2.「実家では猫飼ってました。」
ー ー ー
私の名前はキャスリン!
ゴルン王国に住むしがない男爵令嬢……とある上位貴族からのいじめに耐えて頑張っていたけれど、信じていた婚約者がよりによってその方と浮気を!
つい逃げ出してとぼとぼ街を歩いていたら、子供が暴走馬車の前で転んじゃった!
「危ないっ!」
どうにか助けられたけど、代わりに巻き込まれた私は……駄目、意識が遠のいて…
「リン!」
「はいっ!?」
「よかった、目が覚めたんだね……」
「え、えっ?」
起きたらまったく知らない部屋、窓の外には何十階あるのと目を剥くほど高い建物がずらずらと。
そして目の前には儚げな美青年…ま、まさか一人用ボードゲーム『三人の術士と奇跡の姫巫女』のタケル!?鏡を見たら、主人公のリン・タカナシそっくりじゃない!どちらも付録の冊子にあった挿絵の通りだわ。
「……なんだか、今日は随分と大人しいね。どうしたの?」
どうやら私の魂は異世界転生し、リンの身体に入ってしまったらしい。
なぜかこれまで、ゲームの性格と違ってかなり奔放な性格だったみたい……どうしてこうなったかわからないけど、私は内容を熟知しているし、ゲームと違ってダイスの振り目に一喜一憂する必要もない。選択肢、つまり取るべき行動は頭に入っているのよ。
タケルを死なせないし、シンヤを立ち直らせてミナトを脅迫者から救い出すの。そして裏面で登場するリョウタ……貴方だって見捨てない。
そう、アヤカシにだって負けないんだからっ!
ー ー ー
俺は第六王子エイドリアン。
兄達の王位継承争いにはまったくかかわらないつもりが、次兄が暗殺から逃げてきた先が俺の部屋の前、というはた迷惑さによって巻き込まれた。何なら刺されて死んだ、次兄の近衛騎士と一緒に。
「そのはずが、どうして足を骨折して病院?にいるんだ…」
わかりますかここは病院です、と起こされたはいいものの。
医者も看護師も妙な格好をしているし、見た事もない器具を使うし、ぼたん?を押すとどこかで音が鳴って看護師が見にくる。
王子だと名乗っても「せん妄」とかなんとか言い始めるし。確かになぜか髪色が違うから、染毛されたのかもしれないが。
「わからん…」
「その謎、僕がお答えしましょう!」
「誰だ」
本当に誰だ。全然見た事ないメガネ男が出てきた。俺と同じ服を着て、腕を骨折したのか包帯を巻いて首から吊っている。
「貴方の兄の近衛騎士です、エイドリアン様。一緒に死んだでしょ」
「お前が?いや、あいつの死因は首……って、俺を知っているのか?」
「実は僕、元はこっちの世界の出身なんですよね。新卒の会社員だったんですけど、トラックに轢かれて死んで、気付いたら異世界のベッドの上。しかも騎士見習い?とかで…あっナースコールやめてください」
わけのわからない事を言ってるが、俺の状況だってわけがわからない。ひとまず話は聞いておくかと、なーすこーるをベッドに放り投げた。自称騎士が笑う。
「つまりどういう事だ?」
「異世界へようこそ、案内役は僕が務めますって事です。僕の三度目の人生は、二度目の貴方を助けるところからだ。ちなみに今の貴方がそうなってるのは、自殺未遂で飛び降りた大学生(僕)の下敷きになったせいらしいです。」
「また巻き込まれてるじゃないか!」
ー ー ー
十数冊目の参考文献をぱたりと閉じて、わたくしは天井を仰いだ。
……少し、頭が痛くなってきたわね。
「日本…トラック…残業に、ブラック企業。やっぱりこれ系だわ。」
いくら流行ってるとはいえ、ブラッド様がこういった本を知っていたなんて意外だけど。
この世――いえ、「この世界」と違って化学技術が発達し、電気?を活用している世界で、貴族制度がないために爵位がない国、日本。
