八木の秘密5
その顔は、どう見てもこの状況を楽しんでいる。情けなく肩を落とす八木の隣で、自らはその肩を揺らして笑いを噛み殺そうとしていた。
「え、なになに、光彰もしかして笑ってる……のか? お前、本当に最近どうしたの? そんなに俺以外の人に心を開くようになるなんて……。あ、それよりここどこなんだよ? わ! なんだあれ! 蝶が飛んでるぞ!」
目覚めに得た情報量が多すぎたのか、黎は自分が置かれている状況に戸惑い、軽いパニック状態に陥った。次々に思いついたことが口をついて出てしまい、いつもよりもずっと騒がしく話し続けている。
それもそうだろう、光彰と幽霊を見に行っていたはずの場から、目を覚ました途端にクラスメイトが実は探偵で、優等生だと思ったらタバコをふかしているし、部屋には蝶が飛び交っているのだ。
その上、ここがどこかも分からず、光彰が顔をぐしゃぐしゃにして笑うというレアな場面にも遭遇し、それを見ている八木は、何度見ても大人にしか見えない。
何からどう理解していけばいいものかがわからず、彼はただひたすらに狼狽えていた。
「ああそうだ、悪かったな、黎。説明してないのだから、それは混乱するだろう。まず、ここは八木の部屋だ。第二寮寮長室。俺たちが一緒にいるのは……」
そして、黎が気を失ってからの経緯を説明した。すると、黎は目を丸くする。
「——え? あれは温田見くんの霊じゃないのか? 俺にはそうとしか思えなかったぞ」
すると光彰は、ベッドの端に腰掛けながら腕を組んで唸った。
「おそらくそう思わせるのが狙いで、お前を選んだんだろうな」
八木はその言葉に何か違和感を感じたらしい。
「それはどういう意味だ?」
その目が鋭く光ったことで、二人は八木が見習いとはいえ探偵なのだということを初めてきちんと理解した。
疑問を持ったことは、どんなに小さなことでも逃すまいと、狩りをする鷹のように、その瞳が獲物を射抜こうとする。それは、一般の人間では決して見られないものだ。
「八木、お前は田岡が俺を狙ってると言っていただろう? 俺はそうは思わないが、俺をコントロールしようとしていたことについては、事実だろうと思っている。俺にあのホログラフィを本物だと信じ込ませるように、誰かに指示されて動いていたんだろう。ただ、残念ながら、俺には本物の霊が見える。本物がどういうものかを知っている者に偽物を本物だと信じ込ませようとするのは、不可能に等しい。そこで、俺に最も近い人間で、その人物が『あれは幽霊だ』と言えば俺が簡単に信用してしまうであろう人物を利用した。それが黎だ。黎を動かすために、小野や田岡に黎への接触を命じたんだろう。そしてついでに、俺を学園から追い出す手筈も整えようとしているんだろうな。あの噂の浸透の仕方は異常だ。異様に早くて、深度もある。生徒にそう信じ込ませられるだけの器のある『誰か』が糸を引いているとしか思えない」
光彰がそう言って黎の背中をぽんと叩くと、八木は「なるほど」と言いながら頷いた。
「そうなると、奴らの今日の狙いは、小野を利用して柳野をコントロールし、最上にあのホログラフィはすごいものだと思わせたかったと言うことになるのか。もしくは、夜に外出させることで、明確な校則違反になるように仕向けたか……。そして、あわよくばこれを根拠にした停学を……っていうところが狙いか?」
八木の呟きに、光彰は黙って頷く。黎はその隣で、ただ驚くばかりだった。
「恐らくそうだろう。俺を一連の噂の犯人と断定するために、今夜のことは仕組まれていたんだろうな。言われてみれば分かりやすいことだが、俺は気がついていなかった。温田見の霊を調査する上で、自分が狙われているとは思っても見なかった。俺もまだ甘いんだな」
そう言ってやや気落ちした光彰を見て、黎の胸がずきりと痛む。元はと言えば、黎に隙があったことがいけなかったのだ。彼の脇の甘さに、光彰が傷ついている。それが、どうにも耐え難いようだ。
「じ、じゃあさ。俺はその田岡を動かしている人物の思惑通りに動いたってことだよな」
さらに肩を落として、黎がぽつりとそう呟く。何気なく零したその言葉には、言いようのない怒りと落胆が込められていた。
「つまりさ、奴らは俺にあのホログラフィを幽霊だと思わせることに成功したんだろう? だって俺、実際あれは本当に幽霊だと思ってたからな。でも、分かんねえな。あれが温田見くんの霊だと俺が心の底から信じてたとしてもだ、なんであの時、俺はそれをあんなに必死になって追いかけようとしたんだろうな」
そう言って首を捻る黎に、光彰は眉を顰めた。黎の言わんとすることが、どうにも理解出来ないらしい。
「——それは、どういう意味だ?」
深刻そうにそう尋ねる光彰に、黎は意外だと言わんばかりに目を瞠った。
どうやら彼は、そんなことはわざわざ言うまでもないと思っていたのだろう。肩を竦めながら、なんてことないと言いたげに、彼は言葉を紡いでいく。
「だって、よく考えてみろよ。俺別にそこまでするほど温田見くんに会いたかったわけじゃないからな。お前が小野さんの代わりにあの場に行くって言うから、それについて行っただけだろう? それなのに、お前の制止を振り解いてまで彼を追いかけようとするなんてさ……。どう考えても変じゃないか?」
黎の言葉に、今度は光彰が目を瞠った。隣で八木もそうするのが目に入る。
確かに、言われてみればそうだ。黎を操ってホログラフィを本物の霊だと思い込ませることに成功したとして、その後彼に何をさせようとしていたのだろうか。それは分かっていない。
「ああ、確かにそうだな。そもそも、お前は霊が怖いだろう? それなのにそう親しくもない同級生の霊を追うなんて、普通では考えられない。そうするように仕向ける必要があったんだろうが、そこまでして、なぜそうする必要があったのか……」
「そう、そうなんだよ。お前なら分かるよな? 俺は幽霊が怖い。普通なら絶対に追いかけたりしない。でも、あの時は、温田見くんの霊に近づきたくて夢中になってた気がするんだ。それはなんでなんだろうな」
冷静に考えれば考えるほど、それは分からなくなる。彼が光彰にあの温田見を本物の霊だと証言したとして、それを光彰が信じたとして、田岡を動かしている人物は、それからどうしたかったのだろうか。そこがいまいち分からないのだ。
「俺はこの場合、その幽霊が温田見かどうかは、おそらく関係ないと考えている。ホログラフィを幽霊だと信じ込ませるために、その不足を補うように薬を飲ませ、それが幽霊を追いかけたくなるような気にさせるトリガーを含んでいる。俺はそう考えた。それは恐らく幻覚の類で、薬を摂取した人物の精神に直接働きかけるものなんだろう。自分からその幽霊に近づきたい、近づくと嬉しいと思えるような何か、それが見えるようになるんじゃないだろうか。だからこそ、時計塔から落ちて亡くなった者たちは、皆幸せそうな顔をして亡くなってるんだろう。特に、温田見は市岡にそれを目撃されているだろう? あいつの言う事を信じるなら、そう言うことになるはずだ」




