ペナルティ2
爆発音のような激しい音と共に、恵那の姿と声は消える。そうしてようやく安心出来る場所へと出たからか、普段感情を露わにすることの少ない顔を、怒りが埋め尽くそうとしていた。
「光彰……」
いつもと違う様子の幼馴染に、黎は胸を痛めた。彼は、光彰がこれほど大きな声をあげる姿を、これまで見た事が無い。
千夜が亡くなった黎の兄の千晃であり、偽装とはいえ光彰と恋人関係にあったことを考えると、恵那の言葉の全ては、彼にとって耐え難いものだったのだろう。それは、少しの違いはあるかも知れないが、黎も似たような思いを抱いていた。彼もまた、兄を侮辱した恵那を許す事は出来そうにない。
「千夜が人を殺すっていう噂は、つまりは兄さんがそうしてるって言われてるってことだもんな。しかも、それをお前が指示してるなんて……。そんなの、俺も許せない。お前の言う通りだ、二人で犯人を探そう。偽物の千夜を使って生徒を死なせてるやつを、そのままにしてて言い訳がないもんな。絶対に捕まえようぜ」
黎がそう告げると、光彰はふっと笑みをこぼし、無言で頷いた。そして、怒りに震える黎の拳を、ひとまわり大きな手でそっと握り締める。
「——今の俺が言うと説得力が無いだろうが、戦うなら常に冷静でいなければダメだ。とにかく、部屋に戻ろう。本物の千夜がどういう状態なのかは、恵那には一切知られたくない。情報の扱いは慎重に行こう、黎」
そう言って穏やかに微笑むと、その手を引いたまま寮棟へと歩き始めた。黎もそれをあえて解こうとはせず、されるがままについていく。この日二人は、心を合わせた。
二人にとって大切な人である千夜の名誉を毀損し続けている、清水田学園生に牙を剥く本当の犯人を、その手で捕まえる決意を固めた。
◆
反省指導対象者に対する才見からの指示とは、つまり素行の悪い生徒に課せられた罰のことだ。対象者は他にもいて、そのそれぞれに、清掃や行事の下準備などの雑用を任される。光彰と黎が最初の指導として才見から頼まれた雑用は、音楽室の清掃だった。
「規則違反の罰が特別教室の掃除くらいでいいなら、そりゃ夜中に抜け出す生徒は減らないだろうな」
そう言いながら光彰と黎が放課後に職員室へ向かうと、満面の笑みを湛えた才見が待っていた。
「優等生二人が反省指導を受けるなんて、意外だね」
才見は二人の手にモップとバケツ、そして幾つかのスプレーを持たせた。バケツの中には、他の教室の清掃ではあまり使わないような、化学繊維製の柔らかな布の束も入っている。楽器の清掃に使うために持たされたそれは、新品のまま包装が埃を被っていた。
「はい、これ。じゃあ、埃と汚れに塗れた世界を、美しい音の響きに似合う空間に変えてきてね」
その使われた形跡の無い道具の数々に、二人は嫌な予感がしていた。
「もしかすると、全然掃除されて無いのかも知れないな」
どう見ても一度も使われていないであろうモップの柄を掴み、光彰は呆れる。
「かもな。だとしたら、埃の量が尋常じゃ無いかも知れないぞ。ピアノの周りと教壇の近くって近づいたことが無いもんな。あの辺汚ねえのかも……」
そんなことを話しながら、二人は共に特別教室の並ぶ四階へと向かった。階段を登りきり踊り場を抜ける。すると、音楽室のドアの前に、すらりと手の高い男子学生が一人立っていた。
その生徒は、金色の短い髪を無造作に立たせ、左に三つ、右に二つ、右のヘリックスと呼ばれる位置にも一つ、それぞれピアスをしていて、シルバーの涼しげな光を纏っていた。その風貌から毎朝のように風紀チェックで引っかかっているのだが、それ以外でもとにかく派手な事で知られている。二人と同じクラスの、田岡歩夢だった。田岡は、ドアにもたれて気だるげな様子を見せている。腕を組んだ状態で、ぼんやりと階下を眺めていた。
「おーい、田岡ぁ。お前、先に職員室に行けって言われてただろう? 俺たちだけに道具持ってこさせるなよなー」
黎が田岡に声をかけると、弾かれるようにして意識をこちらへと取り戻す。そして、軽薄そうな笑みを浮かべると、怒っている黎に手を合わせて謝罪を始めた。
「わりぃ、柳野。あ、最上もな。俺その事をすっかり忘れてたんだよ。持ってきてくれてありがとうな。——でも、本当に最上と柳野なんだな。優等生なのに、三年になって初めて反省指導に引っかかるなんて、お前ら何したんだよ。普通は三年になったら気をつけ始めるんだぞ。今まで一度も無かったクセに、なんで今からワルイコになってんだよ。意味が分かんねえ」
彼はそう言うと、口を大きく開けて豪快に笑った。その笑顔は、とても人懐っこい。思わず警戒心を緩めてしまいそうになるような、不思議な力を持っていた。
「昨日眠れなくて、門限破って時計塔に行ったんだよ。夜に行くと風が気持ちいいだろ?」
「時計塔に……? でも、なんで二人で? 夜の時計塔といえば、カップルの溜まり場だろ?」
「うっ、いや、そうなんだけどさ。俺が一人で行くのは怖かったから、光彰について来てもらったんだよ」
「——ほぉん、なるほどね。まあ、最上に殺されそうだから、それ以上は聞かずにいてやるよ。すっげえ顔で睨まれてるからさ」
同じクラスではあるものの、二人は彼とほとんど話したことはなかった。しかし、田岡はこの笑顔でも分かる通り、とても親しみやすい性格をしている。その見た目も手伝って、いたるところで浮名を流しているともっぱらの評判だ。その噂に違わぬ人懐っこさに、黎もすぐに警戒を解いた。二人はものの数分で仲良くなってしまい、和気藹々と掃除を進めて行く。
「柳野ー、これの掃除ってどうやんの? 水拭きしていいんだっけ?」
「えっ? いや、ピアノは水ぶきはダメじゃなかったか? あ、確かこの乾いた布を使えって言われてたはずだぞ。ほら、これ。あ、もしかして、もう濡れた雑巾で拭いたのか?」
「いや、大丈夫。ギリギリだったけどセーフだ。助かったー、俺ピアノなんか触ったことねえからさ。危ない危ない」
そう言って、田岡は白い歯を輝かせながら笑う。隣で黎は胸に手を当てて安堵していた。
「あっぶねえ。水拭きされたらどうなってたか……。弁償になると大変だぞ。いくら必要か、考えるだけでゾッとするわ」
「わりぃ、俺ちょっとそういうところダメなんだよな。細かいことが苦手っていうか。じゃあ俺は楽器は触んねえようにして、教壇まわりの埃を取っておくわ」
田岡はそういうとピアノから距離を取り、三人はそれぞれに持ち場を決めて清掃を始めた。特別教室に蔓延るカビ臭さと格闘しながら、少しずつ埃を払っていく。
よほど長い間放置されていたのか、教卓からピアノ周りの埃は、固まっていてなかなか綺麗に落ちない。掃除を自分ですることが無いような家に育った三人にとっては、これはそれなりの重労働だった。




