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蹂躙命運  作者: 琥月銀箭
6/10

第一章 痛感忘却 〜冬に咲き誇る向日葵〜 05

05


 ◇◇◇


 朝になる。目覚まし時計など用意していない。私にとっての目覚まし時計は、境内に離し飼いしている鶏達が教えてくれる。

 コケコッコー、と聞こえると、もう朝陽は昇っている。その鳴き声で眠っていた瞼を開けると、すさかず朝陽が部屋中に充満していることに気付く。

 起きてはいつも思うことは、眩しいに尽きる。

 寝床から起き上がり、そそくさと支度に向かう。

 自室を出ると、そこは既に廊下だ。庭に面した廊下に、東からの陽を受け、季節は冬だというのに、幾分暑かった。それは心地よいもので、朝方はここで居眠りする家族の者もいる。それ程、ここにいるだけで心地よい気分に誘ってくれる場所でもあった。

 廊下を歩いている途中、前からある一人の男がやってきた。父親に似て、凛々しい表情。背丈は高くゆうに百八十は超えているだろう。程良い肉付きは、これまた父親に似ていた。

 いつも黒装束の和装に身を包むその者の名前は、四神慈愛と言う。四神家の長男坊であり、慈愛という名前が似合わない人物だ。いつもどこか棘のあるところに、慈愛などあるのかと思える程である。

 廊下ですれ違うと、「おはようございます」と、凛々しく規律のいい声を発して、私との挨拶を交わす。私からも「おはようございます、慈愛さん」と一礼しては、横を過ぎ去った。慈愛さんとの触れ合いはこれくらいだ。そのまま、慈愛さんは(かわや)へと寄った。

 さらに廊下を進んでいく。玄関にまで来ると、鶏が何匹が入ってきていた。

 またあの子か……。私は頭を抱えながら、鶏を外に追い出した。

 外では、一人の巫女が鶏と戯れている。微笑ましい笑顔を浮かべては、鶏を追い掛けていた。

「加古さん……。いい加減にしてください。昨日言ったばかりでしょ。家の中に鶏をあげてはいけないと。綺麗さんからも、言われませんでしたか?」

 私は外で遊ぶ加古と名の巫女に注意を促した。当本人は私に気付いておきながら「そんなのどうでもいいじゃん! それより、佳奈美ちゃんも遊ぼうよ!」と誘ってくる。一つ溜息をついては、二度目の忠告を言い渡す。たが、これといって効果は発揮されることはなく、虚しくこの場を過ぎ去っていく。

「加古さん! いいですか!? 耳の穴かっぽじって聞いてください。今度、またこんなことするなら、虎屋(こや)の大福買ってきませんよ」

「あぁー、それだけは勘弁してくださいぃー……、佳奈美御姉さんー……」

 またもや溜息がつく。虎屋の大福を出しただけで、このありさまだ。加古は無類の大福好きであり、和菓子名店の虎屋の大福は、加古の大好物であった。三度の飯より虎屋の大福と言っても、加古にとっては過言ではない。取り分け、大福を買ってきているのは私であり、それさえ人質に取ってしまえば、加古は呆気なく組み伏せられる。今もこうして泣きながら私に「もうしませんから」と懇願してくる。

「絶対ですからね」

「はい! わかりました! わっち、御姉さんのと約束は守ります!」

「『わっち』とか言わないの!? どこで覚えたのか……」

「父さんから、時代小説を読み聞かせてもらっててね、ユウジョ? がどうとか、臥薪嘗胆だっけ? ともかく、復讐する御話なんだ」

 ぎ、銀二(ぎんじ)さんは愛娘に何を訊かせているんだ!? 遊女とかそれは幾らなんでも行き過ぎた話ではないだろうか。なんせ、十五歳の娘に、そんなことを訊かせるだろうか……。純粋無垢な加古に、そんなえげつない話を聞かせているその精神を、私は疑った。

「わっちは駄目?」

「江戸時代じゃあるまいし。今どきの言葉を使いなさい!」

 今の時代、わっちなんて自分を呼ぶ人はいるのだろうか。たぶんいないだろうな……。

「じゃあ、俺っちとか!?」

 加古は煌びやかな視線を私に向けてくる。私より背は低いので、下からやってくるその視線は、些か眩し過ぎた。

「俺っちは男の子が言えば十分です! 加古さんは、『わたし』と言えばいいんですよ」

「佳奈美ちゃんに言われたくないなー。時々、女子(おなご)らしからぬこと言うし」

「そ、それは……」

 私はつい気を抜いてしまうと、まるでどこぞの非道刑事のように、悪口雑言(あっこうぞうげん)を口にしてしまう口癖があった。飯の席で、その気が緩んでしまった時、綺麗さんにはきつい目線で見られたことは、苦い思い出として残っている。取り分け、年下の、それも加古さんに言われると、なんだか無性に腹が立つのだが、ここは押さえなければならない。なにせ、私はここに住み込みで働いているのだ。故に修行もしてもらっている。反逆など以ての外だ。

 四神家に来てもう十年以上は経っている。四神家が独自に持つ封印術を、軽度習得し、加えて十二支を主軸とした呪術も使えるようになった。これも全て、本来の家族に仕返しをする為でもある。あの屈辱は今でも忘れない。

 今、ここを出るわけにもいかなかい。まだ、巫としての力は、弱小だからなだ。目の前の十五歳の加古さんにだって、若干呪術は劣っているのだから。

「でも、私、そういう佳奈美ちゃんは好きだよ。なんというか、天真爛漫で」

「天真爛漫……、ではなんかじゃないと思いますよ……。んー、単刀直入の方が合ってません?」

「単刀直入か……。そうだね、何の咎もなしに佳奈美ちゃんにはピッタリかもね」

 無邪気な笑顔を向けては、そう言う加古さん。貴女こそ、天真爛漫なのではないだろうか。

「私が天真爛漫で、佳奈美ちゃんが単刀直入でしょ。なら、慈愛兄ちゃんはなんだろう?」

「慈愛さんですか? 難しいですね……」

 これといって何の波もない人だ。いつも平常心を保ち、どんな時だって己の足許を崩すことはない。例の、私が飯の席で、悪口雑言を言っても、慈愛さんは何の微動だもしなかったのを微かに覚えている。となると、虚心坦懐(きょしんたんかい)だろうか。

「虚心坦懐? 何それ」

「心になんの(わだかま)りもなく、平静な態度を取ることですよ」

「んー、よくわからないけど、そうだね。なら、未礼姉ちゃんは」

 どんどんと私に質問責めにしてくる加古さんは、こうして話しているだけでどことなく楽しそうであった。それも無理はないだろう。こうして無邪気に戯れられる人物は、私しかおらず、こうして朝だけしか何の思いも抱かずに、己を曝け出すことが出来るのだから。

「未礼さんですか?」

 あの人も、あの人で、小難しい人だ。慈愛さん以上に、平然だし、声を発することさえ、一日にあるかないかな程、大人しい、いや大人し過ぎる人である。それに、情に熱い人でもあり、故に真面目な人だ。だから、温厚篤実(おんこうとくじつ)だろうか。

「佳奈美ちゃんって物知りだね」

「そうですかね……。結構これで無知な方なんですよ」

「そうかな。私よりは頭いい筈だよ」

 だって、私勉強苦手だもん、と豪語する加古さん。胸を張ってまで言うことではないだろうに、加古さんは至って上機嫌だった。

「佳奈美ちゃんってすごいね。よく、そんなに単語知ってるね。お勉強屋さんなのかな?

 あっ、そうそう、佳奈美ちゃん、最近帰るのが遅いけど、どうかしたの?」

 無垢な視線と質問がこちらに向けられる。私は「えっ!?」とひょんな驚きをしては、加古さんを見据えた。当の加古さんは「ん?」と不思議そうにこちらを見返してくる。

「あっ、いや、その……、加古さんには話してもわからないですよ」

「ム! 子供扱いするのも程ほどにしてほしいんだけど。佳奈美ちゃんは私を虚仮(こけ)に扱い過ぎよ! もう!」

 頬を膨らませては、顔を誇張する。十五歳という歳でありながら、どこかあどけなさを残す彼女。子供扱いされたくないのは、一刻も早く、四神家という五大神道家系の重鎮の一つとしてなりたいのだろう。

「あぁ、ゴメンなさい。ちょっとお姉ちゃん言い過ぎちゃったかな」

「だいぶね」

 加古さんは背を向けては、ずっしりとした足取りで境内の奥へと歩み進めて行く。後ろ姿には、若干の怒気を感じられた。流石の私も、彼女の心境を慮らずに言ってしまったな、と反省するのだった。


 台所に移動する。すると、四神家の妻であり、三児の母親である綺麗さんがいた。

 まるで日本人形をそのまま人間にしてしまったかのような、美しい女性であり、名前の通り、綺麗であった。いつもはお(しと)やかなくせして、案外怒ると恐いのだ。折檻という言葉の暴力を揮うことがある。一度だけ、境内の奥の、祭祀の際に使う道具が仕舞われている蔵に閉じ込められたことがあったのだが、そこから一日出してもらえないことがあった。綺麗さんは、決まってその御仕置きは変えず、今に至る。

「おはようございます」

 この家で、一番身分が低いことは身に沁みるほどわかっていた。故に、年下の加古さんであろうと、態度は誰に対しても低姿勢であった。綺麗さんとて、気を抜くことは出来ない。この人は、一番礼の云々に厳しい御方なのである。

 水浅葱色の和服に身を包んでは、清爽たる風構え。そこにいるだけで、一種の存在感を醸し出し、それは誰にも真似出来ぬ代物。空気が凝結し、この場の緊張を高めていく。この場に足を踏み入れるのさえ、憚れる気持ちで私は一杯だった。

「あら、おはようございます、巫弥さん。昨晩は、遅かったのね」

「えっ、あぁ、昨晩ですか?」

 日付が変わる頃に、円城の家を発ったのだ。自宅に帰る頃には、既に深夜一時近くになっていた。

「す、すいません。ちょっと私用で遅くなってしまって……。何か不都合でもありましたか?」

「いえ、これといってありません。ただ、あまりにも帰るが遅かったので、心配していたんです。貴女の身を預かる者としても、巷で起こっている不浄に満ちた事件に、巻きこまれているのではないかと」

 綺麗さんは、心配な面持ちで、こちらを見据える。私は感情を隠せず、「ま、巻き込まれているというか……」と思わず言い淀んでしまった。これには、綺麗さんの面持ちが一変して、「もしかして、首を突っ込んでしまったの!?」と、語句を強めて問い質してくる。綺麗さんに隠しごとをしたところで、すぐに明らかになることは、明白だった。ありのままを話した私に、「そうですか。まあ、貴女のことを思うと自ずとわかります。」と、怒られるかと思ったが、案外肯定してくれた。

 今までずっと隠し続けてきていた。一連の事件に、足を突っ込んでしまっていることを。隠しごとをしていたことで、もしかしたら、綺麗さんは怒るんじゃないかと思っていたが、そうではなかった。

「はぁ……、貴女のことですから、もしかしたら、と思ってましたが、どうやら案の定といったことでしょうか」

 溜息を一つついては、落胆の声をあげた。どこか落ち込み加減で、こちらを更なる心配な視線を送ってくる。私は狼狽しながら「あぁ、あの、何の相談もなしに、行動してしまったのは素直に謝ります。ただ、伯父が、被害者になってしまって、どうも見過ごせなくて……」と、咄嗟に弁明を述べた。

「別に、足を踏み入れてしまったのなら仕方ないです。でもですね、巫弥さん。先程も言いましたが、身を預かる者として、事件に何らかの被害が及んで、亡骸として帰ってくるのは、嫌ですからね」

「わ、わかりました」

 肩を竦めては、それだけしか言えなかった。もう、走り出してしまったら、そのまま止まることを知らない私である。それは、綺麗さんも承知の上だ。最後まで走り切りなさい、と言っておきながら、死ぬな、という。綺麗さんとて、事件のことは知っている。幾人もの亡骸が、その事件によって生み出されていることに、些か不愉快なのだ。それが、地元だということもあり、一層不愉快は増す。

「銀二には、私から言っておきましょう。どうせ、貴女の物言いなど、一切耳には入れてくれないことでしょう」

「き、綺麗さん。ちょっと待ってください。銀二さんに言うのは、私からが。当本人が、綺麗さんに伝言の代役を任せるなど、本末転倒です。これも、私が関与していることなので、これだけは私に言わせてください」

 自ら志願する。全ては自分で引き受けてしまったことだ。自分から言わず、それを綺麗さんに言ってもらうなんてこと、自分の自尊心が許さなかった。

 身を乗り出してまでも言う私に、綺麗さんは「あら、そう」と、呆気なく返事を出すと「なら、取次は私がしておきましょう。後のことは知りませんよ」と、快く銀二さんとの面会の許しを得るのだった。


 朝餉(あさげ)を食べ終えた各々の四神家一家は、各々の行動へと移る。

 慈愛さん、未礼さん、加古さん、(おかんなぎ)としての(めかんなぎ)としての修行に出ていく。私も本来ならついていくのだが、今回ばかりは違う。空となった食器を片づけ、すぐさま銀二さんの部屋へと向かった。

 母屋から離れにある銀二さんの部屋。母屋から隔離され、孤独となっているというのに、どこか存在感が強く、そこだけが異世界に満ちているかのようだった。母屋と離れを繋ぐ廊下は、言わば異世界に繋ぐ廊下でもある。

 母屋を抜け、渡り廊下に足を踏み入れる。

 物凄い重圧だ。そこにいるだけで、どこか呪力によって押し止められてしまう。足を一歩出すのでさえ、厳しい。まるで重りのついた足枷をはめられているかのような気分だった。

