3-4 唯一
「お前ら、何でここに」
「七海さんに連れて来てもらいました!」
道路を横断して八雲と美咲の元にやってきたのは影白支部のメンバーである四人と、そして彼の双子の姉だ。
「しかし、よく見つけられたな」
確かに氷森町は影白町よりも少々狭いとはいえこんなにあっさりと遭遇するものなのだろうかと八雲が七海を見上げると、彼の隣にやって来た七海はにこりと笑って携帯を取り出した。
「あなたも所長といえども異能者なんだから自分の居場所を把握されている自覚を持ちなさい」
「……それにしたって七海が知っているはずがないんだが」
「緊急時の為に家族の居場所は確認しておきたいんですって言ったら」
「職権乱用するな」
はあ、とため息を吐いた八雲は空いていた残りの席と隣のテーブルに勝手に着いてメニューを見始める面々に向かって、ずっと沈黙を保っていた美咲を紹介することにした。
「八雲さん、その人がお見合いのお相手ですか?」
「いや、彼女は神凪美咲さん。この町の事務所に所属する異能者だ」
「はじめまして」
「え、でもお見合いの相手放っておいて大丈夫なんですか?」
「まあ、色々あってな……。そうだ菜月ちゃん、ちょっと頼まれてくれないか」
八雲が美咲を目で示してみせると菜月は一瞬首を傾げたものの、隣の恭一郎に耳打ちされて心得たように大きく頷いてみせた。そのまま美咲の傍に寄った菜月が「ちょっと失礼します」と彼女の手に触れる。
「――あの」
「痛みは引いたか?」
途端に感じていた痛みがどんどんと無くなっていく感覚に、美咲は酷く困惑した様子で菜月と八雲を見つめた。一通り大丈夫そうだなと判断した菜月が手を離すと美咲は握られていた手を凝視して何度も動かし、ややあってからようやく冷静さを取り戻して顔を上げる。
「異能、ですか」
「怪我してたんですよね? まだ痛い所はありますか?」
「いえ……ありがとうございました」
無表情ながらも丁寧に頭を下げる美咲に菜月は軽く笑って席に戻る。ちょうどお昼時なので全員食事を注文し、約二名を除いて和気藹々とした雰囲気で話は進んだ。
「それで? 結局お前達は何でこっちに来たんだ?」
「いやだって、八雲さんが心配で」
「今までの経験則から考えて上手くいくかと不安になったので様子を見に来ました」
「雅ちゃん、空……お前らなあ」
何で高校生に見合いの心配をされなければいけないのか。八雲はサンドイッチを齧りながら少し遠い目をする。そもそも、彼らが言うほど八雲は女性に振られていない。ただ今まで殆ど長続きしていないというだけである。
勿論八雲は、付き合い始めればその人を大切にする。横柄な態度を取る訳でもないし、デートだってきちんと計画を立てる。しかし如何せん、どうしようもないことなのだが急に仕事が入れば当然そちらを優先する。仲間や町の人間の命が掛かっているのだから当たり前なのだが、怪異という存在を知らない恋人は自分が蔑ろにされたと考えてしまう。
結果的に、忙しい八雲はあまり恋人との時間を取れずに振られてしまうのである。
「それで? 結局所長の娘はどうだったのよ」
「それなんだが……」
昼時なのに関わらず甘ったるそうなパンケーキを食べる七海に眉を顰めながら、八雲は先ほど事務所で交わされたやりとりを思い返して話す。
話が進むにつれて空達の視線が変化する。八雲を見るその目は興味津々としていた先ほどとは違い、徐々に憐れむようなものになっていたのである。
「災難でしたね」
「美咲さん、その娘さんって何歳なんですか?」
「二十一、だったかと」
「大学生かー、まあ九歳も離れてたらおっさんって言いたくなる気持ちも分からなくは……」
「三十は! まだ、お兄さんだ!」
そもそも八雲の事務所の年齢層が低すぎるのだ。時々価値観の違いに眩暈を起こしそうになる。
そんな彼らを怪異と戦わせていることに、彼は常々苦い思いを抱いていた。まだ遊びたい盛りの子供に、自分は一体何をさせているのだろうかと。
