3-7 暴く
「……とりあえず、今持ってる情報はこれくらいだ」
「十分よ、ありがとう」
夕暮れが迫る町はずれにある解体予定の廃墟の中で、八雲は七海に電話でこれまでの状況を報告していた。消費者金融の方はしっかりと固めた証拠を提示でき、怪異調査事務所の方も美咲と五樹から得た情報である程度不正は掴めつつある。
「だが、肝心の上との繋がりが見えて来ねえな」
「それは直接その場を取り押さえないとどうしても言い逃れされるでしょうね。今の状態だとその榊所長を切り捨てて終わる未来しか見えないわ」
「だよなあ」
一事務所の所長など、上層部と比べたら大した地位も無い。だからこそ幹部も何の躊躇いもなく彼を切り捨てて自分を守ろうとするだろう。確実に上層部の連中を叩き落すには、決定的な瞬間が必要なのである。
「……という訳だから、最後の締め、よろしくね」
「何か案があるのか?」
「あと十秒くらいでそこに来ると思うから」
「は?」
「八雲、頼むわね」
おい、と八雲が声を掛けるもののその時には既に電話は切られている。そしてどういうことだと思う間もなく、電話から耳を離した八雲は直後遠くから誰かの足音を聞き取った。
咄嗟に瓦礫の後ろに身を隠した彼は、そこでようやく七海の意図を理解することになる。
「わざわざこのような場所まですみません」
「いや、私を嗅ぎ回るネズミは大勢いるのでね、仕方がない」
高い靴音を鳴らして八雲が潜む廃墟に足を踏み入れたのは二人の男性だ。八雲は隠れている為姿を窺うことは出来ないが、そのうちの一人が榊の声であることはすぐに分かった。そうなれば、もう一人の男の声は恐らく七海が追い詰めている上層部の人間だろうということも容易に判断できる。
どうりでこの場所を七海が指定した訳だと納得しながら八雲がそのまま身を潜めて彼らの会話を聞いていると、ごとり、と何か重い物を地面に置いたような音が聞こえて来た。
「それでは、約束の」
「ああ」
短く言葉を切ってそれだけを口にした二人は、何かの荷物を手渡したのだろうか、再びごとりと地面に置いたそれが動く音が聞こえ、八雲は極めて慎重に瓦礫の影からその様子を窺った。
渡していたものはスーツケースらしい。先程の音から考えてしっかりと中身が入っているだろうと思われるその中身は、八雲でなくとも想像が容易い。榊所長から幹部への賄賂だ。
「では、後日」
「ええ」
金を渡しただけでそのまま立ち去りそうな雰囲気に、八雲は一瞬だけ思考を高速回転させる。
“最後の締めをよろしく”と、七海はそう言ったのだ。ならば八雲が今行うべきことはひとつしかない。
「おい、ちょっと待て!」
この場でこの二人に食って掛かり、今までの不正を全て本人の口から認めさせることである。八雲はわざと大声を出して二人の注目を集めると、驚きに目を見開いた榊達の前に堂々と姿を現して挑発するように強気な笑みを浮かべた。
しかしながら内心はといえば「こういう大芝居はあまり得意ではないんだけどな」と八雲は苦笑していた。
「九十九さん? どうしてここに」
「いやあ、いけませんね榊所長。悪事っていうのは必ず見つかるものですよ」
「九十九、だと」
幹部の男の顔色が変わる。大層不快感を露わにしたその男はふん、と鼻を鳴らして偉そうに腕を組む。八雲に賄賂を受け取る瞬間を目撃されたというのに、まったく動揺している様子はなかった。
「ええ。九十九家の末、八雲と申します。うちの兄弟がお世話になっているかもしれませんね」
「抜かせ。綺麗事ばかりの偽善者どもが」
「生憎うちの家族は皆綺麗好きで、掃除好きなんです。汚いものを見ると放置しておけない体質でして……例えば、あなた達のその手だとか」
「神凪!」
わざとらしく笑みを浮かべる八雲は、榊がその名を呼んだ瞬間ぴたりと動きを止めた。いや、止めざるを得なかった。まるで昨夜の再現をしているかのように彼の背後から首筋に薙刀が突きつけられてしまったのだから。
