5.「秘められし力を解放する……!」
「いや、駄目だよそれは。」
わたくしは「彼を守らなければ」と思って言ったのに、一言目で断られてしまった。
子供を窘めるような眼差しと、片手を横に振る仕草つきで。
「いくら婚約者といっても、ここが一人暮らしのアパートじゃなくて実家だとしても。親御さんの許可もなしに男を泊めるって決めてしまうのは、よくないんじゃないかな。」
……良い悪いではなく、わたくしは貴方の保護を。
そちらの家より小さい屋敷だけど、客間くらいきちんとあって。
「そもそも俺の状態を忘れてないよね?ガワは君が知ってるブラッドだけど、中身は異世界で生きてた別人だから。君が全然知らない人なんだよ。」
ややこしいわね。
ブラッド様、どうして記憶喪失だけに留まってくださらなかったのだろう。
よほど妄想の設定が気に入っていたのか、あるいは妄想ではなく――…この設定そのままの作品が、どこかにあるのかしら。
「俺は……あ、ブラッドじゃなくて、アズマカナタの方の俺だけど。」
「…はい。どうぞ」
「うん。俺は二十二歳なんだよ。成人した大人で就職してる。で、十八歳の君は女子高生ぐらい。」
「じょしこうせい……何か、ありましたね。日本の世界に。有名なボードゲームの主人公がそうだったかと」
「ボードゲームにも日本が!?ボドゲで設定作り込んでどうするの!?」
「続きをお願いします。」
そこを語っている場合ではないし、わたくしはボードゲームの方はそんなに詳しくない。
小説ならサッと読めばいいけど、そちらは遊び方があるので時間がかかる。
「そう、とにかく。法律的には日本でもギリギリ大人だけど、五つも年下の学生さんが、会って二日目の男を実家に泊めるって聞いたら……まぁ、よくないよね。」
「そちらはそうかもしれませんが、遠方からいらっしゃったお客様を泊めたり、事情のある友人を匿ったりする事は珍しくないのです。」
「親御さんは?」
「本日は不在です。」
「駄目だよ余計に!」
何がそんなによろしくないのだろう。
ブラッド様だって、アルヴィン様のいる侯爵邸に帰りたがっているとは思えないけれど。
「セラフィーナ、もっと警戒心を持って自分を大事にしないと。君は可愛くて良い子なんだから、隙を狙う男もいると思――…俺が今言ったのは、狙ってないからこそであって。」
「それほど青ざめて言わなくても構いませんが……可愛いと言うのは、やめてください。」
チューニ病の最中とはいえ、記憶喪失中とはいえ。
お顔がブラッド様で、別人の表情で、言うはずもない事を言われるのはずっとだけれど……その中でも特に、なんというか。
どこへ気持ちをやったらいいかわからない。
ブラッド様はまずます青ざめて手を横に振った。
「すみませんセクハラでした控えます。他意は…他意はないんだ。女優さんとかアイドルを褒めるような気持ちで……俺的に君は頼れる妹みたいな人で、単に自信持ってほしいというか。」
「…わかりましたから。」
わたくしを「可愛い」と言う時、この方はさらりと口にする。
じっとりとこちらを見たり、熱っぽい目をしたりはしない。
だから少なくとも、気持ち悪いと感じる事はなかった。嬉しいわけでもないけれど。
「ブラッド様。当然客間に泊まって頂きますし、二人きりで密室に入る事はありません。わたくし達は八年も続いている婚約者ですから、一般的に言って咎められるような謂れはないのです。」
「婚約者って言っても、あくまでブラッドのね?いや今は俺がブラッドではあるんだけど、まだ二日目だし。」
やはり、ご自身がブラッド様だという実感があまりないらしい。
ただのチューニ病ではなく記憶喪失と同時発症しているので、無理もないか。
「俺はこんな美形でもなければ、体鍛えてもなかったからね。感覚としては人の身体で、人の婚約者の家に泊まらせて頂くっていう……それも、倫理的にどうなのかな。」
「ご安心ください、客間とわたくしの部屋は充分に離れています。ブラッド様の事は体調不良による宿泊ですし、警備もいますし使用人もいます。」