 要因は全て銀二さんから発せられる呪力だ。四神家の重鎮である銀二さんは、人一倍呪力を持ち合していた。自身では持て切れず、挙句の果てに物を貯蔵の代用としているのだが、代用さえも効かぬ程。最終的には、離れごと、呪力の貯蔵庫にしてしまった張本人だ。離れにも、少なからず影響があった。

 なんて呪力の強さなの……、とふと思う。流石、五大神道一家と謳われる、一人の主である、とまた思う。

 離れに着き、襖を開けた。

 離れは、十畳の畳部屋であり、銀二さんの趣味で書道の数々が飾られていた。その書道の文字にさえ、呪力が籠り、文字を見ているだけでも、強烈な印象を見た者に植え付ける。呪力という物を知らない人達は、これを魅力の一つと呼んでいる。

 部屋の中央、座布団が一つ。その上で瞑想をしていた。声をかけるのさえ億劫になってしまう。また、物音さえ、この場から消え失せていた。

 無音空間が、そこには広がっていた。それは一種の結界と化し、不浄を寄せ付けない。

「あ、あの……」

 第一声が、それだった。空間に圧倒され、私はか細い声しか出てこなかった。

「ん? 巫弥か」

 銀二さんは、こちらに一瞥しては、私の名前を口にした。

「は、はい。お、お邪魔でしたでしょうか?」

「いや、別に構わん。巫弥が来るということで、この場の出来る限り浄化していたんだ。何か邪な物があると邪魔になる」

 低い声が、この部屋には異質だった。まるで岩を孕んでいるような重い口調が、私の耳の鼓膜を刺激する。そして、声として認知する。

「そ、それじゃあ……、失礼します」

「畏まらんでいい」

「は、はい!」

 一言一言が、重々しい。たった一つの注意でさえ、まるで鞭を打たれているかの如く、身体に沁み渡る。

 銀二さんの前に、座布団を敷いて座った。お互いに向きあっている形となる。


 四神銀二。四神家封印神道呪術頭首。今年で六十歳を迎える。全身に皺が出来始め、白髪が頭には混じり始める。昔から変わらず、岩を孕む口調は変わらない。その場にいるだけで、そこだけが別な空間へと変化する、異質的存在。不浄を寄せ付けず、文字通り病に臥せたことは全くと言っていいほどになかった。曰く、銀二さんの周りに、不浄は封印される。この場は、その封印を極限に高めたものだ。


「何を話に来た」

 銀二さんが私に問う。

「巷で起きている事件に、片足を入れてしまったこと。それに対して、何も断りもなしに、独断で突っ走ってしまったことへの詫びを」

 肩を竦め、姿勢を伸ばしては、姿勢正してハッキリとした口調で喋っていく。銀二さんは、眼を瞑りながら真剣な面持ち――いや、真剣な面持ち以外の表情を、この人は殆ど出すことはない――で、訊き届けると、ただ一言「そうか」と言った。何の抑揚もない声だった。

「す、スイマセンの言葉に尽きます。あ、あの罰は何でも受けますんで、止めろとは言わないでください」

「何故だ?」

 間髪いれずに訊いてくる。

「伯父が、事件の被害者になってしまったんです。それで、私、いっても立ってもいられなくて。それで許せなくて」

「真意を問う。それは偽善か?」

「偽善ではありません。善意です」

「何故だ?」

「血の繋がった者が、被害にあったことを見過ごすなど、自尊心が許さないのです」

「それで、事件を解したいと?」

「そうです」

「その事件は、お前独りで解せることか?」

「そ、それは……」

 事件は不可解なことが多過ぎる。包帯巻きの魔術士が、一番大きいだろう。それを独りで解決など出来るわけがない。私は弱い呪術士だ。こないだだって、安易に敵の口車に乗せられ、挙句の果てに身を滅ぼしてしまう術を行使してしまったのだ。こんな私じゃ、将来、どんな敵に立ち向かったところで、勝利を手にするのは難しいだろう。己自身を見失うなど、戦闘においては愚かなことだ。戦況を見定められなくなり、己の窮地に気付き難い。あの時だって、円城がいなかったら、私は自分で自分の首を絞めて、絞め殺してしまっていたかもしれないのだ。

 私独りで、解決など、夢のまた夢であろう。

「で、出来ません……」

「愚者め。己でしゃしゃり出ておいて、出来ぬというか」

 銀二さんの口調は相変わらず抑揚ない。ただ、それに代わって、空間が変化する。どこか荒々しい怒気混じりの空間へと。

「で、でも、私には仲間がいます」

「仲間? それは誰だ」

「円城珀、衛樹球耶。この二人が」

「三人で事件を解決するというのか?」

 若干、空間が和らいだ気がした。

「はい」

「ふん。偽善だな。ただ、伯父を助けたいだけであろう。では問う。お前は、事件に被害にあった他の者は別にいいというのか?」

 被害者の一人である稜治は私は何としてでも恨みを晴らしたいと思っている。でも、なら他の被害者はどうする。殺されてしまった者だって、被害者だ。姿は違えど、稜治と一緒に被害者である。銀二さんは私のこの思いを偽善と言う。事件を解決するのなら、同等も助けろと言いたいのだろうか。

「ほ、他の者ですか!?」

「そうだ。他の者とて、被害者であることには違いない。それはお前はどうでもいいというか?」

 若干、空間はまた怒気を孕んだ。

「えっと……」

「全く、綺麗ごとだな、お前の言いたいことは」

 私の言い淀みに、銀二さんは王手の如く、矢継ぎ早に言葉を私にぶつけた。

「じゃ、じゃあ、被害者の人達も助けろと!?」

「うん。出来ればそうしたい。しかし、全てを助けることは出来ない。世界は平等ではない。誰もが、誰も同じようにはなれない。事件の被害者とて、全てに救いの手を差し伸べることは出来ないだろう。でも、お前とて巫の端くれだ。呪術の力を用いて、供養してあげなさい」

「話の行く末が見えないんですけど」

「事件の被害者は、決してお前の血縁だけではないということだ。独りだけという固定概念を、お前から外したかっただけだ。

 お前の悪いくせだ。一つに囚われ、周りを見失う。何かに縛られて、それに抗うばかりで助けを忘れる」

「そ、それは……」

 痛いところを突かれていて、私は思わず何も言い返せなかった。銀二さんの右瞼が少し開いて私を一瞥すると、また閉じてしまった。

「私は別に構わない。お前がどう事件を解そうが、知ったことではない。ただ一つだけ言っておく。仲間がいるのであろう。なら、自分だけだと思い上がるな。今回起こっている事件は、私の見る限りでは変だ」

「というと?」

「この付近で、いや、四神家が元家屋としていた場所で、結界が張られている。そこで何やら不穏を感じるのだ」

 銀二さんは、特に異変には敏感だ。いや、敏感過ぎると言っても過言ではない。地元だけあって、それもあるのだが、それ以上に地元を穢されるのが、心底毛嫌いしているのだ。清廉なこの土地の穢れを、一切認めたくない。そんな人だ。

「虫唾が走る。巫弥。お前は事件を解したいといったな」

「は、はい、言いました」

 「なら、どうだろう」と、銀二さんは瞼を細めに開けた。私を品定めする、紛れもない慧眼が、私を視線で射抜いた。視線さえも、重圧を孕み、私を圧倒する。思わず、私は自然と言い淀んでいた。

「今までの修行の成果でも、見せてもらおうかな」

 何の表情も変えず、微動だにしない銀二さん。目の前に奈良の大仏があるかの如く、圧巻で動こうとしない。抑揚のない声が、拍車をかけ、私を更に品定めする。

「よいかな? 別に断っても構わん。まだ、その力がないというのなら、それまでだ」

「否! 私にやらせてください!」

 私は思わず意気の良さから身を乗り出してでも、銀二さんにこの事件を何としでも解してみる、そう身体全体で表現していた。

 銀二さんが、微笑したような気がした。口許が、若干揺るいだような気もするのだが、気付けば銀二さんの表情はいつも道理だった。慧眼を閉じ、ゆっくりとまた抑揚のない声で言う。「なら、お前に託そう。この事件とやらを。仲間を大切にし、解明してみせよ。お前の、腕の見せ所だ。確りと見届けよう」と、言い放つ。それだけを訊いて、私は「わかりました。では、ちゃんと見ていてください。弟子が巣立つ姿を」とだけ言い残し、その場を去った。


 ◇◇◇


 私の居場所は、家屋から事務所に移り代わる。

 一番乗りでこの事務所にやって来ては、早速デスクに座ってはすぐさま座ってしまった。肩の荷が下りて行く。ちょっと、銀二さんには大事(おおごと)を言ってしまったかもしれない……。後々になって反省する。昔からそうだ。自分はいつも突拍子で、後で後悔する。そんな性格の持ち主だった。

 これで何度目だろう。こうして、後悔しては、もう後戻りは出来ない。出港した船は、期待と不安を同船させ、大海原を目指して突き進んでいくばかり。船長の私は、「あぁ……、どうしよう……」と、ただデスクに突っ伏しては、馬鹿馬鹿しい語句を並べるばかりだった。

 時刻は十時近く。もう、衛樹はやって来る頃だろう。円城は、次の非番の日まで、特に何もなければやって来ることはない。

 衛樹はともかく、円城のことが気になっていた私。

 隻眼のこと。家に咲いている向日葵のこと。包帯巻きの魔術士との関連性。

 隻眼のことについては、私の見解は持っている。ただ、現段階において、何一つの手がかりもないので、それが邪推に過ぎない。邪推を述べたところで、損になってしまえば、無意味な私の馬鹿馬鹿しい推理と片付けられる。それは些か嫌だったので、私はまだ本心を言えずにいた。

 家に咲いている向日葵については、あれはちゃんとした向日葵ではある。ただ、冬であろうと咲いているのは、呪力を糧として生きているからであろう。それでも、あの向日葵に込められた呪力は凄まじい。怨念の籠った呪力だ。何も知らずに触れてしまえば、忽ち呪力、所謂呪いの力によって呪い殺される。言わば、呪いの向日葵と言っても過言ではなかった。ただ、誰が呪い殺そうとしていることかだ。円城家は至って平凡な家庭だ、と私は見ている。これといって、何らかの確執が生まれるような危険を孕む家族ではない。全てを知っている、というわけではないが、あの円城家は至って白だろう。珀の二人の妹、父親。一切の(こじ)れを見たことがない。いや、訊いたことがない。円城がただ話さないだけかもしれないのだけれど、それでも見ている限り、そう毎度のこと、お宅に出かけた時には、(むつ)まじい家族光景を見せてくれる。事実、つい最近寄った時には、妹の琥凛さんから「兄さんは愚直ですか?」と何の当たり障りもなしに訊いてきたことがあった。私は思わず「えぇ、そうよ」なんて答えてしまった。妹にまで愚直と悟られているなど、円城も考えようよね。

 残る、包帯巻きの魔術士のこと。これが、最大の悩みだ。私の頭を酷く苛ませ、混乱させていく。狙い、動機、素性が一切知れないのだ。この歯痒い思いを何としてでも晴らしたい。

 その時だった。ガチャ! と音がした。扉が開く音だ。つまるところ、衛樹の登場だ。

 突っ伏していた顔をあげ、私はやってきた衛樹に挨拶をする。

「あら、いらっしゃい」

「い、いらっしゃい?」

 いつもなら、「なんだ衛樹か」と素っ気無く言うのだが、今回ばかりは変化球だ、と言わんばかりで言ってみた。衛樹は素っ頓狂な顔をしては、入り口付近で立ち止まってしまった。その光景はちょっとばかし面白くて、微笑していた。

「なんだ、巫弥。変なもんでも食ったか?」

「あいにくと、四神家では自給自足しているので、変な食べ物などありません」

 境内に小さな畑を設けているのだ。そこで毎年季節に合わせて野菜を栽培している。それを収穫しては、食卓に並べている。取り分け、外部から買ってないので、変な食べ物がやって来ることなどなかった。

「いいじゃん、たまには。ずっと同じものより、たまには違った投球でって」

「投球? あぁ、さっきの挨拶は変化球だって言いたいの?」

「正解」

 かれこれ長い付き合いである。お互いの思考など、若干だがわかっていたりする。

 衛樹はいつも通りだ。何一つかわっていない。時々、宝石の数が増えたり減ったりするくらいで、これといって変化球を仕込む性格ではない。

「衛樹って、いっつも同じよね。昔からさ、何一つ変えようとしないし」

「な、何を言いだすんだよ、巫弥は」

「ん? 何となく思ってみたことを口にしてみただけよ。心の有りの(まま)を」

「ひ、酷いな、巫弥は」

 衛樹はデスクに座りながら、私に異を唱えてきた。

「だってそうでしょ。昔は一切関わりを持とうとしなったじゃない。円城が声をかけなかったら、もしかしたら、ここにはいなかったかもしれないし」

「そ、それは酷過ぎる! いくらなんでも、それは酷いよ! 確かに、俺は昔は異常な程、内気だったよ。で、でも、それは今じゃ解消されてるでしょ? 何故今さらそれをぶり返そうとする」

 まるで他人の瘡蓋(かさぶた)を無理にでも剥がすかの如く。

「戯れよ。最近、ずっと事件だとかのごたごたにやられてたじゃない。それで、疲れてきたの」

 正直な話、銀二さんとの会話が私に疲労を与え続けていた。ただそれを忘れたかっただけで、衛樹に話しかけていただけなのだ。意識を私にではなく、衛樹に向けて、ただ忘れようとさせていたのだ。

