3.「日本では普通だから、それ。」
侯爵家次男、ブラッド・サザーランド様。
わたくしより二つ年上の二十歳。
百八十センチを越える背丈は圧があり、いつも不機嫌で、金色の瞳はわたくしを睨むばかり。
常に帯剣していて、身体を鍛えている彼は体格もよく、正直に申し上げれば怖い人だった。やがては慣れたけれど、急に立ち上がられたりするとつい、びくりと身体が震えたものだ。
それが、今や。
「色々教えてくれてありがとう、セラフィーナ!君がいてくれてよかったよ。」
「……いえ…」
これは一体何なのだろう、尻尾をぶんぶん振る犬のような笑顔で……。
記憶喪失と同時にチューニ病を発症し、わたくしの婚約者はすっかり人が変わってしまった。話しやすいけれど、彼をブラッド様と認識する事は未だに脳が抵抗する。
スマホの代わりにと、わたくしは未使用の手帳と筆記用具を侍女に持ってこさせた。
ブラッド様は「つけペンなんて初めてだ」とおっかなびっくりしながら、歪な文字でガリガリとメモをとっている。
元は丸いテーブルの対面に座っていたけれど、書いている内容が問題ないか見るために少し席を近付けた。
いくら記憶喪失でも「文字を書く」なんて日常動作でしょうと思ったものの、紅茶を水のグラスのようにグビグビ飲んだり、立った時の姿勢が少し崩れていたりする彼のこと。
たとえ身体に染みついた動きでも、本人がわかっていないと難しいのかもしれない。
「えぇと、ここはアスカム王国。平民は魔力をほとんど持っていなくて、貴族は上位であるほど魔力量が多い…のが普通、と。」
「その通りです。貴族にとって、魔力量の多さは権力の象徴。魔力が少なければ、自然とその家の権威も落ちていくものです。」
「レベルアップみたいな概念はある?経験によって強くなるっていうか、ステータス!とか。」
「経験が人を強くするのは普通ですが……レベルアップですとか、すてえたす?はありませんね。」
「そっか…」
少し残念そうに呟いて、ブラッド様が「ステータス・レベル概念なし」と書いている。
きっと、そういう世界観の小説だか何だかもあるのだろう。
「魔力のランク付けならありますよ。」
「へえ、そこはハッキリしてるんだね。」
「大まかにですが……Sランクは王家や公爵家。Aランクが侯爵家や一部の伯爵家。Bランクが伯爵家や子爵家の平均とされ、Cランクは子爵家の一部や男爵家……Dランクは平民の平均値ですね。最後にEランクが、ほぼ魔法を使えない人々です。」
魔力が多ければ、それだけ魔法を使って国に貢献しうる。
だからこそ魔力の多い者同士が婚姻し、時には平民だろうと突出した魔力量を誇れば家に迎えて、貴族はそれぞれの家を守ってきたのだ。
「わたくしとブラッド様は、八年前に婚約を結んでいます。」
「そんな小さい頃から!?」
「……ええ。それも魔力のために結ばれたものです。」
「そっか……自分で言うのもなんだけど、ごめんね。相手が俺で…セラフィーナなら、もっといい相手もいただろうに。」
「…いえ。」
そう思うのは、貴方がチューニ病を患っているからだ。
この世界に生まれ育った感性でなら、わたくしの事をそうは思わなかったはず。……不憫な。
貴方こそ、もっと良い相手はいたでしょうに。
そんな言葉を飲み込んで、帽子を少し引っ張り下げた。
「昨日も帽子をかぶってたけど、趣味なの?集めていたりとか。」
ああ、そうか。
この方は忘れているから、知らないのだ。つい苦笑いを浮かべてしまう。
「その……ブラッド様は、黒髪がお嫌いのようでしたので。あまり目につかないようにしていました。」
「き、嫌い?何で。」
「見ていて気が滅入ると。」
