4.「異世界の味は合わないのかも」
「状況を整理しましょう。」
庭のティーテーブルへ戻って、わたくし達は改めて席に着いた。
ランクストーンが放った橙色の輝きがまだ、目に焼き付いて離れない。
「頭を打ったブラッド様は、ご自分の事すら記憶がなかったのですよね。」
「そうだね。目が覚めて、頭が痛いなと思ったら知らない部屋で、包帯が巻かれてて……侍女の人?が、起きたんですねとか、日課の薬ですよとかなんとか……すぐ医者が来て、そこで『記憶がないです』って話をした。」
何となく周囲の態度が冷たいと、その時にはわかっていたようだ。
侍女も、執事も、誰も心配そうな顔はしていなかったと。
「アルヴィンが来て兄だと紹介されたところで、執事が言ったんだ。『今日は婚約者様とお会いになる予定でしたが、いかがされますか』。俺は婚約者がいる事に驚いて…」
「聞いたのですね。これまでのわたくし達について」
紅茶は淹れ直してくれていて、わたくしは自分のティーポットとブラッド様に用意された物、それぞれの蓋を努めて自然な手つきで開ける。
香りは同じ、ティーカップにも不審な点はない。ゆっくりと傾けて、それぞれのカップに注いだ。
「そう。俺は君を気に入らなくて、ひどい態度をとっていたと。正直その時は、そこまで嫌がるほどの相手なのかとも一瞬思ったけど…それにしても謝った方がいいと思って、途中でお菓子と花束を。で、実際に会った君は良い子だった。」
「ブラッド様。性格がどうだろうと、魔力が少ないのですよ。わたくしは」
「けど本当は、こっちの方がなかっただろ?本人が知らなかったとは思えない」
ランクについてのメモを指先で叩き、彼は小声ながらも怒りを滲ませて眉を顰める。
以前よく見ていた表情に近い。
「なのにブラッド――いや俺ときたら。ここへ来る度に暴言を吐いたり、君の花壇を荒らしたり、食器を投げつけたり、挙句の果てに君を叩いたとか」
「ちょっと待ってください。」
「何?」
「あの……わたくし、そこまではされていません。」
小さく手を挙げてそう告げると、ブラッド様は「えっ」と声を漏らした。
誰に聞いたのだろう、そんな所業を。
「確かにブラッド様はいつも不機嫌で、無口で無愛想で……せっかくこちらが振った話も一言で終わらせますし、自分からは全然話を振らないのに『つまらん』と仰るし、好みだってぐるぐる変わるしで困ったお人でしたが――それでも、決して。力を誇示して他人を傷付けるような、そんな人ではありませんでした。」
「…もしかして、話しぶりについては結構根に持ってる?」
「大変だったのですよ、以前のブラッド様とのお茶会。気まずくて。」
「ご、ごめんね……。」
記憶喪失かつチューニ病でまるきり別人の貴方に謝られても、「違う」感覚が強くて、正直あまり気は晴れないけれど。
問題はその話の出どころだ。
「ちなみに、どなたが言っていたのですか?」
「アルヴィンだよ。『そういう事をしていたから、セラフィーナ嬢はお前の事が大嫌いだろうね』と。」
「…どうしてそのような嘘を……」
「わからないけど、まぁ単に俺の事が嫌いなだけかもしれないな。」
ブラッド様と婚約しているとはいえ、ケンドリック伯爵家が格下なのは間違いない。
わたくしはアルヴィン様を「お義兄様」と呼ぶ許可を貰っていないし、お会いしたのはこの八年で数回程度。
元々が畏れ多いほど光栄な婚約なのだ、それは仕方がないし当然と思っていたけれど……兄弟仲がそんなに悪いなんて。
「どうして信じたのです?先程はご自身で仰っていたではないですか、アルヴィン様の言った事なら、信じない方がいいかもしれないと。」
「あの時は情報が無さ過ぎて…ブラッドがそういう事をする人間だからこそ、あれほど兄から馬鹿にされてるのかなとも思ったし。それに何より、君が聞いた《黒髪嫌い》はちょっと、しっくりこなかったんだよね。」
「どうしてです?」
「ほら、俺の物って黒が多いから。」
「……どこがですか?」
わたくしが聞いて初めて気付いたのか、ブラッド様は今一度ご自身を見下ろした。