「……九十九さん」
どこかに隠れていたのだろう。八雲の背後に現れた美咲は酷く苦しげな声で彼の名前呼び、そして容赦なく彼に凶器を向ける。動きと共にぺらぺらと話していた口を閉じた八雲に、榊は大きく顔を歪めて笑みを作り、勝ち誇って笑った。
「はっ、大口叩いておいてあっさりと殺されそうになるとは、愚か過ぎて笑いしかでないな。……九十九。どこまで知ったのか、洗い浚い吐いてもらおうか」
「……では、遠慮なく。まずは、榊所長の表の仕事……消費者金融の不正から」
八雲は首に触れそうになる刃に細心の注意を払いながら、手元に持っていた鞄の中に会った書類を取り出す。
「これはコピーですが……随分と酷い金利のようで。おまけに収支が合わない書類が大量に発見されましたよ。まるで見つかっても捕まらないとでも言いたげな杜撰なものがね」
まだ証拠はないが恐らく警察も買収していそうだと予想しながら、八雲は次に幹部の男に目を向ける。
「そして横領した金はあなたに賄賂として差し出していた……そうでしょう?」
「それがどうした?」
「あっさりとお認めになるんですね」
「お前如きが騒ごうといくらでも握りつぶせる。例えこの音声を録音していようと無意味だ」
「……そうですか」
勝ち誇った笑みを見せる幹部に、八雲は特に食い下がることなく言葉を切る。そして気を取り直すように「では次ですが」と更に話を続けようとすると、洗い浚い吐けと言ったはずの榊は面倒そうに「もういい」と片手を振った。
「神凪、やれ」
「はい、今度は彼女の話です」
「なんだと」
榊の声に美咲はびくりと肩を揺らしたが、しかし薙刀の切っ先は八雲に当たることはなかった。八雲はちらりと肩越しに美咲に視線を送ると、再度榊達に向き直り別の書類を取り出した。
「現在氷森支部の異能者は三人。榊所長、莉奈さん、そして神凪さんだ。しかし実際に事務所を運営しているのは神凪さんのみ。事務所にあった怪異の報告書の筆跡が全て同じでした。そしてそれは、消費者金融の書類に書かれていた榊所長のものとは異なる。つまりあなたは神凪さんに全てを押し付け、まったく運営も行っていない癖に所長を名乗ってその利益だけを得ていた」
「あれは莉奈の字だ。討伐は我々が行うが報告書は任せているのでな。……娘ではなく、神凪にでも誑かされたか。この女の言うことは全て嘘だ」
「さて、それはどうでしょうね」
八雲は背後で榊に怯える美咲を窺うと、腕を上げて彼女を庇うように広げる。そして榊に向かい含んだ笑みを浮かべて見せた。
「証拠は掴んであります。娘さん、榊莉奈は……異能者ではないとね」
「え」
「……なっ」
「担当医があなたに脅されて嘘の報告書を書いたと証言しました。言い逃れは出来ませんよ」
美咲も知らなかったのだろう、八雲の背後で驚く声が聞こえた。
莉奈に密着された時、八雲の鼻に漂ってきたのはつんとする香水の匂いだけだった。異能者や怪異が発する匂いは一般人には感じ取れない特殊なもので、他の匂いに混じる訳がないのである。そうでなければ、異能者は全員きつい香水でも付ければ怪異に見つからないはずなのだから。
異能者一人当たりに配布される資金というのが、実はかなり多い。事務所を運営するに当たって異能者の数は多ければ多いほど戦力が増えるだけでなく資金繰りも楽になるのだ。
研究会にこの市の異能者を担当する医者が出席することを確認した八雲は、五樹に何とか聞き出してみるように頼んだ。
しかし難航するかと思われた頼みはあっさりと成功する。美咲への仕打ちに同情的になっていたらしいその医者は、五樹が遠回しに問い掛けてみるとすぐに白状してしまったのだ。五樹は話を聞き出す手腕に長けているので大丈夫だろうと踏んでいた八雲も、あまりにも早い報告に驚いたものだった。
