第49話 暴走、そして収束!
目の前の妖怪が黒雷だというなら、打開策となるかもしれない手がある。
だけどそれは、一歩間違えればより状況を悪化させるかもしれない。
「少し試したいことがあるんだけど」
「わかった」
姫子の返事は迷いがなかった。
「まだ、何するか言ってないけど」
「いいよ。今はそれより時間が惜しい」
「悪い方に転ぶかも――」
「その時はその時だろ」
「……わかった」
私は手のひらを前にかかげ、印を組み、術を唱えた。
「術式復水【透汐】!」
『くくり姫』におけるバッドステータス解除技の一つ。
混乱や魅了のような同士討ちを呼び起こす状態異常を解除してくれる。
また、精神を落ち着ける効果があるため、自らを興奮状態において力を高める狂奔のような効果も打ち消してくれる。
ゲームが現実となった世界で、この術がどう作用するか完璧に把握できてはいないけど、黒雷の暴走状態を解くことはできるはずだ。
問題は冷静になった黒雷がそれでも襲ってくるかどうか。
敵として見るなら、落ち着いた黒雷の厄介さは今の比じゃないだろう。
……せめて、会話の余地くらいはありますように。
水の壁越しでもわかるほどに光を放つ碧色の霧が、黒雷を包み込んだ。
遅れてドサリと巨体が崩れ落ちる音。
碧の霧が晴れると、そこには黒雷が倒れていた。
「上手くやったね」
「……」
姫子の労いが聞こえる。
でも【透汐】自体に相手の意識を奪う効果はないはずだ。
正気では立ってもいられないほどに傷ついていたということなのだろうか。
私が口をつぐんでいると、姫子が小刀を構えた。
「とりあえず、今のうちにトドメを刺そう。瑠璃ちゃんは一応さがったまま、水の壁を解除し――」
「ま、待って!」
考えるよりも先に声が出ていた。
「どうしたの」
「トドメを刺すのは……待ってくれない?」
「…………理由は?」
赤紫の少女が焚き火に照らされながら、私を見つめていた。一振りの剣のように鋭い眼差しが私を貫く。
ふと、山桜百の抱きしめていた妖狐のことを思い出した。
あの日、瑠璃の母、桔梗は妖狐を容赦なく取り除いた。
桔梗も姫子も、整った顔立ちの女性が見せる険しい目つきは、どうしてこうも――
「こいつ、私の知り合いなんだ」
「……」
「それじゃダメ、かな」
「……いや、いいよ」
姫子は小刀を納めた。
◆
それから私たちは黒雷が目を覚ますまで焚き火を囲むことにした。
黒雷を縛ったりはしていない。
私は気休めかもしれないけど、一応、拘束した方がいいと提案したのだけど、姫子は気休めにしかならないなら、知り合いならそんなことするべきじゃないと言って譲らなかった。
さっきまでトドメを刺そうとしていた人が言うことじゃないと思いつつも、私もそれ以上の主張はしなかった。
黒雷はなかなか目覚めなかった。
さっきまで見張り番をしていたのが私だということもあり、姫子は「寝てていいよ」と言ってくれたけど、正直、寝つける気分でもなかった。
結局、太陽が昇るまでこうしていただろうか。
朝の日差しを浴びて、ようやく黒雷がその目を開いた。
「…………ぅう」
「犬吉、久しぶり」
「貴様、心葉の小娘か。なぜ貴様が此処に、いや、それ以前に此処は?」
意識を取り戻した瞬間、飛びかかってくるようなことがなくてまずは一安心だ。
「あんた、さっき私たちにしたこと覚えてる?」
「……我が何かしたのか」
「襲いかかってきた」
「まことか?」
生憎と犬の表情はわからない。
しかも、屋敷にいる時と違って、今の黒雷は妖怪であることを隠しもせず威容を放つ姿だ。
この間が、混乱によるものなのか、弁明を考えているものなのか、私には皆目見当がつかない。
このまま互いに黙っていても仕方ないので、私は夜明け前に起きた戦闘のことを話した。
私たちが野宿をしていたら、黒雷が襲いかかってきたこと。
明らかに暴走状態にあるように見えたこと。
私が【透汐】を唱えたら昏倒したこと。
「感謝しなさいよ? 私がいなかったら、あんた意識を失った時点で殺されてたわよ」
「いや、瑠璃ちゃんがいなかったら、そもそも勝てたかどうか怪しいよ。私だけじゃ、意識を奪うなんてことできなかっただろうしね」
私がそう締めくくると、隣で姫子がつぶやいた。律儀なことだ。
「……なるほど、そんなことになっていたのか、それは……感謝する」
「え」
私は聞き間違えを疑った。
「いまなんて」
「感謝する、と言った」
「え、感謝、あんたが? 嘘でしょ」
食事をたかり、私の失敗を散々笑い、龍の居場所に見当をつけて教えた時ですら特に感謝もなかったこいつが?
「もう一回【透汐】かけたげようか?」
「黙れ」
「はい」
いつものワンちゃんモードならともかく、妖怪モードで言われるとなかなかに圧がある。
私は大人しく口を閉じた。
「……小娘、貴様は何か勘違いしているようだが、我は貴様らごときに殺されるような妖怪では無い。それはたとえあのような状態にあってもだ」
黒雷はいつも私に見せるような尊大な態度で続けた。
「だが、あの呪いだけは我の力ではどうしようもなかった。故に感謝を述べたまでだ」
「……呪い?」
「いわゆる精神操作、いやそれよりも質の悪いものだ。おそらく、我が呪いを受けてから、まだそれ程、時が経っていないのだろう。もしも、これ以上出会うのが遅かったならば、我は完全に支配下に置かれ、貴様の術でも解けなくなっていたであろうな」
たしかに、あの黒雷の様子はどう見ても正気ではなかった。
「あんたが誰かに操られそうになっていたってこと?」
「『操られそう』ではない『操られていた』のだ」
「操られていたって割には、暴れ回っているって感じだったけど」
「それはだな」
黒雷は口を開きかけたが、何か思いついたように口を止めた。
「……いや、その辺りを説明するにも、一度、我に何があったのか話すべきか」
そして、私たちに襲いかかる前のことを語り始めたのだった。




