光彰と千夜、千晃と黎4
その顔は、何を思っているのか、能面のように表情がなく、冷たい視線を彼らに向けている。布がゆらめくような光の波に包まれたまま、空に浮かんでは揺蕩うようにして、彼らを眺めていた。
そして、光彰はそんな彼女を柳野兄弟のそばから眺めていた。
彼の目の前にいる千夜とそっくりな、時計塔に住まう別の地縛霊。彼女の存在が何であるのかを、彼はずっと突き止めきれずにいる。
「あんなに千夜そっくりな何かを作り出すなんて、一体誰の仕業なのか……」
この三年間、彼女はずっとここにいた。本物の千夜が光彰の命で他の仕事をしていても、彼女はずっとここで遠くを眺めていた。まるで幽霊のようなふりをして夜空を回り、悲しげな瞳でいつも何かを探している。とにかくここを動かず、地縛霊らしくそこを訪れるものだけを恐怖に陥れていた。
しかし、彼女は本物の千夜では無いし、何よりも霊ですら無い。市岡が見た千夜が彼女では無いのなら話は違うが、彼女を見たのであれば、噂にある呪い殺すという言葉すら当てはまらなくなるのだ。
最上の後嗣として霊を使役するからには、当然ながら光彰には霊を見ることが出来る。彼らは生きている人間とは見た目が違っていて、その違いは主に透明度に現れる。
人間は言わずもがな不透明であって、向こう側が透けて見えることはまずない。しかし、霊は不透明な存在で、彼らがそこにいたとしても、その向こうの景色がぼんやりと透けて見えるのだ。
そして、それもまた、それが霊の定義かと言われれば、それはどうかは誰にも分からない。光彰にはそういうふうに見えている、というだけだの話だ。
しかし、それをそもそも見えていない者に説明するのは、かなり難しい。言葉にしづらい事を、敢えて苦労してまで誰かに伝えたいと思ったことのない光彰は、霊の見え方を、見えない人物に教えようとは思わない。
『時計塔の千夜』を作った人物は、光彰と霊の見え方について話したことのない人物で、どこかで仕入れたステレオタイプの霊の姿を、彼女に与えている。
だから、彼女は透明で常に宙に浮かんでおり、足が見えない。「霊というならば、こういうものだろう」そんな思い込みによって作られた何か、それが『時計塔の千夜』だ。
彼女はなぜ生み出されたのか、誰の手によって生まれたのか、なぜ、柳野兄弟をあんなに悲しそうな目で眺めているのか。全てが謎だ。
彼女の視線の先では、二人が涙ながらに再会を喜んでいる。三年間兄の話を聞いてはすぐに忘れていた黎も、実体化した千夜の声を聞いてからは忘れずにいられた。
何度も忘れられては傷つく千夜を心配した光彰が、父の辰之助と相談して、どうすれば記憶に残せるだろうかと考えた結果、実際に会わせるのが一番だろうという事になり、彼女を実体化させ、今ここで再会させたというわけだ。
「光彰、俺さあ。お前と兄さんが付き合うフリをするって教えてくれた時のことを、さっき思い出したんだけど……」
夜空に浮かぶ千夜を睨みつけている光彰に、黎がそう声をかける。光彰は、あんなにも愛しく思っている者の声が、自分に話しかけている事にも気づかないほどに、ニセ千夜に集中していた。
何度か声をかけても反応を示さない光彰に痺れを切らした黎は、ぼんやりしている彼の背中を思い切り叩き、併せて大声でその名を呼んだ。
「おい! 光彰!」
「えっ? ——あ、呼んでたのか? すまない、なんだ? もう千夜とは話さなくていいのか?」
「いや、まだ話すつもりだよ! だから、お前が間に入って会話を補足してくれ。俺は多分、兄さんが女性になってからは、ろくに顔を合わせてなかったと思う。その頃は兄さんが寮に入ってたし、家で会う事はまず無かったんだよ。俺が兄さんを遠くから眺めることはあったんだけどな。お前は俺にも兄さんにも会ってたんだろうから、話がしやすいように、間に入っておいてくれよ」
「間に入れって……。お前たちは仲が良かっただろう? 他の家族とは色々とあっただろうけれど、お前たちだけはずっと仲良くしてたじゃないか。別に俺が入らなくても……」
「いや、そうなんだけどさ。なんていうか、俺、この姿を兄さんとしては見慣れてないから……。どう見ても千夜だろう? この姿は、俺にとっては『時計塔の千夜』なんだよ。兄さんとしてよりも、噂話の千夜だっていう認識が強くて……」
それを聞いていた千夜が、瞬時に表情を固くする。いじけたようなその顔は、どこか怒りを孕み、そして悲しげに曇って行った。
「そんな寂しいこと言わないでよ。ねえ、黎。もしかして、本当は私のことを認められなかったんじゃないの? ずっと兄だと思ってた人が、あんたに何も伝えずに突然女の子になってしまって、それを認めたくない思いがあったんじゃないかしら。だからこの姿を見ても、私が並木千夜であり柳野千晃だと思い出さなかったんじゃないの? 私は、あんたを苦しめてた? そうだったらごめんね。——こんな姿になった兄なんて、話したくもない感じかしら……」
千夜はそう言うと、レモンイエローのドレスの裾を手でひらりと翻した。サラサラと落ちてくる肌触りの良さそうな生地は、涼やかに月明かりを受けて輝いている。ついさっきまで勝ち気な表情を見せていたのに、今その目には悲げな色が広がっていた。