いつの間にかそこを舞台とした作品が増えた事によって、それはもう一人の作家の世界ではなく、創作界隈全体がぼんやりと共有する世界になっていった。
細かい設定は作品によって異なるけれど、文明の発達度は大まか揃っているように思う。
小説、絵本、ボードゲーム、歌劇…。
一人で何十作も書いている作家もいるようだから、全体の作品数は非常に多い。
若者を中心にずぶずぶとその世界観に憧れたり、登場人物に感情移入する人が増える中で、チューニ病が発生したのだという。
『俺、実は転生者なんだ。アヤカシの攻撃で死んで、本当はこの右腕に……ウッ!いや、何でもない。』とか。
『私の前世はこのボドゲの世界で生きる人だったのよ。誰だったとは、言えないけどね……?』など。
痛ましい――否、少し変わった言動になる。
そういった社会現象を起こした事について、当時取材を受けた人気作家がこう言った。
『ああそれは、チューニ病だね。放っておけば治るよ!』
かくして、おおよそ十三歳から十四歳の――人によってはもう少し前後するらしいけれど――、自身が世界において異質であるかのような、特別感に浸ってしまう言動の事を、チューニ病と称する事になったのだ。
それがチューニ病の歴史である。大抵は、一年もしないうちに治る。その時を待つのみ。
「治し方が適当過ぎる……!」
どうしろと言うのよ。
しかも患者はあのブラッド様――が、記憶喪失になった状態の人である。
記憶喪失、これが事態をさらにややこしくしていた。
普通の患者はうっすらと、これが病であり自分がちょっと盛り上がっているだけという自覚はあるらしい。ゆえに、その世界観や前世の記憶について深く突っ込まれると、言葉を濁したり目をそらしたり、恥ずかしがって逃げ出したりするという。
先程の彼は、どうか。
真っすぐにわたくしの目を見つめ、真剣そのもので自分の人生を語り出した。
「……もっと細かく聞いてみようかしら。患者によっては細かく聞かれるのは苦しい事だと書いてあるけれど、ショック療法で治したケースがなくもないみたいだし……」
なんて、わたくしは考えたのだけれども。
翌日ブラッド様は、まるで人に懐く大型犬のように明るい笑顔で、「喜んで」と仰ったのである。
「よかったです、てっきり俺が転生者だと信じてもらえなかったのかと…」
「いえ、信じる信じないではなく……ともかく、貴方の話を聞きたいと思いまして。」
「はい。元の世界での名前は、アズマカナタです。口コミが良かったのでドキビシ商事に入ったんですが、実際には地獄絵図というか…きっと口コミもサクラだったんでしょうね。」
口コミというのは確か、れびゅーとも呼ばれる感想欄だったはずだ。
異世界では誰もが小型端末を持ち、「ネット」という共通の通信技術によってあらゆる事を調べられる。店や企業の感想欄を見るのも機能の一つらしい。
「確か、サクラは異世界の花の名だったと記憶していますが。」
「そうか、単語全部が通じるわけではないですよね……例えば飲食店で言うなら、客として行った事もないのに、店側から依頼されて『美味しかった』と書き込む人の事です。」
「なるほど、偽客ですね。」
「そんな感じです。高校の時だったかな、バイトでそれをやったと言う奴もいましたね。」
「そ、そうですか……」
なんだか、設定が細かい。
ブラッド様……まさか、そんなに異世界ものがお好きだったなんて……。
記憶喪失になって代替として滑り込むのがその世界観なのだから、余程だったのだろう。常日頃から妄想していたの?
意外だわ…意外過ぎる……異世界ものは恋愛が絡むのも当たり前のようだし、ブラッド様が楽しんで読んでいる姿など想像もつかない。
これが……病……!
