第33話 お墓
桔梗の抱えていた妖狐の骨はいつの間にか消えていた。
ゲームにそっくりなこの世界の妖怪は、死んだら何も残さず消えてしまう。
一匹の妖怪がそこにいた証は何もかもなくなった。
初めに口を開いたのは桔梗だった。
「妖怪を祓うと書いて妖祓師です。妖怪にどのような感情を抱くのかは自由ですが、妖祓師であるなら、最後には手にした刃を振り下ろさねばなりません」
桔梗は淡々と言葉を紡いでいく。
「山桜さん、それができない人は妖祓師にはなれません。……いえ、なってはいけないと私は考えています」
百の返事はない。
「瑠璃、あなたもですよ。心葉流の跡を継ぐのであれば、感情とは別に力を振るうことができなければいけません。いずれあなたは、妖祓師としての責任だけでなく、心葉流の歴史も背負うことになるのですから」
「はい」
心葉流の跡継ぎ。
それは『くくり姫』で心葉瑠璃がことあるごとに笠に着ていた立場だ。
でも、私、夏目花凛にはそれがどれほどのものなのか、今になっても実感が湧かなかった。
「……これ以上は言いませんが、二人ともこれからはもう少し責任感を持った行動を心がけてくださいね。初級とはいえ試験を受けたあなたたちは、今まさに妖祓師の世界に踏みこもうとしているのですから」
◆
桔梗が去った後も、百はしばらく立ち尽くしていた。
これが本当にゲームで、私が主人公なら、画面に選択肢の一つでも出てくれるのだけど、私の目に映るのは、春風に舞う桜の花弁と、うつむいた少女の姿だけだ。
そこにはBGMの一つすらない。
「ねえ、だいじょうぶ?」
口にしてから、これはないなと自嘲した。
だいじょうぶなはずがない。それくらい、私にだってわかる。
それなのに訊いてしまったのは、私が沈黙に耐えられなかったからだ。
「……うん、だいじょうぶ」
ムリをしていることがバレバレな震えた声だった。
「お墓でもつくる?」
「でも、コンちゃんは妖怪だし、骨もなにも残ってないけど」
「骨がないからって、お墓を作っちゃいけないわけでもないでしょ」
「……うん、そうよね。それくらいなら許されるよね」
百は何かに言い訳するようにつぶやいた。
さて、お墓をつくるなんていっても、私たちにたいそうなことはできない。
百の家の庭に移動すると、それらしく見えるように木の板を地面に突き立て、周りに花やお供え物をするだけで、すぐに終わってしまった。
言葉少なにぼんやりお墓を眺めていると、ふと百が口を開いた。
「……やっぱりわたしって妖祓師に向いてないのかな」
「それは」
――向いているとは言い難い。
そう思ったけど、さすがに口にはできなかった。
「わたしね、妖怪を殺すのとか、本当はすごく嫌なの。どうしても、かわいそうとか、こんなひどいことはしたくないって思っちゃって」
ぽつぽつと百は語りだした。
「そういうこと言うと『良い子ぶりやがって』とか言われるから。最近はちょっとがんばろうって思ってたんだけど」
百は着物の裾を強く握りしめた。
「この前の初級試験。わたし、ダメダメだったの。ここの妖怪たちは、別に街を襲ってきたわけじゃないのに、人間の都合で捕まえられて、試験のためっていう理由だけで殺されちゃうんだって思ったら、わたし、ぜんぜん戦えなくて……結局、一匹も倒せなかった」
着物を握りしめる手はよく見ると小刻みに震えていた。
私は稽古のことを思い出していた。
私が【水邪】しか使えないせいで、袂雀を毒殺し、それを見ていた他のクラスメイトがドン引きしていた時のことだ。
その中でも百は青ざめ、もどしていたことを思えば、無理もないかもしれない。
「山桜さんは、妖怪を殺すのは嫌なのに、妖祓師にはなりたいの?」
「……うん」
「どうして?」
「それは――」
百は言葉を選ぶようにゆっくりと語った。
「何もしていない妖怪を殺すのは、嫌だけど。でも、ほとんどの妖怪が人間を襲ってくるのもたしかで、何もしないでいたら、色んな人が苦しむことになるでしょ。それを見ているだけではいたくないの」
「そっか」
百にはちゃんと妖祓師を目指す理由があるのか。
「……やっぱり、今の嘘っぽいかな?」
「え、嘘なの?」
百は慌てて首を横にふった。
「嘘じゃない! ……でも、そう聞こえるかもって」
「別にいいんじゃない」
嘘っぽく聞こえるかどうかなんて、相手や状況、話し方ひとつで簡単に変わるものだし。
自分が嘘じゃないと思えるなら、それで充分だ。
少なくとも、心葉瑠璃に転生して、理由もなく成り行きで妖術を学んでいる私よりは、百の方がよほど妖祓師に近いところにいる。
「山桜さん、さっき試験で一匹も倒せなかったって言ってたけど、実は私も同じだし」
「え、同じって」
「討伐数ゼロ匹ってこと」
そう言って親指と人差し指で輪をつくると、百は目を瞬いた。
「どう、嘘っぽいでしょ」
「……う、うん」
「でも、ほんとなのよねーこれが。山桜さんみたいに、妖怪がかわいそうとか思ったわけじゃないんだけど、うまく妖術が使えなくてね。一匹も倒せなかった」
百はよほど驚いたのか、何も言わずにぽかんと口を開けている。
「しかし、驚いたなあ、まさか山桜さんもゼロ匹とはね。てっきり、私だけぶっちぎりで最低記録を叩き出したと思ってたから」
「……驚いたのはこっちの台詞だけど」
「そう? まあ、お母さまは跡継ぎがどうのこうの言ってたけど、蓋を開けてみればこんなものってことね」
私がおどけてみせると、百はくすりと微笑んだ。
急ごしらえのお墓の前に、落第者が二人。
正直なところ、母が妖狐を祓った時『これ以上大事になる前に片がついてよかった』『私が手を下さずに済んでよかった』なんて冷静に勘定している自分が、確かにいた。
そんな私が、妖狐にすら情をかけてしまう彼女を『向いていない』と思うのは当たり前だ。
だったら、このことについて、私が百にかけてあげられる言葉は、たぶんありはしないのだろう。
「あの妖狐……名前はコンちゃんだっけ」
「うん、わたしが勝手に呼んでただけなんだけどね」
「どんな子だったの?」
「……うんとね。やんちゃで、ぜんぜん懐いてくれなかったなあ」
なんだ、自覚はあったのか。
「逃げ出そうとして、隙あらば噛んでくるし。何もせずに見ているだけでも威嚇してくるし。やっぱり、妖怪は人に懐かないんだなあって。でもね――」
百はお墓代わりの板に静かに手を添えた。
「初めの頃は、そうやって噛みつく元気もなかったから。ちょっと嬉しくって。そっか、そんなに元気になったんだね、じゃあ、もうすぐお別れだねって」
「……」
「まさか、こんな形のお別れになるとは、思わなかったけど」
そう言って、百は力なく「あはは」と笑った。
遅れてその瞳からぽろぽろと涙がこぼれていく。
私は何も言えず、隣で静かにお墓を見つめていた。




