温田見厚1
新学期初日という日であるとはいえ、それは清水田学園のいつも通りの朝の光景だった。
しかし、それはある騒ぎをきっかけに一変することになる。
生徒が校庭に見当たらなくなったことを確認し、市岡と才見が職員室へと戻ろうとしていたところへ、一人の女子生徒が近づいて来た。酷く慌てた様子で、どこか思い詰めたような表情をしている。
「先生!」
教室から走って来たのだろうか、息を切らしているその生徒は、市岡の着古したスーツの袖を掴んで肩で息をしている。絶対に離すものかという気迫を感じたのか、市岡は一瞬顔を強張らせた。
「ど、どうかしましたか?」
「あの、厚が……温田見くんがまだ登校してません。いつも誰よりも早く教室に入るんです。それなのに、まだ来てません。校庭で見かけませんでしたか?」
普段なら誰よりも早く登校しているはずの、真面目で知られている温田見厚という生徒が登校して来ないと言って、クラスメイトで元恋人でもある小野結梨が市岡の体を揺さぶるほどの勢いで騒いでいた。
「ちょ、ちょっと落ち着きましょうか。えっと、温田見くんね……。いや、僕は見かけてないよ。才見先生は?」
「温田見くんって、三組の温田見くんですか? いえ、見ていませんけれど……」
外泊していない限り、生徒は全員職員の前を通って登校する事になるこの学校で、朝から行方が分からなくなる事など、あり得ないことだ。
閉鎖された空間では、この程度の事でも大問題扱いになる。この学園は、とにかく教師が自分の評価を気にする者ばかりいる。面倒ごとは、他人に押し付けてでも早々に解決したいと思っている者が殆どだろう。
ちょうどそこへ、騒ぎを聞きつけた教頭が市岡のもとへとやって来た。市岡はその姿を見ると、反射的に目を逸らす。これから自分に言われる言葉に予想がついているからだ。
「市岡くん、その件で始業式前にちょっとお願いしたいんだが。寮の方を見て来てくれないか。寮監が寮棟内を探してくれているから、君は校舎から寮棟までの登校ルートを見て来てくれ」
面倒ごとは必ずと言っていいほど市岡が引き受ける事になっている。命じてくるのはいつも教頭だ。
「——はい、わかりました。温田見くんがサボるなんて事は無いでしょうから、何かあったのかもしれませんね。すぐに行って参ります」
挨拶を繰り返して掠れていた声を絞り出し、教頭へそう答えると、市岡はすぐに踵を返した。素直に指示に従う彼に向かって、教頭は侮蔑の表情を浮かべながらふんと鼻を鳴らす。
「役に立たないのだから、雑務くらいするんだな」
ドタバタと走る不器用な背中に向かって、そう吐き捨てる。周囲はそれを耳にしても、誰もとやかくいう事はない。それは、教頭を恐れているからではない。実際に市岡が彼らの足を引っ張ることが多いからだ。