「実家では猫飼ってました。餅みたいに白いから、モチスケ。つけた後で女の子だったってわかったんですけどね。あはは」
ブラッド様がへにゃりと顔を緩めて笑っている。
それを見てしまったのだろう、離れた位置で侍女が腕を擦った。表情は耐えているみたいだけど、その仕草も我慢しなさい。
「そうだ。家の人に『俺の犬知りませんか』って聞いてみたんですけど、何と言うか、その……引かないでほしいんですが、男性を紹介されそうになりました……」
急にブラッド様の目と表情が死んだ。
旧ブラッド様に近しい気がして、むしろ少し落ち着くかもしれない。……いえ、それは現ブラッド様に失礼だわ。
「…それは恐らくただの従僕なので引きませんが、家の人というのは使用人ですか?」
「はい。執事の…ハーバートさん?」
「そうですか…」
おかしい。
使用人が主人に敬語を使わせたままなどと。この方が拒否したの?
「ブラッド様。口調に関して、昨日は質問に答えられておらず、失礼しました。」
「ああ……呼び方と敬語を直した方がいいのか、ですね。俺もあの後、聞き直すの忘れてたなと思ったところでした。」
「お屋敷の使用人はもちろん、わたくしにも敬語を使って頂く必要はありません。貴方はサザーランド侯爵のご令息なのですから、より正確には必要ないというより、使わないべきです。」
「…わかっ、た。」
ぎこちなくコクリと頷いて、彼は緊張した面持ちで紅茶を一口飲み込み――ぴくりと一瞬、不快そうに眉が動いた。
元々、彼がよくやっていた仕草だ。
「どうかされましたか?」
「いえその、茶葉?を変えたのかなと思ったんだ。色んな味があるんだね。はは」
「……昨日と同じ物のはずです。」
「えっ、そう?なら昨日はあれかもしれない……転生のショックで、全然味がわかってなかったかも。」
「…失礼しますね。」
腰を上げ、ブラッド様に用意されたティーポットとわたくしのそれを入れ替える。
ブラッド様は不思議そうにそれを見ていて、向こうで待機する侍女達は――変化がない。座り直して蓋を開け、手で扇いでみたけれど…香りは同じだわ。
クセの強い紅茶を用意したわけでもないし……。
「セラフィーナ…さんは」
「セラフィーナと。」
「はいっ。えっと…セラフィーナは、俺の犬がどんなだったかわかるかな。犬種とか」
もう一度聞いてみるよと仰るブラッド様を見て、本題はそれだったと思い出す。
ティーポットの蓋を元に戻して、膝の上で手を揃えた。
「訂正がまだでしたが、わたくしが申し上げた愛剣は【剣】です。犬ではありません」
「……恥っずかし…いや昨日言ってくださ…言ってくれても、よかったのに。」
「そうですね、それはすみません。ですがブラッド様は、日頃から剣を手放す事はないと聞いています。お部屋にありませんでしたか?」
「いや……なかったと思う。クローゼットとか、色々見たけど。」
どういう事だろうか。
頭を打った事故の時に手放しているか、預けた?あるいは、彼が記憶を失ったと知って誰かが持ち去ったのか。
「何かないかなと探してはいたんだよ。昨日、護衛をつけてくれただろ?確かに今の俺は貴族だから、身を守るのも必要だよなって……それで、これは見つけた。」
ブラッド様が、腰の後ろあたりから取り出した物をテーブルに置く。
抜き身のナイフだった。柄にはブラッド様の髪と同じ、赤色の宝石が埋め込まれている。
「それは…」
「知ってる?ベルトに付けられるケースと一緒に、引き出しの一番上にあったから…たぶん普段から持っていたと思うんだけど。」
「……わたくしが贈った、護身用のナイフです。」
何年も前の事だ。
婚約者だというのに、わたくしはそれに自分の色を選ぶ事ができなかった。
関係に自信がなかったから、嫌がられると思ったから。
「ご……ごめん。俺、記憶がなくて。」
「いえ…」
よく、手入れされている。
どうして。
「もしかして剣も――」
「いえ、そちらはわたくしではありません。」
「そ、そっか…」
わたくしを嫌っていても、物に罪はないという事なのか。
わからない。
出会ってから八年、とうにわかった気になっていた。まともな関係など諦めた方がいい人だと。
知った気になっていたけれど、ここにきて幾つも疑問が浮かぶ。
ブラッド様は………この庭で何を思っていたのだろう。




