牡丹の朝露6
「ひぃっ、や、やめろよっ」
情けない声と共に、彼は黎の手を掴み返す。そして、もう一度大きな悲鳴をあげた。
「わああっ! つ、冷えっ。なんだこれ! 気持ちわるっ!」
『私が死んだ理由は分かってる。でも、それを私が言ってもなんの証拠にもならないの。それは、決定的な証拠を掴んでもらって、相手を囲い込んでからじゃないと明かせない。真相解明は最上くんに託すわ。だから——あんたたち、彼の邪魔をするんじゃないわよ。いいわね? もしそんなことをしようものなら……私があんたたちを呪い殺してやるわ!』
そうして、小野はギロリと周囲を睨みつける。皆が震え、何も答えられずにいるのを見ると、ふんと一つ鼻を鳴らして、消えてしまった。
まるで嵐のようだった。
生前の小野とあまりにも変わらないエネルギッシュな様子に、しばし呆然としたものの、光彰と八木は思わず思い切り吹き出してしまった。彼女の最後がどんなものであったにせよ、あれほど彼女らしくいられるのなら、それで良かったのかも知れない。なぜか二人とも、そう思えたからだ。
「すごいな、小野。殺された人とは思えない力強さだ。悲壮感や後悔が全く見られ無い」
「本当だな。俺実は幽霊系とか全くだめなんだけど、今の小野さんは全然怖くなかったわ。それよりも、なんかとにかく……、色々すごいなって言葉しか出てこねえよ」
二人はそう言って笑い合う。
しかし、他の生徒はそうはいかなかった。彼らは、そもそも霊を見ること自体に慣れていない。教室中が怯えている。彼らは皆ぶるぶると体を震わせ、口もきけなくなっていた。隣り合うものと顔を見合わせ、何が起きたのか分からないといった動きをを繰り返している。
「ぎっ……ぎゃああああ! 本当に幽霊じゃねーか! え、俺たち呪われるのか? 死ぬのか?」
しばらく大人しくしていた葉咲とその取り巻きたちは、口がきけるようになると、今度は大慌てでそう叫び始めた。そしてそのまま、我先にと慌てて教室を飛び出して行く。
他の生徒も後に続き、三人だけが教室に残される。喧騒が過ぎ去り、辺りはしんと静まり返った。すると、まるでそれを待っていたかのように、黎が突然その場に倒れ込む。光彰はそれを、慣れた様子で抱き止めた。
「お……、っと。——お疲れさま、黎」
柔らかな笑みを浮かべ、そう呟く。そして、軽々と黎を抱き上げた。
柳野の家の者は、最上が使役する霊をうつす依代になる。その際にこうして倒れることもまた、よくあることだ。
だからその後の対応にも、光彰はもちろん慣れている。八木はそれを黙って眺めていた。
そして、まるで何事も無かったかのように黎を部屋へ連れ帰ろうとする光彰の後ろ姿を見送ろうとしていた。しかし、どうも何かを忘れているような気がしている。
「あっ……!」
光彰が教室を出ようとしたところで、八木はようやくそれが何かに気がついた。慌てて光彰を止めにかかる。
しっかり冷静さを取り戻したのか、その時には、第二寮長八木和希としてのキャラクターをも取り戻していた。
「みっ……、も、最上くん、待って! だめだよ、今は校長室に行かないと! この後身動きが取りづらくなるから、ちゃんと行って!」
そう、光彰は今、何よりも校長室に行かなければならない。この状況で彼が校長に会いに行かないという選択をすると、恵那は間違いなく謹慎以上の処分を下すだろう。
しかし、そこはやはり光彰だ。彼は八木の言葉を聞いてもなお、寮へ戻ろうとする。面倒そうに顔を顰めると「どうでもいい」と吐き捨てるように答えた。
すると、八木は珍しくそれを聞き入れず、光彰の方へと走り寄った。そして、行く手を阻む様にして光彰の目の前に立つ。
じっと真剣な目で光彰を見ると、彼に思い直すようにして欲しいとの意味を込めるように、必死な目をして何度もかぶりを振った。
「ダメだよ、今すぐに校長室へ行って。柳野くんは、僕がとりあえず保健室へ連れていくから。行かないとどうなるか分からない。あんなクソみたいな先生たちの思い通りに君が潰されていくのを、黙って見ているなんて僕は嫌だよ。それに、君たちを守るのは俺の仕事……」
そこで言い淀む。何か計算をしているのか、一瞬黙り込むと、キャラクターをかなぐり捨てて自分の言葉で話し始めた。
「なあ、光彰。わかるだろう? 今は恵那に歯向かうな。そして、たまには俺を頼れ。俺はお前達の護衛だけじゃなくて、手助けをするためにもいるんだ。——七香ちゃんのシートをあげるからさ! 頼むから言うこと聞いてくれ!」
「七香ちゃん? なんだそれ」
突然八木の熱量が上がり驚いた光彰は、黎を抱えたままその場に立ち止まった。彼には滅多にない事だが、珍しく人の言うことが理解出来ないようで、眉間には深い皺が刻まれている。
「お、俺が一番大事にしてるキャラだよ。机の上で俺のことを見守ってくれてる子!」
「ああ、あれか。あのピンク色のホログラムシート……」
八木は、必死だ。光彰がちゃんと校長室へ行くのであれば、彼が死ぬほど大切にしている七香ちゃんのホログラムシートを、光彰に譲ってもいいと言っている。
光彰は、その言葉の中に、深い愛情を感じた。その熱意が光彰の心を打った。
昨日までは、そつ無く任務を果たしていたであろう八木の、思いもよらない不器用さに、思わず頬を緩める。八木もまた、彼をきちんと人として見てくれているのだろう。それは彼にとって、何よりも喜びとなるものだ。
「そうか、お前がそこまで言うなら、聞かないわけには行かないな。行ってくるから、黎を頼む。あ、七香ちゃんは要らないからな。お前が持っている方が、彼女も喜ぶだろう」
そう言うと、腕の中で眠っている黎を、八木へと託した。
「お、おう。任せとけ」
八木は屈強な体躯をしている。仕事柄必要だから鍛えてあるのだと、昨夜彼らに話してくれた。気絶している黎をなんの苦もなく、ふわりと抱き上げる。そうして、光彰をまっすぐに見つめた。
「彼一人を寮に連れていくくらいなら、いつでも変わってやれるから」
そう言って腕力を示そうと、筋肉を見せつけてくる。そうして戯ける八木に、光彰は信頼の笑顔を返した。
「わかった。黎をよろしくな。——ありがとう、八木」
八木は光彰のその笑顔を見て、満足そうに笑った。そして、
「うん。ほら、行ってこい」
と光彰の肩に自らの肩を押し当てる。それは、業務上の行為というよりは、友情の現れだろう。光彰は、この学園に来て初めて、誰かに守られる喜びというものを感じたような気がした。
「ああ、行ってくる」
そう答えて、前を向く。
それから一人で教室のドアを開け、八木へと手を振った。
そして、そのまま職員室の奥にある校長室へと向かって歩き出す。天敵恵那がどう出るのかを推測しながら、廊下を駆け抜けた。