衣服も、カフスボタンや指輪にも、黒色は見当たらない。
瞬いて、わたくしを見た。
「多いんだよ。」
「どこにですか。」
「……やっぱりやめとこうかな、何か……人の秘密を、暴露してるみたいで…」
「今更過ぎませんか?」
魔力量の事など特に、禁忌に近い秘密だったのではないだろうか。
それを知っていたら我が家はきっと、婚約を望みはしなかっただろうから。ブラッド様は「確かに」と素直に頷いた。
「部屋を見るとわかるんだけど、ランプシェードで合ってたっけ…あの、かさの部分とか。飾ってある絵の額縁とか、黒なんだよ。カーテンも…模様が金色だから、そこまで暗い印象はなかったけどね。全体的にシックっていうか。」
ブラッド様が言うには、クローゼットにも黒地の服はあったし、棚の上には獅子の置物と、それに睨まれる配置で黒猫の置物があったらしい。
……獅子と、猫………いえ、偶然でしょう。あれをブラッド様に見せた事はないはず。
彼の部屋に行った事もないけれど、それだけ黒を使っているのなら確かに、嫌いな色ではなさそうだ。
『帽子をかぶった方がいいかもね。弟は黒髪が嫌いなんだ。見ていて気が滅入るとかで』
どういうつもりで、仰ったのだろう。
当時はただ苦笑しただけに見えた美しい笑顔が、少し恐ろしく思えてくる。
「…アルヴィン様の事は、警戒した方がいいかもしれませんね。悪い冗談のつもりなのか、害意なのかはわかりませんが…わたくし達がこじれるように仕向けている節があります。」
「そうだね、鵜呑みにしない方が良さそうだ。」
「わたくしに会おうと決めた後は、何かありましたか?」
聞きながら隣を見やると、ちょうど紅茶を飲んだところらしいブラッド様がまた、不快そうに眉を顰めていた。
視線に気付いて取り繕っていたけれど…この味がそんなに苦手?
そこまで好き嫌いが出るようなものでは……。
「包帯を取ってもらって着替えて…たかがシャツにズボン、ジャケット程度で手伝われかけてさ。だいぶ驚いたよ。」
「確か異世界…日本では、使用人は一般的ではないとか。」
「ないな、余程お金持ちとか、かなり古い家柄でもない限り……それで、侯爵邸を出る前に派手な女性と鉢合わせた。執事に聞いたら侯爵夫人だって言うから、一応『母上』と声をかけてみたけど。」
「……それは…」
「ああ、何か知ってる?笑われたんだよね、すごく。」
笑った。それは普通の意味だろうか。
いいえ…今思い出して嫌そうな顔をされているという事は、嘲笑の類。
「その方は後妻のマーシャ様……アルヴィン様のお母上ですね。」
「後妻で、兄の母?」
「はい。ブラッド様は侯爵閣下の最初の奥方のお子ですが、遅い授かりだったので……その。」
「ああ~…そういう事だったんだ。どうせならブラッドの母親の方に会えればよかったな」
「ヴィオラ様は、出産の時に亡くなったと聞いております。」
「……そっか…」
わたくしがクッキーを一つ手に取ったせいか、ブラッド様も手を伸ばした。
食べてみて頂きたかったから、敢えてわかりやすく取ったのだけど。
「こういう時、日記とか見つかると便利なんだけどね。ブラッドが何を考えてたのかわかるだろうし。でも机がなぁ…」
「ブラッド様が日記……ちょっと想像はつかないですね。マメな印象がないというか」
「そう?これだけ鍛えてるから筋トレはしてたと思うし、何だかんだここにも通ってたんだよね?」
「来ない日はありましたね。異世界風に言うと、どたきゃんです。」
「ごめん…」
「体調不良、との事で。わたくしは正直、それは疑っていたのですが……」
ただ面倒になっただけなのかと、ばかり。
しかしそれも、本当はどうだったのでしょう。次にお会いした時は体調を気遣うようにしたけれど、ブラッド様は「問題ない」と言うばかりで。
問題がなかった。本当に?
サザーランド侯爵家に生まれながら、魔力量がDランクだった貴方が。
兄君に蔑まれ、継母に疎まれ、使用人すら貴方を立てない状態で。
誰か、きちんと看病したのだろうか。
そもそも、体調不良の原因は?
