光彰と千夜、千晃と黎6
「ねえ、黎。光彰が使役するのは、地縛霊だけだっていう話は聞いた?」
努めて明るく振る舞いながら、千夜が言う。自分が霊であることなど大した事ではないと言いたげに、敢えて人間には出来そうも無いことを、黎に繰り返しやって見せた。
先ほどのように音もなく移動して見せたり、空高く飛んでみたりしては、そにたびに驚く弟の表情にくすりと笑う。それはまるで、自分は霊で二人は人間であるというどうしようもない事実に、打ちのめされたくないという、悲痛な気持ちの表れのようにも見えた。
「うん、聞いた。それこそ、ついさっきだけど」
「あらそう、それなら話は早いわね。まあ、つまりね、私も地縛霊なわけよ。何かしらこの世に未練があって残ってるんだけど、実は私にはそれが何だったのかっていう記憶が無いのよね。だから、何が私をこの世に留めているかは、今のところ全然分からないの。で、私はそれを見つけるまではここにいたい。でも、地縛霊として時間が経ちすぎると、成仏できなくなっちゃうのよ。そこで、光彰と契約をしたの。光彰にこき使われると、その分成仏するまでに時間を稼げるのよ。だからね、その間は黎のそばにいられるわ。折角こうして再会出来たじゃない? だから、時々こうやって話しましょうよ。そして、次に本当のお別れをする日が来るまで、お互いにゆっくり心の準備をしていきましょう」
千夜はそう言うと、長い髪とレモンイエローの裾を揺らしながら、それと同じくらいに優しく柔らかに微笑んだ。ふわりと沸き立つようなその微笑みは、生前彼女が黎にいつも見せてくれていた、見ていると安心し切ってしまうような、包容力のある笑みだった。
兄の千晃は、いつも黎の悲しみを、あの温かい笑顔で包んでくれていた。その頃の温もりが思い返せるようで、思いが込み上げてくる。
なぜ彼女が飛び降りなければならなかったのか、黎は何も知らない。今の千夜の言うことは、とても身勝手な話に聞こえなくもない。自分を置いて逝ってしまった千夜に、恨み言がまるでないとは言い切れない。
それでも、今こうして一緒にいられるのなら、他はどうでもいいのかもしれないともおもえていた。会いたかった千晃がそこにいる。黎にとっては、それだけで十分だと思えた。
黎は鼻をさすり、顔をくしゃっと崩して、目に滲む涙を誤魔化した。そして、兄を追って走った頃のように、無邪気な笑顔で千夜を見る。
「うん、そうしよう。俺もそうしたい。次の『さようなら』は、納得して言えるようにしたいから。だから、それまでは話せるだけ話そう。——ねえ、折角だからさ、一緒に高校での思い出を作ろうよ。本当なら高校には一緒に通えない年齢差があるけど、今なら同級生として話が出来るよ。そう考えると、ちょっとラッキーなんじゃない?」
そう言ってニヤリと笑いながら、黎は勢いよく手を差し出した。
「えっ、でも……」
千夜はそれを見て、少し躊躇っている。またさっきのように弟を怖がらせてはいけないと思いつつ、でも、可愛がっていた彼が差し出してくれた手を取りたくて、どうするべきか決めかねていた。ちらりと光彰へ縋るような目を向ける。それに気づいた黎が、光彰に向かって笑いかけた。
「大丈夫、最初からその手が冷たいってわかってれば、怖くない!」
そう言うと、更にぐいっと手を伸ばし、改めて千夜に握手を求めた。千夜は光彰が頷くのを確認すると、恐る恐る黎の手を取った。
少し強張ってはいるものの、握りしめても怯まない弟の様子を見て、彼女はほっと胸を撫で下ろす。
「——そうね。前もって知ってれば、ショックは和らぐわよね」
千夜はそう言うと、またふわりと笑った。そして、小さかったはずの弟の手を少し握りしめる。手に触れた筋ばった手に、残酷な時の流れを感じると、思わず目を潤ませた。
「三年経ったら、こんなに成長しちゃうのね……」
そうして、共に過ごすことの出来なかった日々を想い、両手で黎の手を愛おしそうに包み込んだ。
光彰は、二人が手を握り合っている姿を見て、僅かに表情を緩ませた。この世にたくさん人がいようとも、これほどに彼の心を動かすのは、千夜と黎の二人だけだろう。愛しい二人が幸せそうにしている姿を見て、彼は悦に入っていた。
しかし、忘れずに伝えなければならないことがある。今夜彼が黎に話さなければならないことは、あともう一つ残っていた。
「黎、俺が使役している千夜は、お前の兄だった千晃のことだとわかっただろう? 千晃は優しいやつだったけれど、気弱で儚いイメージとは違うよな?」
「兄さんのイメージ? そうだなあ……」
光彰にそう尋ねられた黎は、昔の兄のことを思い出そうとして、千夜の顔をじっと見つめる。その目の奥に、在りし日の兄の姿を探した。
「そうだな、儚いっていうイメージとは違うな。細くて優しいイメージはあったけれど、口は悪かったし強い人だった。仕草が女性っぽいって揶揄われることは多かったみたいだけれど、そういうのに負けることってなかったと思うし、むしろ揶揄い返して相手を怯ませて、それを楽しんでたことの方が多かった気がするよ」
それを聞いていた千夜は楽しそうに吹き出した。得意げに胸を張り、武勇伝を語る。
「そうそう、オカマは気持ち悪いだのなんだの言われてたけど、抱きついてキスするふりしてやったりとかしてたわよ。いちいち揶揄ってくるくせに、ちょっとやり返すと真っ赤になって逃げるような奴らばっかりだったわね。——だからそれでハッキリとわかるわよね? 噂になってる『時計塔の千夜』は、私じゃ無いってこと。それに、私はここにいるのに、今も『時計塔の千夜』はあそこにいるでしょう?」
そう言うと、相変わらず尖塔の台座に座ったままで、ぼんやりと遠くを見ている千夜を指差した。
「——そうか、そうだな。だって、今本物の千夜はここにいるもんな。じゃあ、あれは……」
黎も千夜に倣い、月光を受けて黙ったままの『時計塔の千夜』を見上げた。彼女はかれこれ一時間ほど、あのままずっと遠くを眺めている。一度も身じろぎせず、立ちあがろうともしない。幽霊なのだから身じろぎなどしなくてもおかしく無いのだろうけれど、それを差し引いても尚不自然さが目立った。
「そうだ。つまり、あそこにいる千夜は偽物ってことだ。あの噂は、おそらく千夜がここで死んだことを利用した作り話なんだろう。そして、その話を利用して人を殺してる奴がいるってことだ。わざわざあんな幽霊を作り出してまで、人殺しをしたいと思ってる奴が、この学園にはいるんだよ」
「そんな……」
黎は言葉を失った。時計塔の千夜に呪われて、温田見厚は飛び降りた。しかし、呪われたと言われるにはあまりに不釣り合いな、幸せそうな笑顔で最後を迎えている。そもそも千夜を使役している光彰は、温田見を殺したいと思ったことすら無い。それなのに、彼は千夜に誘われて飛び降りた事になっている。
「つまり、温田見くんは、あの千夜を作り出した人に殺されたってこと?」
怯えるようにそう問いかけた黎の目に、光彰は頷き、上空にいるニセ千夜を睨んだ。




