3-1 片思いの危機
「二人とも、相談があるんだけど」
「菜月? どうしたの」
学校も終わり、菜月達三人はいつも通り怪異調査事務所へ向かう為歩いていた。一度菜月が二人に気を遣って一人で帰ろうとしたのだが、雅に全力で止められて結局三人で歩いている。「そもそも付き合ってないから!」と叫ぶ雅の隣で空が少し照れたような、残念なような複雑な表情をしていたのが印象的だった。
ようやく暑さも収まり涼しい風に吹かれて歩いていた三人は、しかし菜月の言葉に足を止め真剣な表情を浮かべる彼女に雅と空は首を傾げた。
「……いっくんの好きなタイプって、どんな人だと思う?」
「はあ?」
その表情から一体どんな深刻な話が出ると思えば、と雅と空は顔を見合わせてため息を吐く。しかしそんな二人の態度に菜月は「ちょっと真面目に聞いてよ」と不満げに口を尖らせた。
「何だってそんな話になったんだ?」
「だって考えてもみてよ」
「うん」
「私といっくん、小さい時からずっと一緒で私もずっと好きだったけど今こんな感じでしょ?」
「こんな感じって……まあ」
空の脳裏に菜月と恭一郎の日常会話が思い浮かぶ。確かに菜月はあからさまに彼に好意を寄せているが、恭一郎はそれらの態度を大体スルーしている気がする。他の人間とは雲泥の差である態度で菜月に接するものの、そもそもそれは他の人間に対しての態度が悪すぎるだけとも言える。
「しかも菜月、告白してたよね?」
「そうだよ! 何度か好きって言ったのに……知ってるって何!? そりゃあ知ってるだろうけど返事は!? ってなるよ!」
「その後聞き返さなかったのか?」
「話逸らされて有耶無耶にされました」
だからこそ菜月は思うのだ。彼女を傷付けない為にはっきりと言わないだけで、実際恭一郎は菜月のことを何とも思っていないのではないかと。
「まあでも、両思いだったら普通言うよな。ってことは――」
「それ以上言わないで!」
しかし他人にはっきり脈が無いと言葉にされるのも何だか腹が立つ。空の言葉を止める為に反射的に菜月が彼に突撃すると、予想以上に当たりがよかったのか空は思い切りよろめいて転びそうになった。
「あっぶねえな……音羽、雅に似て来たんじゃないか」
「空、それどういう意味?」
「いやだから暴力的……何でもありません」
思わず口走った言葉を止めて誤魔化した空は、二人に聞こえないように酷く小さな声で「女ってこええ」と呟いた。
「ともかく! 私がいっくんの好みから外れてるなら、何とか好みのタイプになってみようと思って」
「菜月、諦めないわね」
「そう簡単に諦められたら十何年も片思いやってないよ。という訳で二人とも、いっくんの好み、何か思いつかない?」
菜月に問われて雅と空は渋々考え始める。そもそも彼らは恭一郎に決して好かれているとは言えないので普段碌に世間話などしないのだ。歩くのを再開しながら暫し考えていた二人だったが、横断歩道の信号が赤になり止まった瞬間、「そういえば」と空が菜月を振り返った。
「前に……まだ雅も事務所に入ってない頃な。事務所に三人しか居なかったからたまに相馬先輩と組んで怪異倒したりしてたんだけど、それで二人で町を歩いてた時とかによく先輩女の子にナンパされてたんだよ」
「そうなの!? え、それで可愛い女の子に釣られちゃったとか!?」
「いや全然。むしろ相手が可哀想になるくらい完全に無視してた。視界に入ってないんじゃないかと思うくらい。それでさ、あんまりにも可哀想になって相馬先輩に「女の子相手にしなくていいんですか」って聞いたんだよ」
「聞かないでよ! 相手にされたら困るよ!」
「音羽、お前本当に相馬先輩のことになると面倒くさいな……。それで案の定答えてくれなかったんだけどさ、数分後くらいに思い出したように『喧しい女は嫌いだ。鬱陶しい』って言ってたんだ」
「……」
みるみるうちに血の気が引いたようにざあっと顔を白くする菜月に、雅も空も失笑を通り越してどうしたものかと視線を交錯させた。今までと打って変わって口を閉じて黙り込んだ菜月は、やがて酷くか細い声で「喧しい……鬱陶しい……」とぽつりと呟く。普段の自分の恭一郎への接し方を思い出しては頭を抱えたくなってしまった。
「私……完全にいっくんの嫌いな人間に当てはまってるんだけど」
