはもう引き払われとった。また潜伏したと思われるさかい、また捜索再開や。ほんで、デオム側は一時撤退というか、黒死団の方は多分もう町にはいない。元々常駐するような奴らやない。逆に、なぜ今回現れたのかの方が不気味や。まぁ、処分できたから今はとりあえず安全やろうけども」

 とりあえず、か。

 クロウは最近そんなことばかりだなと頭上を見上げる。

 ウッドパック商会のミレイの屋敷の天井はどこか豪華なものに見えた。実際はそんなことはないはずなのだが、全体の雰囲気だろうか。

 と、その天板の一部が動いたように見えた。まさかと思ったが、見間違いではなかった。そこからひょいと見知った顔が出て来る。

 「イルル……」

 「あっ……!」

 ウッドパック商会の人間は、まともな登場の仕方を知らないようだ。


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