「ごめん。やっぱ、昔は昔。今は今だしね」

 ぶり返したところで、何の意味はない。ただ、私の身勝手な思いを、衛樹にぶつけていただけなのだ。最後には、私が謝ってはそっぽを向く。衛樹は腑に落ちない様子だ。「どうしたんだよ、調子悪いの?」と、心配そうに尋ねてくる。それと同時に、懐から取り出した袋より、宝石を取り出そうとする。

「ちょっと質問だけど、何かあったの?」

「えっ? あぁ、えっと……、言えないわよ」

「素直じゃないな」

 思わず頬が赤く染まる。それを悟られたくなく、私はさらにそっぽを向いた。衛樹には気付かれていない様子で、若干胸を撫で下ろしてる自分がいた。

「どうせ、四神家の人達と喧嘩でもしたんじゃないのか?」

「な、何で?」

 若干的外れではあるが、少しだけ核心を突こうとしている衛樹に、私は思わず問い返していた。

「そうだな、巫弥のことだから『何としてでも、巷の事件は私が解決するんだから、見てなさい!』とか言って出しゃばったんじゃないの?」

 うぅ、若干外れ、若干中っている。

「ば、馬鹿言わないでよ。師とする家族に、喧嘩なんて売れないわよ」

「いや、巫弥だったらやりそうだな。それで、どうせ言い包められて、ここにやってきたんじゃないのか?」

 最後の最後で外した衛樹。私は溜息をついては、これ以上の言及は勘弁よ、と言わんばかりに「じ、実は、銀二さんに試されちゃって……」と、弱々しい声を出して言った。

「銀二さんに試されてる? それってどういうこと?」

「そ、それが、勢い余って、言っちゃったのよ。事件を解決するんだって」

 衛樹は心底納得した様子で「やっぱりそうか」と、笑いながら言う。私は衛樹に厳しい目線を投げ掛けながら「な、何笑ってるのよ!」と、怒気を込めて言い放った。

「いやさ、巫弥らしいなって。やっぱ、巫弥はこうじゃなくちゃな。いつも、勢い任せで突っ走るところが。

 俺からも、さっきの反論で言わせてもらうけど、巫弥こそ、いつも根本的に変わらないよね。初めて出会った時から変わらず、走り始めは唐突。ずっと走り出したら止まらない性格、ところが」

「あ、あんたらしくないこと言うのね」

「そうかな。まあ、そうだよな。だいたい、こういうのって、円城が口走るのが相場だったらかね」

 柄にでもないこと言ったかもな、などと自嘲する衛樹。そして、やがて袋から一つの宝石を取り出す。

 席を立って、私のところにまでやってきた。手には小さなパワーストーンが乗っている。灰青色の小さな石が眼を奪う。夜の漆黒の天蓋に似て、深い青が、その石には凝縮されていた。

 「な、何よ」とぶっきら棒に言うと、衛樹は「ホークスアイだよ」と、石の名前を言っては、私に手渡して去って行く。

「ホークスアイ?」

「うん。決断と前進を助長させるパワーストーン。巫弥にはピッタリかなって」

「ほ、本当に柄にでもないことするのね」

 衛樹が照れ臭そうにデスクに戻ると、さり気なく「それあげるよ」と言っては、黙りこみを決めこんだ。私も自然と何も言えなくなっていた。

 ただ、心の中で「馬鹿者」などと罵っている自分がいた。


 お昼頃になる。取り分け、あの後はお互いに平常心を保とうと、努力し、やがて空気はいつも通りとなり、私達は何の柵もなしに話し合っていた。

「お昼どうする?」

 私は衛樹に問う。衛樹は「最近財布が乏しいんだ……。入ってるのは、領収書(かみきれ)ばかりで」と、微苦笑しながら返事を寄こした。「寂しい男ね」と私は言うと、「わ、悪かったな。こないだの魔術士との戦いが、尾を引いてね。宝石を結構使っちゃったから、その分の補充に持ってかれてるんだよ」と、口を尖らせ言った。

「仕方ないわね、折角だし奢ってあげるわよ」

「いや、いい。なんだか巫弥に奢られると、後々でいろいろと、督促状みたいな形で迫られそうだから、勘弁」

「と、督促状!? あのね、そんな取り立て屋じゃあるまいし、そんなことしないわよ」

「どうだか。巫弥のことだし、やりそうだけどな」

「巫弥が取り立て屋? どうしたんだよ、探偵辞めて、借金取りにでもなるのか?」

 衛樹の声ではない。第二声が私の耳に聞こえてきた。事務所の入り口。いつもの背の若干低い、おまけに隻眼付きの童顔男、円城珀の声だった。


 ◇◇◇


 事務所にやって来るなり、巫弥が衛樹に取り立て屋をやろうとしている、そのことで頭が一杯だった。二人に何があったのだろう。そう思った俺は「巫弥が取り立て屋? どうしたんだよ、探偵止めて、借金取りにでもなるのか?」と、端的な質問を投げ掛けていた。事務所にいた巫弥と衛樹の表情が固まる。俺の頭には疑問符が浮かんで、この状況の理解に苦しんだ。

「な、円城まで何言ってるのよ。私が借金取りすると思う? そういう野蛮なのは稜治が演じてくれれば結構よ。巫女が借金取りだなんて訊いたことがないわ」

「高い術札でも売り付けて、金を騙し取ろうという魂胆か。せこいな」

「衛樹! あんたまで何言ってるのよ!」

 押し売り業者だろうか。何とも異質だ。巫弥が押し売りをしてくるなんて、なんとも想像し難い。身なりからして、怪し過ぎる。

「あんたの家に、本気で押し売りしてあげようかしら? そうね、肆龍神社のお守り全セットとか」

「いらない! 全セットあっても、効力あるのかわからないじゃないか!」

 衛樹は何としてでも買うつもりはないらしい。お守りにいちゃもんをつけては、巫弥の勢いを押し返そうとする。「まあ、実際お守りなんて効くかわからないしね」と、巫女あるまいじきことを言う巫弥。

「えぇー。そこは肯定しちゃいけないでしょ。立場(みこ)的に」

「あらそう?」

 俺の一言に、巫弥が不思議そうな視線を送って来る。自分で暴言を吐いたことに、気付いていない様子であった。

「だって、そうでしょ。持ってたところで、確実に幸せになれるとかじゃないんだし。気持ちの持ち次第よね」

「ま、まあそうかもしれないけどさ。肆龍神社の巫女たるものが、そんな、ある意味の業務妨害していいものか?」

 巫弥の発言が些か飲み込めないでいた。俺に言いかえれば「うちの温泉は、肩コリ取れるとか書いてあるけど、全く効きませんよ」なんて言っているようなもんだ。商売を生業にしている俺にとって、巫弥の発言は些か頂けなかった。

「そ、そうね。ちょっと口が滑ったわ」

 巫弥はばつが悪そうに、デスクに腰掛け、肩を竦めた。俺もデスクに座り、一息つく。

「そういえばさ、さっき、督促状がどうとか言ってたけど、二人の間に何かあったのか?」

 未だにその部分だけ解せなかった俺は、二人に訊いていた。二人は顔を合わせては、微笑する。何だろうか、二人の雰囲気がいつもとは違って見えるので、違和を感じて居心地が悪い。

 微笑した後に、衛樹が俺に向かって言った。「実はさ、財布に金がなくてね。代わりに、領収書なら一杯あるよ」などと、軽快な声で言っておきながら、内容など悲惨なものであった。

「ということは、金欠なわけだ」

「正解!」

 間髪いれずに衛樹が言う。これといって何の躊躇もせずに答えるところ、もはや「あぁ、どうでもいいや」なんて思っているのだろうか。

「じゃあ、昼飯は、どうするつもりなのさ?」

 俺が問うと、衛樹は巫弥に一瞥してから「アイツが喰わしてくれる」と答えた。「巫弥が!?」と素っ頓狂な声をあげては、巫弥を見据える俺。巫弥は居所が悪そうに、若干顔を顰めながら「何、文句でもあるの?」とやや怒気の入った口調で言った。

 巫弥が衛樹に飯を奢るなど、滅多にないことである。俺の知る限りじゃ、まず巫弥が衛樹の為に、どうこうなどと動いたことなど一切見たことがなかった。逆に、奢らせるような人物であったのに、何故か掌返したかのように、巫弥が衛樹に奢るなど、俺の理解の範疇を超えていた。

「あっ、いや。まさかな、と思ったんだけど――」

 巫弥の視線がきつくて、自ずと勘付く。

「――どうやら、本当のようで」

「いけないかしら?」

 追撃と言わんばかりに、巫弥が言ってくる。俺は「いえ、何も」と白旗振るも同然に言うと、巫弥は席を立った。そして、「二人とも、近くのファミレスに行くわよ」と、言い残して、事務所から姿を消してしまった。


 ◆◆◆


 夜になると、外は雪が降っているということで、一層寒さは棘を鋭くする。その棘は、防寒着の上からでも肌身を刺してくる。取り分け、夜に外出していると、寒くてたまらないのだ。吐く息は白く、身体は一層凍えて行く。

 夜の厨房から抜け出し、ちょっとばかし、外でも散歩でもするか、と意気込んでおきながら、十五分程度の散歩を終えて、帰って来る頃には行くんじゃなかった、と後悔している自分がいた。

 玄関に上がり、防寒着を脱ぐと、渡り廊下に移動する。

 毎度のことながら、見ているあの例の向日葵。今日もまた綺麗な一輪の花は、雪の降り頻る日本庭園で咲き誇っていた。歪も甚だしい。ここに住んでいた者、全員がそう思っていた。ただ、珍しいということで、抜くこともせずに、あのままずっと放置されている。放置されようが、向日葵は一生懸命咲いていた。

 渡り廊下のガラス張りで手を添えながら、それをずっと見据えていた。時を忘れ、ただ向日葵に心惹かれる。

 誰が植えたのか、誰があんなことをしたのか、些か不可解ながら、あの向日葵の存在意義を知っておきながら、あの魅力的な黄色い花弁と茶色い種に眼を奪われていた。

「兄さん?」

 突然声がする。俺は声のした方へと向いた。俺に声をかけた人物、それは琥凛だった。ちょうど仲居の仕事でも終えたのだろう。自室に戻る途中であったのだろう。この渡り廊下は渡らずして、自室にはいけない。言わば必然的に通らないといけない箇所である。ここで琥凛と出くわしても、何の不思議でもなかった。

「仕事終わりか?」

「えぇ、そうなんです」

 いつもの笑顔を浮かべては、俺の質問に答える琥凛。

「兄さんこそ、終わったんですか?」

「俺か? とっくにね。俺なんて、厨房以外の仕事は任されてないし」

「あっ、そうでしたね」

 取り分け、厨房以外の仕事など受け持っていない為に、朝と夕が主な勤務時間となる。それ以外の時間など、殆ど暇に等しかった。時々、食材を求めに出かけたりすることもあったり。琥凛や須雀と違って、客といつも接しているわけではないので、必要な時以外は用無しというわけだ。故に仕事終わりは早い方である。

「お疲れ様です」

「琥凛こそ、お疲れ様」

 お互いに勤務を讃え合い、そして微笑する。

「そういえば、兄さん。姉さんが、今度マフラーを編んでくれるそうですよ」

「マフラー? あぁ、そうなの? ちょうどいいな」

 季節は冬だ。こんな時にマフラーを編んでくれるとなると、結構嬉しかったりもする。首回りの防寒は、今のところしていなかったりもする。ちょうどいい時に、作ってくれるもんだ。

「姉さんったら、黙々と作ってるから、兄さん、邪魔しちゃ駄目ですからね。そんなことしたら、私とて許しませんよー」

 まるで子供を叱りつける親の如く、琥凛は俺に注意を促す。俺とて「その台詞、そのまま返させてもらうよ」と、俺からも琥凛に注意を促した。

「わ、私は邪魔なんて子供染みたことしません!」

「本当か? 悪戯好きの琥凛の言葉とは思えないな」

「なっ!? 兄さんったら酷い。私が悪戯好きなんて、いつ決まったんです? 兄さんったら、そんな風に私を不憫扱いするというのですか?」

 それはもうずいぶん前からだろう。たいだい、琥凛はなんだって楽しいことには滅法弱い。面白いことを見付けたら、誰よりも早くにやって来る。遊戯に敏感なのだ。こないだだって、ソースと醤油の容器をすり替えるなんて、小賢しい真似をしたこともあった。つまるところ、琥凛にとって、楽しいことが一番好きなのだ。故に悪戯を企てる。俺とて、琥凛の性格は承知の上だ。多少なりとものってやるものの、度が過ぎるものがあるので、その時は叱りつけてはいるが、一向に治る気配は見せない。それはそれで別にいいのだ。琥凛が楽しいと感じてくれるのなら、ある程度だったら許せるのだ。誰も、つまらないよりは楽しい方がいいのだから。

「そんなもの、お前が養女としてやってきた時からかな。最初っからお前は悪戯を企てては、俺や親父を困らせてたじゃないか」

「あれー? そうでしたっけ?」

(とぼ)けるな! 俺の寝てる隙に、マジックで髭とか描いてたんだぞ」

「む、兄さんったら覚えてたんですね。恐ろしい記憶力です。私とて、もう忘れかけていたことを易々と」

 そんなことを言いながら、和服の袖で口許を隠しては何やら企みを孕んだ笑い方をする。

「また何か考えてるのか?」

「ふふ、そうですよー。またなにかしてあげようかなって。最近ご無沙汰だったじゃないですか。そろそろ頃合いかなー、と」

「考えないでいい!」

「なんでですかー? もう、つまらないじゃないですか。折角何だし、どんなのがいいですか?」

 琥凛はやる気満々である。これから悪戯仕掛けようとしている人に対して、訊ねてくるところ、本当にやるつもりなのだろう。俺は答えることはなく、琥凛はまた不満を零すばかりだった。

