図書館のシンデレラ
伯爵家に来てから、私の日々は目まぐるしく変わった。
十二歳の私が最初に叩き込まれたのは、貴族の作法だった。コップの持ち方、お茶の飲み方、お辞儀の角度、姿勢、歩き方、すべてが今までの暮らしとは違う世界のルールだった。
読み書きだって、9歳までしか学んでいない。だから、子ども程度の勉強しか習ったことがなくて恥ずかしい反面、学べることが嬉しかった。
母と二人、その日を生きるだけで精一杯だったから。
「アン様は本当に筋がよろしいですね。この分なら、じきに立派なレディになられますよ」
行儀作法の先生にそう褒められるたび、私は嬉しくて胸がいっぱいになった。せっかくお父様に伯爵家のお姫様にしていただいたのだから、恥ずかしくない娘になりたい。誰にも文句を言われないくらい、立派になって見せる。
そうして私は、暇さえあれば図書室に通うようになった。難しい字は読めなくても、少しずつ覚えていけばいい。読めるようになった端から、目についた本を片っ端から開いていった。
「アン様、また図書室ですか。感心なことですねぇ」
司書のおじいさんが目を細めて笑う。厨房のマルタも、庭師のおじさんも、みんな私を見ると同じような顔をした。
「継母様に連れられてきたときは、正直どうなることかと思いましたが……。アン様は本当に、頑張り屋さんでいらっしゃる」
「まるで物語のお姫のようですね。平民から、立派なレディへ」
そう言われるたびに、面映ゆいような、誇らしいような気持ちになった。褒められたくて通っているのではないけれど、誰も見ていなくても、こつこつ努力していれば、報われる。そう信じて疑わなかった。
図書室に通っていると、時折イリスティアお姉様と鉢合わせした。お姉様もまた、お気に入りと思われる椅子に腰掛け、庭のよく見える場所で読書にいらした。
『イリスティア様のお気に入りの場所に近づいてはいけない。
椅子どころか、チーブルの上に置かれた本、ペン、ノート等一つでも触れると激怒される。
ある侍女は、もう読まないのかと思い残された本やペン、インキボトルやノートを片付けていると、激しく叱責を受けたと言う。
酷ければ、伯爵家から追い出されたこともある』
そう聞いていたから、なるべく避けて過ごしていたが、ある日、難しそうな装丁の本を熱心に読んでいるお姉様を見かけて、私は思わず声をかけた。
「お姉様、何を読んでいらっしゃるんですか?」
お姉様は少し眉をひそめたが、無言で表紙をこちらに向けてくれた。私は覗き込んで、表題の文字を一生懸命拾い読みする。
「……まめ、そだて……まわる。あ、お豆を育てる本ですか!」
私はぱっと顔を輝かせた。
「わたし、お野菜育てるの得意なんです!小さい頃、裏庭で母と少しだけ畑をやっていたことがあって。お姉様、よかったら私がお庭で育てましょうか?」
胸を張って申し出た。少しでもお姉様のお役に立てるなら、これほど嬉しいことはない。
けれど返ってきたのは、凍りつくような視線だった。
「結構よ。二度と、読書中に話しかけてこないで。
あと、わからないのに適当なことを言われるのは不愉快だわ」
お姉様はそれだけ言うと、本に視線を戻し、私の存在などなかったかのように、ページをめくり始めた。
「……失礼いたしました」
私は俯いて、その場を離れた。せっかく声をかけたのに。確かに読めなかったけど、悪気なんてなかったのに。
お姉様は、いつもこうだった。分からないことを分からないと言えず、知ったかぶりで誤魔化す人間を、心底嫌っておられるようだった。だから私のような、見当違いの申し出をする者には、容赦がない。でも、間違っていたならもう少し優しく教えてくれても良いのではないか?
私は文字の読み書きは、最近始めたのに、厳しすぎだ。
肩を落として涙目になりながらも、ぐっと堪える。負けたくなかった。それでもイリスティアお姉様の役に立ちたいと、司書のおじさんに、野菜の育て方の本の場所を聞き、本をいくつか借りた。
「イリスティア様は、昔からそういうお方ですよ」
侍女の一人が、そっと教えてくれたことがある。イリスティアお姉様のお母様が居なくなってからますます酷くなっていると言うから、お寂しいと思う。だから、私が妹として、その寂しさを埋めた上げたくて、力になってあげたくて、私は顔を上げて笑顔で見せる。
そしてお姉様が孤立しないよう、少しでも使用人に愛されるよう、お姉様のフォローを始めることにした。仲の良い姉妹をこの頃は夢見ていたし、まだ挽回の余地はあるのだと信じていた。
なにより、分からないことは、分かるまで頑張ればいい。それだけのことではないか。私はそう思いながら、また図書室の扉を開け、お姉様に声をかける。
でも改善することはなく、野菜に興味あるのならと、お父様と庭師に頼み家庭菜園を作って、お姉様に報告したが駄目だった。
「分からないのに、分かったフリや嘘で誤魔化す人間は嫌いなの。
理解できないのか、する気がないのか知らないけれど、やめてほしいと言ったことを繰り返すなんてほとほとうんざりだわ」
そう告げると、翌日には、テーブルセットは撤去され、お姉様はほぼ部屋からでなくなり、めったに図書館にさえ来ることはなくなっていた。




