第48話 旅立ち、そして邂逅!
「よし、これで準備万端」
姫子は家の前に看板を突き立て、満足そうな顔で額をぬぐった。
看板には、家主がいない間に行商人が来た時に備えて、伝言が書かれている。
もちろん、それを書いたのは私だ。
書いたというか、板に字を彫ったわけだけど。
「もう一度、確認だけど、川沿いに上流へと向かうでいいんだね」
「うん」
姫子が振り向き、私は首を縦にふった。
姫子は倒れている私を川辺で拾ったとのことだから、そこから流れてきた方へと向かっていけば、いずれは白龍と対峙した場所につくはずだ。
「それじゃあ出発といこうか」
朝日に照らされて赤紫の髪がきらめく。
ニカっと笑顔を浮かべた姫子に着いて、私も足を踏み出した。
◆
街から離れた場所では昼夜関係なく妖怪が現れる。
昼は行手を阻む妖怪をなぎ倒し、夜は交代で見張り番をする。食べられそうな動物を見つけては狩りをして、食後には本を使って文字の勉強。
旅はすこぶる順調といえた。
私だけだったら妖怪から必死で身を隠し、ずいぶんノロノロした旅になっていただろう。倒れている私を拾ってくれたことといい、姫子にはホントに感謝が尽きない。
今日はひらがなから簡単な漢字の勉強へと移った。
複雑さを増す文字たちを前に早々に音を上げた姫子を先に寝かせ、私が見張り番をすることになった。
暗い夜の中、焚き火だけを頼りに気を張り続けるのは、なかなか簡単なことじゃない。
夜の不気味さのせいか、時間が経つのもひどく遅く感じる。
私は焚き火の音に耳を澄ませながら、寝息をたてる少女の横顔をぼんやりと見つめていた。
私が帰ると決めた時、姫子は迷わず送り届ける選択をした。
もし、私たちの立場が逆だった時、私は同じ選択をできただろうか。
……できないだろうな。
自分自身も街に行きたいと思っていたなら、ついでだからと同行したかもしれないけど、一人の暮らしに満足していたら、たぶん私にそんなことはできない。
行商人が訪れるまで待った方がいいとかなんとか理由をつけて引き止めるか、これ以上の手助けはできないと手を引くか、そのどちらかだろう。
「……姫子はすごいね」
やっぱり、他人のために平然と厄介事を背負い込めるからこその主人公なんだろう。
心葉瑠璃に転生した時は「どうしてこんな悪役に!」と思ったけど、今にして思えば、それでよかったのかもしれない。
もし、私が菊桐姫子に転生していたとしても、彼女のようには生きられなかっただろうから。
「……!」
霊力を持った存在が近づいてくるのを感じた。
低位の妖怪なら立ち入れないような結界も施してあるけど、それすら無視して何かがくる。
「姫子! 起きて!」
「んぅ…………妖怪?」
姫子は眠そうに目を擦りながら起き上がったけど、すぐに表情を引き締めた。
「たぶんそう。でも、結界が効いてない」
「わかった。瑠璃ちゃんはさがってて」
音のする方に向かって、姫子が小刀を手に立ち塞がる。
私はその後ろでいつでも妖術を唱えられるように備えた。
「グルるるるる」
「……うそっ、黒雷!?」
闇の中から現れたのは一匹の黒い犬だった。
二本の前脚に対して、四本ある後脚。二股に分かれた尻尾。紅い瞳。そして、なにより私たちが見上げるくらいの巨躯。
それは、かつて私が試験会場で見た妖怪の姿に瓜二つだった。
しかし、その時とは明確に違う点があった。
黒雷とは意思疎通かできたけど、眼前の妖怪からは理性の欠片も感じ取れない。巨大な黒犬は歯を剥き出しにして、獣のような唸り声を上げていた。
「グルぁぁァアア!」
大口を開け、姫子へと飛びかかった。
そこには思慮も戦略性も何もない。
獲物がいたから襲いかかる。ただそれだけの本能的で衝動的な行動。
姫子は危なげなく身をひねってかわし、すれ違いざまに小刀を突き立てた。
しかし、その手は空を切った。
突如、黒い犬の姿が無数の蝙蝠に変化したのだ。
ゲームで何度も見た、そして、つい最近は白龍でも見た回避方法。
「あっ!」
思わず驚く私とは対照的に、姫子の反応は冷静だった。
無数の蝙蝠が再び収束していくタイミングを見計らい、再び小刀で切りつけた。
「グガががぁア!」
これは黒い犬もかわせなかった。口元が口裂け女のように切り裂かれ、血が噴き出した。
しかし、黒い犬もされるがままではなかった。
口元を切り裂かれながらも、一瞬の怯みさえ見せずに、鋭い爪の生えた前脚を振るった。
まるでカウンターを放つかのような、至近距離での攻撃。さすがの姫子も避けきれずに左腕を押さえた。
「ッ!」
姫子が後ろに飛び退る。
「術式復水【瀑布】!」
私は反射的に術を唱え、妖怪との間に水の壁を張った。
「姫子! 大丈夫?」
左腕を押さえる少女に駆け寄ると、むせ返るような血の匂いがした。
「術式復水【清々流転】」
治癒の術を唱えると、姫子の表情が目に見えて和らいだ。
「ありがとう、助かった。……ねえ、瑠璃ちゃんはあの妖怪を知ってるの?」
「……よく似てるのは知ってるけど、同じかはわからない。私の知ってる奴はもっと偉そうで、理性的で、話が通じた」
それに比べて、こいつは言葉が通じるかすら怪しい。
私たちの目の前で、黒い犬は水の壁にひたすら体当たりを繰り返す。その姿は、あの尊大な黒雷には似つかわしくなかった。
あいつなら、妖術でも唱えてもっと効果的に、もっと迅速に突破するだろう。
同じ種類の妖怪で黒雷とは別の個体なのか。それとも、何らかの理由で暴走しているのか。
せめて、それがわかれば――
「そういえば、さっき攻撃した時に見えたんだけどね。あいつの首元、どうも壊れた首輪みたいなのがついてるんだ」
「壊れた首輪?」
「そう、ここからもギリギリ見えるだろ」
姫子に言われて、黒い犬の首元に視線を向ける。
そこには見覚えのある首輪があった。
ああ、間違いない。
この凶暴な妖怪は――
「……黒雷だ」