「神凪さんがぼろぼろになって病院に来るのを見て随分気に病んでいたらしい。簡単に教えてくれましたよ」
「あの人が……」
美咲の薙刀を持つ手が、力が抜けるようにゆっくりと八雲を避けるようにして下へ落ちていく。しかしそれを見た榊は、はっと我に返って彼女に叫んだ。
「神凪! 九十九を殺せ!」
「……っ」
「何をしている、早く」
薙刀を握り締めた美咲が酷く動揺を露わにする。狼狽えた彼女は八雲と榊に何度も視線を彷徨わせ――そして、決意を固めた表情で薙刀を地面に落としたのだ。
「神凪さん!」
「もう……嫌です。九十九さん、今すぐここから逃げて下さい!」
「逃がすと、思うか?」
悲痛な美咲の声とは対照的に冷淡に答えたのは榊だ。彼は酷く冷たい目で美咲と八雲を見下ろしたかと思うと、おもむろに自分の首に触れる。
「九十九、お前の異能は把握している。今この場から逃げようとするなら……神凪の首が飛ぶぞ」
「な」
「いいから! 逃げて下さい!」
「この女のチョーカーには私が異能を込めてある。元々逆らおうものなら……こうだ」
直後、八雲と榊の間に置かれていた瓦礫が突如凄まじい音を立てて爆発する。ぱらぱらと小石と砂の残骸を撒き散らすそれを唖然とした顔で見ていた八雲は、続いて美咲を振り返ると彼女の首に付けられたチョーカーに目をやる。彼女が幾度も首に触れていた意味をようやく今、理解した。
「下種が……!」
「何とでも言え。……ああ、神凪を連れて逃げても無駄だ。この場から消えた瞬間にそいつのチョーカーを爆発させる。どこへ逃げようがお前らは死ぬ」
「……私は帰るぞ。こんな茶番劇に付き合っている暇はない」
今まで冷やかな目で静観していた幹部がつまらなさそうに口を挟んで八雲達に背を向ける。「九十九は絶対に生かしておくなよ」とだけ言い残した男はそのまま廃墟を出て行こうと足を動かし……しかし、数歩歩いた所でその歩みはすぐに止まってしまった。
ぱちぱち、と場にそぐわない軽い拍手が聞こえて来たのは幹部の男の目の前、にこりと微笑んだ女の元からだった。
「ええ、見事なお芝居でしたね。とっても助かりました」
「貴様は……九十九、七海!」
「弟よりは有名なようで。今までのことは全て証拠として残してありますのでご安心下さい」
突如現れた七海に男は酷く困惑し、ぎり、と歯を噛み締める。一方八雲はようやく姿を見せたかと安堵するように肩を落とし、楽しげに笑う姉を見やる。八雲にこの場所を教えた以上間違いなくいるだろうとは考えていたものの、万が一彼女が居なければどうしたものかと思っていたのだ。
ただの事務所長である八雲とは違い七海は上層部直属の監査だ。彼女が自ら証拠を得てしまえば榊達に逃れる術など無い。
ひとしきり明るい拍手でその場の空気を破壊した彼女は、直後彼女の背後から現れた複数の部下に榊達を拘束するようにと指示を出す。抵抗する間も与えずに数人がかりで二人を取り押さえたのを確認した彼女は、続いてヒールの音を高く鳴らしながら悠々と八雲達の元へと近付いて榊を振り返る。
「榊所長、知っていますか? 殺人って重罪なんですよ?」
「……」
「仮にも人をまとめる立場のあなたが部下を殺そうとするなんて、どんな処罰になるでしょうねえ?」
「黙れ!」
七海に知られた以上言い逃れが出来ないと悟った榊は地面に押さえ付けられながらもやけになったかのようにそう叫び、強く七海を睨み付けながら表情を酷く歪ませた。
しかし七海は既に榊など見てはいなかった。彼女は状況に着いて行けずに狼狽えていた美咲の元まで来ると、安心させるようににこりと笑って彼女の首元に手を伸ばした。
「今までよく一人で頑張って来たわね。こんな物騒なものはもう外して上げるから、心配ないわ」
「駄目っ!」
「え?」
