第七話 脱税
大庭浩二、四十八歳。都内で居酒屋を三店舗経営している。商売は順調だった。従業員の給料も滞りなく払っているし、資金繰りに困っているわけでもない。
問題は、現金売上だった。
数年前から、一部の現金売上をレジのPOS(販売時点情報管理機)に通さず、別に管理していた。年間にして、七、八百万円ほど。その金は、個人の口座に移したり、そのまま現金で保管したりしていた。
最初は、軽い気持ちだった。
「税金、高すぎるんですよ」
誰にともなく、そう思っていた。だが、その額は年々、少しずつ膨らんでいった。税理士に渡す帳簿には、除外したあとの数字だけを載せている。記帳のミスではない。意図的に、除いていた。
そこへ、税務署から調査の事前通知が届いた。
大庭は、知人からある噂を聞いた。
「税務署上がりで、役所相手でも一歩も引かない税理士がいるらしいぞ」
大庭は、その言葉を都合よく受け取った。税務署にいた人間なら、税務署のやり方を知っている。どこまで見られて、どこまでなら見られずに済むか、分かるはずだ――そう思い込んだ。
◆
黒瀬税務会計事務所を訪ねた大庭は、椅子に座るなり、探るような口ぶりで切り出した。
「先生なら、どこまで見られるか分かるでしょう」
「何があるんです」
大庭は、少し言葉を濁した。
「ちょっと、帳簿に入れてない売上があって」
黒瀬は、金額を聞いた。
「年間で」
大庭は、しばらく黙った。
「……七、八百万くらい」
「何年です」
「四年……いや、五年かな」
部屋の空気が、変わった。
「今から、帳尻合わせる方法ってありません?」
黒瀬は、それには何も答えなかった。ただ、大庭の顔を、静かに見ていた。
「みんな、やってるでしょ、このくらい」
大庭は、笑いながら言った。
黒瀬は、帳簿を閉じた。
パタン。
◆
「先生、困ってる人を助けてるんでしょう?」
「困っている人は助けます」
大庭が、少し笑った。
「だったら――」
「あなたは、困っているんじゃない」
黒瀬は、一拍おいた。
「逃げているだけです」
大庭の表情が、初めて硬くなった。
「税理士でしょう。客の味方じゃないんですか」
「俺は、困っている人間を助ける」
黒瀬は、静かに続けた。
「逃げている人間を隠す仕事はしていない」
「帰ってください」
大庭は、しばらく黒瀬を睨んでいたが、やがて立ち上がった。
◆
「大庭さん」
黒瀬が、その背に声をかけた。大庭が振り返る。
「まだ、できることはあります」
大庭の顔が、少しだけ変わった。
「何です?」
「全部、出してください」
「……全部?」
「売上です」
黒瀬は、大庭を見据えたまま言った。
「正しい数字で申告し直すなら、仕事を受けます」
大庭は、しばらく黙っていた。
「それじゃ、税金取られるじゃないですか」
「そうです」
それだけだった。大庭は、何も言わず、事務所を出ていった。
黒瀬は、追わなかった。
◆
数日後、事務所の電話が鳴った。
「黒瀬税務会計事務所です」
しばらく、沈黙が続いた。
「……先生」
大庭の声だった。黒瀬は、何も言わずに、その先を待った。
「全部、持っていったら……見てもらえますか」
「全部なら」
黒瀬は、それだけ答えた。
完