「冷たいな。雪みたいに冷たいです」

 むー、と言わんばかりに頬を膨らませては、不満を顔全体で表現する琥凛。俺は些か困り果てながら「勝手にしろ」などと言って、ばつが悪そうにこの場を離れようとした。

 琥凛に背を向ける。琥凛は「あっ、に、兄さん!?」と、俺の背中に言葉をぶつける。引き止めようとでもしているのだろうか。俺はちょっとその思いには素直に乗れなかった。

「に、兄さん。待ってくださいよ」

 駆け寄ってきた琥凛は、俺の服の袖を捕まえては、俺の行方を阻んだ。

「な、なんだよ!」

 驚愕な声をあげながら、後ろに振り返る。視界一杯に広がる琥凛の顔。笑顔でありながら、そうではないような気がした。一瞬にして、俺の気が冷めていく。

「に、兄さん。一つだけ訊きたいことがあるんですけど、いいですか?」

 いつものように相好(えがお)を崩さずに、問いかけてくる琥凛。いつもどうりなのに、どこか違う。

「な、なんだよ。一つだけだぞ」

 居所が悪過ぎる。ちょっと、琥凛にはきつく言い過ぎてしまったかもしれないと、俺は自分自身を責めておきながら、この場から逃避したかった。

「ふふ。ちょっと馬鹿馬鹿しい質問しますけど、真剣に答えてくださいね」

 笑顔は一層明るくなる。太陽のような優しい笑顔から、飛び出す琥凛の質問は、本当に馬鹿馬鹿しいものであった。俺はその質問に、しばし言葉を失ってしまっていた。




「兄さんは、今幸せですか?」

「し、幸せだけど、何か?」




 それだけを言うと、袖から手を放して、そそくさと去ってしまった。俺は琥凛の後ろ姿を、視線が追う。渡り廊下から姿を消す寸前、琥凛はこちらに一瞥して、また表情を笑わせた。


 渡り廊下で一人になって、やっと状況を理解する。俺は、琥凛から「今幸せなのか」と問われたのだ。無論、俺は不幸せではない。ちゃんと、人並みの生活を営んでそれに満足している。これといって、不幸だとか一切感じたことがない。そんな俺に、何故、琥凛はそんな質問を投げ掛けたのだろうか。一抹の不可解を覚えた。でも、それは微量たるもの。すぐさま、忘れ去られる。そんな無粋な質問など、記憶として残しても、意味はないと俺は踏んだからだ。

 首を傾げつつ、俺は部屋に戻った。

 自室に戻るなり、隅に礼儀正しく座っている熊のぬいぐるみを手に取る。昔は、抱きかかえるだけでも大変だったのに、今では抱えることさえも楽になってしまった。俗に言う、靴や服が小さくなった、と似たようなものだ。

 昔が懐かしい。例の女の子とは、あれ以来、金輪際顔を合わせたことがない。いや、もとより、あの子が今どこにいるのかさえわからない。昔の記憶が曖昧過ぎて、上手い具合に思い出せないのが原因の一つでもあった。容姿と相貌さえわかれば、大抵わかると思うのだが。

 ふと、今どこにいるのかな、と思い返しては自嘲する。そんな思い、あの子には通じる筈

もないのに。

 ただ、何だかんだといって、あの子の表情が覚えている。誰にも負けないような笑顔は。その笑顔は、ある人に似ていたような気がする……。それは――。

 コンコン。

 扉を叩く音がする。俺は思い耽るのをやめて、「どうぞ」と促すと、来訪者は俺の目の前に現れた。

 須雀だった。いつものように、顔は凝り固まった、無感情無機質の容貌。赤黒い髪は、今日も絹のように木目細かく、須雀が動けば髪も自然と動いた。いや、躍っているように見えた。

「須雀か。どうしたんだ?」

 時間は深夜に回ろうとしている。そんな時間に、須雀が俺の部屋に訊ねてくるなど、意外だった。大概、もう須雀は寝床に就いている時間帯でもある。

俺の問いに、須雀は少々間を置いて答えた。

「兄さん。早く気付いてあげて。私からは何も出来ない。兄さんしか、出来る人はいないの。だから……」

「は、はい!? 須雀、何が言いたいんだよ?」

 突拍子にそんなこと言われても、俺は理解に苦しむばかり。須雀は何が言いたいのか、全くわからない。俺は思わず問い返してしまった。それに須雀は「お願いだから……、気付いてあげて……」と、どこか儚げに悲しい口調でぶっきら棒に言うと、踵を返して去って行く。俺が「お、おい! ちょっと待てよ。須雀?」と、咎めようとも、訊く耳を持たなかった。


 ◆◆◆


 あの日から、五日が経った頃、巷の事件は一層激化していった。

 朝になり、テレビに電源を投じる。ニュースがやっていた。

「昨晩未明、遺体が街外れの一角で五つ発見されました。いずれも、近日、誘拐された五人のものと思われ、警察では捜査の解明を急いでいます」

 日に日に、地元での誘拐事件が多発するようになってきた。最初は一人だったのが、犯人は手慣れてきたのだろうか、数を増やし、五人同時に誘拐される事件にまで発展していった。

 地元での事件の悪影響とともに、白銀山温泉街は、一旦全旅館休業となった。事件の危険性を察しての苦渋の選択であった。

 これから、冬の季節が進むところであり、温泉街はより一層輝かしい姿を見せてくれるというのに、残念な話である。

 朝の朝食を作り終えては、家族四人で食し、各々の部屋に向かう。仕事など、休業の為にない。一日中暇を持て余しているばかりであった。

 俺は自室にいるか、事務所にいるかの、どちからであった。自室にいれば、琥凛や須雀が時々遊びに来るし、事務所にいれば、巫弥と衛樹の二人と共に包帯巻きの魔術士だとか、神隠しサイトのこととかで、捜査してたりの日々を送っていた。

 今日はあいにくと、外は吹雪いていた。外に出れるような雰囲気ではなく、自室で籠城している時に、琥凛と須雀が共にやってきた。

「兄さーん! 姉さんのマフラーが出来ましたよー」

 そう声をあげては、いつもどうりの笑顔を浮かべながら部屋に入って来る琥凛。首には白い生地に、小物で煌びやかに装飾されたマフラーが巻かれていた。となると、琥凛の首には、リボンとマフラーの二つが一緒に巻かれていることとなり、些か奇妙な絵図であった。

「どうです? 似合いますか?」

「どうです、って言われてもさ。まず、首のリボン取れよ。じゃないと、何とも言えないんだけど」

「えぇー、嫌です! これは私のチャームポイントなんですから」

 頑として琥凛は、首のリボンを外す気ではないようだ。

「兄さんのも作ってきたんです。に、似合うかわかりませんが……、丹精込めて作ったので……」

 そう言いながら、須雀が自室に入って来る。どこか恥ずかしそうに、手作りされたマフラーを俺に渡した。

 俺に渡されたマフラーは灰色基調で、他には何も特色もない。でも、その素朴なデザインが、ちょっと俺好みに合っていた。

「おっ、なかなかいいじゃん」

 実際に首に巻いては、更に感嘆を述べた。

「な、なかなか気持ちな……。それに仄かに温かい……」

 生地は相当いい物を使っているのだろう。巻いている感覚さえ忘れさせてしまう程、肌触りな心地よいものであった。

「あ、ありがとう、兄さん。そんなこと言ってもらえると……」

 須雀は俺を感想を訊いては、そんなことをぶっきら棒に言ってそっぽを向く。俺は「どうした? 須雀」と問うと、か細い声で「な、何でもないです。気にしないでください」と、答えた。それを見ていた琥凛は「姉さんったら」と、クスクスと袖で口許を隠して笑った。

「俺、変なこと言ったかな」

「そうですねー、言ったんじゃないんですか」

 何だか傷つけてしまったことを言ったんじゃないだろうか、と俺は思わず一抹の不安を抱いた。それに琥凛が曖昧な肯定をする。

「に、兄さんは何も変なこと言ってませんよ。寧ろ、嬉しいことを……」

 またもや、か細い声で答える。それも、最後の語句はもう風前の灯火の如く弱々しい声で言った。思わず訊きそびれてしまうほどの小さな声だった。いや、実のところ、訊きそびれている。

「ん? 須雀、何か言ったか?」

「べ、別に何も」

「そ、そうかならいいんだけど」

「ふふ。二人のやり取りが面白いこと」

 須雀は相変わらずこちらを向かず、俺は首を傾げるばかり。そして、琥凛はその光景を見ては笑っていた。


 改めて、三人とも、俺の部屋で腰を落ち着かせる。暇つぶしの戯言会の始まりである。

「そういえば、兄さん。今夜も出掛けるんですか?」

 琥凛が俺に訊ねる。

「出かけるけど、何で?」

「危なくないですか? 最近じゃ、誘拐事件が起こっているようですし、それに伴って、遺体破棄事件だって、過激化してますし」

「そ、そうですよ、兄さん。琥凛の言う通りです。何の用で出かけてるのか知りませんけど、あまり外出はしない方がいいんじゃないんですか?」

 二人が俺を咎める。俺は「それもそうなんだけどさ……」と言い淀み、そして二人の行動を見た。琥凛は微苦笑。須雀は呆れていた。取り分け、二人とも俺から出る言葉は予測済みであった。

「どうしても、外せない用事があってさ。出掛けないと。二人に心配かけるのは、まあ、俺もちょっと考えようだけどさ」

「んー、兄さんに携帯を持たせようなんて言ったところで、文化的知識はお爺ちゃんなわけですし……」

「携帯? 何を携帯するんだよ」

「兄さん。電話ですよ」

 須雀が単刀直入に答えた。俺は「電話を携帯? えっと、居間にある電話を? あれってさ、コードだっけ? それが繋がってないと電話出来ないよね。どうやって持っていくのさ?」と、真顔で須雀に問い返していた。須雀は「兄さん……。どこまで電子機器に疎いんですか?」と、もはや呆れを通り越している声をあげる。

「そうですよ。もう、お爺ちゃんどころか、ご先祖様辺りにしちゃいますよー」

 何だか楽しそうに言う琥凛。

「ご、ご先祖? まあ、一応聞いてみるけど、どのくらいまで戻るつもり?」

「んー、江戸辺りですか?」

「兄さんにとっての電話の代わりは、飛脚が務めてくれるでしょう」

「姉さん、正解!」

 息のあった姉妹は、寄って(たか)って俺の機械の無知さを弄り倒す。つくづく、自分の機械音痴さには涙するものがあった。

「ひ、酷いな。せめて、伝書鳩くらいにしてくれよ」

「兄さんは、狼煙(のろし)で十分です」

 俺の物言いを、琥凛は悉く打破していく。

 どんどんと技術は退化していく。もはや、機械技術的歳は、どこまで遡れば気が済むのだろうか。

「ともかく、俺は家に留まる気はないからな。それだけは言っておく」

 決意を新たにすると、二人の顔は若干強張った。そして、二人して、各々が持つ口調で言い放つ。「兄さんの唐変木」と。

 琥凛は俺に訊ねる。「どうしてそこまでして、出掛けるんですか? 理由を訊かせてもらわないと、腑に落ちません」と、真意を問い質してきた。俺は思わず喉に言葉が詰まった。

「そ、それは……」

 言いだし難い。二人に、包帯巻きの魔術士や神隠しサイトのことなど、言ったところで同意はもらえないことは承知していた。寧ろ、逆に変な視線を送られそうで恐かった。出来れば、二人を巻きこみたくはない。そんな善意にやられている俺は、頑として「さ、散歩だよ」との一点張りでこの場凌ぎに走る。

「散歩ですか? なら一緒に行きましょう。っね、姉さんもどうです? 最近、旅館の方も一旦閉めちゃってるわけですし」

 琥凛が須雀を誘う。須雀は何の躊躇いもなしにただ頷く。

「あぁ、だから……、駄目! 外は物騒だし」

「それは兄さんこそ変わりないじゃないですか。条件は一緒ですよ」

「琥凛の言う通りですよ、兄さん。一人よりも、大勢の方がいいです」

「大勢ね……。それはそうかもしれないけど……」

 真意が散歩などではないので、毎度答えに詰まって仕方ない。どう、二人を諦めさせるか、そればかりが頭を占領し、上辺だけの虚勢の言葉がなかなか見つからなかった。

「一人でも大丈夫だからさ」

「本当にそう言えますか? 兄さん」

「……。兄さん、嘘は言わないでください。私達が傷つきます」

「うっ……」

 何を言っても、それを何倍にもして返してくる二人。

「兄さんのことですし、あれよあれよのうちに連れ去れて、バラバラにされちゃいますよー。そんな姿を見たら……、私はどうしていいのやら……」

「あぁ、わかったよ……。泣くなよ、琥凛……。お、俺のバツが悪いだろ……」

 泣き寝入りは、正直なところ困る話だ。

「まあ、これから 話すことは、俺の戯言だって思って訊いてくれ」

 まずは前置きをしておく。取り分け、これから変なことを話し始めるのだ。二人にはそれだけを言っておけば、最終的には俺の戯言として処理してくれる。そう踏んだのだ。

 俺は、二人に巷で起きている事件を、解決しよう、とメンバーを組んでは密かに捜査していることを話した。二人の表情が、やがて真剣になり、一語たりとも訊き逃すことはなかった。話し終えるなり、辺りの空気は重く淀んでいく。避けられないことでもあった。どうせ、こうなるだろうと、既に予測はしていたのだ。

