牡丹の朝露1
「近づきたくなる何か、か……。じゃあ、俺はその薬を飲まされていて、薬とホログラフィの影響で、温田見くんに近づきたいと思わされていた。だから、彼を追いかけた。でも、俺自身は温田見くんを追いかけたくなるほど親しかったわけじゃない。それはつまり、幽霊と薬を飲んだ人間の関係性に関わらず、どんな間柄であっても強制的にそうしたくなるように仕向けられているってことか? ある種の催眠みたいな……」
「ああ、おそらくそうだろう」
「俺もそう思う」
八木と光彰は、黎の言葉に同意して、揃って頷く。
しかし、それで自分の行動がはっきりしたために、黎はかえって肝が冷える思いをした。
自分がした事なのに、何がきっかけでそうしたいと思ったのか、それをはっきりと思い出す事が出来ない。その事が、今更ながら恐ろしいと感じるようになっていた。体を震わせ、改めて怯える様子を見せ始めた。
すると、そんな黎の様子を見ていた八木が、何を思ったのか徐に冷蔵庫を開け、中から小さな箱を取り出した。
更に、黎のために用意していたというカフェラテを取り出し、その二つをトレイに載せて「はい」と手渡す。黎はそれを受け取った。
「これは柳野でも飲めるやつだよ。ソイラテだ」
「えっ、ありがとう。——あれ、これって小野さんがくれたものと同じもの……?」
そう言ってソイラテを飲もうとしたところで、はたと動きを止めた。そして、トレイの上の小箱をじっと見つめる。その箱には、小野が黎に渡したキャラメルフレーバーのシロップと同じロゴがプリントされていた。
「なあ、もしかして、これか? これがそのヤバいやつ?」
「今日の柳野の様子を見る限りでは、そうじゃないかと思う」
そう言い切った八木の顔を見て、黎は息を詰めた。
青い光を受けながら揺れる湖面に、黎はあの時の小野の顔を思い浮かべてみる。
「小野さん、すっごい笑顔で笑ってたのにな」
そう、彼女は笑顔だった。目の前で同じものを口にしていた彼女が笑っていたことに安心し、黎はそれを受け取ったのだ。
「あんなに曇りない笑顔で、死ぬかもしれない薬を人に飲ませるなんて……。どうしてそんな事になったんだよ。あの人、そんな人じゃないんだろう? なあ、光彰」
「ああ、そうだな。小野はそういう人間じゃない。誰かがそうせざるを得ないような状況に追い込んだんだろう。俺はそう思ってる」
「そうせざるを得ないように……? 誰がそんなことするんだよ。こんな閉ざされた世界で、幽霊だ飛び降りだ薬物だって……。物騒にも程があるだろう」
黎は言葉も揺れ始めていた。その顔色が蒼白に見えるのは、蝶のせいだけではないだろう。光彰は怯える幼馴染を抱き寄せる。八木も心配そうに彼らを見つめていた。
「なあ、黎。この薬物なんだが、俺たちには見当がついてるんだ。ただ、それは半減期が短くて、使用者に話を聞かないと確証が得られない。お前、幻覚は見たか? 極彩色の光の輪やギザギザの模様のようなものが見えなかったか? 八木にその記録を取らせよう。そして、父さんたちと情報を共有するんだ」
落ち込む黎に寄り添いながらも光彰がそう訊ねると、彼は腕をさすりながらも頷いた。
視線を巡らせながら、必死に記憶を辿る。催眠状態に入ってからのことは覚えていないが、その直前に光彰が言うようなものが見えた瞬間が甦って来た。
「あ、あった。多分お前が言うようなものがあったと思う。そうだ、それに、お前が見えたよ」
「——俺が? どこに見えたんだ」
思いもよらない黎の言葉に、光彰と八木は顔を見合わせた。薬物使用による幻覚の証言は、これまで一度も取られていない。八木はスマホを取り出すと、レコーダーアプリを起動させ、黎の言葉を記録し始めた。
「温田見くんの霊に重なって見えたんだよ。最初は温田見くんだけしか見えなかったのに、その手前にだんだん小さい頃の光彰が見えて来たんだ。それがギラギラしたピンク色の虫みたいなのに追いかけられてて、そのうち食べられそうになってさ。ヤバいと思って、俺助けようとしたんだよ。それで、お前を必死に追いかけて……」
「——目の前のものが歪んで見えたりとかはあったか?」
八木がそう問いかけると、黎は何度か頷いた。
「あったと思う。それに、浮遊感っていうか、自分だけ時間が止まったような感じもした。それが気持ち悪いって思ったところまでは覚えてる」
「そうか……。それなら、メスカリンなんだろうか。他にも同じような症状が出るものはあるが、千夜の時のことを考えると、やっぱりメスカリンの可能性が高いよな。八木、お前はどう思う?」
レコーダーから文字を起こした八木は、それをメッセージに添えているところだった。
叔父である探偵事務所の所長に報告を入れたのだろう、その顔は、男子高校生のものではなく、業務に専念する探偵のものになっていた。
「本物を分析するしか無いから、今の時点ではなんとも言えない。でも、ここの転落事故が全て薬物によるもので、かつ同一犯の犯行であった場合、柳野が飲まされたものも同じ薬物だと考えるのが自然だろう。おそらくメスカリンなんだろうな。ただ、どうやって手に入れるんだろうか。入手ルートが分からない。ルートというか、原材料自体は日本でも普通に買えるものだ。でも、加工することは法律で禁じられている。そうなると、売人から購入するか、自分で作るしかない」
「そうだな。しかし、この寮棟に出入りするものは、人もモノも全てが警備に管理されている。購入しているのなら、受付た荷物を辿れば分かるはずだ。警備を通さずに何かを購入しようと思うなら、自分が出かけるしかない。そして、出かけたなら、それも記録に残っている。その両方を照合してみるか……」
八木はそう言いながら、文字に起こしてそれも報告として上げていく。そういうことは外の人間に任せた方がいいと判断したのだろう。
黙りこくってしまった三人の頭上を、カラスアゲハがゆっくりと舞う。そのビロード状の毛は、今も青く妖しく輝きを放っていた。そこから発せられる光は、緩やかに曲線を描いていく。その様を、三人でぼんやりと眺めた。
「調べてからじゃないと言い切るのは危険だが、実は、俺は外部から購入したってことは無いと思ってるけどな。小野や温田見が、自分から進んで薬物を買うなんていう、超リスキーなことはしないだろうから……」
すると、そう言う八木に、黎が「なんでそう思うんだ?」と食い気味に尋ねた。




