6.「俺の身体には傷がある」
ブラッド様が記憶を失ってから、三日目。
朝食を終え、わたくし達は改めてランクストーンのあるサロンに集まっていた。
彼は昨日渡した手帳と筆記用具をテーブルに広げ、メモを取る準備は万端だ。
「昨日はよく眠れましたか?」
「お陰様でぐっすりと。むしろ君の方が顔色悪くないか……?」
「少しばかり夜更かししてしまっただけです。お気になさらず」
制止するように手のひらを向け、わたくしはきっぱりと言い切った。
後悔と自責でうじうじしていたなんて悟られたくないもの。ちょっと目がしょぼしょぼするけど、何も支障ないわ。何も。
夕食も朝食も、ブラッド様は「これまでで一番大丈夫」と喜んで召し上がってくださった。
できるだけ苦味に繋がらないよう、ミルクやバターを使ってまろやかな味になるよう作ってもらったのだけど、それが功を奏したらしい。
大丈夫が続いてくれるかはわからないけれど……少しでも良くして差し上げられて、本当に良かった。
「こほん。それでは約束通り、魔法についてお教えします。」
「待ってました!ありがとう、セラフィーナ先生。」
「せ、先生はやめてください。」
明るく笑うブラッド様に拍手もやめてもらい、用意しておいた初心者向けの魔法指南書をめくる。
三角形の頂点をS、A、B…と下がり底辺をEランクとする、ランク図解が載っているページを開いて文鎮を置いた。数の割合と上下関係がわかりやすく示されている。
「ランクについては、昨日少しお話ししましたね。」
「ああ。Sが王家とか公爵家で、だんだん下がってDは平民ぐらい、Eはほとんど使えない。」
「そうです。ランクとは魔力量の多さ……魔法の威力や使用回数にかかわるのは勿論のこと、使える魔法の種類も、ランクによって制限がかかります。」
「制限って、何で?やっぱり強い魔法は、より魔力を使うって事かな。」
「理由については、正確な事はわからないのですが…」
ランクストーンをしまっている戸棚を見やると、ブラッド様も自然とそちらを見た。
魔力量、それも今現在の量ではなく最大値を読み取っているらしい、不思議な石。たとえ魔力切れ寸前で手に取ろうとも、その人の魔力量をきちんと示す。
「一説によると、『魔力量と魔力の質は比例する』。上質な魔力であればある程、繊細であったり強い効果の魔法を使える、という考え方ですね。」
「なるほど、確かにそれだと納得できるかも。」
「基本的には、まず自分のランクを知る事から始めます。それによって使える/使えないが変わる事を、ランクによる魔法の《使用制限》と言います。」
「使用制限……っと。」
ブラッド様がカリカリとメモを取る。
なんだか本当に「先生」をやっている気分だわ。少し楽しいかも……彼が記憶喪失にならなければ、こんな状況はありえなかっただろう。
「ただ昨日申し上げた通り、人によって得意不得意がある。使用制限の範囲内だからと言って、その全ての魔法が自在に操れるわけではない……これを魔法の《適性》と言います。」
「同じランクで同じ魔法でも、簡単にできる人と苦労する人がいると。」
「そういう事です。次に、魔法の種類を見ていきましょう。」
ページをめくって文鎮を置き直す。
ブラッド様は興味深そうに指南書を覗き込んだ。
「大分類は二つあり、火や水など自然界に存在するものを扱うのは《一般魔法》、それ以外を《特殊魔法》と呼んでいます。まずは一般魔法の話をしますね」
指先で系統図を示しながら説明していく。
一般魔法は、「下級魔法」と「上級魔法」の二つに分かれている。
火、水、風、光、闇などを扱う下級魔法は「無形魔法」とも呼ばれ、反対に土や氷、岩石や植物を生み出す上級魔法を「有形魔法」とも言う。
「下級魔法はEランクから、上級魔法はCランクから使えます。」
「じゃあ、君は上級が使えるんだ。」
「ええ、少しなら。」
「凄いんだな……!」
きらきら輝く尊敬の眼差しを向けられ、つい日よけのように手を前にかざしたくなる。
まさかブラッド様からそんな目で見られる日がこようとは…。いつも眉間に皺がおありだったのに。
「けれど、上級魔法が必ずしも下級より強いというわけではないんです。威力ではなく、ランクによる制限を含めた習得の難しさから、《上級》と区分されているだけですので。」