少々自己嫌悪に陥った八雲に七海は何かを感じ取ったのだろう、テーブルに並べられた皿が空になっているのを確認して立ち上がった彼女は「じゃあ、そろそろ行きましょうか」と伝票を手に取って鞄を肩に掛けた。
「七海」
「ここは奢ってあげるわよ。だから引き続き頼むわ。皆、次に行きたいところある?」
「あそこの大きなデパート行きたいです!」
「俺はそろそろ帰りたい」
「じゃあデパートね」
恭一郎の言葉を無視してレジに向かった七海に、菜月達も立ち上がってカフェを出る準備をする。
雅は椅子から立ち上がると美咲の傍に回り込み、そして笑って軽く頭を下げた。
「それじゃあ美咲さん、うちの八雲さんのことよろしくお願いしますね!」
「雅ちゃん、俺の親じゃないんだから……」
「……分かりました」
小さく了解の言葉を返した美咲に満足そうに頷いた雅は、そのまま七海の背中を追って去って行く。その後ろを八雲達に会釈して菜月達が続くと、先ほどまで随分と騒がしかったテーブルが一気に静寂に包まれた。
からん、と残ったアイスコーヒーが小さく涼しげな音を立てると、それに負けないくらいの息が漏れるような密やかさで美咲がほんの少しだけ笑った。
今までの喧騒の中では決して聞こえなかったであろうその声を聞いた八雲は、僅かに柔らかくなった彼女の表情を見て首を傾げる。一体何で笑っているのだろうかと。
「どうかしたか?」
「すみません……」
「いや別に怒ってる訳じゃなくて」
「九十九さんは、とても慕われているんですね」
「あれは慕われているというか、俺で遊ぶのが好きなだけだと思うがな……」
「いえ、とても楽しそうで……」
羨ましいです、と本当に消え入りそうな声で彼女が最後にそう言ったのを、八雲は聞き逃さなかった。
「菜月ちゃん、これなんかどう?」
「いやいや七海さん、菜月にはこっちの方が……」
「……あの」
デパートの三階、婦人服売り場では菜月が次々と七海と雅に服を当てられて困っていた。
ちなみに男性陣は一階下の休憩所でのんびりしている。女性陣の買い物が一体どれだけの時間が掛かるかと危惧した結果である。
「ん? 菜月何か気に入った服あった?」
「今日はお姉さんが買って上げるから好きなもの選んでいいわよ」
「そういう訳には行きませんよ。……というか、何で私の服ばっかり見てるんですか」
売り場に来て今まで、二人はひらすら菜月が着る服ばかり探している。どうして自分のものは選ばないのかと困惑していた菜月に、雅は「だって」と口を尖らせた。
「あの先輩をぎゃふんと言わせるくらい菜月を可愛くしてみせようと思って!」
「は?」
「さっき事務所に行った時、菜月ちゃんファッション雑誌読んでたわよね? コーディネートなら任せなさい」
「いえあの……」
「あ、あっちにあるのもいいかも!」
ちょっと持って来るね、と雅が楽しそうに菜月から離れると、七海はその後ろ姿が見えなくなるのを確認してから菜月に向き直る。心なしか申し訳なさそうに肩を落としていた。
「……菜月ちゃん、この前はごめんなさいね」
「何の話ですか?」
「恭一郎のことよ。妹みたいって言ったこと」
ずきり、と心の奥にしまっていた傷を掘り起こされた気分で菜月は俯いた。けれど恭一郎が否定しなかったということは彼がそう言っていたのは真実で、七海に謝られる意味が分からない。
「菜月ちゃんがそんなに気にすることだと思ってなくて」
「……いえ、実際にいっくんが話したことなんですよね? 七海さんが謝ることなんてありません」
「確かにそう言ったのは事実なんだけど……その時、恭一郎まだ五、六歳だったから」
「はい?」
「最初に会った頃にそう聞いた印象が強かったから思わず言っちゃっただけで、今の恭一郎が菜月ちゃんのことどう思っているかは私も分からないわ」
ぽかん、と菜月が大口を開ける。菜月と恭一郎は四歳離れているのだから、彼がそう言った時菜月は一歳か二歳だったはずである。むしろ妹以外に思うはずがない。
なんだか妙に脱力した菜月だったが、しかし七海と恭一郎はそんな昔から知り合いだったのかと今度は別のもやもやが湧き上がって来る。空の言う通りだ、確かに菜月は恭一郎が絡むと面倒臭い性格になる。
