帰り道
帰り道、ようやく馬車に揺られながら、私たちは肩の力が抜けて長いため息をついた。
急にいろいろ込み上げてきて、子供みたいに声を出して笑い合う。
「セドリック様、三歳か五歳の子供みたいって、すごいこと言われてましたね」
「まあ、ユリウスだし。
アン、これから言うことは秘密だ。誰にも言ってはいけない。そして、決して忘れないでほしい」
セドリック様が深刻そうに私を見ていた。その真剣さに喉が鳴って、居住まいを正す。
「ユリウスは、元々グランド伯爵家の傍系、つまり親戚筋の人間だ。頭が良いけど、変わった奴だったらしい。
二人目に恵まれなかった伯爵夫人が彼を養子にして、跡を継がせるために、ずっと一緒に行動していたそうだ。
伯爵夫人は、あらゆる学問を修めて、一を聞けば百を知る人だった。麦の増産、収穫量の拡大、害虫や疫病の問題を次々に解決して、その功績は百年分の進歩とも言われている。
ユリウスは、その伯爵夫人が認めた、唯一の後継者だ」
まさか、あの手記を書いた人がそんなにすごい人だったなんて。びっくりして言葉も出なかった。でも、一つ気にかかることがある。
「もしかして、ユリウスさんは私のお兄様になる人なんですか?」
「フフ、そうだね。君のお父さんが引退したら伯爵になるから、きっとそうだね」
嫌な人だけど、家族になるのだと思うと、ちょっと気持ちが複雑になった。でも、こんなことが、人に言ってはいけない秘密なんだろうか。首をひねる。
「続きを話そうか。
たった十年ぐらいで、伯爵夫人は数えきれない偉業を成し遂げた。百年は言い過ぎかもしれないけど、それぐらいすごい人だったんだ。
でも、亡くなってしまった。突然病に倒れて、そのまま弱って……。
あの頃はまだ素直で優しかったイリスティアと一緒に、よく伯爵夫人とお話をしたり、難しい本を解説してもらったりしていたから、すごく悲しかったよ」
懐かしむように、悲しみをにじませて、セドリック様が穏やかに笑う。
「成人したばかりの十八歳のユリウスに、伯爵夫人はすべてを譲ると言ったそうだよ。正式な手続きを踏んで、成人している親族全員の前で宣言したんだ。
そして、嫌ならユリウスから奪え、とも言ったらしい」
「なかなか、過激な方ですね」
頷いたあと、セドリック様は両手で顔を覆った。そこから滲むのは、恐怖だ。何に怯えているんだろう。この先に、何があったんだろう?
「あれは、何だったのか分からない。今でも真相は不明だけど、
多分、ユリウスだ。彼しかいないんだ。
聖女の腕を強く掴んで叱責した神官は、その腕を事故で失った。
王家も取り調べたけど、何もかも偶然だと判断された。でも、おかしいだろう?
皆が怖がって何も言わなくなったら、ぴたりと何も起きなくなったんだ。
それから、決闘が一度」
「決闘?」
セドリック様は首を振った。
「あれが決定打になって、彼は社交界を追放された。……詳しくは、僕の口からは言いたくない」
しんと静まり返った馬車に、ゴトゴトと車輪の音だけが響く。
「すまない。ユリウスに会わせるべきじゃなかった。
でも、君の情熱なら彼を動かせると思って、行動したのは僕の責任だ。
怖がらせたくなくて秘密にしたけど、秘密にすべきじゃなかった。
彼を怒らせるようなことをしては……」
肩を震わせる彼を、そっと抱き寄せた。ポンポンと背中を優しく叩いて、なだめる。
「大丈夫ですよ、セドリック様。
私にはわかります。ユリウスさんはたしかに恐ろしい人かもしれません。でも、きっと、伯爵家のことが好きなんです。大事に思っているんです。
伯爵夫人の話をしたら、確かに少し感情的になってましたけど……それは、私の話が当たっていたからだと思います。
大事な恩人の夢を追いかけているのに、なかなかうまくいかない時に、私がノートを持ってきたから驚いたんですよ。
ノートに触ろうとした手が震えてましたもん。
私たちを責任者にして、影から支えてくれるみたいだし。
今はまだ、この手記が必要なので渡せませんが、成功したら、伯爵夫人の手記はユリウスさんにプレゼントします!
だから、皆で頑張りましょう!」
「そうだな、すまない」
「セドリック様、謝ってばっかり。王子様なのに変なの」
ケタケタと、また二人で笑った。重たかった空気を吹き飛ばすように、二人で笑い合った。
「あー、ついでに手を離してほしい。未来の妹とはいえ、婚前の男女が密室で抱き合うのは、ちょっと……」
「あ、ヤダ! 私! ご、ごめんなさい!!」
「いや、僕も悪かった」
「いやいや、抱きついたのは私ですし」
「肩を抱かれて、抵抗しなかったのは僕だし」
「な、なんか暑いですね! 窓を開けましょう。いい風ですよ」
「本当、いい風だ」
二人で赤くなった顔のまま、背を向けて窓の外を見ていた。でも、少し触れていた指先が、ゆっくりと重なって、そのまま二人で手を握っていた。
この馬車の中でだけは、私たちは、共有する秘密を増やした。
神様、わかってます。でも、ほんのもう少しだけ、このままでいさせてください。
この馬車を出たら、ちゃんと妹に戻ります。だから……。




