温田見厚2
市岡は教育熱心な教師だ。三十分以上立ちっぱなして生徒に声をかけ続け、ようやく座れるかと思った矢先に仕事を押し付けられたとしても、それを文句ひとつ言わずにやり遂げるような実直な男でもある。
「温田見くーん。授業始まっちゃうよー」
上司からの覚えは決してめでたく無い市岡も、こののんびりとした口調と穏やかな人柄で、生徒には絶大な人気を誇る。そんな彼は、やる気と押しの弱さに漬け込まれてしまい、今年度も三年生の学年主任を押し付けられていた。
人気があっても担任を持たせるには心許ないということで、数年前から担任は持たせられていない。しかし、学年主任という立場上、三年生の生徒と関わる機会はそれなりにあって、温田見がどういう生徒なのかは、市岡もよく知っていた。
温田見厚は間違っても無断欠席するようなタイプでは無いし、そもそもこの学校で無断欠席をしても、寮にいればすぐにバレてしまう。
届も無しに外出などしようものなら即停学になってしまうため、大学部へ進むであろう三年生の彼がそんな愚行を働くとは到底思えなかった。
——おそらく病欠の連絡を入れ忘れているのだろう。
それが市岡の見立てだった。
「温田見くーん」
それでも探せと言われたからには、ポーズだとしても捜索のフリくらいはしなくてはならない。市岡は、校舎と寮棟を繋ぐ通路を通り、第二寮と第三寮の間にある通路へと入った。
そして、第三寮の最奥にある時計塔へと向かう。校内でサボっている生徒がいるとすれば、時計塔にいることが定番だからだ。
「あー、出来ればここには近づきたく無いんだけどなあ……。教頭先生もわかってて僕に頼んでるよね、きっと……」
そう独言ながらも、なんとか中へ入ろうと階段室のドアノブへ手をかけた。あまり良い思い出の無いこの場所へ立ち入ることを考えると、手が彼の意思を無視して小刻みに震える。
それでもここに生徒がいるのであれば、その安全を確保しないといけない。そう思って覚悟を決め、その扉を開けようとした。
その時、ふと目の端に紺色の物体が転がっているのが目に入った。
「カバンだ。教科書、参考書と……。あ、温田見くんのものだ」
始業式である今日は、授業は行われない。寮も目と鼻の先にあるにも関わらず、しっかりと勉強道具を持って来ているあたりは、優等生である温田見らしい。
しかし、そんな真面目な彼が、なぜカバンをこんな所に放ったままにしているのだろうかと市岡は訝しんだ。
そして、そのカバンを脇に抱えた時だった。
無人の第三寮の建物の向こう側、隣接する職員用の駐車場との間にある通路の方に、大きな影が動いていくのが見えた。しかし、その場所には影を落とすようなものは何もない。
「なんだ、あの影……」
そう呟いて顔を上げた。




