ペナルティ3
「なあ、これちょっと汚すぎねえか? 絶対戸田ちゃんこの教室の掃除してねーだろ。担当学科の教室くらいちゃんとしとけっつうんだよな。クラス担任持ってねえくせに。なあ、最上」
田岡は、黒板とその周囲を拭き取りながら、一拭きするだけで真っ黒になっていく雑巾を見て辟易としていた。滅多に顔を合わせることのない最上光彰という優等生へ話しかける事で、どんな反応をしてくれるのかをワクワクして待っているのが、側からも見て取れる。
しかし、光彰の方はそうでは無かった。目の前で話しかけられているにも関わらず、サラリと彼を無視して通り過ぎて行ってしまった。まるでそこに誰もいないかのような態度を取り、何事も無かったように窓を拭き始める。
その態度は、彼をよく知らない者にとってはあまりにも酷いものに見えるだろう。驚いてポカンと口を開けている田岡に、黎が慌てて頭を下げた。
「おい、光彰! 田岡が話しかけてるだろうが。ちゃんと返事しろよ! 田岡、ごめんな。こいつ誰にでもこんな感じなんだよ。別にお前を気に入らないとかじゃないし、多分自分が失礼なことをしてる自覚もないんだ。俺がちゃんと怒っておくから、許してやってくれ」
田岡への失礼な態度を咎める黎は、まるで親や教師のように光彰を嗜めた。光彰はいつもこうなのだ。こういう失礼な態度をとっては、相手を苛立たせてしまう。その度に黎は代わりに頭を下げていた。
「ん? 何を怒ってるんだ、黎」
しかし、光彰の方はやはり何も分かっておらず、田岡と同じように呆けた顔で動きを止めている。予想もしなかった反応に、黎は困惑した。
「えっ? お前聞き流したんじゃなくて、本当に何も聞こえてなかったわけ? 嘘だろう、あんなに目の前で話しかけられてたのに……」
「え、俺に? 何か言ってたのか? 田岡が?」
「ええ、お前……。嘘だろう? 本当に聞こえて無いんだな。いくらなんでも、もうちょっとまわりに興味持てよ。目の前の人くらい、ちゃんとコミュニケーション取れよ」
黎がそうして至近距離で話しかけて来た同級生に気づかない光彰に呆れていると、無視されて嫌な思いをしたはずの田岡の方は、なぜか楽しそうな笑い声をあげ始めた。
「あははっ! やべえ、キングの噂って本当なんだな! すげえいいもん見た気がする!」
そう言う田岡の目は、言葉の通りにとても貴重なものを見たかのように、キラキラと輝いているように見えた。その様子は、腹を立てているとは到底思えず、むしろ何処か喜んでいるようにすら見える。一般的なものとは程遠い反応を見せる二人に、黎は呆れてしまった。
「——田岡? お前もお前でどうしたんだよ。その反応、おかしくない?」
「いやだってさ……。最上の態度が酷いっていう噂は、滅多に教室にいない俺でも知ってるんだけど、本当にやべーんだな、お前。マジで柳野以外の人間をゴミのように見るだろ? さっきの顔、あんなの人に見せたらダメぞ。おキレイな顔が台無しだ!」
「ええ? それってどういうことだ? そんなに笑うところなのか? 普通なら怒るところだろう?」
黎は驚いた。光彰の態度が王様然としていることに関して、こういう反応をした人を見たことがなかったからだ。大体の反応は、無視されたことに対してプライドを傷つけられたと怒られてしまう。だからこそ黎が謝ったのだが、田岡はこの光彰の失礼な行動が面白いのだと言う。
「あー、やべえ、おもしれえ。腹痛えわー」
涙を流しながらも笑いを堪えようとするのだが、目の前にいる光彰がその田岡の様子に目もくれず、淡々と無表情で窓を拭いているのを見ているとまたぶり返すのだろうか、くすくすと笑い始めてしまう。そのループに陥った姿は本当に楽しそうで、見ている方の胸がすくような爽快感を与えてくれた。
そして、当の本人である光彰はというと、一見すると何も感じていないように見える。しかし、その表情は、黎がこれまで見たことがないほどに穏やかなものになっていた。その小さな変化の中に、光彰が田岡に興味を持ったことが表われている。彼がはっきりと言葉にはしなくとも、黎にはそれが伝わって来ていた。
「——お前も喜んでんのかよ」
黎の言葉に、光彰はふっと短く息を吐いた。その笑顔に、黎は胸がぎゅっと詰まるのを感じた。
いつも周りから勝手で横暴な人間だと誤解されていく幼馴染は、かつてはその誤解を解こうと頑張っていた頃もあった。しかし、どれほど努力をしても、結局は意図しない方へと誤解され続けたために、次第に周囲に心を閉ざすようになっていったのだ。
いつしかそれが当たり前のように思われるようになり、誰にでも優しかったかつての光彰を知っている友人は、もはや黎だけになっている。
——友達が増えるといいな、光彰。
ずっと周囲からの心無い評価を受ける光彰に、黎は心を痛めていた。誤解を解こうと必死になるあまり、黎も一緒に孤立していった事を、彼も分かっている。それでも光彰と周囲の間にできた壁を打ち破ることは、黎には出来なかった。それを田岡は軽々と超えてくれる。そう思うと、こうして光彰に接してくれる田岡に、彼は強い感謝を覚えていた
「ところでさあ、田岡。お前もここにいるってことは、何か校則違反をやったんだろ? 今度は何をやったんだ? まだ三年になったばかりなのに、もう三回も指導を受けてるらしいじゃないか」
黎が田岡にそう尋ねると、彼はそれを聞いてニヤリと笑った。どうやらそれを訊かれるのがよほど嬉しいのだろう。小学生が悪戯を報告するような顔で黎を見ている。
「残念、惜しいな、柳野。実はこれで四回目なんだよ。四回とも全部ピアスで引っかかったな。ずっと耳で捕まってたんだけど、今回はほら、これ」
田岡はそう言うと、徐に制服のシャツを捲り上げた。得意気に披露された腹部には、鍛え上げられた腹筋と共に、キラリと輝くものが見える。そこには、厳ついバーベルタイプのピアスのヘッドに大きなスワロフスキーが埋め込まれた、主張の激しいボディピアスが輝いていた。
「へ、へその……ピアス?」
思わぬものを見せられて、黎は思わず目を見張った。そして、その隣では光彰が、
「——そんなもので捕まるとは、お前らしいかもしれないな」
と言う。その声は、明らかに楽しそうに弾んでいた。




