3-9 理想の姿
「敵は複数だと言っていた。くれぐれも慎重に」
「はい」
廃校の屋上へ移動した八雲と美咲は周囲を警戒しながら会話を交わす。
「神凪さん、君の異能は具体的にどんな力なのか聞いてもいいかな」
「風を、起こせます。それを使って移動することと敵を攻撃すること、それから……周囲の音と匂いを拾えます」
「音と、匂い?」
「はい。そんなに広い範囲ではないですけど、離れた場所に怪異が居ても場所を把握することは可能です」
「それは……すごいな」
彼女を外に連れ出して正解だったようだ。美咲の力を貸してもらえば狙撃している敵も見つけるのは容易くなるだろう。思えば氷森町を守っていたのは美咲一人だったというのに被害は随分と少なかった。それも彼女が無茶をしていたということもあるが、その能力を上手く行使していたということなのだろう。
「今回は銃を持っているのが怪異か分からないからな。人間だったら気絶させてほしい」
「了解しました」
「ああ。とっとと外のやつらを制圧してあいつらが安心して外に出られるようにしないとな。俺達が倒し終える頃にはとっくに終わって暇になってるだろうから」
「……彼らのこと、信頼されているんですね」
「それは勿論」
空達が怪異を倒すことにまったく不安を抱いていない様子の八雲に、美咲は少々首を傾げながらそんなことを口にした。彼女からしてみれば今まで戦う際に誰かを頼ったことなどなく、それに彼らはまだ学生のようだったのを考えるとむしろ完全に大丈夫だと信じられるのが不思議だと考えてしまうのだ。
不思議そうな表情を浮かべた美咲に八雲は苦笑する。八雲だって全く心配していない訳ではないのだ。無理をするなと言っても何かあれば無理をする人間ばかりで、彼はいつも冷や冷やさせられている。しかし誰よりも彼らの力を分かっているはずだと八雲は自負していた。
「俺は自分で何でもできるタイプじゃないから、いっつもあいつらに助けられてる。だからこそその分俺はあいつらを全力で守るし、同じように命を預けられる」
一真とは違う。彼は誰もが認める完璧な人間で、九十九の次期当主として何でもこなしていた。末っ子の八雲はそんな兄の背中をずっと見て来て、そして彼のようになりたいと思い続けて来た。
けれど今は少し違う。八雲は空のようにすぐに怪異を見つけることは出来ない。菜月のように怪我を治すことは出来ない。しかしそれでも、八雲には八雲にしか出来ないことがあると思えるようになって来たのだ。
「それじゃあ俺は囮になるから」
「え」
「神凪さん。俺の命、預けた」
八雲はそう言うやいなや屋上から飛び降り、どこから狙われているとも知れない校庭へとその体を移動させた。美咲が反応した時にはもう遅く、あちらこちらから聞こえて来る銃声に彼女はさっと顔色を悪くする。
しかし微かに見えた暗い校庭では八雲が異能を使って軽々と銃弾を避けており、美咲は自分の役目をすぐさま思い出して即座に異能を発動させた。ふわりと穏やかな風を生み出した彼女はそれを周囲に拡散させ、そして再び彼女の元へと呼び寄せる。鼻に付く硝煙の匂いが美咲に敵の位置を教え、彼女は無言で力強く屋上のフェンスを蹴って空中に身を踊らせた。
銃口が八雲に集中している間に、美咲は気付かれないように闇に紛れて風に乗る。そして漂ってくるいくつかの匂いのうち、最も孤立している敵を選んでその背後に静かに降り立った。
怪異の匂いはしない。恐らく榊が金で雇った浮浪者だろう。榊は今までも、町にいる彼らを金で釣って様々な犯罪に手を染めさせていたのだから。
苦い気持ちを押さえ込んだまま、美咲は銃を構えて彼女に背を向ける男に近付く。そして薙刀をくるりと返しその長い柄で慎重にその男に襲い掛かったのだ。
「なっ」
ぎりぎりまで距離を詰めた所で気付いてももう遅い。気絶させるように、しかし絶対に殺さない様にと神経を使って打った一撃に、男は碌に悲鳴を上げられずに倒れ込んだ。気を抜かない様にして男に近付いた美咲は、彼が完全に意識を失っているのを確認してほっと息を吐く。今までは怪異相手だった為手加減などしたことがなかったのだ。上手く行ったことに安堵した。
しかし未だに銃声は鳴りやまない。榊が一体どれほどの弾薬を渡していたのかは分からないが、八雲とてずっと異能を使い続けることなど出来ないだろう。ここまで移動して来ただけでも負担が掛かっているはずなのだ、早急に終わらせないといけない。
「くそっ、何だよあれ! 化け物か!?」
「……化け物は、あなた達です」
続いて向かった先に居た男がそう叫んでいるのを耳にした彼女は咄嗟にそう口にする。確かに彼らは一般人で、異能者よりは余程人間らしいのだろう。しかし、誰かを守ろうと戦う八雲と、金の為に躊躇いなく人を殺そうとする男のどちらが化け物だと言うのだろうか。