「いやいや!そんな事ないだろ。むしろ日本では普通だから、それ。」
確かに日本を舞台にした作品では、黒髪の人が多い。
生理的嫌悪などは記憶に左右されないのではと思ったけれど、そんな事はなく、チューニ病になったからこそ、私の髪色を受け入れられるようになったのだろう。
「年取ると白くなったり、多少は光の具合で茶色っぽく見える人もいるけど、基本的に国民全員が黒髪だからね。もちろん帽子かぶりたいならそれで全然いいんだけど、俺に気遣ってーとかならしないで。気が滅入るなんてありえないから。」
「……ありがとうございます。では、外すようにしますね。」
ブラッド様にお会いしている時に帽子を取るなんて、いつぶりだろう。
遠巻きに離れていた侍女を呼んで、帽子を預けた。つばに邪魔されない分、視界が広がっている。
「ごめん、昔の俺が。女の子にそんな事言うなんて、最低だよな…」
「いえ、直接言われたわけでは――」
そうだ。今思えばこれは、直接言われた事など一度もない。「お前はいつも暗いな」と言われた事はあるけど…。
『帽子をかぶった方がいいかもね。弟は黒髪が嫌いなんだ。見ていて気が滅入るとかで』
「セラフィーナ?」
「…すみません。実は黒髪嫌いについては、ブラッド様本人から聞いたわけではないのです。」
「そうなの?」
「ええ…兄君の、アルヴィン様から。」
次期サザーランド侯爵。
豊富な魔力量を持ち、気さくなお人柄で皆に慕われていると聞く。
名前を出した途端に、ブラッド様は嫌そうに顔を顰めた。
「あいつから?それは何というか……信じない方がいいかもね。俺の事すごく嫌ってるんだ。」
「そう…だったのですか?」
「ロクに魔力もないゴミとか、息をさせてもらえるだけ感謝するんだなとか、そういう態度だよ。仮にも弟なのに」
「――っ、それは…」
ブラッド様がそんな扱いを受けていたなんて、知らなかった。
本当に?どうして?
「ま…魔力が少ないと言っても、あくまでサザーランド侯爵家の中でですから。当家に比べれば高いかと――」
「え?」
ぽかんと口を開け、ブラッド様は目を丸くしている。
説明したばかりではありませんかと、わたくしは彼の手帳の「Aランク」を指した。
「サザーランド侯爵家は、」
「いや、俺は全然魔力がないみたいなんだよ。平民と変わらないって言われたから、DかEだと思う。」
「えっ――…」
嘘。嘘だ。それは、嘘。
さすがに嘘だわ、だって、ありえない。
「ちが、違います、ブラッド様。わたくしは……わたくしは、Cランクなんです。だからAランクのブラッド様のお力が、……魔力量の多い血が、当家には必要…で……」
ああ、なんてこと。
ろくに記憶のないブラッド様が、困惑した顔でこちらを見ている。
隠す意味を理解できていない彼はきっと、嘘をついていない。きっと彼は兄君か屋敷の者に言われたのだ、「平民と変わらない」と。
嘘をつかれていた。
誰に?ブラッド様が一度でも、自分はAランクだと言った?言ってないわ。
そういえば魔法を使うところを見た事がない。見せびらかすものでもないから、気にしていなかった。ひけらかすような事はなさらないのねと、むしろ良く捉えていたくらいで。
婚約はそもそも親同士……サザーランド侯爵が嘘を?
いいえ、こちらが思い込んだのを放置された?わかっていて、わかっていて。
その話が本当なら、八年に亘るこの婚約の意味が。
サザーランド侯爵家の強い魔力を求めて、こちらがどれだけ尽くしたか――…。
「…セラフィーナ」
いつの間にか俯いて、わたくしは。
すぐには、ブラッド様の方を見る事もできなかった。心臓がどくどくと鳴っている。汗が滲んで。
ブラッド様は、どこまで知っていた?
