八木の秘密2
「——なるほど。これはタバコの匂いなのか。俺はあまりタバコを吸っている人に会ったことが無いから、はっきりとわからなかったのかも知れないな。確かにお前からは、時々この匂いがしていた。言われてみれば、教師で喫煙する者と似たような匂いがする。市岡とか恵那はこの臭いがよくするな。そうか、これがタバコ……」
そう言って僅かに顔を顰めると、こっそりと鼻を摘んだ。その光彰の行動を見た八木は目を瞠る。
「マジかよ。タバコの匂いを知らない人なんているんだな」
そうして、どんな風に生きていたら全くタバコに出会わずに済むんだろうかと、悩む素振りをして見せた。
「大袈裟だな。紙タバコの匂いを知らない人なら、いくらでもいるだろう。電子タバコなら見た事はあるぞ」
「あっそう。すみませんね、古い人間で。どうにも電子タバコが好きになれねーのよ。あれなら吸わなくていいと思うんだよ、俺は」
「——古い人間って言っても、二歳しか違わないじゃないか。変なやつだな、お前は」
八木が彼の言う本来の自分らしく振る舞うにつれ、何故か旧知の仲のような安心感が二人の胸に宿る。
光彰は、これまでにも八木には不思議な安心感を持つことがあったのだが、どうやらそれは彼の年齢が影響していたらしい。
落ち着いて見えるのではなく、実際に八木には光彰よりも二年分多い人生の積み重ねがあったわけだ。
「まあそれはいいとして、お前は父さんから千夜の心残りの件の調査依頼もされているのか。ということは、千夜が誰なのかも知っているってことだろう? もちろん、並木千夜ではなく、その前の名前のことだが……」
光彰が八木に尋ねようとすると、八木はゆっくりと大きく頷いた。そして、黎の顔をじっと見つめる。
「並木千夜以前の名前というと、柳野千晃さんのことだよな? それは俺も辰之助さんから聞いてる。彼が性別違和を訴えて柳野を勘当され、並木の養子に入ったという話も、事前情報として貰っていた。依頼は、並木千夜になった後から、彼女が亡くなる日までの間に、誰と出会ってどう生活が変化したのかを調べてほしいというものだ」
「そうか、知らされていたんだな。この体の中に二人分の魂が存在することも知った上で、俺たちを見守っていたわけか。それは大変だっただろう。——ありがとう」
光彰は、まだ穏やかに寝息を立てている黎の髪を指で梳く。千夜は今調査に出ているため、その髪の色は、いつものように墨を落としたように黒い。
その束は、蝶やアニメキャラのホログラフィの光を受けて艶めき、さらさらと音を立てて光彰の指の間から滑り落ちて行った。
「まあ、楽では無かったな。お前に俺が探偵だと気が付かれないようにする事が、一番大変だった」
そう言うと、八木は大きな口を開け、白い歯を光らせながら豪快に笑った。
「俺がお前に探偵だと言わなかったのは、辰之助さんから止められていたわけじゃない。その方がお互いに安全を保てると思ったからだ。俺は、お前たち二人の身辺警護をしながら、時計塔からの転落事故についても調べてほしいと言われている。この調査は、学校にとって迷惑な事だろう。つまり、俺は煙たい存在だ。そんな俺とお前が親しくなるのは、あまり良くないと思ったんだ。ただ、お前結構面白かったから、結果的に変な信頼関係が築き上がってしまったけれどな」
八木はそういうと、ガブガブとコーヒーを飲み干した。そして、綺麗に整えられていた髪を振り捌き、きちんと座っていた姿勢を緩やかに崩していく。
そうしてくつろいだ姿に変わると、煙をゆっくりと燻らせた。こうして彼は、だんだんと作られた第二寮長八木和希というキャラクターを、光彰の前で綺麗さっぱりと脱ぎ捨てて行った。
「そうか、隠していたのはお前の判断だったわけだな。俺としては、お前は仕事をしていただけなのだから、別に構わない。これまでは何も無かったから隠し通せていたけれど、今回は黎の身に危険が及んだから明かすことにした。そういうことだな?」
光彰の問いかけに、八木は「そういうことだ」と言って頷く。一階のコミュニケーションルームで打ちつけた背中が痛むのか、肩を抑えて微かに呻いた。
「それで、ホログラフィで作った幽霊を本物だと信用させるために、相手に薬まで飲ませて自分から飛び降りるように仕向けているような下衆が、この学園内にいるということは分かっているんだよな? それなら、そこから先を警察に任せないのはどうしてなんだ? 彼らに物的証拠でも探して貰えば、すぐに解決するだろう。飛び降りる生徒が後を経たない理由も、千夜が落ちた理由も。例えその原因が異なっていたとしても、本気で調査すれば、すぐに何か掴めるんじゃないのか」
そう言いながら、やや憤りを感じつつある光彰の様子をみて、八木は「ああ」と言いながら申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「そうだな、そう思うよな。まあ、それに対する答えは、とても下らないものなんだよなあ……」
光彰の問いに、八木は言いにくそうに目を伏せた。あまり楽しい話ではないのだろう。八木は口元に手を当てたまま、どう言おうかと考えあぐねている。
「学校の都合だ。生徒たちがクスリに手を出していたことを、学校が隠したがってるんだよ。今、彼らの死は、全員悩みを苦にした飛び降りということになっている。その決定事項を、わざわざ覆したく無いらしい。これからの卒業生たちの未来にも関わるからと校長が言っているらしくて、全ての件で深い調査はされなかった。全ての事案で、だ。辰之助さんはそれを知ってから公に動くのをやめたんだ。それから、真相は私的に調べることにしたらしい。だから、そのクスリがなんであるのか、誰がそれを捌いているのか、そういうことも含めて、内偵は俺が、外では叔父が調査してる。千夜さんが時計塔から落ちて亡くなったのであれば、もしかしたら彼女もクスリの影響を受けたんじゃ無いかと言われてて……」
「——お前、千夜がクスリをやっていたと言いたいのか?」
八木の説明に、光彰がギラリと目を光らせた。