「ま、まあ音羽が嫌われてる訳じゃないし、大丈夫だって!」
「そうそう! ほら、いっつも菜月は先輩に特別優しくされてるじゃん。私達よりずっと好かれてるって」
「……はあ」
どんよりと落ち込んだ菜月を必死に励ましていた二人だったが、信号が青に変わり歩き出すと話を変えるように「そういえば!」と雅が手を打った。
「今日八雲さん事務所にいないって言ってなかったっけ」
「あ」
「そういえば今日だったか……」
雅の言葉に俯いていた菜月も顔を上げ、思い出したかのように声を上げる。八雲は今日、異能者に課せられた定期健診の日で、遅くならないと帰って来ないと言っていたのだ。
時刻は午後五時前。早ければ事務所にいるかもしれないが、菜月達は事務所の鍵を持っていないので待ちぼうけをくらう可能性がある。恭一郎は鍵を持っているが、大学の講義が終了する時間は日によってまちまちで、更に税理士事務の方のバイトが無い日は事務所に寄らないことだって多いので期待できない。
「どうしようか、このまま帰る?」
「うーん……定期健診って早い時は早いけど、五樹先生が忙しいと中々時間掛かるもんね」
「ちょっと待て、二人とも。あれって……」
家に帰るか事務所の前で待つか、それともどこかに寄るかと考えていた菜月と雅に、空が声を掛けてまっすぐ前方を指さす。彼女らもその指の先を目で追うと、そこには遠目だが恭一郎と分かる人影があった。
しかしその彼は街中で歩くことなく立ち止まっている。恭一郎にばかり集中していた三人は徐々に視野を広げ、そして彼が見知らぬ女性と話をしているのを見つけた途端、水を打ったかのような静寂が三人の間に流れた。無意識に先ほどの空の話が三人の頭の中で繰り返される。
「せ、先輩?」
「普通に話して……あ、しかも腕組まれてる!」
「誰!?」
恭一郎と話す女性は、遠目からだが彼よりも年上のようで、スーツを着こなした美人な人だ。彼女は何事かを恭一郎に告げるとそのまま彼の腕を掴んで一緒に歩き出す。恭一郎は若干嫌がっているようにも見えるが、それでも無理やり腕を外すことはなかった。
どんどん遠ざかって行く二人に、菜月達は慌ててその後を追い掛けた。
「年上……そんなのどうやったってなれないよ!」
「菜月落ち着きなさい! ああもう、空誰よあの人!」
「俺に聞くなって……って、この道」
二人を追い掛けていた三人が見慣れた道に入ったところで、空がもしかしてと彼らの向かう先を想像する。元々この道は最初から空達が向かう予定だった方向なのだ。そしてこの先にある場所といえば、真っ先に思い浮かぶ所がある。
菜月も雅も空と同じ結論に達した所で、恭一郎と女性はとある建物の外側に設置された階段を上がり、鍵を開けて二階の部屋へと入って行った。もはや言うまでもない、そこは怪異調査事務所だったのだから。
「……じゃあこれで検診は全部お終いだ。八雲、お疲れ様」
「ああ。兄さんこそ忙しいのに悪かったな」
九十九医療センターでは、定期健診を終えた八雲が五樹と向き合っていた。異能者は三か月から半年に一度、人によってはそれよりも多く定期健診を受けることになっている。異能の新たな力が分かればそれを記録したり、各健康診断、またカウンセリングなどを受けたりして、怪異と相対する時に万全の体勢を取っているのだ。
専用のカルテに今日の結果を書き記していた五樹は、ふと座ったままで黙り込んでいる八雲を見て首を傾げる。兄弟として長年付き合ってきた五樹は、八雲が黙る時は何かあると確信していた。
「八雲?」
「……なあ、五樹兄さん」
「何かあったのかい」
「俺は、ちゃんと兄さんのような人になれているか?」
ぽつりと呟かれた珍しく気弱な声に、五樹は少し驚きながらも椅子をくるりと回して八雲に向き直る。
九十九家には兄弟が多いが、しかし今八雲が言う兄さんというのは間違いなく長男であった一真のことだろう。八雲が誰よりも尊敬し、将来は彼のようになると言って憚らなかったその人は、もうこの世にはいない。怪異との戦闘中に八雲達を庇って重傷を負い、五樹が必死に治療したものの助からなかった。
当時のことを思い出してあの時の後悔と無力さが蘇ってきそうになったが、五樹はそれを振り払って目の前の弟に集中した。
「急にそんなことを聞いて、どうしたんだ?」