「……菜月ちゃんが居てくれてよかったわ」
「七海さん?」
「あの子は……少し難しい子だから。他人に気安く心を許せないし、すぐに遠ざけようとしてしまうから。だから、菜月ちゃんが傍に居てくれて本当に安心してるの」
「……七海さんは、知っているんですね。いっくんが抱えている何かを」
何も教えてくれなくても、それでも菜月はずっと恭一郎が好きで、彼を受け入れると決めている。
だがそれを彼が容認するかは別の話だ。八雲も七海も、恭一郎が彼女に言わない何かを知っているのだろう。ならば、彼らが居るのなら、自分など必要ないのではないか。
恭一郎が菜月に殊更優しいのは彼女も自覚していた。だが態度は違えども七海にも彼はとても心を許しているように見える。今まで勝手に、自分だけが特別扱いされていると勘違いして驕っていたに過ぎなかったのだ。
「私には、何も話してくれませんから。……七海さんみたいに、いっくんのことを理解してあげられない」
「違うわ」
俯いていた菜月の顔が無理やり上げされられる。両手で頬を包まれて七海と目を合わせることになった菜月は、酷く強い否定の言葉に目を瞬かせて真剣な眼差しを見つめた。
「それは違う。菜月ちゃん、あなたは恭一郎の唯一なの。あなたが居ないと、あの子は今まで……」
「どういう、ことですか」
「……お願い、恭一郎を見捨てないであげて」
「菜月! ほらこれ! 可愛いと思わない?」
雅が戻って来るのが見えたのだろう、七海は最後にそれだけを言い残して菜月から離れた。
七海に言われた言葉で頭がいっぱいになっていた菜月は、あれよあれよという間に試着室に押し込まれ、何度も何度も着替えさせられる羽目になっていた。先程の真剣な表情はどこに行ったのか、七海も一緒になって菜月の服にあれこれ注文を付け、結果的に上下三セットの服を買うことになってしまった。
先ほど宣言した通り「一括で」とクレジットカードを差し出した七海に何度も頭を下げた菜月は、買ったばかりの服を着て空と恭一郎が待つフロアへと降りた。
「空君、恭一郎、お待たせー」
「まったく、どれだけ時間を掛ければ気が済むんだ」
「ん? 雅は買わなかったのか?」
「今回は菜月のプロデュース担当なのよ。ほら、可愛いでしょ!」
秋らしい色合いのカーディガンとそれに合わせたインナー、それに薄っすらと装飾が浮き上がるワインレッドのスカート。女子高生らしく普段からお洒落をしない訳ではないのだが、彼女自身があまりセンスのある着こなしが出来ないので雅達に太鼓判を押されたコーディネートに緊張しながら恭一郎を窺った。
「ああ、似合うんじゃないか?」
さらりとそう口にするのは空である。しかし恭一郎はちらりと菜月を一瞥すると、まるで興味を無くしたように顔を背けてしまう。
普段なら、失敗したかなと落ち込んで終わるのが菜月の常なのだが、今日は七海がいる。彼女はつかつかと恭一郎の傍に寄ると、乱暴に彼を菜月の隣に押しやり「菜月ちゃんを待たせないの」と腕を組んで仁王立ちになった。
「……」
「いっくん、どうかな?」
七海の目が光る中、妙に緊迫した空気が生まれ空も雅も息を呑んで彼らを見守る。
しかし恭一郎はそんな周囲の状況に一つため息を吐くと、左腕の時計に目を落として「もうこんな時間か」と呟いた。
「そろそろ影白町に戻らないと夕方になる。異能者が全員出払っている時に怪異が出たら困るから帰るぞ」
「あ、ちょっと恭一郎! 逃げるな!」
言うだけ言った彼は目の前にいた菜月の腕を掴んでさっさと階段へと向かう。腕を引かれるままに歩き出した菜月は背後から聞こえる七海の声に振り向こうとするが、その前に強く前に腕を引かれて恭一郎の隣へ収まった。
「なつ」
「な、何?」
「あんまりあの人を甘やかすんじゃない。調子に乗っておもちゃにされるぞ」
「もう着せ替え人形にはされたけど……」
「それと」
七海の騒がしい声とデパートの喧騒をBGMにしながら、菜月は僅かに音量の落とされた隣の声を確かに聞き取った。
「……似合ってる」