「もちろん何もしないけど、慣れないでほしいっていうか、心配だよ。俺にとって君は、この世界の事を教えてくれる恩人なんだ。」
恩人と言われるほどの事はしてないけれど。
婚約者がここまでの記憶喪失になったら、助けるのは当たり前のこと。
「どうか折れてください。敵も味方もわからない今の貴方様は、あまりご実家で過ごさない方がいいと思うのです。」
「気持ちは嬉しいけど…」
くどい。
ぐちぐちと言っていないで、もう少しこの状況に危機感を持ってほしい。
あと一押しに思えるけど…異世界の倫理がなんだというの。
しかしわたくしがここで強硬姿勢を見せて、下手に怯えられてしまうのもよくないか。
どう引っ掛けましょう。
ポイントはやはり、このブラッド様は「異世界の日本出身」という設定――いえ、境遇であること。
『えっ、この世界魔法があるタイプなんですか?』
『レベルアップみたいな概念はある?経験によって強くなるっていうか』
『コツ…みたいのがあるの?魔力よ出ろ、みたいな。』
「泊まってくださるなら明日、少し魔法をお教えしますが。」
「いいの!?……とっ、泊まります。お言葉に甘えて。」
よろしい。
わたくしは一つ頷いて余裕たっぷりに微笑みかける。
ブラッド様は案の定目をきらきらさせていた。
本当は……Cランクの伯爵令嬢に魔法を教わるなんて、侯爵家の殿方には屈辱レベルの話なのだけれど。
ランクの概念を忘れ去り、教わっても実感のないこの方には関係ないようだ。
「簡単なやつなら、魔力が少なくてもできるってこと?」
「下級魔法を小さい規模で発動するくらいなら、恐らく問題ないかと。もちろん、得意不得意は個人差がありますが」
「そっか……楽しみだな、魔法とは無縁の世界だったし。俺にも使えるって自覚がまだないからさ。秘められし力を解放する……!って感じで、アツいね。」
すぐやりたいとばかりウズウズしているみたいだけど、こちらの目的はこの方を留まらせること。
期待の眼差しを送ってもダメ、明日ですからね。
「貴方がいた世界では、レイリョクとか、さいこぱわー…?などは、なかったのですか?」
「SFだね、それは。」
「えすえふ」
異世界用語は難しい……チューニ病に寄り添うのも大変だ。
普段は準備していないけれど、侍女を呼んで紅茶用のレモンを持ってきてもらう。一礼して背を向けた彼女が歩き出してから、シュガーポットとレモンをブラッド様の前に置いた。
「確認です。レモンを絞り、ティースプーンで味をみてもらえますか。次に、砂糖を。」
「ん、わかった。やってみるね………すっぱ苦いな。えぐみというか」
「レモンの香りはわかりますか?」
「うん。」
嗅覚障害ではなさそうだ。
実に不味そうな渋面をしながら、ブラッド様が今度は砂糖をちびりと口にする。
「苦い……なんならちょっと、金属みがあるというか…」
手を伸ばし、わたくしも自分のティースプーンに少し、砂糖を落とした。
口に含んで舐めてみるけれど、優しい甘さの普通の砂糖だ。これが苦いなら確かに、クッキーは不味いでしょう。
「どう、そっちは甘い?」
「……ええ。普通の砂糖です」
「じゃあほんとに俺の味覚がおかしいんだ……」
「いっ――…」
「うん?」
「…いえ、何でもありません。」
わたくしはなんて、意味のない言葉を言おうとしたのだろう。
信頼のできる者に…口の堅い者に、手配を頼まなければ。味覚障害、特に違う味を感じてしまう症例について調べさせて。少しでも不快感の少ない食事を。
客間の準備もさせて、その間に邸内を軽く案内しないと。
「ブラッドも大変だったんだな、こんな体で……」
今は「アズマカナタ」を名乗るわたくしの婚約者が、他人事のように呟いた。
風景がゆっくりと回るような、ぐらりと揺れるような、心地で。
駄目だわ、立てない。
「……屋敷を、案内させますね。」
どうにか微笑みを浮かべて人を呼び、彼の案内を任せた。
宿泊の用意と味覚障害についての資料手配を頼み、少し具合が良くなってから立ち上がる。厨房を訪れ、料理長にも話をつけて。
