3-2 兄弟
「少しは連絡くらいしなさい。何年会ってないと思ってるの」
「そっちだって連絡寄越さなかった癖に。というか俺はお前が忙しいと思って用もないのに掛けるのはな、と」
「用ならあるでしょ。いつの間にかこんなに新しい子達が入って来てるんだから」
「あの……」
事務所へ入るやいなや、七海と呼んだその女性と話し始めた八雲に菜月達は控えめに声を上げる。一体どういう状況なのか、女性は一体誰なのか。三人の頭の中に疑問符が浮かぶ中、恭一郎だけは我関せずといった態度でいつも通り事務の仕事を黙々と片付けていた。
「ああ、ほっといて悪かったな。こいつは七海。俺の双子の姉だ」
「こんにちは、九十九七海よ」
「双子……?」
菜月達は思わず八雲と七海の顔に視線を行き来させる。確かに年頃は同じくらい、やや七海の方が若々しく見えるくらいだが、あまり顔は似ているとは思えなかった。八雲は比較的標準な、悪く言えば十人並みの顔立ちだが七海は遠目から見た時から美人だと判断できた、華やかな人だった。
綺麗な茶髪を丁寧に巻き、皺一つないスーツを着こなす彼女は有能なキャリアウーマンのような印象を受ける。
「綺麗な人ですね、本当に八雲さんと双子なんですか?」
「あれだよ、化粧で色々誤魔化してるから――」
「八雲?」
「……あーはいはい。七海は母さんに似て美人ですねー」
雅が不思議そうに尋ね、それに八雲がデリカシーの無い発言をすると、すぐに七海が笑顔で凄む。しかしすぐに気を取り直すと、彼女は八雲に向けていた目を三人に向けた。
「そんなことより、八雲。私にもこの子達紹介してくれないの?」
「そうだったな。……七海は空も知らなかったか?」
「三人とも初めましてよ。前にここに来たのは……五年くらい前だったかしら」
「じゃあちょうど会わなかったくらいか。こいつが高遠空、隣の子が日下部雅、その隣が音羽菜月だ。全員異能者で高校一年生」
八雲がそれぞれを紹介すると、三人は慌てて「初めまして」と七海に頭を下げる。
「随分異能者が増えたわね。八雲って本当に異能者見つけるのが上手いというか……何で結婚相手は見つけられないの?」
「七海、お前は俺のこと言えるのか?」
ばちばちと火花が飛びそうな勢いで八雲と七海が睨み合うが、それを三人が苦笑して見ていることに気が付きた七海はこほん、と一息吐いて誤魔化すように笑った。
「私は各事務所を総括する部署で働いているの。八雲がパワハラとかやってたら告発してくれていいわよ」
「おいおい……」
「あ、あの! 一つ聞いてもいいですか?」
七海の軽口に八雲が口元を引き攣らせていると、突然意を決したように菜月が声を上げた。息を呑んで緊張した面持ちの彼女に七海が首を傾げていると、菜月は七海を見ていた視線をずらして、彼女の後方の席に座る恭一郎を見つめた。
「七海さんはその、いっくんとは……」
「いっくん?」
「あ、すみません。そこの……きょ、恭一郎さん?」
「何で急に敬語になるんだ」
今まで気軽に呼んでいたのにいきなりのさん付けに思わず恭一郎の突っ込みが入る。菜月が彼の名前を正式に呼ぶことなど基本的にないのだ。何と呼べばいいのか、逡巡の末に出てきたのがそれだった。
菜月の様子に恭一郎との関係が聞きたいのだと気が付いた七海は、くるりと恭一郎の方を振り返り、そして彼が座る椅子の後ろに回り込んで彼の両肩に手を置いた。
しかし恭一郎は無反応で仕事を続けている。
「恭一郎は私の弟子みたいなものでね、昔この子に異能の制御の仕方とかを教えていたの。……それにしても、ちょっと会わないうちにすっかり男前になっちゃってねえ?」
「……」
「無視しないの!」
顔を横から覗き込むように恭一郎を見た七海だったが、まったく自分を見ようとしない恭一郎に笑顔で怒りながら、彼女は何の躊躇いもなく右手を彼の頭に振り下ろした。
「いっ」
「人と話す時は手を止めて、ちゃんと目を見て話しなさい。ほら、ごめんなさいは?」
「……すみませんでした」
「まったく、昔は可愛かったのに」
彼の顔を両手で包み込むようにして無理やり自分の方を向かせた七海に、思わず菜月が悲鳴を上げそうになる。更に恭一郎が素直に謝ったことには空と雅も顔を合わせて「あの先輩が!」とこそこそと驚きの声を上げた。
「い、いっくんが……」
「いっくんって、恭一郎も可愛い名前で呼ばれてるのね。他の子と仲良く出来てるようで安心したわ」
「いえいえ七海さん。先輩は菜月にしか優しくないですから! パワハラならむしろ八雲さんよりこっちの先輩の方が」
「黙れ日下部」
「こら、威嚇しない」
手は出なかったものの再び諌められた恭一郎は罰が悪そうに黙り込む。
菜月はどうにも二人の気安い雰囲気に心の中にもやもやが充満し、思わず彼女も恭一郎の傍に近寄った。昔からずっと一緒に居たはずの菜月が全く知らない恭一郎の一面を見てしまった気がして、何とも言えない嫉妬心が湧き上がってしまう。
彼の傍に寄り七海に対抗するように無意識に恭一郎の服を掴んだ菜月を見て、恭一郎は訝しげに首を傾げる。
「なつ、どうした」