「外したら……爆発するって」
七海の指がチョーカーに触れそうになった瞬間、美咲は身を竦めて彼女から距離を取った。美咲とて、自分の命を奪うかもしれないものを外せるのなら最初から取っている。それが出来なかったのは、榊に外すと異能が発動すると脅されていたからに他ならない。
「……本当に外道ね」
ぽつりと呟いた七海は、しかし手を止めることなく美咲を捕まえてそのチョーカーに手を掛ける。
「大丈夫よ」
「でも……!」
「神凪さん。絶対に君を死なせたりしない。だから、七海を信じてやってくれないか」
不安げに七海の手から逃げようとする美咲に、傍にいた八雲が強い声でそう言って彼女を落ち着かせるように手を握る。そんな八雲に少し動揺が収まった美咲だったが、しかし自分を睨み付ける榊の姿が視界に入りふるりと体を震わせた。
「はっ、さっさと外して死ぬんだな!」
「じゃあ遠慮なく」
「……え」
挑発じみた榊の言葉に乗るようにあっさりとそう返した七海は何の躊躇いもなくチョーカーの留め具を外して彼女の首を解放した。
爆発も何も起きない。何ともあっさりとチョーカーが外れてしまったことに驚いたのは美咲と……そして何より榊だった。
「な、何故!? 確かに異能は発動するはずだ!」
「あら、残念だったわね。故障してたんじゃない?」
「ふざけるな! だったら」
不自然に榊の言葉が途切れる。目を見開いた彼は「何故だ」と酷く困惑した様子で七海を見上げる。
「異能が……使えないだと!?」
「八雲の異能は知ってたのに、私の異能はそこの人に教えてもらわなかったのかしら。まああの人程度じゃ知らないと思いますけどね」
「九十九……貴様っ!」
実の所、チョーカーが故障していようといなかろうと、爆発は起きるはずが無かった。分かっていても少々緊張していた八雲はようやく安堵の息を吐いて目を白黒させる美咲を支える。
「どうして……」
「私の異能よ。詳しいことは言えないけど」
七海の異能は特殊中の特殊で、知っている人間は家族以外には殆ど居ない。
彼女を中心とした最大半径数メートル程。七海の異能が発動している間、その中において一切の異能や怪異の能力が封じられる。対異能者に特化した彼女はだからこそ事務所の監査として引き抜かれ、その力を振っていた。
ただし例外もあり、彼女の異能が相手の異能に負けないというのが前提だ。あまりに強すぎる異能の持ち主に対してはあまり効果を発揮できないこともあるのだが、今回に関しては七海の方が勝っていた。先程瓦礫を破壊した時に見た爆発の威力を見て大丈夫だと判断していたのだ。
「二人を連行しなさい」
「は!」
「放せっ!」
なおも抵抗する二人をものともせずに連れて行く七海の部下を見て感心していた八雲だったが、しかし捕まっている腕を振りほどこうとしていた榊が不意に八雲を睨んで唇の端を釣り上げたのを見た瞬間、彼は嫌な予感を覚えて悪寒が走った。
「後悔しろ」
負け惜しみのようにそれだけを言い残して廃墟から姿を消して行った榊達を見送った八雲は、突然腕に掛かる重さが大きくなったのに驚いて慌てて美咲を振り返る。
腰が抜けたかのように八雲に支えられていた体を地面にしゃがみ込ませた美咲は、ようやく命の危険が無くなったのを実感してかその両目から大きな雫をいくつも落とし始めた。
「……よかった」
「神凪さん……」
「本当に、よかった」
子供のように声を上げて泣き始めた美咲に、七海はハンカチを取り出して彼女の顔を拭いてやる。しかし一向に止まらない涙に、彼女は苦笑しながら美咲を抱きしめてやった。
「八雲?」
「……なんだ?」
「ぼうっとしてどうしたの?」
「ああ、いや」
そんな二人の傍で、八雲はえも言えぬ表情で立ち尽くしている。榊の不穏な言葉が頭の中に残っていた彼は何やら胸騒ぎを感じて仕方が無かったのだ。




