第22話 妖狐!
希里華の家からの帰り道、私は護衛の男を引き連れながら、考えごとをしていた。
母を始めとして屋敷のみんなは、今の私をどう思っているのだろう。
急に忘れっぽくなったとか。
なにかの病気に違いないとか。
話しかけやすくなったとか。
逆に反抗期がきたとか。
それとも、やっぱり、別人のようになってしまったと思うのだろうか。
「ねえ、あなたは最近の私に、その……違和感はある?」
「ん、あっしですかい? そうですねぇ、急に物忘れが激しくなったというか、やたらと間抜けっぷりを見せつけてくるなとは思いやしたね」
「…………」
こいつ、言葉選びが最悪だな。
返事すらしたくなくなって、護衛との間に沈黙を漂わせたまま歩いていると、桃色の髪の目立つ少女を見かけた。
少女は道端に座りこんで、何かしているようだ。
小さく丸まったうしろ姿に何が隠されているのか気になった私は、つい声をかけていた。
「山桜さん?」
「ひゃっ!」
少女は肩をびくりと震わせ、勢いよく振り向いた。
「こ、心葉さん!?」
「どうしたのよ、こんな道端にしゃがみこんだりして。お腹でも痛いの?」
「……あなたには関係ないでしょ」
山桜百は鋭く言い放った。
私の中で、稽古前の教室での言い争いはまだ記憶に遠くない。おそらく彼女もそうだろう。
「ま、そうね。邪魔したわ」
なんとなく気になって声をかけてしまったけど、わざわざ関わる必要もないか。
その時だった。
「コン!」
「………こん?」
少女の背後から動物の鳴き声のようなものが聞こえた。
思わず足が止まる。
百の表情にはひと目で動揺がわかるほど、露骨に焦燥が浮かんでいた。
「今、山桜さんの後ろから」
「なにもいないわ!」
「いや、鳴き声が」
「気のせいじゃない?」
気のせいなわけないだろ。
百の背後をのぞき込もうと、私がぐいと背伸びをすると、百も胸をぐいと反らす。
私が横に回ろうとすると、百も両手を広げて体を傾ける。
「なにを隠してるのよ」
「だから、隠してないわ」
「うそつけ」
このままじゃ埒があかないけど、かといって実力行使もためらわれる。
どうしたものか私が悩んでいると、百の足元から何かが飛び出してきた。
「あっ!」
真っ白な流線形から生える尖った耳と、ふさふさの尻尾。
それは一見するとただの白い狐だけど、尻尾が三本もあった。
勢いよく飛び出したはよいものの、その勢いは保たなかったようで、ゼンマイを巻き損ねたミニカーのようにパタリと止まってしまった。
よく見ると前足をケガしており、百の足元から血痕が点々と続いている。
「動いちゃ、ダメ!」
百は悲痛な声を上げると、狐のそばにかけよった。
「山桜さん、それって……妖狐だよね」
妖狐、またの名を化け狐。
まぎれもなく、人間に害をなす妖怪の一種だ。
「ち、違うの! この子は妖狐とかじゃなくて!」
「でも、尻尾が三本あったけど」
「そ、それは、見間違えでしょ」
百は私と妖狐の間に挟まって必死にまくし立てる。
「妖怪を助けていいの?」
「この子は妖怪じゃ――」
「妖怪でしょ」
妖術を扱えるようになってから、私は今まではまったく分からなかった霊力という存在を漠然と感じとれるようになった。
この妖狐からはハッキリと霊力を感じる。
ただの狐などではありえない。
「こ、この子は、足をケガしているの」
「それは見ればわかるけど」
「このままにしておくのは、か……かわいそう、だから」
「妖怪よ、本気?」
「………………ぅん」
私のいた世界と『くくり姫』の世界では、妖怪の意味が少し違う。
私の世界では妖怪は文字通り、あやしく不可思議な存在全般を指していて、妖怪には悪いものもいれば、神様に近いものもいた。
でも、『くくり姫』の世界での妖怪はもっと現実的だ。
この世界では、妖怪は空想上の存在ではなく、実際にいる。
彼らは人を襲い、人を殺し、人を喰らう。
妖怪はこの世界ではまぎれもなく「害」なのだ。
もし、人に害をなさない妖怪がいるのであれば、それはそもそも妖怪ではない。
それほどまでに妖怪という言葉にネガティブなイメージは紐づけられている。それが『くくり姫』の基本的な世界観だ。
まあ、私はゲームをプレイしているので、攻略対象の中にも妖怪がいるって知っているし、『人と妖、許されない恋』みたいなキャッチコピーも死ぬほど見たんだけどね。
でも、この場合は――
「やめた方がいいわよ」
「……」
妖狐はゲームにおけるキーパーソンでも何でもないただの敵キャラだ。黒雷のように人語を解して、人と交渉できるとは思えない。
妖祓師に遭遇してケガを負い、辛うじて逃げてきたのだろう。
ゲームの妖狐も、体力を減らすと逃げ出す面倒な敵だったし。
「さっき、山桜さんから逃げてたでしょ。警戒されてるって私でもわかるわ。それに傷が治ったところで、どうするつもり? 結局、妖祓師に出会ったら退治されるわよ」
「ま、街の外に」
「逃してあげるの? あなたが? 元気になった妖怪が言うことを聞くとは思えないし、逃した瞬間、襲われるわよ。そうでなくても、いつ街を荒らし始めるかわからないし」
「…………」
「そもそも、傷が治るまで何もないというのも楽観的すぎるわ。朝、目を覚ましたら家族が妖怪に殺されてました、なんてこともありえないわけじゃないのよ」
「こ、殺されっ」
百が息をのんだ。
まあ、さすがにそこまでのことはそうそう無いだろうけど。
でも、自分の指がかじられるくらいのことはあってもおかしくない。
こういうのは同い年くらいの私じゃなくて、もっと大人が対応するべきでしょ。
そう思って、護衛の男に投げようと隣を見たが、彼はどこにもいない。
あ、あいつ、隠れやがったな!
仕方ないので、私はため息を飲み込んで口を開いた。
「ねえ。山桜さんは、そういうの全部わかった上で、この妖狐を助けたいの?」
「…………うん」
「そう。ならがんばりなさい」
「……え」
私はそれだけ告げると、その場から去ろうと百に背を向けた。
「ちょ、ちょっと待って!」
「なに?」
「見逃してくれるの?」
「見逃すもなにも、別にもとからそいつを殺したいわけじゃないし」
どうせ、放っておけば、夜になって妖祓師に狩られるのに、わざわざ、慣れない妖術を使ってまで殺す気にはなれない。
使えるのも毒の【水邪】だけだから、気分悪いし。
「お、怒らないの?」
「何を」
「私がしようとしているのが……ただの自己満足だって」
「それはそうだけど。私が怒ることではないでしょ」
それに、そこまでわかっていて、なお、助けたいと言い張るのなら、なおさら私に言えることはない。
そんなに叱られたいなら、親にでも言ってもらえばいいのだ。
「それじゃ、私はここらへんで」
日が沈むまでには帰らないと、私が叱られる。
こんなこところで他人を叱っている暇はない。
私は今度こそ百に背を向けると、屋敷に向かって歩き出したのだった。




