ノートの秘密
翌朝、教会の祈りの儀式に合わせていらしたセドリック様を、私はまた空き部屋にこっそりお連れした。今度は、隠すように抱えていた本を、両手でぎゅっと差し出す。
「セドリック様、見てください!
これ、イリスティアお姉様が……その、色々あって私に渡してくれたんです」
咄嗟に出た言葉だった。本当のことを言えば、ジューンが私のためにお姉様に秘密で借りてきてくれたのだが、お姉様にバレると良くないと思って、少しごまかしてしまった。でも、後で返せば問題ないと思ってた
「イリスティアが? いったいどうしたんだいそんなに緊張して」
不思議そうな顔で本を受け取ったセドリック様が、ゆっくりとその表紙をめくると、その裏表紙に目を落とした。
一瞬の沈黙。
「土壌改良と肥料――聖女の力を活用しない、農耕理論……だと?」
声に出して読み上げたその一文に、セドリック様自身が息を呑んだ。そして次々と、ページをめくる。そして、ぐっと手を握りしめ、眉間にシワを刻み強く眼を閉じていた。
「セドリック様……?」
しばらく、返事がなかった。ただ、ページをめくる音だけが空き部屋に響く。私は息をするのも忘れて、その横顔をじっと見つめていた。
「アン!!これが!?
これが、あの……ローゼリンデの手記だと言うのか!?」
ガシッと肩ではなく、今度は両手をがっしりと握られた。あまりの勢いに驚いて声も出せない私に、セドリック様は興奮した様子で顔を近づける。
「凄いぞ、アン!これは、世紀の大発見なんてものじゃない。
僕も読めないところは多いけれど、土壌改良の方法や、必要な肥料を作るための素材について細かく書いている。
これはまさに救国の手記だ」
「そ、そんなに凄いことなんですか……?」
握られた手の熱さに、顔が一気に赤くなるのがわかった。喜びのあまりなのか、それとも近すぎる距離のせいなのか、自分でもよくわからない。
「ああ、間違いない。この配合の記述、それにここ――土地ごとの土質の違いまで踏まえて書かれている。片手間で書けるようなものじゃない」
セドリック様は興奮を隠しきれない様子で、何度も同じページを読み返している。その真剣な表情に、私まで胸が高鳴った。
「あの、これって……本当にお姉様が?
お姉様、こんな凄いものをずっと隠して……」
「わからない。だが、これがローゼリンデ様の遺したものなら、辻褄は合う。
彼女にとってこれは遺品だしね。
もしかすると、これが成功すると自分の立場なくなる可能性とかを考えて不安になったのかもしれないしね。」
「不安?」
「あ、ああまあ、彼女の立場とか、色々あるかもしれないから」
セドリック様はそこで一度言葉を切り、私の手をそっと離すと、真剣な顔でこちらを見た。
「アン、手記の事だが……。
よく聞いてくれ。これは、僕たちだけの手には負えない。もっと、専門的な知識を持った人間が必要だ」
「専門的な人間、ですか?」
「ああ。心当たりがある。少し時間をくれないか」
そう言ったセドリック様の目には、いつもの穏やかさとは違う、真剣な光が宿っていた。
「僕の従兄弟に、こういった研究に詳しい人間がいる。大公家の――」
そこまで言いかけて、セドリック様は不意に口をつぐんだ。何かを思い出したような、少し困ったような表情。
「セドリック様?」
「いや……なんでもない。とにかく、彼に相談してみよう。きっと力になってくれるはずだ」
私は頷きながらも、その一瞬の間に浮かんだ表情が気になって仕方なかった。でも今は、それよりもこの手記だ。お姉様の――いいえ、ローゼリンデ様の想いを、少しでも解き明かすことの方が大事だと、自分に言い聞かせた。
「わかりました!私、頑張ります」
「ああ、頼りにしてる」
差し出された手に、また自分の手を重ねる。今度はさっきよりも落ち着いて、でも確かな熱を感じながら。
窓の外では、教会の鐘が鳴っていた。