「それで、どうしても出掛けないといけないってことなんですか?」

 いつもの笑顔の琥凛が、こうして真剣な面持ちで訊いてくるところ、笑いごとではないと察しているのだろう。抑揚も控えめな琥凛の口調は、些か重苦しかった。

「そうなんだ。二人には、悪いけどさ、どうしてもやらないといけないんだよ」

「何故です? 何故、兄さんがその事件を解さないといけないんですか? 別にそういうのは、警察の人に任せれば、いいことじゃないんですか? 包帯巻きの魔術士だとか、神隠しサイトだとか言いましたけど、兄さんには何の関わりもないことなんじゃないんですか?」

 矢継ぎ早に質問され、俺は答えを出すのに、少々間を置いた。

「まあ、傍から見ればそうかもしれないけど。俺だって、無視はしたいさ。どうせなら関わりたくはない。でも、避けられないんだよ」

 稜治さんの依頼がどうとかではない。俺は、包帯巻きの魔術士に「同志」と言われたのが、気がかりになっていた。何で、俺が魔術士と同志なのか、それに「生贄」とも言われた。この事件の生贄とでも言いたいのだろうか。それが気がかりになって、いつの間にか抜け出せなくなっていた。蟻地獄の如く、幾らもがこうとも、もう、日常には戻れなくなっていた。やがて、俺は非日常に飲み込まれるだろう。

「に、兄さんが生贄!? な、何で!? 兄さんは殺されちゃうんですか!?」

 琥凛の顔が一層心配そうになる。まるで、戦時中に神風特攻隊に選ばれてしまった息子を、最期に送り出す母親のような表情だ。須雀は俺から視線を外した。こちらを見ず、ずっと床を見据えるばかりで、俺が何を言おうとも、訊く様子はなかった。

「嫌ですよ、兄さんが死ぬなんて。真っ平ごめんです!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。まだ死ぬなんて決まったわけじゃない。ただの人違いかもしれないし」

 そう嘘をついては、琥凛と須雀を宥める。確かに俺はあの包帯巻きの魔術士に「珀の坊」とか「生贄」だとか言われた。言い間違いも、人違いではないだろう。

「に、兄さん……。し、死ぬなんて、私は断じて許しませんからね」

 琥凛が俺に強く咎める。俺とて、死にたくはない。だから、一刻も早くこの不安を取り除きたくて、事件を解したいのだ。おまけに、旅館は事件の影響下で休業中だ。取り分け、この旅館を大いに楽しみにしている人達もいる。その人達の為にも早めに再開したかった。

 琥凛は席を立った。「お、おい、どこに行くんだよ」と訊ねると、「気晴らしに買い物に行ってきます。早めに帰ってくるので」と、それだけを言い放って、俺の部屋を出て行った。

 部屋は俺と須雀の二人だけとなる。須雀は面持ちを取り戻し、俺に向き直っては「私も、兄さんの亡き姿は見たくはありません」と、仏頂面で答えた。


 お昼が近づき、俺は台所に立っていた。台所には、俺以外にも須雀がいて、共に前掛けを着けて料理に勤しんでいた。琥凛はまだ帰ってきていない。でも、そろそろ帰ってくるだろう。なので、親父の分を足し、いつもの四人分の料理を作っている最中であった。

「懐かしいです。兄さんと、こうして料理するのは」

「そ、そう言われればそうだな」

 いつも台所には俺が立っていた。それは昔から変わらないことで、円城家に母親がいない分、その役を誰かが受け持たないといけなかった。円城家の誰もが、調理場に立つことはなく、気付けば俺がここに立っていた。それはここに養子に来た時からで、少しずつ料理というものを、旅館の料理人の人達から教わっていき、今に至る。

 須雀と一緒に台所に立つのは、実に四年ぶりだ。あれは、まだ俺が高校生であった時、須雀もまた高校生であった。

 最初はただ些細なことだ。


「に、兄さん。実は、料理を教えてほしいんです……」

「花嫁修業か?」

 それは突然だった。いつものように、台所に立っている俺に、珍しく須雀がやってきて、「料理を教えてほしい」と訊ねてきたのだ。須雀とて、当時は十六歳だった。彼氏の一人や二人、出来てもおかしくない。取り分け、須雀は容姿が周りよりも突拍子に麗しかった。様々な男性の声をかけられるものの、須雀は奥手なのだろうか、それを悉く断ってきた。そして、やっと彼氏でも出来たのだろうか、と踏んだ俺は思わず「花嫁修業か?」と問い返していた。

「ちっ、違います」

 須雀は言葉に突っかかりながら答えた。

「た、ただ、純粋に料理を教えてほしい、と思っただけです」

「あっ、そ、そうなの? なら、別にいいんだけどさ」


 始まりはそんな感じであった。二人で一緒に過去を思い返す。

「本当に、あの時花嫁修業じゃなかったの?」

「に、兄さんもしつこいですね。違います」

 四年越しに訊いてみたが、どうやら違うらしい。

「流石にそうだよな」

 一人で納得して、話の収拾をつけると、料理に更に勤しみ始めた。

 調理を進めて行く。二人で、お互いの持ち分は任せ、手早く昼飯を拵える。

 一人で作るより、やはり二人で作った方が、断然早かった。

 琥凛が帰ってくる頃には、もう昼飯の用意はとっくに終わっており、居間の卓袱台に並べているところであった。

 琥凛は大きな荷物と共に帰ってきた。百貨店の紙袋が幾つも見受けられる。

 中にはパーティーでもするのかと思う程の、食べ物などが買われていた。袋の中身と琥凛を見比べては、すぐに合点がいく。今夜は盛大に何かをやるつもりなのだろう、と。旅館の休業、俺のこともあり、こうして一家が落ち着いていられる時に、騒ぎ立てたかったのだろう。俺とて、異論はなかった。


 ちょうどいいことに、休業とあって、住み込みの料理人と仲居は、各々の実家に帰ったり、放浪したりしている。取り分け、この旅館にいるのは、俺達円城家の人達だけであった。

 夕方時に始めた、夜のパーティーの食の準備は、俺と須雀と琥凛の三人で、作ることとなり、親父は今後の旅館のこともあり、パーティーが始まるその時まで、事務所に籠っていた。

 三人で厨房に立つ。取り分け珍しい光景である。

 須雀は一人黙々と料理を始める。琥凛は俺が指示を与えて行動させていた。一人で行動させるには、些か不安だった。特に味の面では、申し分ない程に下手であるが故に、主に炒めることや食材を包丁で切ったりと、どちらかというと味に触れないことをばかり任せていた。

 俺は自宅の冷蔵庫に加え、琥凛が新たに買ってきた食材と睨めっこする。

 家族四人でパーティーをするには、十二分な程の量がある。これといって心配はない。だから、何の(しがらみ)もなしに腕を振る舞えるのだ。となると、何を作ろうか、自然と思い浮かべてしまう。あれを作ろうか、これを作ろうか、と頭のレシピから幾つも取り出し、吟味する。琥凛が買ってきた食材は、どれも選りすぐりの物ばかりだったので、一層腕に力が籠る。

 午後四時から始めた準備は、気付けば七時をまわった頃に終わった。

 あとは、居間に運んで、親父を呼んでくればいい。琥凛を親父の許に向かわせ、俺と須雀の二人で居間に料理を運んだ。

 やがて、パーティーは開催される。

「何の記念かわかりませんが、パーティーの始まりです!」

 琥凛の掛け声とともに、一斉始まる円城家のパーティー。琥凛の言う通り、何か記念でやるというわけではなく、ただの気まぐれで始まったパーティーだ。だというのに、皆楽しそうであった。

「親父、今年はお疲れ様」

 親父のコップに日本酒を注いでいく。親父は何も言わず、ただ仏頂面で酒が注がれていくのをただ待っていた。

 注ぎ終わると、コップを口につけては、中身を飲みほしていく。

 地酒を堪能し、「美味い」と感想を述べた。重苦しい口調の中には、味を心底満足していた感想(くちょう)が隠されていた。

「よかった、父さんに気にいってもらえて」

 琥凛が買ってきた地酒である。美味いと言ってもらえ、琥凛は胸を躍らせた。

「私にも一杯下さいな、兄さん」

 自分用のコップをこちらに差し出す。俺は「あいよ」と、酒を注ぐ。

 満杯になったコップを持って、琥凛は嬉しそうに「ありがとう、兄さん」と満面の笑みを浮かべた。

「須雀はいらないのか?」

「いらない」

 黙々と食べることに尽きる須雀。酒は好みではないのだろうか。一切の興味を地酒に示さなかった。

 さて、自分も飲もうかな、と思った時だ。コップに酒を注ごうとした時、咄嗟に須雀が「私が注ぎますよ」と、役を買って出た。俺は「あっ、そう。ならお願い」と、酒の入った瓶を渡した。

 須雀が俺のコップに酒を注ぐ。

 淀みを見せないその純粋たる酒。喉に流し込めば、アルコールが刺激してくる。二十歳になった頃は、これは苦手な分野のものではあったが、今となっては慣れてしまっている。取り分け、酒好きではないが、そこそこ飲める方ではあるので、どんどんとコップに酒が注がれては、喉の奥へと消えて行く。自酒は飲み慣れてなかったので、いつも飲むものとは一味違って美味しさは一層増した。

「なかなかの美酒だな」

「あら、兄さんまで。よかった」

 琥凛はまたもや満面の笑みを浮かべて、俺の飲みっぷりを見据えた。

「琥凛。この酒はどこで買ってきた?」

 親父が琥凛に酒のことで訊ねた。どうやらよっぽど気にいったらしく「お店ですか? 百貨店(デパート)の地下で買ってきましたけど。店の名前は――」と答えると、親父は「うん。わかった」と、燻した口調で答えて、酒に舌鼓打った。察するに、旅館で出そうとでも思っているのだろう。

 琥凛が耳打ちで「気にいっちゃったんですかね?」と訊いてきたので、俺は思わず「そうじゃないかな」と、お互いに微笑して親父を一瞥した。

「ん? なんだお前ら、二人で寄って。俺の顔がそんなにおかしいか?」

「いえー、別に何もないですよー」

 琥凛はそう答えると、親父は何も言わず、またもや酒の味に酔い痴れて行く。

 一方の須雀は、食べることに夢中になっていた。口に料理を箸で摘み、運んでは咀嚼する。こちらもこちらで味に酔い痴れていた。「美味しい」の一言に尽き、他の言葉が須雀の口から出てくることはなかった。なんせ、兄妹三人揃っての料理である。不味いなんてことがあったら、一大事だ。

 パーティーは盛り上がっていくばかり。気付けば、琥凛がゲーム大会を始めるは、須雀はカラオケを始めるは、でいろいろと忙しかった。俺はゲームもカラオケも、程ほどに嗜み、親父はただ俺達の光景を岩の如く動かずに見据えていた。

 午後九時を過ぎたあたりで、パーティーはお開きとなり、親父はまた事務所に駆け込んでしまった。片付けは俺と須雀と琥凛だけでやった。


 後片付けも終わり、時間を見れば十時半過ぎである。今回ばかりははしゃぎ過ぎた、と反省した。取り分け、眠い……。こんなにも、楽しくはしゃいだのは、何年振りだろうか。高校生以来だろう。廊下をただ一人欠伸一つついて、自室に戻ろうとする。その道中、ちょっとばかし、あの向日葵が気になって、ふと足がそちらに向かっていたことに気付いた。

 今晩も、季節に反さず天候は雪。白い綿のような雪は、無数に漆黒の天蓋から降り続いていた。雪は庭園を白く色採り、普段は緑色の世界を白銀の世界に変える。通常なら咲き得ない向日葵は、その中を場違いの如く咲いていた。

 本当に変な話だ。あぁ、やって咲いていることに。巫弥曰く、呪力の籠った花だというのだが、真意は俺にはわからない。誰かを呪い殺そうとしている。

 何故、誰を、誰が?