「Dランクの俺が使えるのは、下級魔法だけって事だな。」
「…そうです。後は適性があるかどうかですね。」
水の魔法が得意でも、風の魔法はまったく使えない、という事もありえる。
ふんふんと頷いていたブラッド様が、ふと気付いたように肩の高さで挙手をした。
「はい、ブラッド様。」
「魔法を使うのは、呪文とか杖とかが必要なのかな。」
「人によりますね……というのも、魔法の行使にあたっては明確に想像する事が肝要なので。道具があった方が上手くいく方もいれば、道具も詠唱もなしの人だっています。」
「初心者は道具あった方がいい?」
「最初は無しでよろしいと思いますよ。詠唱だけで。変なクセがついてもよくないので」
ブラッド様のメモに、枝を持った…人間?が書き足され、「人による」と三角マークがつけられた。
使いたかったのかしら、木の枝を――……違う。恐らく「杖」だわ、これ。
「つ、次に《特殊魔法》ですね。これはDランク以上でなければ使えません。」
「むしろ俺でも可能性があるんだ。」
「はい、幾つかは。そして使用制限がD~Aランクの特殊魔法は、《上位魔法》と《下位魔法》が存在します。」
「何かややこしいな……一般魔法の上級下級とは違うの?」
「ええ、こちらは言わば《上位互換》《下位互換》のようなもの、と思ってください。」
系統図に記載された例を指して説明を続ける。
たとえばCランク以上で「複写魔法」が使えるけれど、これの上位魔法にあたる「複製魔法」はBランク以上でなければ使えない。
「複写は、たとえばこのページをそのまま、別途用意した紙に写す事ができます。」
「なるほど、複写って言葉のまま……要はコピーできるんだ。」
「こぴ……」
何か、コピペ…という単語なら、見た覚えがあるのですが。いえ、コピーだったかも……?
今はそんな事を考えている場合ではない。こほんと咳払いした。
「複製は紙の用意がいりません。魔法を使えば、同じページを作れます。」
「それができちゃったら、お金とか宝石とか大変な事にならないかな?」
「作れはしますが、複写だろうと複製だろうと、《鑑定魔法》で見破る事ができるのです。」
「なら一応は大丈夫なんだ。いくらか、騙される人もいるだろうけど……。」
注意せねばならない、それが常識である。
うっかり複製された宝飾品だらけで夜会に出ようものなら、鑑定魔法使いに見られて失笑される。
「Dランクで使える特殊魔法は、全体で見ると少ないのですが……代表的なものは《攻撃魔法》、《防御魔法》、《操作魔法》。一般魔法も含め、いずれもやり方によって応用が利きますよ。」
「やっぱり危ない魔法もあるんだな。戦いにも使われるんだ。」
「はい……ブラッド様は剣の鍛錬もされていましたから、特に攻撃魔法と防御魔法は、剣術と併用するために多少お使いだったのではと思うのですが。」
記憶を失い精神的な病を患った今、使える魔法が変わってしまう事だって考えられる。
指南書のページを先に進め、攻撃魔法と防御魔法のページを開いた。
「攻撃魔法とは、要は魔力の塊を打ち出してぶつけることです。器用な方は大きさや弾数を調整して同時に打ったり、形や軌道を変えたりと自在に扱います。」
「魔力が人にぶつかるとどうなるの?」
「込められた魔力の強さにもよりますが、防御していない限り衝撃を食らいます。同時に熱傷を負う場合もあるようです。」
「ああ、あの傷ってそれか。」
反射的に、口を閉じた。
何でもない事のように仰ったけれど、誰の傷なのだろう。昨日今日で彼に対応した使用人達の姿を思い浮かべ、それとも道中か、どこか、と考える。
予想が当たりませんように。
「……どなたか、お怪我を?」
努めて冷静に聞いてみると、彼は「しまった」という顔で目を見開いた。
慌てた様子で手を横に振っている。予想は当たったらしい。
「ごめん、心配させたよな。治ってるから平気だよ。全然治ってるんだけど、結構傷だらけで…なんか訓練とかそういうのしてたんだろうな、と。」
「結構とは、どれくらい?」
「いや、確かに俺の身体には傷がある……けど、治ってるから。かなり古そうなのもあるし、昔から頑張ってたんだろうなっていうか。」
「どれくらいですか、ブラッド様。」
「……そこかしこ……」
服を着れば見えないところばかり?