部屋に戻って、崩れ落ちるようにソファへ座った。
汗が滲む額にハンカチを押し当て、じわりと涙が浮かんだ目は閉じて。
「……ブラッド様」
八年。
毎日毎週ではなかったけれど、わたくし達は八年間も顔を合わせていた。
将来共に生きる予定の婚約者だった、それなのに。
「言ってくだされば、よかったのに」
今の彼の前ではとても言えなかった一言が零れる。
どうして、どうしてと問い詰めてしまいたい。
魔力量がDであること。
ケンドリック家のみならず、侯爵家での食事も不味いと感じること。
家族に疎まれ暴言を吐かれていることも。
どうして言ってくださらなかったの。
どうして頼ってくださらなかったの。
「…言って、くだされば」
『貴族にとって、魔力量の多さは権力の象徴。魔力が少なければ、自然とその家の権威も落ちていくものです。』
「きちんと仰って頂けていたら、わたくしは」
『わたくしは、Cランクなんです。だからAランクのブラッド様のお力が』
ぽたりと、涙が落ちた。
わかっている。答えはわかっている。
だからこそ、言っても意味がない。
「……わたくしはなんて、愚かな……」
ブラッド様が、言えるはずがないのだ。
頼れるわけもない。頼って頂けるほど、ケンドリック家は――わたくしは、あの方を大事にできなかった。
こちらは「知らなかった」、それでも。
この婚約が魔力量目当てだという事など、ブラッド様も最初から承知の上で。
双方の当主が、逆らえない相手が決めた婚約で。
彼が本当のランクをわたくしに告げるという事は、当主が決めた契約を反故にするという事で、裏切りで。
言えずにいるうちに、彼は何を考えただろう。
しょっちゅう味に文句を言う原因は味覚障害ゆえだった、ならばあの態度は?
毎度遅れて来て、無口で無愛想で、「つまらん」と言う彼は、どこまでが彼自身の性格だったのだろう。
アルヴィン様はどこまで、彼に何をしていた?
まだ何か、わたくしが知らない事情があるのではないか。
「あんな……あんなわけのわからない、異世界の設定まで、信じ込んで。」
味覚障害になるほど、彼は追い込まれていた。
記憶喪失を機にチューニ病――空想の世界に逃げてしまうほど、現実が酷いものだったのでは。
わたくしは何も知らずにただ、ひどい態度の婚約者だと思って。
別に、目当ては魔力量だけですから、などと。そのための政略結婚だからと、必要以上に踏み込まない事を美徳だと、賢い事だと考えて。
ランクストーンの黄色い輝きが。
赤に近い橙色の輝きが、目に浮かぶ。
わたくしは家のために、Dランクの殿方と一緒になるわけにはいかない。
八年も別の男性と婚約していた女性となんて、それもサザーランド侯爵家に睨まれるだろう状態で、新たな婚約を結ぶのは至極難しいのだとしても。
だけど。
「……今更見捨てるの、あの方を……?」
あまりに、ひどいではないか。
助けを求めたくても求められなくて、頼れる家族もいなくて、気に入られていない婿入り先で、ランク目当ての小娘になど当然、話はできなくて。
わたくしとの婚約が消えたら、彼はどこへ行かされるのだろう。
婚約破棄にあたってランクが知られたら、目もあてられない事態になるに決まっている。
公にはランクを隠せたとしても、当家は婚約破棄のためには侯爵家のランク詐称を指摘しなければ……家に泥を塗った事にされる彼を、良く扱ってくれるとも思えない。
身売りのようにどこかへ……そんなのは、嫌だわ。
「……どうして、こうなってしまったのかしら。」
たった二日で目まぐるしい変化だ。
わたくしは自然と、窓辺に置いているぬいぐるみを見ていた。
赤毛のライオン剣士と、黒猫の魔法使い。
人間のように二足歩行で、それぞれきちんと衣服を纏っている。
絵本にちなんだぬいぐるみを、街に出た時わたくしが気に入ったのだ。あの頃はまだ、婚約してからそう経っていなくて……まだ、希望を持っていて。
並べたぬいぐるみのように仲良くなれたらいいと、その願いは叶わなかった。