 疑問符は解決しないまま、俺の頭の中を駆け巡っていた。まるで俺を嘲笑うかの如く、謎が謎を産み落としては、数を増やしていく。まるでアメーバのようだ。

「あの向日葵は……、なんで俺の家に?」

 幾ら考えようとも、見付からない結果。最終的には、思考を破棄し、俺は自室に戻った。

 自室に戻ったところで、何も変わらない。ただ、とにかく忘れそう、向日葵のことは、と思うばかりであった。

 布団を敷く。手慣れた身ぶりで敷くと、湯船に浸かって一日の疲れを水に流すと、戻って来て布団の中に潜った。傍らに、あの大事にしているぬいぐるみを添えて、深い眠りへと堕ちてくのだった。


 ◆◆◆


 全ては完成に近付いている。あと、少しで終わるのだ。自分が気付きあげてきたあの欲望は、もうすぐで手が届く。最初は、雲を掴むような途方もなかったけど、時間が経つにつれ、計画は少しずつ進んでいき、ここまでありつけた。ただ、高笑いしか出来なかった。地下室に鳴り響く、己の声は、何とも悦楽に満ちており、我を忘れてしまいそうだった。

 アイツに、この方法を教えてもらわなかったら、ずっと沈み込んでいただろう。何とかしてでも、気を取り戻せたかもしれない。でも、完全に戻すなんてこと不可能だろう。

 アイツには感謝しなくては。己の望みを叶えてくれたアイツに。

 とある地下室。数多の死屍累々を目の前にして、一人の者が、嗤っていた。


 ◇◇◇


 午後二時頃。俺は目覚めた。それも事務所でだ。

 デスクに突っ伏していた俺のおでこには、くっきりと寝転んでいた跡が残っている。それを見て、巫弥と衛樹が揃って笑った。

「円城、大丈夫なの? 昨晩パーティーしたとか」

「そ、そうなんだ……。ちょっと、飲み過ぎたかもしれない」

「へー、円城が酒を飲むなんて意外だな」

「そ、そうか?」

 衛樹にとって、俺は酒を飲まない類の人間として見られていた。まあ、それも無理はないだろう。元々、あまり飲まない方だったし、ここぞという場所以外では控えていた。それは、あまりにも飲み過ぎると、我を忘れてしまいそうで恐かったからだ。何を仕出かすか、自分ではわからないところ、迂闊に飲み過ぎるわけにはいかない。

「こんな時に、パーティーをやるなんて変わってるわね。やるかしら、こんな時に?」

「琥凛が始めたことだ。俺から『やろう!』って声をかけたわけじゃないし」

 頭を抱えながら、デスクから起き上がる。背伸び一つして、身体全身を醒覚(せいかく)させていく。

「あぁ、琥凛ってあの子ね。うん、確かにやりかねないね」

 衛樹は、琥凛の性格を知っている故に、パーティーをやりそうだ、ということにはすぐに合点がいった。

 二人とも知っている。琥凛が騒ぎ好きだということ。取り分け、宴会会場を、丸ごと潰してしまった出来事を。

「あの子か。まあ、身振りからして、楽しいことにはすぐに首を突っ込みそうだし、パーティーくらいやりそうね。兄貴ってのも大変ね。結構お転婆じゃないの、あの子」

「ま、まあな……。お転婆っちゃ、お転婆だな」

 というより、他の言葉が見つからなかった。

「あれ、確か、円城の妹さんって、二人いたよね。もう一人は……、す、須雀だっけ?」

 衛樹は今さっき思い出したかのように言う。取り分け、須雀のこと関しては、二人はあまり知らない。元々、須雀自身が、外に出たがらないような性格なので、大事(おおごと)を起こす人物ではないのだ。二人の耳にはなかなかそう言った類の噂は入らない。故に知らないのだ。

「須雀ね。アイツは、アイツで、琥凛と真逆なんだよな……」

「えっと、大人しいってこと?」

「大人しいというか、それ以上というか」

「ふーん、あまり会ったことがないから、わからないけど」

 もとより、二人と殆ど面識がないので、話題にあがったところでどうしようもない。二人とも、然程俺の二人の妹を気に留める様子はないのだから。

「そういえばさ、包帯巻きの魔術士と、神隠しサイトのことはどうなった?」

 最近、こちらに来ていなかったので、現状が把握出来ていなかった。話題を本題に戻すがてら、俺は二人に訊ねていた。

「包帯巻きの魔術士に関しては、少しずつ、かな。円城が来なかった日々が続いたでしょ。その間にね、何度か接触してるのよ」

 どうやら、若干の進展はあったようだ。暗礁に乗り上げていた船は、だんだんと沖に目指して進み始めたばかりだ。

「接触? 顔見知りにでもなったのか?」

「あ、あのね。嫌な意味で顔見知りよ」

 俺の問いに、巫弥はきつい目線で返してきた。巫弥を察するに、包帯巻きの魔術士とは、たぶん敵対関係を深めてきているのだろう。

「本当だよ。何度狙われたことか。包帯巻きの魔術士も、一人や二人じゃなくてさ、もっと大勢なんだよ。本当に殺されかけたからね」

「ま、まあ、衛樹の言う通りなのよね。本心を言っちゃ、何回も現場見ちゃったしね」

 衛樹の言葉に巫弥が付け足した。俺の頭には疑問符が浮かぶ。

「何度も見ちゃった? なら、殺人事件の犯人は、包帯巻きの魔術士で確定?」

「今のところはね。でも、本当に決定的な証拠がないのよ。私達が会うのは、現場に居合わせた包帯巻きの魔術士ということだけで、本当に彼らが殺したのか、わからないのよね」

「それと、動機が未だに掴めない。殺人鬼としても、内臓露呈とか、筋肉剥離とか、不可解なこと過ぎるからね。流石に、そこまでする物好きはいないよな……」

「ま、まあね。内臓露呈とかならまだしも、筋肉を剥がすことまでするのは、ね、円城」

 巫弥が不思議と同意を求めてくる。俺とて不可解過ぎて「殺戮行為も甚だしいよな……」と、言えざるを得なかった。

「どうせ、警察に通報したところで、捕まらないしな」

 衛樹が苦心の声をあげる。一介の警察が、包帯巻きの魔術士を捕まえることなど、無理も甚だしかった。二人の話では、包帯巻きの魔術士は、それなりの力を兼ね備えている為に、警察如きが対抗出来るものではないというらしい。拳銃などの武装さえも、魔術を備えた者には到底及ばない。

「私達だって、応戦するのに苦労するっていうのに」

 衛樹の「殺されかけた」と、巫弥の言葉が混ざり合い、包帯巻きの魔術士の強さを間接的に実感する。

「話を纏めるけど、事件は包帯巻きの魔術士でいいのね」

 二人は頷いた。事件についての犯人像は、既に浮かぶ上がった。次は、サイトについてだろうか。

「あぁ、それは駄目。今、サイト自体が見つからないから」

 衛樹の即答であった。サイト自体が見つからない、つまるところ、どんな手口を使っても見つからないというのだ。




 ――数々の肉片の前で、男と女が交合し合う。それは歪な絵だった。やがて、片方が食虫植物に食される。




 ふと蘇る、前に琥凛から教えてもらった神隠しサイトの噂話。食虫植物という言葉は、仲居から預かった日記にも書かれてあった。あの日記の持ち主が、サイトに関与していることは間違ないだろう。

「サイトと日記?」

 俺が二つの関連性について話すと、巫弥と衛樹の眉間に皺が寄った。

「確かに……、『食虫植物』ってあったね。円城から訊かされる、サイトの噂話にも。どうだろ、巫弥」

「どうって言われても、確かに偶然とは思えないわね。ただでさえ、サイトを捜すのに苦労するのに、日記に書いてあるなんて、よっぽど物好きな人なのかしら、日記の持ち主は」

 巫弥の言う通り、好きで書けるような言葉ではないだろう。

「あれ、そういえば、サイトに出入りした人って、行方不明になって数日後に遺体として発見されるんだよね。サイトの噂話には食虫植物が食すってことは、食べられてるわけ、か。なら、サイトの運営者、つまり食虫植物って名乗ってる人が、獲物を誘って、殺してるのかな」

「何で誘うのよ」

 衛樹が少しずつ紐解いていくところを、巫弥がすかさず訝しんで問う。

「交合、か? 円城、確かサイトって、成人男性ばかりを狙ってたんだよね」

「そうだけど」

「交合? あぁ、もしかしたら」

 「食虫植物は、娼婦なのか?」と俺がつい言ってしまうと、巫弥は少し言葉に言い淀みながら「あ、あんた、率直に言い過ぎ。もっと、オブラートに包んで言えないわけ?」と軽く叱咤された。

「そうね、娼婦ってところが打倒かしら」

 巫弥こそ、何の躊躇いもなしに言っているところ、さっきの物言いには反論したい気分でもあった。

「でも、何でさ。娼婦は娼婦でも、何で殺害まで行くんだ? 僕にはわからないよ。娼婦なら淫を売りにするのはわかるけど、最終的に殺害っていうのが解せないんだけど」

「確かに……、その噛み合わせがよくわからないね」

 殺害と娼婦。殺人鬼と淫乱女。まるで生と死の背中合わせみたいな組み合わせだ。

「ちょっと待って。殺すってことは、遺体が出来てしまうってことよね」

 巫弥が急に割り込んできては、そのことを口走った。

「なら、包帯巻きの魔術士の本当の存在が、少し見えてきたんじゃない?」

「包帯巻きの魔術士の存在? あぁ、そうか。殺したのなら、遺体が出て当然か。それで、包帯巻きの魔術士が破棄を?」

「そこは辻褄があいそうだけど、未だに全身が包帯巻きってことの解明は出来てないままだけどね」

 巫弥と衛樹が話を進めるのだけれど、でも、最終的に、その容姿が引っ掛かる。別に捨てるのなら、あんな変な格好をしなくともいいのだけれど。

「円城の言う通りだわ。こないだも言ったけど、満身創痍ではないし、己の素性を明かしたくないということはわかるんだけど、でも、あんなに完全に隠すのもね」

「包帯巻きの魔術士が、全員娼婦ってわけじゃないよね」

 俺は念の為に訊いてみた。案の定、「残念ながら、僕が今まで出会った包帯巻きの魔術士は全員男だよ」と呆気なく答えられた。流石に、全身が包帯巻きであろうと、身体の容貌は見える。男性と女性の区別は、つけやすいように出来ている。所謂、胸があるかないかだ。流石に、それは包帯を巻こうとも、区別はし易い。

「あぁ、もう、娼婦はただ淫乱と殺戮者なだけ? 包帯巻きの魔術士は、殺害された男どもをただ捨てるだけ? 何だか馬鹿馬鹿しい話になってきたわね」

 巫弥は軽く投げなりになっていた。たが、稜治さんからの依頼とあって、途中で投げ出すわけにはいかない。それに、巫弥自身の性が、途中放棄は認めないだろう。

「そうそう、二人ともさ、俺が包帯巻きの魔術士に『同志』とか『生贄』だとか言われたの覚えてる? 俺確か言ったことがある筈だけど」

「あぁ、あったわね」

「円城が、娼婦に手を出すとは思えないな……。それに、死体を運びそうな感じもしないし」

「ちょ、ちょっと待て! どちらも俺は関与してないぞ!」

 衛樹の疑惑の視線が恐くて、咄嗟に話の収拾させようとつい躍起になってしまった。

 言っておこう、俺は二つの事柄に全くといっていいほどに関与はしていない。俺が犯人側にまわっていることはない。

「嘘だよ、僕だって、円城がするとは思ってないよ」

「寧ろ、あんたがやりそうだけどね」

「お、俺!? 俺が!? 巫弥、それはないだろ……」

「というより、あんたの性格からして、そんなこと出来なさそうだけどね」

 巫弥はただ鎌をかけたかっただけなのだろうか、片やただ弄びたかっただけなのだろうか、真意はわからず、話は変な方向へと舵が持っていかれた。それを必死に戻し、元の軌道に戻す。

「ともかく! 未だにわからない部分が多いな……。本当になんだ、この事件。本当に、娼婦が中心核なのかな」

「どういう意味よ、円城。なんだか浮かない顔してるけど」

 巫弥に問われ、俺は答えた。

「やってることが滅茶苦茶だよ。娼婦で殺人鬼って、なんだかな……」

「まあ、娼婦がどんなだか知らないけど、悪魔みたいな人ね」

 文字通りそうだろう。人々を淫で誘い出し、挙句の果てに殺害にいたるという一連の行動。そこにどんな目的があるのか、片や悦楽があるのか知らないが、やっていることは、残忍なものだ。まるで生と死を同時に味わっているかのようで、俺には理解し難いものがあった。

 席を立って、給湯室に向かう。何だか考えているうちに、胸やけがしてきたのだ。

 沸かしたお湯を、お茶っぱを入れた急須に注ぎ、茶碗にお茶を注いでいく。緑茶の独特の色に、想いを鎮めこませ、肩の荷を下ろしていく。

 溜息一つついてから、俺は給湯室を出て、デスクに戻った。


 ◇◇◇


 デスクに戻るなり、巫弥が俺に一つ訊ねきた。

「そういえばさ、円城。廃村の件だけど、そろそろ行かない。なんだかずっとここにいても、あれだし」

「あれ、今日だっけ?」

「呆れた」

 巫弥は俺の一言に、頭を抱えた。「今日は例の日曜日よ」と言って、俺の驚く様を見た。

「えぇー! そうだったっけ!? というより、今日は日曜日か……。き、気付かなかった」

 「こりゃ、とんだ時差ぼけだな」と、ケラケラと笑う衛樹。巫弥は「そうよ、今日は日曜日よ」と俺を説教するかの如く、言うのだった。


 廃村には、この繁華街を通る電車から、約一時間足らずの場所にあるという。取り分け、山奥なので、途中から歩きとなる。バスも通っているらしいのだが、運悪いと乗れないことがある。一日の数回しかバス停に来ないのだ。酷く田舎なので、仕方ないといえば、仕方ないことなのだが。

 車内は向かう田舎に行くにつれて、人は減っていった。外の景色を映す車窓を占領していた建物類は木々に移り代わっていた。ディーゼル車の駆動音を訊きながら、俺は巫弥から廃村について、ちょっと訊ねていた。

「廃村に行く目的は、ある神道家系のことだったよね」

「えぇ、そうよ」

 巫弥は平然と答えた。

「神道家系って言っても、なんでそこに? その前に、廃村にそんな神道の人達がいるわけ?」

「いや、今はいないわ。ずいぶん昔にどこかに越しちゃったみたいだし。文字通り廃村よ。今はただ寂れた家ばかりがあるだけ。でもね、ちょっとそんな廃村でも、私の興を惹いたものがあってね」

 ニヤリと笑う巫弥。何か隠し持っているのだろうか。廃村に幽霊類の物がいたら、俺は承知しないぞ。昔は、人一倍霊感が強いと、孤児院で噂立てされた程なのだから。そこに誰かいる。それを感じているのは自分だけで、他の者はわからないと言う。その時に限って、右目が痛むのだ。困った話である。故に奇々怪々で自分自身肩を震わせていた。

