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第44話 悪夢

 草木も川も空すらも無く、ただ見渡す限りの荒野が広がる空間に私は立っていた。

 私の他には誰もいない。ここにいるのは私だけだ。


「ルリさま。どうして、わたくしたちを見捨てたのですか」


 声に振り向くと、さっきまで誰もいなかったはずのそこには希里華がいた。


「見捨てた? いったい、なんのこと」

「だって、ルリさまは知っていたのでしょう。ここに龍がいるかもしれないことを。それなのに、どうして何も教えてくださらなかったのですか」

「それは……」


 緑髪の少女が責めるように私を見つめていた。

 私が少し後ずさると、もう一つ声が聞こえてきた。


「お前が教えてくれたら、変わっていたかもしれないのにな」

「……凛之助」


 声のする方を見ると、藍がかった黒髪の少年が立っていた。


「いいよな。お前は生きていられてさ。龍がいると知らなかった俺たちは殺されて、知っていたお前だけが生き延びた」

「そんなつもりじゃ! そもそも、いるかもしれないってだけで、本当にいるって知っていたわけじゃないし!」


 気づけば言い返していた。

 それでも、希里華と凛之助の言葉は止まらない。


「でも、お前は何も言わなかった。知っていることを、起こり得ることを、何一つ俺たちに教えちゃくれなかった」

「そうです。ルリさまは、わたくしたちには目もくれず、自分一人だけ生き延びました」


 世界が白く染まっていく。

 白い光に照らされ、希里華と凛之助の顔が蝋燭のようにどろどろに溶け始める。

 それでもまだ、その口は動き続ける。


「どうして、わたくしたちを見捨てたのですか」

「なんで、お前だけが生きているんだ」

「どうして、わたくしたちを見捨てたのですか」

「なんで、お前だけが生きているんだ」

「どうして、わたくしたちを見捨てたのですか」

「なんで、お前だけが生きているんだ」


「私はッ! 見捨ててなんかない!」


 二人の声をさえぎるように、私は強く叫んだ。


「だって、仕方ないじゃない! 私たち、まだ子どもよ!? 小学生くらいなのよ! そんな子どもが、龍がいるかもしれないなんて言っても信じてもらえるわけないでしょ!」


 もう、どっちが希里華でどっちが凛之助かもわからないくらいどろどろになった二人に向かってまくし立てた。

 それでも、蝋人形は交互に言葉を紡ぐ。


「それなら、信じてもらえるように努力すべきです」

「説得材料を集めればよかった」

「瀬戸将大を頼れたはずです」

「大人を頼ればよかった」

「ルリさまにはそれができたはずです」

「動けばよかった」

「試せばよかった」

「あなたはそれを知っていた」

「でも、何もしなかった」


 言葉が、音が、目に見えない壁のように積み重なって、私を囲んでいく。

 なんとかして抜け出そうと、私はもがくように声を上げた。


「だって!」

「――めんどくさかったから」

「ッ!」


 弾かれたように振り返ると、そこには懐かしい女性がいた。

 セーラー服が揺れる。


「み、ミサキ?」

「龍が出てくるかもしれない。それを信じてもらうためには色々しなくちゃいけない。でも、そんなのはめんどくさい。だから、やらない」


 ミサキは私を見つめていた。


「結局、口で言うほど、他人を大切に思ってないんだよ、リッちゃんは」

「ちが――」

「それならそう言えばいいのにね。私にとってあなた達は、めんどくささに勝るほどの存在ではありませんって。ほら、正直に話すのは得意でしょ」

「そんなこ――」

「わたしのことだって、そうだったもんね」


 ミサキは(たの)しそうに笑った。


「リッちゃんが今まで私にしてきたこと、気づいていないとでも思った?」


 心臓が氷漬けになった。


 気づけば私の姿は心葉瑠璃から、夏目花凛に戻っていて、何もないはずの荒野も、いつの間にか教室へと変わっていた。


「やめ、て、もう、言わないで、お願いだから」


 学校机に両手をついて頭をふる。

 ミサキの言葉を頭から追い出したくて、何度も頭をふる。


「花凛、君がしたことを俺たちが何も知らないなんて、本気で思っていたのか?」

「……池井くん?」


 顔を上げるとそこには、池井悠人がいた。どれだけ手を伸ばしても届かなかった私の憧れが、ミサキの隣で私を見下ろしていた。


「あれだけの悪意を向けておいて、よくもまあ、恥ずかしげも無く友達面できるよな」

「あれは、私も、おかしくなってて」

「おかしくなっていた? 違うだろ。あれが花凛の本心、本当の姿の間違いだろ」

「……やめて、よ」

「君は自分本位だ。口では何と言おうと、自分のために簡単に他人を傷つけるし、切り捨てる」

「やめて」

「妬み嫉みに振り回されるくせに、それを認めようともしない」

「やめて」

「好きだったら何をしてもいい? 恋していれば何でも許される? そんなわけないよな」

「やめてやめてやめて」

「そもそも、少し考えればわかるだろ? そんな汚い真似を平気でする人間が、選ばれるわけないって」

「やめてって言ってるでしょ!」





 気づけば私は四畳半の部屋で掛け布団にくるまっていた。

 日は沈みかけているけど、夜と呼ぶにはまだ早い。

 姫子の作ってくれたお粥を食べて、それからの記憶がない。どうやら、いつのまにか寝ていたらしい。


「瑠璃ちゃん、大丈夫? だいぶうなされてたみたいだけど」

「うなされ……」


 そうか、さっきのは夢か。

 考えてみれば当たり前だ。

 龍に襲われて、一人川を流されてきたんだし、悪夢の一つや二つ見てもおかしくはない。


 布団から出した手は、まだ震えていた。


 自分の手から目をそらすと、囲炉裏を挟んだ向こう側で座っている姫子と目があった。


「……ほんとに大丈夫?」

「うん、平気」


 もう悪夢からは覚めたのだから、少しすれば震えだって止まるはずだ。


 そんな私を、しばらく姫子は見つめていたが、やがて立ち上がるとどこからか片手で掴めるくらいの大きさの壺を持ってきた。


「これはね、私のとっておき」


 姫子は匙を握ると、壺の中をぐるりとかき混ぜた。

 取り出した匙から、とろりとした黄金色の液体が垂れる。


「蜂の妖怪がため込んでいる蜜なんだけど、これがもうめちゃくちゃに旨いんだ」


 湯飲みに蜂蜜を二匙ほどたらし、お湯を注いでいく。

 軽くかき混ぜると、カカンと匙で小気味よく湯飲みの縁を叩いた。


「はいこれ」


 震える手で蜂蜜の白湯を受け取り、ゆっくりとすする。


 口当たりの良い甘みとともに、花の香りが鼻から抜けていった。

 春の陽射しに照らされた雪のように、凍りついた胸の内がゆっくりと溶けていく。

 体の奥からぽかぽかと温まっていく。


「……甘くておいしい」

「そうだろ」


 姫子はニカっと笑った。


「疲れている時はいつもこれを飲むことにしてるんだ。甘くて温かいから、涙のしょっぱさと合わせるとちょうどいい」

「なにそれ、涙も飲んじゃってるじゃん」

「食べられるものは食べないともったいないってこと」

「えぇ、わけわかんないし」


 もう一度、姫子が笑った。

 つられて私も笑った。


 夜の(とばり)が落ちていく中、囲炉裏の炎がぱちぱちと、いつまでも笑う私たちを照らしていた。

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