「どうしたっていうか……」
「ああ!」
言葉を濁す菜月の声を掻き消すように、七海が手を打って声を上げた。それぞれが不思議そうに彼女を見つめる中、七海はそれらの視線を全く気にした様子もなく恭一郎と菜月を見て、うんうんと納得したように何度も頷いてみせる。
「この子が昔恭一郎が言ってた“なつ”ちゃんね?」
「え、私のこと何か話してたんですか?」
「よく聞いたわよ、大事な妹みたいな子だって!」
ねえ、恭一郎。と七海は菜月が見事に固まったことにも気付かずに彼に話し掛ける。一瞬誰もが黙り込んで事務所内に妙な沈黙が訪れると、七海も「え?」と呟いてきょろきょろと周囲を見渡した。八雲も空も雅も、まるで「やばい」とでも言いたげな表情を浮かべており、七海はますます訳が分からなかった。
「妹……やっぱり……」
「な、七海! それで今日は何の用事だったんだ?」
大慌てで八雲が強引に話題を変えると、何やら好ましくない事態になっていると察した七海はそれに乗るように「……ええ、それなんだけど」と恭一郎の傍から離れて己の片割れの目の前に立った。
「八雲」
「何だ?」
「お見合いしなさい!」
びし、と弟に指を突きつけた七海は、事務所の面々の前で堂々とそう宣言した。
「八雲さんが、見合いなあ」
「大丈夫なのかな」
次の週の土曜日、空と雅は事務所でそんな会話を交わしながらくつろいでいた。恭一郎はノートパソコンを開いて大学のレポートを作成中で、菜月はというと、ソファに座って真剣な表情でファッション雑誌を捲っており、時々何かをメモしている。
今日ここに八雲はいない。彼は今、隣の市にある怪異調査事務所に出向き、そこの所長と交流を図ったり怪異や事務所運営の情報交換を行っていたりしているらしい。しかしそれは表向きの話で、実際にはそこで所長の娘とのお見合いのようなものをするとのことだ。
しかし今まで数々の女性に振られて来た八雲である。空と雅はまるで八雲の親にでもなった気分で彼のことを心配していた。
「八雲さんってさー、黙ってればそれなりに見えるよね?」
「黙らないから問題なんだろ。いや、普通に話すには問題ないんだが……何か一言多い時があるよな」
「うん、何て言うかデリカシーは無いし大雑把だし、女心をまるで分かってないというか……」
「心配だな」
婿養子になりたいと公言している八雲だが、果たして彼を貰ってくれる女性は現れるのか。雅としては「何か口に出して言いたくなる」という至極どうでもいい理由で八雲にはそのままの名字で居てもらいたいところである。
「……ねえ、いっくん」
「何だ?」
「この服とこの服、どっちが好み?」
「……どうでもいい」
そして事務所内にも雅達が心配している子がいる。喧しいのが嫌いだという言葉が頭に残っているのか妙に控えめに恭一郎に雑誌を示した菜月だったが、見事にばっさりと切られている。
菜月が捲る雑誌は彼女にしては少々年齢層の高い、OLを主な読者にしているものだ。やはり妹と言われたのが心にぐさりと刺さっているのだろう、少しでも大人に見てもらおうとしているらしい。
ずこずこと大人しくソファに戻る菜月を見送っていた空だが、しかしいつの間にか雅の視線が自分に向いていることに気が付いた。
「雅?」
「……あのさ、空。私ずっと返事貰ってないんだけど」
「あ」
「どうなのか、はっきりしてよ」
真剣な表情で空の目を見る雅に、彼は気まずげに視線を逸らした。そう、そもそも彼は他人の心配をする前に自分の気持ちを整理しなければいけないのだ。
少し前に空は雅に告白されたが、しかし空は未だに彼女に答えを返していなかった。雅のことが好きかと問われれば空は勿論頷くが、それが果たして恋と呼べるものなのか。空はいまいち自覚出来ていなかった。
しかし告白されてからというもの、妙に雅に対して緊張したり顔を赤くして狼狽えている空の姿を見ている菜月を含むクラスメイト達の心は『さっさとくっつけ』という一言に集約されているのであった。
「初々しい恋があちこちに。青春ねえ」
「え?」
四人の誰とも違う、聞き慣れない声が聞こえて来たことに誰もがその発信源、入り口を振り返る。そこには先日顔を合わせた七海が扉を開いて微笑ましげに事務所にいる彼らを見ていた。
「七海さん?」
「この前振りね」
ヒールを鳴らして事務所へ入って来た七海は四人をぐるりと見渡すと「よし、皆暇そうね」と頷いた。
「俺はこいつらと違ってレポートで忙しいです」
「どうせ恭一郎のことだから期限が差し迫ってるものでもないでしょ」
「……」
一度食い下がるように声を上げた恭一郎も図星を突かれたように黙り込み、眉間を押さえるように眼鏡のずれを直す。
「それで、今日は何の用ですか」
渋々といった態度を崩さない割に大人しくパソコンの電源を落とした恭一郎。そんな彼に菜月は胸にちくりと針が刺さった感覚を覚える。
七海はそんな菜月の表情をちらりと窺って少し困ったような顔をしたが、それを振り払うように楽しげに笑みを作って今は不在である所長の机に視線をやった。
「八雲の所、行ってみない?」