「大丈夫よ。私がいるんだし、そんな変な霊なんていたら、私は駆除してあげるわよ」

「本当か? 巫弥だから失敗しそうだけどな」

 巫弥の一言に、衛樹が訝しんだ視線を送る。巫弥は狼狽しながら「な、何よ。信じられないってわけ、私の力を。なら言いわ、衛樹に憑いたら何もしてあげないから」と、そっぽを向いた。向いた先は車窓の外だ。冬化粧に身を包んだ木々が、山の斜面に生えている。目の前を流れる川は、澄んでおり魚達が優雅に泳いでいた。文字通りの大自然である。人の手がつかない僻地そのものだ。自然のあるべき姿を、俺達三人の眼を鮮やかに魅了する。

 本当にこの先に廃村があるとすると、相当な僻地にあるとことだろう。

 電車という揺り籠。ガタンゴトンと、レールの繋ぎ目に発する音と、カーブに差し掛かるとこの電車は酷く揺れる。ずいぶん昔に製造されたからであろう。車内は何度も改装されており、それでも昔から働くその雄姿をいたるところに残していた。揺り籠の中にいる俺は、だんだんと瞼が重くなっていくばかりだった。

「円城、眠いのか?」

「まだ寝足りないの? よく寝る人ね。事務所で来てからすぐに寝てたくせに」

 二人の声が霞んでいく。聞こえている筈なのに、俺はそれを無視しているようだ。声を認知せず、ゆっくりと落ちて行く俺。眠りという睡魔に身体を侵食されていく。やがて、意識は途絶えるのであった。


 ◆◆◆


 電車は、何の支障もきたさずに着き、俺達を降ろしてくと、次の駅に向かって走り去っていった。

 駅の構内。見渡す限り、人影はなく、山奥に建てられた寂れた駅。左手に廃村に続いている道は、山を切り通して伸びている。見るに、山の中に廃村はあるのだろう。右手に川が流れ、この路線は川に沿ってここまで伸びているのだ。

 他には何もない。僻地と呼ぶに相応しい場所であった。その僻地に、三つの人影は、山を切り通して作られた道に、足を踏み入れた。

 改札には誰もいなかった。駅長の姿さえなく、乗車券は「ここにいれてください」と書かれた古びた箱に入れた。年期の入った箱には、一つも乗車券はなかった。代わりに入っていたものは、虫の死骸だった。

 廃村に続く道は、電灯はなく、夜になると真っ暗になってしまうだろう。今は銀色の絨毯が敷かれているものの、夜になると、そこは常闇の世界となってしまうんじゃないだろうか。巫弥の判断で、あまり長居は出来ない、と用事が済んだらすぐに帰ろうということとなった。

 両脇を山に隔てられ、道は一つしかない。そこを歩く三人は、この場では些か不相応な気がした。

「こんな場所に廃村がね。いかにもありそうだな……」

 衛樹の一言に、俺も巫弥も頷く。

「これで、人が住んでたら洒落にならないけど」

「それはない筈よ。もう、かれこれ十年以上前に廃村に事実上なってるし」

 十年以上前に廃村になっている。巫弥の話ではそれは確かな話であるらしい。

「何故、廃村になったとかわかる? まあ、村人が街に出ていっちゃったからっていうなら、よくある話だけど」

 衛樹の問いに、巫弥は「まあ、それは一理あるわ」と、答えた。そして、付け足す、村の曰くを添えて。

「私が興味を示したのは、神道家系の方だっていうのはわかるでしょ?」

 俺も衛樹も肯定する。

「結構名高い神道家系でね、越したとか言ったけど、実は異端に殺されたって噂なのよ」

「異端に殺された?」

 間髪入れずに、俺は問い返した。

「そう。四神家の人達から訊いたんだけど、その神道家系に二人の子供がいたんですって、その子供の一人が両眼に視力がなくて――」

 そして、巫弥は俺の方に向いて、少し間を置いて答えた。



「片眼に視力のない子供もいたんですって」




 動悸が走った。片目に視力がない。間違いなく隻眼である。

「その片目っていうのは、右目なのか!?」

 俺は迫るかのようにして巫弥に問う質した。巫弥が俺の覇気に後ずさりしながら「え、えぇ、確か」と、言葉に詰まりながら答えた。

「そういえば、円城って養子だったよね」

 衛樹が俺に訊ねてきた。

 俺は間違いなく養子だ。孤児院を出て、あの家に引き取られた親なしの子である。

「なら、何だかお前から臭うな。その隻眼の子って」

「というより、あんたしかいないでしょ」

 二人の視線がこちらに来る。

 俺はその二人の視線さえ、気にしないで、一人黙考に耽った。

 俺しかいないだろう。もし、俺がその廃村にいた子供であるとするなら、俺は帰ってはいけない気がした。

 人には誰だって過去はある。いい過去や悪い過去。持つ物は人それぞれだ。俺の過去は、殆どが……。

 気が狂いそうだった。帰ってはいけない気がした。そこで、何もかも受け入れないといけない。それは、過去を垣間見るという行為。忘れていたものの蒸返し。自分を守ろうと、自ずと忘れていた血潮が舞ったあの光景。

 切り刻む。

 もげる腕や足。

 居間に広がった二つの遺体。

 脳漿を舐めて愉しむ一人の者。

 阿鼻叫喚の光景に、俺は果たして涙しただろうか、喘いだだろうか。




 ――命舞いし静かな夜。天に召された二つのモノ。




 突然の眩暈、過去を思いだそうとしたその衝撃。身体全体から出る拒絶反応。それは嘔吐として現れた。

 身を屈める。道端に移動し、白き大地に流す吐瀉物。止まらぬこの思いを、全て吐き出していく。

「え、円城!?」

 二人の声が重なり、巫弥が俺の背中を擦って、衛樹が「お、おい、大丈夫か!?」と俺の正気を確かめる。

 二人の介護も虚しく、止まらないこの嘔吐は、腹の中身がなくなってしまうまで、続くのであった。中身がなくなろうと、俺は何でもいいから吐き出そうとした。

 やっと止まってくれた。意識が明瞭とする。目の前に広がる悲惨な光景でさえ、俺は何の驚きもせず、息をあらげがら立ち上がった。まるで酔っ払いかのような千鳥足で立つ俺を、衛樹が支えになってくれた。

「円城? ね、ねえ、どうしたの?」

 巫弥が心配そうに俺を見据えてくる。そして、もしや、と何か思ったのだろうか。まだ先の伸びる道を見据えた。

「怨霊でもいるのかしらね」

「怨霊?」

 俺は声も発せられない。まるで俺を代弁してくれるかのように、衛樹は巫弥に問う。

「えぇ。憶測だけど。

 円城は……、流石に歩けそうにないわね。衛樹、介抱しててくれる? 私一人で見に行ってくるから」

「大丈夫か?」

「ふん。心配ご無用。これでも巫の端くれですから」

 気高く言う巫弥。右手に持つ式礼。何か不穏な物でも感じているのだろうか。巫弥の顔は、いつにも増して真剣だった。こちらを一瞥して「気でも持ち直したら、いらっしゃい。私は先に行ってくるから」と、悠然とした後ろ姿を見せながら去っていった。


 ◇◇◇


 二人を残して、私が先に進んでいた。山に囲まれたこの道は、一本道で迷う心配はない。二人を残してきても、何の心配はいらないだろう。私はそう踏んで、先に進んでいる。

 念のために持つ右手の式礼。いざとなったのなら、これで何とかして手立てを作れればいいのだが、実のところ、式礼の扱いは、まだ未熟な私である。こないだの、十二時辰のこともあり、若干だが気落ちしていた。何といっても悔しかったに尽きる。私はこんなにも無力なんだ、とひしひしと感じられる。

 だからといって、ずっと気落ちしている場合でもなかった。やらないといけない時はある。避けられないことがあるのだから、どうしようもない。ただ前に向かって歩き出すしかないのだ。

 一本道を突き進んでいくと、やがて広場のような場所にたどり着いた。その広場は、幾つも出入り口が設けられており、その一つがこの一本道の出入り口。そして、左手に落ちぶれた集落。左手に二車線の道路の始点片や終点があった。そして、目の前の入り口には、真赤な鳥居が陣取っていた。微かだが、呪力を感じた。

 私は広場の中央に足を進み入れる。そして、辺りを見渡した。

 何故だろうか。この広場は傷だらけだ。誰かとの死闘を、克明に示している。抉れた大地、薙ぎ倒された木々。建物類のものは木端微塵と化し、人の気配は一切感じられない。文字通りの廃村だろう。

 訝しんで、辺りに目を瞠る。鳥居からは呪力を感じられたが、その他からも呪力を感じる。元々、神道家系が住んでいた村なので、呪力が零れ落ちていることは、珍しいことではない。ましてや、死闘があったのなら、呪力はこの大地に沁み込んでいることであろう。

 もし、円城が呪術士なら、呪術回路が身体にあってもおかしくはないのだが、数年の付き合いの中でそのようなものは一切見受けられなかったし、存在さえ感じられない。少なくとも、呪術士である私の目が見たのだから、間違いはないだろう。

 となると、私は目のことしか考えられなくなる。衛樹も、円城の目のことについては、何かしらの思考は持ち合していた。能力者の私達が言うのだから、間違いはないだろう。

 そして、この廃村にいた神道家系の人達のこと。残っている噂から、円城が養子になる前、ここにいたことはなかなか辻褄があっている。おまけに、あの様子だ。何か、あったんじゃないだろうか。

 ますます私の興味はそそられるばかりであり、何としてでもこの廃村から何らかの情報を引き出さないと気が済まない。

 まずは鳥居を潜る。

 鳥居を潜ると、突如と現れる長い石畳の階段。何百段とあるその階段は、数えてみるだけでも、ましてや見上げてみるだけでも疲れる。さっさと昇ってしまおう。

 一段一段あがっていき、やがて頂上に着く。

 まるで、山の斜面に作られた階段の終点の先は、文字通り境内であり、階段から続く石畳は、拝殿に繋がっていた。

 私は、境内に足を踏み入れ、我が目を疑った。




 ――白骨した遺体が一つ。十字架に縛られていた。




 白銀の世界に、歪と化すその遺体は、数年前のものだろう。襤褸襤褸になった衣服は、白衣と袴と推測する。覡か、肩や神主か。この際だから、神主が妥当だろう。となると、何故あそこに十字架に縛られているのか。

 その傍ら、寄り添うように死す屍が一つ。こちらも、十字架に縛られた遺体と同様の服装。こちらも拘束されていたのだろう。付近に、鉄の首輪が転がっていた。

 近寄ってみたところで、この遺体が蘇生されることはない。いや、この世に蘇生というものはないのだから、心配することはない。死した者が、この世に舞い戻ることはないのだから。

 不穏なものは、これから発せられていたのだろう、と式礼を懐に仕舞う。目の前に近寄ってみたところで、何も起きやしない。

 私は素直に合掌して、供養する。この場で死んだその無惨な姿に、(あわれ)みを感じて。

 合掌して気付いた。寄り添う屍の、もう手とも呼べない部位に、一冊のノートがあった。

 手に取って見てみる。酷く風雨に晒されたノートを一見してみれば、もう使い物にならないものではあるのだが、呪術士である私は、呪力で書かれた文字を、見出すことが出来た。まるで炙り文字のように、呪力を火の代わりのように炙ってみれば、襤褸襤褸の白地に文字が浮かび上がった。

 中には、「宝危険なり。あれは決して人が触れてはいけない代物。手にすれば、まるで人が変わったかのように、いや、丸っきり変わってしまう。あれは、悪魔の宝だ。私達は、それをある異端より奪取し、そして破壊に至るところであった。だが、邪魔立てされ、今、彼はそれを手に跳梁跋扈しているだろう。無念だ。娘息子を残し、我が身尽きてしまうこの想い。勝手なお願いではあるが、あの子らには清き正しく生きてほしい。母親としての願いは、これしか出来ない。巫として、神に祈祷することしか。御免ね、馬鹿な母親で……」と、赤裸々に語られている。

 このノートには母親と書かれている。なら、どちらかが母親で、となるともう片方は父親だろうか。そうならば、この二つの遺体は夫婦。ノートから、娘と息子がいることがわかる。息子は、私の事実を引用するのなら、珀だろう。娘は、一体誰だ? 珀の姉か妹か。妹なら、二人いる。確か、妹の須雀さんと琥凛さんは、養女だ。珀同様、養子であることには違いない。娘という表現が、曖昧模糊であり、「あの子ら」と書かれている時点で、不特定多数。場合によって、娘は多数。片や息子は多数の場合も考えられる。だからといて、姉という点も捨て難い。私の知る限りじゃ、珀に姉がいた、なんてことは訊いたことはないし、いまいちわからないのが正直な話だ。

「はぁ……、何なのかしら、ここ」

 溜息を一つついて、辺りを見渡す。廃墟と化した神社の様相を、私に克明に示す。もう、何年も人が来ていないことは見てる限りでも、わかる。いたるところの手入れが不手際となり、もうここは人の住む場所ではなく、建物が建つ場所ではなく、山の一部と化している。

「円城には……、報告した方がいいらしらね……。もしかしたら、故郷かもしれないんだし」

 しかし、憚れる想いで一杯だった。もし、珀の故郷がここだとするのなら、この光景を見せるべきであろうか。二つの遺体は、両親でほぼ確信は得られるし。

 そう地団駄を踏んでいたところだ。偶然にも、円城は来ていた。この場に、己の足で。そして、階段で一人立ち竦んでいた。まるで昔の想い懐かしむその姿は、何とも絶望に押し潰されてしまいそうだった。