「ちょっと、な。五樹兄さんも空の話は本人から聞いただろ? その時はあいつに大口叩いたけどさ、実際ちゃんと俺は所長として……兄さんの代わりとしてあいつらを抱えられているのかって」
「高遠君、か」
「勿論空が何であろうと今までと変わらず接しているつもりだ。だけど俺はまだ……兄さんには敵わない」
高遠空が怪異の血を引く存在であることは、五樹もつい先日本人から聞くまでは知らなかった。人間の血が半分入っていたこともあるだろう、彼の体は他の異能者と殆ど差異はなく、異能の力を司ると考えられている脳の一部が他の人間よりも比較的大きかったというくらいなのだ。
五樹は、落ち込むまではいかないが少し肩を落としている八雲に小さく笑って見せる。普段から事務所のことを考えて奔走する弟の姿を、五樹はとても知っているのだ。
「少なくとも、八雲が一真兄さんのような立派な人になろうと頑張っているのは見て来たし、分かっているよ。出来損ないの僕と違って、八雲は本当に頑張ってる」
「五樹兄さん、怒るぞ。ずっと言ってるよな、兄さんは出来損ないなんかじゃない、俺も他の皆もそんなこと思ったことなんてない。異能なんて無くてもずっと努力してきた本当にすごい人だ」
「……はは、ありがとう。でも八雲、こう言っては何だけどね、君の事務所で兄さんのことを知っているのは相馬君ぐらいだろう。他の子達は皆八雲が所長の事務所に入って来て、ずっとそこにいるんだ。兄さんの代わりじゃなくて皆八雲自身を見てくれているんだから、あんまり比べて悩まなくてもいいと思うけどね」
五樹はそう言ってパタンとカルテを閉じると「カウンセラーとしては投げっぱなしになるけど」と一言置いて目を細めた。
「八雲が所長として立派にやれているかなんて、そんなの僕じゃなくて他に答えてくれる子達がちゃんといるだろう?」
「確かにそう言われればそうなんだが……」
八雲は珍しく病院の帰り道を歩いていた。普段ならば異能を使って一気に事務所まで飛ぶのだが、少し歩きながら考えたかったのだ。
あまり思い悩む柄ではないのは自覚している。しかし空のこともあり、そしてずっと心に爆弾を抱えたまま過ごしているやつがいる現在、所長として八雲は彼らをまとめて支えてやらなければならない。
しかし真正面から尋ねた所で果たして彼らはなんというか、と八雲は脳裏でシミュレートしてみたが……あまり思わしい結果にはならなかった。そもそも普段からあまり敬われていない気がする。
「……まあ、悩んでてもどうにもならないか」
机上の空論をどれだけ並べた所で実践できなければ意味がない。よし、と気持ちを切り替えた所で、八雲の耳に聞き慣れた騒がしい声が聞こえて来た。
まもなく事務所に到着するというその場所でわたわたと焦っている三人、空と雅と菜月の高校生三人組だった。
「お前らどうした? 鍵が開いてなくて待ってたのか?」
「八雲さん! いいところに!」
「大変なんですってば! 先輩が……」
「何であと五年早く生まれて来なかったんだろ」
八雲が彼らに声を掛けると、各々非常に要領の得ない言葉が返って来た。特に菜月は一体何を言っているのだろうかと彼は首を傾げる。
「落ち着け、ちゃんと説明しろって。とりあえず事務所に入って――」
「駄目ですって、今先輩が浮気を」
「は?」
「雅、そもそも付き合ってないだろ。何か相馬先輩が知らない女の人連れて事務所に入って行ったんですよ。それで音羽がこんな状態に」
「恭一郎が?」
三人の中では一番冷静だった空から事情を聞いた八雲は、しかし話を理解しても状況が呑み込めなかった。八雲の中では恭一郎が菜月以外の女の子と親しげな様子など想像も出来ないのだ。もっとも菜月のことを知る前は彼が他の人間に優しくしている所すら見たことがなかったのだが。
まあしかし、よりにもよって恭一郎が事務所の家主である八雲に黙って女性を連れ込むなどありえない。何か怪異に関係することかもしれないと考えた八雲は騒ぐ三人を連れて階段を上り、そしてほんの少しだけ呼吸を整えてからゆっくりと扉を開けた。
そこには八雲達が帰って来たことに気が付いて顔を上げた恭一郎と、そしてもう一人。八雲にとっては久しぶりに見る、しかし嫌と言うほど知っている女性がこちらを振り返って笑っていた。
「久しぶり、八雲」
「……七海か」