治して頂けなかったのか、初めから痛めつける目的で誰かにやられたのか。
アルヴィン様の笑顔が頭を過ぎる。
嫌な予感ばかり。
「……ヘクターを、呼んできます。」
「昨日俺を案内してくれた人?」
「そうです。少しお待ちください、ブラッド様。診てもらいましょう」
「えっと、あの」
問答無用で指南書を閉じ、席を立つ。
わたくしが思うほどひどくなければいい、本当にたまたま、仰るように偶然、訓練中に打ち身とか……。
執事のヘクターは、元々治癒魔法で身を立てていた人だ。
念のために医療キットも持っていくよう指示をして、わたくしは別室で待った。何があったのだろうと心配そうな侍女達も、今は何も聞かずにいてくれる。
ヘクターが戻ってきた時、その表情は険しかった。
他の者には席を外すようお願いして、彼に向かいのソファを勧める。「失礼します」と一礼し、腰を下ろしたヘクターは真っ直ぐにわたくしを見た。
「結論から申しますが、ブラッド様は長年に亘って暴行を受けている。……そう推察致します。」
――ああ。
思わず、視線を落として。
顔を歪めた瞬間はきっと、ヘクターにも見られてしまった。
「攻撃魔法による傷跡と、反対側に打撲跡や内出血が見られました。体が突き飛ばされるくらいには威力があったという事です。一番新しいものは数日以上経過しているので、ご本人に覚えがないのであれば、記憶を失う前に負ったものかもしれません。」
「…覚えていないみたい。傷は訓練によるものじゃないかと言っていたから」
「……考えにくいですね。治癒をしていない理由になりません」
「ええ、わたくしもそう思う。」
彼が身体を鍛えていたのは、少しでも暴行に耐えるためだったのだろうか。
常に剣を手放さなかったのは、誰も彼もをずっと警戒していたからで。身を守るためで。
全ては想像に過ぎない。
「仮にご自身で治癒魔法の適性がなかったとしても、サザーランドに適性者が誰もいないという事は考えられません。ブラッド様の防御魔法では防げない程に相手が強かった、あるいは防御魔法を使えない状況だったと仮定すれば……恐らく、逆らえない相手でしょう。」
すなわち当主か、兄君のアルヴィン様。
ヘクターはランクの事を知らないから、その二人に限られる。でもわたくしは、使用人すら彼を軽んじている事を知っている。
どこまで疑えばいい?
どうしたら、助けて差し上げられるのだろう。
サザーランド侯爵家に対して、格下のこちらが、どうやって。
「……わたくしと結婚してしまえば、ご実家にはいなくて済むわね。」
「ええ。早めた方がいいかもしれませんが……それは、ブラッド様の記憶がせめて、魔力の取り扱いに問題ない範囲まで戻ってからでございます。」
「わかっているわ」
ケンドリック伯爵家には、わたくしには、最低でもBランク以上の相手が必要なのだ。
わたくしがCランクである事を考えれば理想はやはり、Aランク。
だけど。
「ヘクター。味覚障害といい、わたくし達は何もあの方の事を知らなかった」
「教えて頂かなければわからない範囲です。仕方がなかったかと。」
「そうよ。でもこれからは違う……見捨てられない」
「……時間がかかってしまいましたね。お二人のいるサロンに、昼食を用意させます。」
「ありがとう」
今は彼のもとへ戻らなければ。あの、事情をよくわかっていない顔の、彼のもとへ。
退室する直前、ヘクターが言った。
「大丈夫です、お嬢様。最悪、使い方は後回しになっても……水色であれば。」
笑い返す事しかできない。
彼は橙色だ。
サロンに戻ると、ブラッド様は苦いものを噛んだような顔をしていた。
とても気まずそうと思いながら、向かいに座る。
「ねぇセラフィーナ。何か俺、たぶんだけど。」
「はい。」
「ブラッドが頑張って隠してた事、全部暴露していってる気がする……」
「その調子でお願いします。」