背後から突然聞こえた声に驚いて銃を取り落した男をすぐさま気絶させると、美咲は次の敵の元に向かおうとする。しかしその直前に校庭で暴れ回る八雲と不意に目が合った気がした。遠目だったので勘違いかもしれないが、その時彼は確かに彼女に向かって強い表情で頷いていた気がした。
残りは二人だ。向けられる銃弾から八雲にもそれが分かったのだろう、彼は美咲が向かう方向を確認した後、逆方向に視線を向けてその姿を消した。流石に何度も攻撃を受け、そして撃たれる方向も限られて来た今は八雲にも敵の場所がある程度把握できるようになったのだろう。
美咲はそれを理解して薙刀を強く握り直す。美咲がこうして誰かと協力して戦うのは昨日の晩が初めてだった。昨夜は突然のことに驚いて動揺してしまったが、今は酷く落ち着いて八雲にもう一人の敵を任せられる。そして美咲も、同じように八雲を守る為に走り出した。
八雲は美咲に命を預けると言ったのだ。それは会って間も無い彼女を信頼すると言ったのに他ならない。だから美咲はその気持ちに応えたいと思った。
羨ましかったのだ。影白支部の彼らが、美咲には眩しくて仕方が無かった。あんな風に信頼し合い、分かり合える関係が欲しかった。信頼される人間になりたかった。
あの人の……八雲のようになれたら。――彼のような人間に、なりたい。
その想いを胸に、美咲は最後の一人目掛けて、思い切り薙刀の柄を振った。
「残念だよね、美咲さん。てっきりうちの事務所に来るかと思ったのに」
「そう言うなって。本人が残りたいって言ったんだ、俺達が口を挟むことじゃないだろう」
八雲が氷森支部へ見合いに行き、そして色々なごたごたに巻き込まれた事件から二週間後のこと。菜月達高校生組はいつものように学校帰りに寄った事務所でのんびりとそんな会話をしていた。仕事机に座るのは八雲のみで、恭一郎は本日五樹の所へ定期健診に行っている。
連日慌ただしく動き回っていた八雲は、久しぶりにゆっくりと腰掛けた椅子の上で瞼をこじ開けながら雅の言葉に返事をする。氷森支部の不正を暴いたのは八雲で、だからこそ事情聴取やら事後処理に奔走しここ最近碌に眠っていなかったのだ。
ふあ、と大きな欠伸が出る。
「俺、あんまり根詰めて働くの得意じゃないんだけどなあ……」
「何言ってるんですか。そんなこと言っていつも仕事溜めて自分で追い詰められてるのは八雲さんでしょ?」
「……菜月ちゃん、恭一郎が居ないからってあいつの真似しなくていいんだぞ?」
「別に真似じゃないです」
菜月がこの事務所に来てから約半年ほど経過したが、もう随分と馴染んでいる。しかし空も雅もだったが、この事務所に馴染めば馴染むほど八雲に対する言動に容赦がなくなっていくのは如何なものかと彼は常々思っていた。
「結局、氷森支部は神凪さんが所長になるんですよね?」
「ああ……。今までとやってたことも実質変わらないし、彼女なら大丈夫だろう」
あの事件の後、八雲は影白に来ないかと美咲を誘ったのだが、彼女は考えた末それを断った。どれだけ辛い記憶が残ろうと、自分の故郷には変わらないその場所を守って行きたいと、そう言ったのだ。
しかし榊も居なくなった氷森支部の異能者は美咲一人だ。一人では事務所運営の許可が下りない為、急遽七海が手を回して本部から異能者を二人借りて来ることになった。それらの手続きを八雲も協力していたため、更に落ち着くまでの時間が掛かってしまったのだ。
「それにしても……話を聞くだけで本当に腹が立つよね、その榊ってやつ!」
「ああ。神凪さんも本当に辛かっただろうしな。八雲さんがどうにかしてくれて本当によかった」
「そうだよね。……あ、紅茶無くなった。お代わりいる人は?」
「はーい!」
「俺も」
「八雲さんは……あれ」
菜月がティーカップ片手に立ち上がって八雲を振り返るものの、彼の机からは沢山の書類の束に隠れて小さな寝息が聞こえるだけだった。
「……寝ちゃったね」
「八雲さん、ずっと大変そうだったもんな」
「毛布持って来るよ」
雅が仮眠室から毛布を抱えて来ると、それを八雲の背中に起こさない様に静かに掛ける。するとどこか幸せそうに表情を緩めた八雲に、三人は顔を見合わせてくすりと笑った。
「いつも、お疲れ様です」
「はい、いつも通り異常はないよ」
「そうですか……」
同刻。九十九医療センターでは、定期健診を終えた恭一郎と五樹が向き合っていた。微笑んで検査結果を書き込む五樹とは対照に恭一郎の表情は酷く険しい。まるで、異常があった方が良かったとでも言うように。
「……相馬君、君は」
そんな彼の顔を見て手を止めた五樹は恭一郎の名前を呼んで、真剣な眼差しでその目を覗き込んだ。
「君はやっぱり、その異能が嫌いかい」
「はい。……出来ることなら、滅茶苦茶にして消し去ってしまいたいくらい」
三章終了です。
次の更新は十月に入ってからになります。