 ◇◇◇


「も、もう大丈夫……」

 俺は気分を持ち直したことを衛樹に言った。衛樹は「あ、あんまり無茶するなよ……」と、心底心配してくれている。ちょっとだけ嬉しくて気分が軽くなった。

「そ、そん時は頼らせてもらうよ」

「円城、強がるのはいい加減にしろ」

「つ、強がってなんかないよ」

 正直な話、自分の辛さを悟られたくなかった。いや、本当は心配させたくなかったんだ。

 ゆっくりと歩き出す。まるで老爺(ろうや)のようで、歩く足は酷く覚束ない。思わず、雪に足を取られ倒れてしまいそうなところを、衛樹は必死に支えてくれる。情けない話であり、俺は「あ、ありがとう」と、ぶっきら棒に言った。

 いつもなら、手助けに回ることに徹していたので、ついこうして助けられる立場になると、思わずなんと対処していいのかわからなかった。馬鹿な俺だ。人に優しくしておきながら、優しくされることを知らなかったなんて。反吐が出る話である。

 道は延々と続いている。終わりなき先が、ずっと俺の視界には広がっていた。

「巫弥のやつ……、よく難なく進んだな……。全然、終わりが見えないぞ」

「ほ、本当だな。道間違えた、なんてことはないよな」

「え、円城。流石にそれはないよ……。一本道だよ。どう考えたって、間違えようがないって」

「そ、そうだよな」

 戯言を言ってあっては、この場を和ませていた。ずっと続いているこの道には、若干飽き飽きしていた。凍てつく寒さは、心を凍えさせ、俺達から会話を奪っていく。何だかそれに抗いたくて、馬鹿馬鹿しいことを言っていた。それに、何にもなく、自堕落と進んでいることも、馬鹿馬鹿しく思えて、ちょっと気分を軽やかにしたかったかものも、要因の一つでもある。

 あれから三十分足らずすると、広場に出た。

 広場は、一種の分岐点であり、左右、そして奥に道は伸びている。左には落ちぶれた集落が一つ、ポツンとそこに残されている。右手は二車線の道路の始点があった。奥には鳥居が一つあるだけである。そして、この広場はところどころが抉れていた。衛樹曰く「何か戦闘でもあったのかな」と、不思議に思っていた。

 この広場……。何か戦闘でもあったのか……。二つが重なりあった時、俺は過去の回想に浸った。

 戦う二人の姿。一つの物を巡り合い、己の力をふんだんに披露する。隣の集落はそれに巻き沿いを食らい、住人達は避難。いや、逃亡した。この村は、たった二人の諍いによって、滅んでしまったのだ。

 懐かしい、と思いながら、苦い思い出だ、とも思った。

 頭の奥底で眠っていた記憶は、当時のことをよく思い出させた。

 二人の諍いは、最終的にどうなったのだろう、か。そこまでは思い出せなかった。

 ふと、思い出す。あの初めての友人である、あの子のこと。

 俺は何かに誘われるかのようにして、集落に向けて足を動かした。

「お、おい。どこに行くつもりだよ」

 衛樹が首を傾げながら、俺についてくる。俺は、何も言わず、ただ集落に向かっていくばかり。

 集落は、数軒によって成り立っている。もう、誰一人として住んでいないこの集落は、廃村といっても過言ではない。こうして、また集落にやってくるなんて思ってもみなかった。よく、遊んだっけ……。あの子と、体中を泥だらけで汚すくらい。

「ハクちゃん! ハクちゃく! 今日は何して遊ぶの?

 えぇー、またそれで遊ぶの……。んー、わ、私はいいけど、ハクちゃんはいいの? えっ、あっ、そうなの!? じゃあ遊ぼう!」

 懐かしいあの声。人懐っこい、まるでアヒルの子のように、いつも俺を見付けては、背中を追っかけてきていた。皆からも言われたもんだ。その子は、珀のアヒルの子なんじゃないかって。俺もあの子も「アヒルじゃないもん!」と怒ったのも、いい想い出である。

「衛樹……。ここ、俺の故郷かもしれない……」

「ん? そうなのか? ま、まあよかったじゃないか。故郷に帰れて」

 まだ確信は得られていない。ただの記憶に近いからといって合理的に合わせているだけかもしれないんだ。決定的な証拠がない。自宅に帰れば、思い出すかもしれない。

 次なる場所は、あの鳥居があったあの先。つまるところ、神社だ。

 踵を返して、鳥居のあった道へと進路を変える。

 一旦広場に出て、改めてこの場をよく見据えた。

 酷く争ったことが、何十年の時を経ても、わかる。ここで、二人は死闘を繰り広げていたんだ。自分自身、骨身を砕くほどの。

 鳥居を潜る。確か……、昔の頃の俺は、鳥居のことを赤いトンネルだとか言っていたような気がする。あの頃は、幼稚な考えだったな、と想いに耽りながら、鳥居から続く階段を上っていく。

 やがて、昇り切ってわかるその光景。普通なら、もう廃墟と化してしまった神社と簡単に片づけてしまうだろう。でも、無視出来ない境内に似つかわない二つの白骨化した遺体。一つは十字架に縛られ、片やもう一つは十字架に縛られた遺体に寄り添うように遺体となっている。

 まるで間を取り繕うように、巫弥は立っていた。

「あれ、案外早く来たのね」

 俺を見るなり、ぶっきら棒に言ってきた。俺は何の言葉も返せず、更には言葉を見失っていた。

 何だ、この光景は。俺の想像していたものとは違う。ただの廃村だということを意識し過ぎていた為に、これはあまりにも予測違いだ。

「み、巫弥。その遺体は……」

 衛樹も言葉を見失いかけている。おそるおそるとした口調で、巫弥に訊ねた。

「あぁ、これ? あ、ごめん。この人達よね。

 えっと……、私の憶測だけど、円城の両親じゃないかなっと……」

 ゆっくりとした重苦しい口調で、それも巫弥はこちらに一瞥した。

 こ、これが俺の両親!?

「み、巫弥……、お前、俺の親って言ったか?」

「えぇ、い、言ったけど」

 白骨化した両親との再会。それを俺はどう接すればいいのだろうか。全くといってわからない。

 ゆっくりと歩み寄る。亡骸と化した両親に。

 触れてしまうと、一瞬にして崩れてしまいそうな骨格の塊。それは、どんな姿であろうと、俺の産みの親であることに変わりはない。

「ふ、二人の遺体が、円城の両親!?」

 衛樹は腑に落ちないのだろうか。狼狽しながら、遺体に近寄る。俺と肩を並べて、遺体を見据えた後に、合掌した。

 巫弥が近寄って来る。手に持つのは、一つのノートだ。それを俺に渡して、廃墟と化した拝殿に足を踏み入れた。

 俺は受け取ったノートに目をやる。そこに書いてあるのは、浮き彫り式の呪力によって書かれた文字達。記述、そして自分の中にある混濁とした記憶を照らし合わせると、二人が両親だということは、より強固な事実となっていくのだった。


 巫弥が突然、俺達二人を呼んだ。

「ねぇ! ちょっと来てくれない? 古びた書物を見付けたんだけど」

 巫弥は拝殿から顔を出して言った。俺と衛樹は、遺骨の横をすぎ去り、巫弥の許へと向かった。

 拝殿に足を踏み入れる。ギシギシと軋む木々で出来た廊下。拝殿手前の賽銭箱は、もう使い物にならない程に、朽ち果てており、どうせ、金を投じたところで、風雨を凌げないだろう。

 五段の階段をのぼり切り、建物内に入る。

 建物内も、もう殆どが綻びだらけで、修繕のしようもない。いっそのこと、改築した方がましというもんだろう。屋根には穴が開き、空を仰ぐことが出来る。床もところどころ落とし穴が出来ており、覗くと漆黒の闇が広がっていた。

 拝殿の中程、巫弥は立ち竦んでいた。手に持つ、もう一つの書物は、これまた古びた物だ。

「なんか、あったのか?」

 衛樹が問うと、巫弥は「えぇ、間違いなく珀のことが書かれた記述を見付けたわ」と、答えた。

「俺のことが書かれた記述?」

「そ。円城って、右目のことがずいぶんと気になってたじゃない。私や衛樹も、同じ気持ちだと思うんだけど」

「あぁ、右目ね。確かに、円城の右目の失明は、何の外傷もなく失うなんて、おかしいからね」

 隻眼となった要因。事件事故になど出逢ったことはない。物心ついた頃には、もうこの容貌だったのだ。

「ノロって知ってる?」

「ノロ?」

 俺は眉を顰めて問い返した。ノロなんて言葉は、訊いたことがない。衛樹とて「ノロウィルス……、なわけないか」と、微苦笑して答えた。

「ウィルス……って、衛樹。あんたセンス無さ過ぎよ。

 いい、ノロって言うにはね。そうね、簡単に言うなら私と同等」

「巫弥と同等? それってどういうことだよ」

 ノロが巫弥と同等? 些か不可解過ぎて、俺はつい訊いていた。

「琉球にいた女司祭。通称巫。まあ、私と似た人物よ。手許の記述によるとね、円城の元の家系。つまり、ここにいた神道家系は、どうやらそのノロと血の繋がりを持つ家系だったらしいわね」

「でもさ、それと円城の右目とどういう関係が?」

「まあまあ、ちょっと急かないでよ。ゆっくりと話してあげるからさ。

 でね、円城の眼は、浄眼みたいね」

 浄眼。何かしらの外部的要因があり、能力を授かる眼球能力。

 巫弥は徐に読み上げて行く。書物に書かれた記述を。


「四月九日、私は男の子を産み落とした。夫や娘共々喜び、純粋で白き心を持ってほしい、との願いを込めて、私はその男のを『珀』と名付けた。

 珀はすくすくと育っていった。私達の家系は、そこらの家系とは違う。表では神社の神主として振る舞い、裏では呪術士として振る舞っていた。呪術士たるもの、夫共々、娘や息子には、そういった資質を持ってほしくなかった。こちら側の世界は、二人には似合わない。私の勝手なお願いだ。

 しかし、儚い願いは叶うことはなかった。

 娘は、元々両眼に視力がなかった。だというのに、場所を正確に言い当てる。どこどこにあれがある。それも、自分が動かなくても、物の位置を特定してしまう、一種の異能児だ。

 息子も、姉とは若干違うものの、右目は異能の資質を持っていた。一般的な言い方をするのなら、魔眼というのかもしれない。でも、夫の話では、浄眼と話した。浄眼が、どういうものなのか、知らないので、特記しないが、間違いなく、異能児であることに違いはなかった。

 夫は、よく息子に呪術を見せていた。親馬鹿だと思う。息子はよく夫の呪術を煌びやかな視線と共に見ていた。それが一種の原因だったのかもしれない。ある日、息子の右目から視力が失われていることに気付いた。息子が私に『ねぇ、母さんの後ろに、誰かいるよ』と言ってくるのだ。息子の言っていることは確かなことであり、背後に霊がいたことに、私は気付かなかった。やがて、また息子から『右のお目めが視えない』と訴えてきたのだ。

 夫は、『浄眼が宿った』と言った。

 やがて、知った。浄眼は、後天的眼球能力だということを。

 息子は、霊が視えるのは勿論のこと。元々、私の家系が、ノロという系列の血を引いていたこともあり、眼球を用いて、チャネリングといった異能さえも発揮した。

 チャネリングは一種の交霊術だ。それに従って、息子は霊の使役さえも簡単に行ってしまう。故にポルターガイストなどの霊的衝動は、お手の物だった。

 チャネリングを通して、息子は他人の思想を垣間見ることがある。事実、私の思いの一つや二つを簡単に言い合えたこともあったが、正確ではなく、どちらかというと不明瞭なことばかりだった。幼いからであろうか。

 なにはともあれ、もう発能してしまったところで、どうしようもない。失わせようとも、それは一部の身体の切除に他ならない。あまりにも可哀想なので、私は何も出来なかった」


 記述は終わる。

 長々と書かれた内容は、紛れもなく俺に対することばかりだった。

 隻眼の謎が解ける。この右目は、浄眼であり、チャネリング異能者……。俄かに信じ難いのだが、いずれそれが確信になることを、俺はまだ知る由もなかった。

「円城が、異能者ね。それも、浄眼能力者だとはね。珍しいわ」

「珍しい?」

「えぇ、珍しいわよ、円城。好き好んで浄眼なんてギャンブル能力を手に入れようなんて人、そうそういないわよ。どんな能力が付加されるのか、わからないような眼球能力があったって、ね。

 まあ、それはそうとして、円城。どう? 自分が異能者だってことの実感は」

「な、ないよ」

 それは突然の宣告だ。正直な話、自分自身のことなのだけれど、ついていけてはいない。自分の目が、能力を秘めていることを、今まで忘れていたのだ。それを今となって思い出す。

「それはそうでしょうね。まあ、そのうちわかることよ。もう、貴方は、一般人。つまり、表世界の住人じゃないってことが、少しずつわかっていく筈よ」

 巫弥はまるで悪魔のような笑みを浮かべながら、書物を閉じながら俺に言った。


 ◆◆◆


 忘れ去られていた歯車。本来なら噛みあう筈はなかった。日常という歯車が動いていれば、俺は表世界の住人だった。でも、ただ、俺はチャネリングという歯車がこの場によって、噛み合い、そして動き出してしまった。今まであった歯車の流れは代わり、新たな流れへと変わっていく。いや、本来なら元に戻ったということだろうか。幼児期に忘れてしまった――あの出来事を介して、俺は能力の存在共に記憶の封印をしていたのだろうか――チャネリングという眼球能力。巫弥は俺に言う。「もう、貴方は一般人じゃない」と。当たり前の幸福など、もう願えない。禍々しい物を持つ者は、禍々しいモノと巡り合う。まさに、それは命運に蹂躙されているかのようだ。

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