千里眼の男①
両手いっぱいの資料を持って会いに行ったその人は、穏やかそうに微笑んでいる。ちょっと顔の良い細身の男の人だった。
なんというか、騎士でもあるセドリック様とは違った、いかにも文官という雰囲気がした。
じっと私を見つめるその目が『千里眼』『未来視』と呼ばれているとは到底思えない。だが、なんだか胸がドキドキして、手に汗がにじんできた。
「セドリック殿下。ようこそ……僕の農場へ。
僕は、あまり予定を乱されることは好きじゃありません。突然のご訪問に驚いております。何用でしょうか?」
少しイヤミを感じるし、私は眼中にないらしい。
だがここで負けてはいられない。私は、すべきことがあって、わざわざ王都からセドリック様とここまでやってきたのだ。
深呼吸してから、目の前の男性――ユリウスさんを、目に力を入れて見る。この人の協力が、絶対に必要だった。
「ユリウスさん。協力してください! あなたの頭脳が必要なんです!」
「例えばどういうことで?」
「これを見てください!」
勢いがつきすぎて、両手の資料をテーブルにバサッと広げてしまった。何枚かが床に落ちる。それをちらりとユリウスさんが見た。私も視線を追ったけれど、今は大事な資料ではないので、まずは話を進めようと無視した。
ゆっくりと資料を見ていた彼の視線が、ある一点で止まる。余裕ぶっていた目が見開かれた。勢いで開いてしまったノートの文字を見ている。
勝った!!
そう思って隣のセドリック様を見ると、満足そうに微笑んでくれた。興味を引けたなら、まずはヨシ。視線を戻すと、ユリウスさんの手がゆっくりとノートへ伸びていた。その指先が、かすかに震えている。
私は慌てて、中央の手書きの手記を取り上げて胸にギュッと抱きしめた。ユリウスさんの視線が強くなり、まっすぐ私を見る。
無言で、無表情。口元を引き締めて、黙ってこちらを見ている。静かに……けれど、その威圧感はすごかった。息が止まりそうになる。
「それは?」
低い声だった。先ほどまでの雰囲気とは違う。これが本性なんだろうか。
この人を本気にさせるほどのノートだったということなら、私は関心を引けたということだ。
手の中のノートの価値に感謝しつつ、無言の彼を見返す。
睨み合いで負ける気はない!
私には、この国の将来がかかっているんだ!
「これは、お父様からお借りしたローゼリンデ様の手記です!
これによると、えっと……これです!
『焼いた貝殻を細かく臼で挽き、砂のようにしたものを畑にまくことには、どのような意味があるのか?
土壌改良はできたが、理由が不明である。早急に調べる必要がある』
って書いてあったりする、すっごい資料なんです!」
「なぜお前がそれを持っている。
お前たちは、それの意味と価値を知っているのか?」
「内容は、実は……あまり分かりません。
ただ、お父様の亡くなった奥様が、すごい天才だったそうです。
その方が資料をたくさん集めて、豊かな国づくりを目指していたみたいで、その資料が沢山ありました!
これは、それを活用しようとしていたローゼリンデ様の、国を思う心です!
たくさんのことが書かれていて、これができたらきっと、この国を本当の意味で豊かにできるって、私は信じてます!
でも、私とセドリック様と、セドリック様の側近の人だけでは、どうしても超えられない壁があるんです。
そんなときに、ユリウスさんの噂を聞きました。
天才だって……その頭脳を、私たちの夢のために貸してください。
お願いします!!」
頭を下げる。何か言ってくれるまで、上げる気はない。
助けてくれるなら土下座だってできる。
私には国の将来がかかっている。
セドリック様の希望と夢が、かかっている。
「頼む、ユリウス。
どうしてもこれを実現したいんだ!
僕からも頼む、このとおりだ!」
驚いて、上げまいと決めていた頭を上げると、セドリック様が頭を下げていた。
一瞬止めようかと思ったけれど、私ももう一度、ユリウスさんへ向かって深く頭を下げた。
「お願いします!!」
「頼む!!」
沈黙が続く。
室内には、時計の音だけが聞こえていた。
「……考えさせてくれ。1時間ほど、一人にしてほしい」
顔を上げると、ユリウスさんはこちらに背を向け、窓の外を眺めていた。確か、その窓からは広大な麦畑が見えるはずだ。実験のために、いろいろと試行錯誤をしている畑だという。
この国一番の天才と呼ばれるユリウスさんでも、まだ辿り着けていない場所。そこへ、このノートとセドリック様の力があれば届くに違いない。私は確信していた。
「分かった。少し待たせてもらう」
「出ていけ。一人で考えたいと言っただろう。その迷惑な資料も持って出ていってくれ。部屋は他にある」
乱暴な言い方だった。
そこまで彼を追い詰めるほどの内容が書いてあったのかと、開いていたページを思い出そうとしたけれど、取られてしまったら大変だと慌てて閉じたから覚えていない。
セドリック様を見ると、失礼な物言いなど気にしていないように、私の肩に手を置いて頷いた。だから私も一緒に部屋を出た。
扉を閉める直前。
ユリウスさんは、窓に手をつき、頭を下げていた。
苦しいと訴えるような背中だった。




