ペナルティ4
「えっ?」
彼のその反応に、黎はまた目を見張った。あまりに開き過ぎたために、乾燥して目が痛くなってしまいそうになる。しかし、そうなってもおかしくない程に、今の光彰の言動は珍しいものだった。彼がこんな風に人に興味を持つことなど、そうあることでは無い。
「どうした、黎。俺は何か変なことを言ったか?」
「あ、いや、なんていうか……。確かに、それで捕まるなんて滅多にないことだろうから、田岡らしいのかもしれない。お前ちょっと捕まりすぎだもんな。普通校門の風紀チェックでへそピアスで引っかかるやつなんていないだろ? ていうか、そもそもの話なんだけど、へそってピアスしちゃダメなのか? ダメだったとしても、どうやって見つかるんだよ。もしかして、風紀チェックの時に服を脱がされたのか?」
黎には、それがどうにも引っかかって仕方がなかった。
登校中の風紀チェックで、どうすればへそのピアスが見つかるのだろうか。その理由が分からない。頭を抱えながら、目の前のピアスをまじまじと眺めた。ヘソのピアスというものは、黎にとってはあまりにも珍しいもので、興味を惹かれて仕方がないのだろう。目を輝かせながら距離を詰めて行く。
「おいおい、お前顔ちけーよ! 髪が腹にかかってくすぐってえ」
「え? あ、悪い。へそピアスの本物なんて初めて見たから、つい……」
よほど興味を惹かれたのか、いつの間にか黎は、そのまっすぐでサラサラの髪が、田岡の肌に触れるまで近づいていた。そのピアスの輝きはとてもクリアで美しく、思わず手を触れてしまいそうになるくらいに引き込まれるものがある。
「いやまあ、俺はいいんだけどさ。あんまり他の男に近づいてると、浮気だと思われるぞ。見ろよ、あいつの顔」
そう言って笑う田岡に促され、黎は後ろを振り返る。すると、面白くなさそうに田岡を睨みながら窓を拭いている光彰が目に入った。そして、何かを言いたそうな顔をして黎へと視線を移す。その目と口は、分かりやすく嫉妬に歪んでいた。
「お前本当に柳野への執着やべーんだな。心配するなよ、お前の前で柳野に手を出したりしないって」
面白がった田岡が光彰にそう叫ぶと、光彰はさらに視線を尖らせる。遠慮なくそれをぶつけて来るその姿に、田岡はまた楽しそうに笑い声を上げた。
「あははは。あーやべえな。最上本当に面白ぇー」
「——ちょっと、田岡。あんまりあいつを揶揄うなよ。拗ねると後で俺が大変なんだからな……」
そう言って黎がため息を吐くと、田岡はそれを見て柔らかい笑顔を浮かべた。
「——慰めるのはお前の仕事だもんな。そうだな、悪かった。でも、自分の事であんな風になってくれるのって、実は幸せな事だからな。お前もそれをちゃんと分かってやっておけよ」
そう言うと、未だに睨みつけている光彰を見て、「羨ましい」と呟いた。黎には、田岡のその表情には、悲痛な願いが込められているように見えた。
田岡歩夢は、中等部から清水田学園に籍を置いている。元々は寄付金額の多さで一組に所属していたのだが、中等部在籍時に両親を事故で亡くした。それからは成績優秀者として一組に所属している。ほとんど教室にはおらず、出欠確認を取られた後にふらりと姿を消すことが多いのだが、学校は彼に指導以上の罰を与えようとはして来なかった。
それは、彼が音楽教師の戸田と恋人関係にあることが理由だと言われている。戸田の配偶者は大学部の教授だ。大学への功績が非常に大きい戸田教授は、非常に扱いにくい人物としても知られている。そのため、清水田学園では、彼の機嫌を取れる者は、それだけで優遇されるのだ。
田岡は、戸田夫婦どちらにも気に入られており、彼が授業にいない時は、夫妻どちらかの機嫌をとりに行っている時だと言われている。この学園は拝金主義だ。学校運営において利益になるのであれば、素行が悪かろうと指導などするわけがない。それがあの校長の恵那の方針だという事は、誰もが知るところだ。
田岡自身がそれをどういう気持ちでやっているのか、本心を知る者はいない。誰とも深く関わろうとしない彼の、いつもヘラヘラと笑っている様子とは打って変わって、今彼らの目の前の田岡は、悲壮感に満ちた様子を見せていた。
「あ、そうだ。さっきの質問だけどな……」
二人がそのことを気にしていることに気がついたのか、すっかり沈んでしまった空気を変えようとして、田岡は口を開いた。その顔には、作り笑いが張り付いている。
「へそピがダメかどうかって話だけど、ダメだって生徒手帳に書いてあるらしいぞ。俺、見えないからいいと思ってたんだけど、何でか気づかれてさあ。お前の言う通り、わざわざ脱がされて怒られたんだぜ。しかもさあ、何を考えてんのか恵那のやつ、これを力づくで外そうとしてくれたんだよ。これまだ開けてそんなに経ってなくてさ。傷が塞がってないし、化膿したら嫌だからやめてくれって抵抗したら、やっと手を引いてくれたんだよ」
田岡はなんでもないことのようにそう答えながら、乱した服を元に戻すと、またピアノの鍵盤を布で一本一本丁寧に拭き始めた。鍵盤の境目や蓋の裏側、側板や脚柱も丁寧に拭き上げていく。彼は派手な見た目をしているし、普段はかなり大雑把な人物だ。それでも、戸田と交際しているからだろうか、彼女が普段触れているピアノに触る手の動きは、とても繊細な動きを見せていた。
「えっ、脱がされたって……。今までそんな検査の仕方してた先生いた? 大体、へそのピアスなんて、本人が言わなきゃわからないだろう? なんの根拠もなく無理に脱がせたのなら、それはハラスメントだと思うぞ」
黎は田岡の丁寧な掃除の仕方に感心しながら、その心に傷がついているのではないかと心配していた。見えるはずのない場所にまで口を挟まれるのは、教師であっても行きすぎる行為のように感じるのだろう。田岡は黎のその優しさに気づくと、思わず目を細めた。自分よりも傷ついた顔をしてくれているクラスメイトを見て、嬉しそうに顔を綻ばせていく。