お父様とお母様になんて言えばいいの。
「魔力が全然ない俺を……それでも君が、ケンドリック家が拾ってくれたのかと思ったんだ。見返りに何か取引があったのかもしれないけど、そういう事なのかなって。」
ブラッド様に何か、言わなければ。
道理で兄君も――使用人すらも、この方を軽んじている。
敬語を使わないようにと進言せず、記憶もない状態でよそへ出歩かせ、護衛もつけず、放っておいて。
「違ったんだね。ごめん」
ブラッド様はわたくしに聞くしかなかった、嫌われているだろうと思っても訪ねるしかなかった、屋敷でろくに教えてもらえなかったのでしょう。
この婚約が最初から、裏切られていたとしても……記憶を失ったこの方を、わたくしが今ここで、見捨てるわけにはいかない。
どうにか、顔を上げた。なんとか、微笑みをつくって。
「…婚約のことは、貴方のせいではありませんから。気にしないでください。」
「そう言われても。…正直俺は、魔力量が権力にも等しいっていう常識とは違うとこで、生きてたから。事態の深刻さはたぶん……君ほど理解はできてない。」
「……そう、でしょうね。」
「魔力量って増やせないの?」
「厳しいですね。基本的には、両親の魔力量によるのです。」
落ち着け、落ち着け。冷静に考えなければ。
ただでさえ前提が崩れたのだから、すべて、全て、一度は疑うべきだわ。
扇を開いて軽く扇ぎ、まずは事実確認するべきでしょうと結論付ける。
でも、今この情報を知っているのはケンドリック家においてはわたくしだけ。ブラッド様の魔力量がD以下の可能性があるなどと、簡単に知られるわけにはいかない……。
ぱちん、と扇を閉じた。
「ブラッド様。魔力を測定できる物が当家にもありますから、実際に測ってみましょうか。」
「わかった。」
「では、ついてきてください。」
「手帳とかも持ってっていいかな?」
「もちろん。」
わたくし達が席を立った事で侍女達が驚いていたけれど、「後で戻ります」と伝えて屋敷に入る。
ブラッド様は手帳を小脇に挟み、インク壺とペンを持った状態でついてきた。廊下を進む間に会った使用人達は驚いた顔で立ち止まり、頭を下げる。
サロンの扉を開けて、先にブラッド様をお通しした。
ちらと振り返れば、「二人きりで閉めてはなりません」と侍女達の身振り手振り。わかっているわ。扉は閉めきらずにおいて、けれどそれなりの広さがあるサロンだから、小声なら話し声が聞かれる恐れもないでしょう。
ブラッド様はきょろきょろと部屋を見回している。
「どうされました?」
「日本生まれからすると、西洋のお城みたいだっていうか。」
「城は言い過ぎです。お屋敷の方が豪華でしょうに。」
「どっちも豪華だよ、俺にしてみれば。文字通り別世界に迷い込んだ感覚だ」
手近なサイドテーブルに筆記用具を置いて、彼は元通りに手帳のページを広げる。
まだインク量の調整ができないのだろう、染みが反対のページにも移っていた。
わたくしは絵画が飾られた下にある戸棚を開け、小箱を取り出す。
そこに物が入っていると気付いたのか、ブラッド様はまじまじと箱を見つめた。
「こういう部屋に置いといていいの?貴重な物なんじゃ。」
「貴族なら容易く買える額ですよ。希少という事もありませんし――…こちらが、ランクストーンです。」
箱の中には柔らかなクッションが敷かれ、楕円の形をした乳白色の石が鎮座している。
初めてこれを触った時は、胸がわくわくしていた。
そうして握り締めた後、ひどくがっかりしたのを覚えている。
「手のひらに置いて握ると光ります。何色だったかで判別するのです」
メモを始めたブラッド様の前で、わたくしはランクストーンを摘まみ上げた。
手のひらを上にして、軽く握ってみせる。
「Sランクなら青、Aランクなら水色、Bランクなら緑――…ご覧のように、Cランクは黄色です。」
既に指の隙間から漏れている、憎らしい黄色。手を開いて、彼にその光を見せた。
伯爵令嬢ならば、緑であって当然なのに。お父様もお母様も緑色だったのに、わたくしは。
「Dランクなら橙色……Eならば、赤色に。」
ブラッド様は今、どんな顔でこれを見ているのだろう。そちらを窺う事ができない。
水色で当然と思われていた彼は、どんな色の光を見て――…どれほどの。
「俺もやってみていい?」
「はい。そのためにお連れしたのですから」
「……これは何かこう、コツ…みたいのがあるの?魔力よ出ろ、みたいな。」
「そういうのはいりません、握るだけです。」
「あ、はい……。」
わたくしの手からランクストーンを取り、ブラッド様は緊張した様子で瞬きながらぎゅっと握った。直前まで黄色かった光が変色する。
橙色。
それも、黄色より赤に近い――すなわち、平民の平均値よりやや下。
「これは、E寄りのD……といったところですね。」
「……今の俺って…記憶喪失で使いものにならないし、魔力はこれしかないし……」
おまけにチューニ病だ。
通常とは発症年齢が違うので、いつ治るのか本当にわからない。
「…もしかして、婚約破棄になる?」
否めませんね……。