本当に……ただの、問題ない、一時的な、体調不良だったの?
「ブラッド様」
「……ん、何?」
「あまり美味しくないですか?クッキーも、…紅茶も。」
問いかけると、彼は実に苦々しく、申し訳なさそうな顔をした。
「ごめん、顔に出てるよね。失礼だとはわかってるんだけど…料理とか、飲み物も全般、異世界の味は合わないのかも…」
「お出ししているこれらは香りも味わいも、クセが強くないものです。極端な味の偏りはないはずです」
「そうなんだ。もしかしてブラッドの好みで出してくれてた?俺が入ったせいで何か変わったのかも」
「いいえ、ブラッド様はいつもそうでした。たとえ前回と同じ物をお出ししても、その時々で感想が違っていて。」
「……?どういう事だろ。」
わたくしは――…わたくしはどこまで、この方の事が見えていなかったのだろう。
毎度文句をつけるという事は、ブラッド様ご自身も知らなかったかもしれない。
「サザーランド家で出される料理もダメなのですか?」
「うん、正直まずかった。わざとそういうの出されたかなと思って、あまり気にしなかったけど。相当な気分屋なのかな、この体。」
「…あるいは……」
味覚障害。
または、嗅覚障害……原因は強いストレスだろうか。
今と同じように、ご実家ではわざとそういう味を出されていると思っていたなら。
婿入り予定の当家からも口に合わないものばかり出されて……少なくとも、明らかに困惑していたわたくしが命じてやらせているとは、思わなかったでしょうけど。
でもブラッド様は、自分がケンドリック家に歓迎されていないとは思っていたはずだ、確実に。
それは文句も言うでしょう。侯爵令息としても、そうでなくとも、婿入り後の生活まで考えれば当然のこと。
むしろもっと強く圧をかけてもよかったくらいだ、わたくしに「毎度何のつもりだ」と、作った者を呼べと言ったって。
なぜそうしなかったの?
どうして。
もっときちんと話してくだされば、詳しく言って頂けたら、早くに誤解がとけていたかもしれないのに。
わたくしはずっと、貴方が嫌がらせのようにこちらを困らせているだけだと、ばかり……。
「あの…セラフィーナ?顔が真っ青だけど」
「……何でもありません。」
「えーと…そう言われても。それが嘘なのは、異世界に来たての俺でもわかるというか。」
頭が重たくて、テーブルに両肘をついた。
組んだ手の甲に額をあてて、ブラッド様の姿を思い出そうとする。
無口で、無愛想で、つまらなそうな貴方。
これまでの八年……貴方は一体、何を思いながら。
どうして。
「大丈夫?…具合悪いなら、俺今日はもう……」
「考えていたのです」
おかしな話だ。ブラッド様と話す時間なんて、いくらでもあったはずなのに。
記憶喪失になって、自分を異世界からの転生者と思い込み、別人と化した貴方と話して、ようやく。
今まで知らなかった事情が一つずつ、わかっていく。
顔を上げて、息を吸った。
心配そうな侍女達に、気にしないでと笑顔を向けて。
「…もしかするとブラッド様は、味覚障害があるのかもしれません。」
「……なるほど、口に合わないとかじゃなくてね?」
「味を確認するには香りも重要なので、嗅覚障害の可能性もありますが……それは後ほど少し、試させてください。」
素直に頷いてくださるブラッド様の表情は、やっぱり別人のそれで。
彼のチューニ病にあわせて言うならば、それは異世界転生者アズマ・カナタのものである。
貴方に謝られても「違う」と思うように、
わたくしが謝りたくても、今の貴方が相手では意味が無い。
この八年どう思っていたかなど、わたくしが知る、あの不機嫌な横顔に聞くしかなくて。
どうしたら記憶が戻るのだろう。
でも記憶が戻ったら貴方はまた、わたくしとちゃんと話をしてくれなくなるのかしら。
「じゃあそれが終わったら、今日のところはお暇しようか?」
「いえ」
侯爵邸には、少なくとも今のこの方が頼れる人間はいない。
もう少し落ち着くまで、安全な場所にいた方がいい――…侯爵邸ではない、どこか。
「こちらへ泊まっていってください、ブラッド様。貴方を帰すわけにはいきません」




