第47話 はじめての読書!
食事も終わり、鍋や食器を洗った私が部屋に戻ると、姫子は壁にもたれながら私の本をパラパラと開いていた。
出だしの感想でも聞こうかと思っていた私は、彼女の手元を見て、直前でつぶやく言葉を別のものに変えた。
「姫子、それ上下逆ね」
「え、あ、そうなんだ」
慌てて持ち変える姫子。
それを見た私は『くくり姫』でも初めは菊桐姫子が文字を読めなかったことを思い出した。
幼い頃から一人暮らしをしていたせいで、本や小説といった文字に触れる機会が乏しく、たしか瀬戸ルートでは将大に文字を教えてもらうイベントがあった。
「もしかして、本を読むのって初めて?」
「あー……や、実はそうなんだ」
姫子は本を握っていない方の手で、赤紫の髪をいじりながら小さくうなずいた。
こころなしか頬が紅潮しているように見える。
その瞬間、私の脳内を打算が駆け巡った。
「よかったら、教えよっか?」
「……いいのか?」
「もちろん、これくらいなお安い御用よ」
ここで私が姫子に文字を教えれば、実質的に瀬戸ルートでのイベントは私が食った形になるだろう。
そうでなくても、心葉瑠璃のバッドエンドはほとんどが主人公、菊桐姫子との不和が原因なのだから、なるべく好感度は稼いでおきたい。
それに、短期的な視点で見ても、今の私は家を追い出されたらそれだけで詰む状態だ。
一緒に読書をして親睦を深めるなんてイベントを逃す理由はない。
私は姫子の隣に腰を下ろすと、本を受け取った。
「この本はね、さっきも言ったけど『右目に咲くスミレ』っていう題名の物語が書かれているの」
「右目に咲くスミレ? どういう意味なんだ?」
「さあ、私もまだ読んでないし。読み終わる頃にはわかると思うけど」
行軍に参加する前に本屋で人気作らしき中から適当に選んだ本だから、前情報ゼロなんだよね。
とりあえず、読んだところまででいうと、元武士だったけどなぜか今は農民な主人公の男が、倒れている美女を拾うところから話が始まる。
二人は共に生活を重ねていくうちに心を通わせていくけど、どうにも、お互い人には話せない秘密を抱えているようで……というところで栞を挟んでいる。
「よし、それじゃあ始めよっか」
私は体を半分、姫子に寄せながら『右目に咲くスミレ』を開いた。
そして、その日の私たちは、寄り添うようにして本を読み進めていった。
◆
頁をめくるうちに、物語の続きが気になりだした私たちは、途中から文字の勉強などそっちのけで、本を読み進めた。
読み終わる頃にはちょうど日が暮れようとしていた。
結局、本一冊分を朗読する羽目になった私は、少しかすれ気味な声でぽつりとつぶやいた。
「ねえ、姫子、この辺りの地図って持ってたりする?」
「ないね。でも、家の近くなら案内できるよ」
姫子はそこでいったん言葉を切った。
「……やっぱり、帰りたい?」
「それは……うん、いつまでもここに居させてもらうって、わけにもいかないし」
「私は気にしないよ」
菊桐姫子は主人公だ。
誰かのために泣いて、誰かのために怒り、誰かを助けることを迷わない。
気にしないという言葉だって本当だろう。
「それでも、やっぱり帰らなきゃダメだと思うの。私を待っている人がいるし。それに……結局みんながどうなったのか、私はそれを知りたい」
あの白い龍を前にして、希里華は、凛之助は、他のみんなは無事だっただろうか。
「その……それで、ずうずうしいことは百も承知でお願いがあるんだけど――」
「いいよ」
姫子の声が響いた。
「まだ、何も言ってないけど」
「どうせ、帰るまで護衛してほしいとかだろ。いいよ。他にすることがあるわけでもないし」
姫子の返答は早かった。
迷うどころか、私がお願いを口にするよりも先に了承してしまった。
その人助けに躊躇しない姿勢に、ゲームをしていた頃の懐かしさを覚えた。
あの時は、姫子は私が操作しているキャラだったけど……そうか、相手からするとこんなに安心するものなのか。
懐かしさと安堵、そして、彼女の人柄を利用していることへの、ほんの少しの罪悪感。
それらを全部飲み込んで、私は「ありがとう」とつぶやいた。




