誘惑5
「つまり、今俺たちはこれまで以上に周囲に狙われているということだな? そして、それがなぜなのかはまだ分かっていない。——まあ、どうせあの呪いの噂に関することだろうがな。分かった、そういうことなら、俺も少しでも情報を掴んでいた方がいい。行こうか、お前の部屋へ。詳しく話を聞かせてくれ」
光彰は、決めてしまえば行動が早い。まだぐったりしている黎を抱えて背負うと、スッと立ち上がった。そして、少しでも機敏に動けるようにと、黎の足の下へと通した手で黎の手を握る。遭難者を背負うような形で、彼を無事に運ぶための体勢を整えた。
「オッケー、じゃあ急ごう。申請してあったとしても、他の生徒に見つかると面倒だからね。僕らが一緒にいるところが噂になると、収拾がつかなくなるだろう。それは避けたい」
八木はそう言うと、二人を先導するために彼の先を歩いた。光彰はそれに続く。小柄とはいえ、高校生男子を背負っているということを忘れてしまいそうな軽さに、光彰は辛そうに眉根を寄せた。
「こんなに軽くなってるとはな。体力が落ちると、憑依の危険が増すんだが……」
ポツリとそう呟く。しかし、耳をくすぐる軽やかな寝息がその不安を払拭してくれた。安堵した彼は、握り合った手に力を込める。
歩きながら、光彰はふとガラス壁の向こうに消えていった温田見の姿を思い出した。あの時の温田見の表情に、彼は思うところがあったのだ。
あの、まるで何かから解放されたような笑顔……。駆け出したその姿は、憎たらしいほどに清々しく、光彰の感情を奇妙に乱した。
『お前には無い自由を手に入れた。羨ましいだろう?』
そう言われているような気がして仕方が無かったのだ。
生前の温田見は、そんな行動をするような人では無かった。見た目が生きていた頃と変わらないからか、その行動だけが妙に不自然に思えて、光彰には、それが何かの危険を予知しているようにも感じられていた。
そこへ来て、八木の話だ。田岡が光彰を陥れるように支持されたのであれば、それはそのうちに確実になされるだろう。よく考えてみれば、騒動の全てに田岡が関わっている。光彰と黎が今ここにいる事も、誰かと共謀して、ここまで誘導していた可能性すらあるのだ。
そうなると、怪しいのは小野ということになるだろう。温田見の霊を見に来たのは、小野の願いを叶えるためだ。危険を冒してまでそうしようとしていた彼を、彼らは共謀して犯人に仕立てようとしている可能性がある。それが八木のいう田岡が光彰を狙っているということなのだろう。
しかし、もう一つの可能性も捨てきれない。それは、田岡が計画を実行するために、小野を利用しているというものだ。
——もし、田岡が小野に『第一寮に温田見の霊が出るらしい』と話したんだとしたら……。
小野にそう言えば、彼女が噂を信じて、霊を操れるであろう光彰に、温田見と話したいと言って頼って来ることは、この学園の生徒であれば容易に想像がつくだろう。
そして、その目論見通りにここへやって来た光彰たちに、何かしらの手を尽くして霊ではない霊を見せたのだとしたら……。
そして、あの時田岡が口にした言葉、『牡丹の朝露』の意味するものは何か。彼が果たさなくてはならない命令がなんであるのか、それを考えているうちに、不自然と光彰の口の端が持ち上がった。
「上等じゃないか。お前たちの思い通りに動いてやろう」
光彰は、田岡の後ろにいるであろう人物に挑戦状を叩きつける事にした。
田岡は、彼にとって色眼鏡なしに自分を見てくれる、貴重な友人だ。温田見や小野、そして八木。その三人と同じような位置にいる。
そんな田岡が、光彰に個人的に恨みを抱いているとは、彼は全く考えていないようだ。少しの疑問も抱かず、彼の後ろの誰かが黒幕だと信じていた。
そして、あの輝くような笑顔を持つ男を操っている、その見えない人物に対して、激しい憎悪の炎を燃やし始めていた。
◆
非常灯の灯りが映るリノリウムの床を、黎を背負った光彰と八木が並んで歩いていく。第二寮の寮生たちは、皆眠りについているようで、彼らの足音以外は何も聞こえない。二人は、慎重に歩を進めた。
この棟の一番奥が、第二寮の寮長である八木の個室だ。八木は自室の部屋の鍵を開け、ドアノブを握りしめる。しかし、なぜか一向にドアを開く気配がない。不審に思った光彰が、彼の背中へ声を投げた。
「どうした、八木。届出をしているとはいえ、他の寮生には見つかりたく無いんだろう? それなら早く開けてくれないか」
「あ、うん。そうだね。そうなんだけど……」
驚いたことに、どうやら八木は、ここへ来て何やら躊躇っている様子を見せ始めた。自ら部屋へと誘っておきながら、一体何に躊躇しているのだろう。そう光彰が訝しんでいると、八木は恥ずかしそうに床を見つめ、言いにくそうに口をもごもごと動かし始める。何やら、言いにくいことがあるらしい。
「あの、実は……。僕はこの部屋に人を入れたことが一度もないんだ。それはどうしてなのか……きっと見たらすぐにわかると思う。だけど、口外しないでいてもらえるかな? 僕も柳野くんの秘密を知ってしまったから、これで痛み分けということにしてもらえると助かるんだけど……」
八木の言葉を聞いて、光彰は少々面食らった。
「黎の秘密って……。ああ、あの校庭で見たやつのことか?」
「そう、アレ。あの時の柳野くん、眠ってる姿がなんというか……女の子みたいだった。上手く言えないけど、いつもと全然違ってたよね。でも、間違いなく柳野くんだった。なんだかわからないけれど、そのあたりが秘密なんだろうなと思って。その、本当はもっと女の子っぽいっていうか、なんて言ったらいいのかわからないけれど、なんか、そういう……」
「女の子っぽいねえ……。まあ、そうだな。そうであって、そうでないっていうところだろう。それに、確かにあれば重要な秘密だ。あまり人には知って欲しいことでは無い」
あの時、黎がいつもと違って見えたのなら、それはそうだろう。あの時間は、千夜が表に出ていた。
入れ替わると精神性と髪の状態が変わり、真っ黒な髪の一部が、明るく、そして長く変化する。そして、その上品な見た目に反してややガサツな所作が、磨き上げられた美しいものへと変わっていくのだ。
しかし、ただ眠っているだけなら、それも分かりにく買ったのだろう。でも、あの時黎は寝返りを打った。その動きが、いつもの黎とはまるで違ったのだ。
「それと同じくらい重要なお前の秘密が、この部屋に入ると俺に知れてしまうのか?」
光彰の問いかけに、八木は恥ずかしそうに目を瞑り、こくりと頷いた。




