黎の秘密2
「お前が自分の体の中にいると知ったら、きっと黎は喜ぶだろう。でも、それを知った時に、黎が必ず引っ掛かることがあるはずなんだ。俺はそれを避けたい。ただ、それが何なのかは……、悪いがお前にも俺の口からは言いたくない。他の人間にとっては大したことじゃない。ただ、俺にとっては大きな問題だ。——そういえば、お前ならわかるだろう? 千晃にい」
そう言って千夜へと向けられた光彰の顔は、月明かりでもはっきりわかるほどに紅潮していた。千夜はそれを見て一瞬目を見張った。
過去に二人が恋愛関係にあるという噂を立てることで、お互いに身を守りあっていた。当然可能な限りそばにいるようにしていたので、千夜は光彰のプライベートを黎よりもよく知っている。その彼女でさえ見たことが無いくらいの無防備な感情が、そこにはあった。
光彰と黎は、いずれ総領と依代としてバディを組む事になっている。それは家同士で決められていることではあるが、それ以上に光彰が望んでいたことでもあった。
その想いの強さを誰よりも知っているのは、千夜だ。ともに過ごした夜の時間に、お互いの恋の話をよくしていた。光彰の恋の話を聞いていたのは、この世にもあの世にも彼女だけしかいない。
「——あー、なるほどね。あんたが黎に優しくするのは、一応元カノである私が体の中にいるからだって、そう思われたく無いのね。黎が好きでそうしてるのに、私にそうしてると思われたくない……。いやでもさ、いずれバレるんだから、結局そう思われるかもしれないじゃないの。それなら、さっさと全部話して、本気の告白をすればいいじゃない。いつも軽々しく好きだの愛してるだの言うから、黎が信じてくれないのよ」
千夜はそう言うと「あんたって本当に賢いのかそうじゃないのか分かんないわね」と言って、霊とは思えないほどに快活な笑い声を上げた。それは、静まり返った真夜中の校庭に朗々と響き渡っていく。
普段ならば、霊体である彼女が何を言おうと、その声は光彰にしか聞こえないので問題は無い。しかし、今の彼女は人間同様に実体化させてある。つまり、彼女の大声は、所謂人間が夜中に馬鹿騒ぎをしているのと、なんら変わりは無いという事になる。
今は未明と呼ばれる時間帯だ。周囲はまだ暗い。そこで大声を上げるということは、寮を抜け出していることを宣言しているのと同じだ。
「バカっ! 大きな声を出すな……」
光彰は慌てて千夜へ近づくと、実体化を解くため、息を吹きかけた指先で彼女の耳もとに触れた。そこをトントンと軽く叩く。すると、彼女の体は一瞬にして暗闇の中へと消えていった。光彰の目の前には、漆黒の闇と気絶した黎だけが残された。
ちょうどその時、午前三時を迎えた。鐘は鳴らず、代わりに短針が動いた事によるガチャリという重たい音が響く。その後の静けさに耳をそば立てると、光彰はようやく安堵した。
「——誰も騒いではいないな。まったくあいつは……。自由極まりないな」
そう呟いた光彰の手には、どこからともなく現れた、二つの楔が握られていた。
しん、と静まり返った時計塔は、いつの間にか真っ暗になっていた。尖塔を照らす灯りが消え、そこにあったはずのものは、時計塔を残して全て消えて無くなっている。
「——あいつも消えたか」
見上げた先には、ついさっきまでそこにいた少女の姿も無くなっていた。丑三つ時が過ぎ、神々の動く時刻がやってくる。『時計塔の千夜』は、魑魅魍魎と共に闇の中へと溶けてしまったかのように、跡形もなく消え去っていた。
◆
「最上くーん。今日の放課後、校長室に来てくださいって。また伝言頼まれたよ」
翌日の昼休みのことだった。春の風が吹き抜ける午後、光彰と黎は前日の約束通りに校庭のベンチで昼食をとり、二人揃ってのんびりと昼寝をしていた。
そこへまた伝言を携えた八木がやって来た。伝書鳩のように的確に伝言を届けてくれる八木は、教師たちからいつもいいように使われている。
本人もそのことを自覚しているようなのだが、八木自身はそのことをまるで気にしてい無いのだという。むしろ、それくらいのことで評価が良くなるのであれば、これは利点でしかないと言って、いつも「俺は便利屋だから」と笑い飛ばしていた。
その八木から声をかけられても、深く眠り込んでいた光彰と黎は、なかなかはっきりと目を覚す事が出来ない。夢現の状態で、しばらく八木の声をBGMのようにぼんやりと聞き流していた。
「ん……」
二人ともこんな風に力なく返事はするものの、一向に起きる気配がない。
「おーい、最上くーん。なあ、聞いてる?」
八木は何度も彼にそう声をかけるものの、光彰はそれ以上目を覚さない。昨夜はほぼ徹夜だったため、普段なら昼寝など絶対にしない彼も、珍しく眠気に勝つことが出来ずにいた。
人目につきにくい場所を選んでいたこともあって、警戒心も緩んでいたのだろう。光彰は、黎を後ろから抱くようにして眠っている。八木は、彼らのその無防備な姿を見て、どう声をかけたらいいものかと悩んでいた。
「あのさあ、ねえ、ちょっと。そんなにラブラブな姿を見せられると、僕の方が困るんだけど。というより、起きてこれを知ったら、柳野くんはきっと怒ると思うよ。だからほら、起きて!」
八木は自分以外の生徒にこの状況を見られてはいけないだろうと、早く目を覚まさせるために光彰の肩を揺すった。それでもなかなか夢から抜け出せないらしい彼に苛立ちを感じ始めた頃、ようやくその瞼がピクリと動いた。
「——ん? 八木?」
どうにか目を覚ました光彰は、目の前で八木が驚愕の表情を浮かべていることに気がつく。何をそんなに驚いているのかと思い、彼の視線を追いかけた。
「——ああ、もしかして見たのか?」
八木は戸惑いながらも、小さく「あー……、うん」と答える。その頬に、僅かに赤みが差していた。
光彰は一瞬狼狽えた。黎を抱きしめていたこと自体は見られても構わない。しかし、彼に気が付かれてはいけないことが一つあるのだ。
今の黎は、千夜が表に出ている。彼女は言葉はきついが所作が上品で柔らかく、寝顔もどこか黎とは違って見える。目の瞑り方、眉のアーチ、口の開き加減、首の傾き……、その全てに黎では無い誰かの様相が見て取れる。
そして、知られると困るのは、髪に変化が現れるということだ。千夜が表に現れると、その左耳に近い一束分の髪の色が銀色に変わる。そして、全体的にやや長くなるのだ。よく見なければ分からないくらいの変化ではある。それでも、気が付かれてしまえば厄介だろう。理由を聞かれても、どう答えればいいのかが光彰には分からない。




