時計塔の千夜6
黎は純粋にそれを疑問に思い、何の躊躇もなくそれを光彰にぶつけた。しかし、それは訊いてはならない事だったのだろうと。光彰はその目に宿っていた光をふっと小さくすると、小さな声で「そうだな」と呟いた。そして、暗闇の中で輝く尖塔を指差しながら、黎にそこをもう一度見るようにと促した。
「最上の力は、神に祈ったり仏にすがったりするためには使えない。俺たちにそういう能力は無いんだ。ただ、死んだ直後に成仏しきれなかった霊に俺たちの手伝いをさせて、それによって成仏する手助けをすることが出来るだけだ。地縛霊を使役すると、彼らもその間だけは自由に動き回れるようになる。そうなるとどこにでも行けるから、情報収集やその改ざんをして人間社会をいいように動かすには、彼らは生きた人間よりも役に立つらしい。うちはそうやって、悪行で成り上がってきた家なんだ。ただ、父さんはそれをしていないらしい。どうしても嫌だったみたいだ。でも、家系的にそういう過去があると、関係なく生きている父さんや俺の未来でも、その業から逃げきれなくなる可能性もある。もし俺がそんな事に加担しなければならなくなったらと思うと、どうしても受け入れ難いんだよ」
鎮痛な面持ちでそう言いながら、光彰は変わらず先頭の先の闇を睨んでいた。黎もそこを改めて眺めてみるが、やはり何も見えない。
——光彰のように霊を見る事ができれば、彼の気持ちを少しでも理解してあげられるかもしれないのに……。
いつの間にか彼の今日中は、そんな思いで満ちていた。
「悪行で成り上がってきた家、か……知らなかったな。俺も一部でその血を引いてるわけだよな。母さんが最上の人なんだから」
「まあでも、そういう人間にならないように気をつければいいだけだ。相手を選べば済むことだからな。欲深いものには近づかないことだ。さっきからあの尖塔の付近に、俺に近づきたくてウロウロしている奴らがいる。俺と契約したくてたまらないんだろうな。ずっとアピールしてる霊がいる。でも、俺はあいつらを選ばない。生きてる人間もそうだ。そんな奴らとは関わりを持たない。ただそうしていればいいだけだ」
「——血統で全てが決まるわけじゃ無いってことか。確かに、それだけで全てを決められたら堪らないな」
そう言って笑う黎を見て、光彰は頷きつつ彼の背中を軽く叩いた。
「で、ここからが本題なんだが」
「ええ? まだ何かあるのか?」
黎はゴクリと喉を鳴らす。ようやく安心したばかりなのに、まだ何か隠していることがあるのかと、うんざりとした思いを隠す事ができず、それをそのまま乗せてしまった目を光彰へと向けてしまっていた。
光彰はそれを見ると、眉根を寄せて申し訳なさそうに微笑む。目の前にある黎の艶のある黒髪をゆっくりと撫で、「すまない。でも、これを話すためにここに来たんだ」と呟いた。
「最上家総領の力を知っている者は限られている。能力者本人とそのパートナーである依代、そしてクライアントだ。さっきも言ったように、この学園内には最上の家に世話になっている人間がいる。ただし、霊能力については決して口外してはならない契約になっているはずだ。実は、最上の人間が千夜を使役するという噂が回っていることが、最上とそのクライアントの重大な契約違反に当たるんだ。そして、その話を中途半端に葉咲が知っているということは、あいつの周りに最上のクライアントがいるということだ。だから、いずれお前の耳にも入るだろう。あの噂がまことしやかに囁かれているのは、その半分が紛れもない事実だからだ」
「えっ? ——半分が事実って、どういうことだ?」
黎の胸がどくんと大きな音を立てて跳ね上がる。ちょうどその時、二人の頭上でガチャリと大きな音が鳴った。時計塔の長針がゼロへ還って来る。夜中であるため鐘は鳴らず、その代わりに歯車の回る音が、冷えた空へと響き渡って行った。
午前二時半、丑三つ時が終わりを迎えようとしている。空は墨を落としたように暗い。その中で、時計塔だけが暖かい光を放ち、煌々と輝いていた。
「まさか、本当に千夜を使って誰かを呪い殺してるって言うわけじゃ無いよな……」
黎は狼狽えて光彰の上着を掴んだ。その手は、小さく震えている。
馬鹿げた噂を否定してほしいと願っていた彼に、光彰の言葉は追い討ちをかける形になってしまったようだ。黎のその様子を見てもなお、光彰はやはりそれをはっきりと否定しない。そして、そう出来ない理由を明かすために、ここを選んだのだと言うのだった。
「大丈夫だ、俺は人を恨むことは無いし、ましてや殺すなんてあり得ない。それはお前も分かってるだろう? 俺は人を恨み続けるほど暇じゃない。俺に突っかかってくるようなバカな奴らは、放っておいても勝手に自滅するからな。ただ、千夜を使って何かをしていることは間違いない。だから、あまり派手に反論しないようにしてるんだ」
「は? それ、どういう意味だよ」
黎は光彰の言葉に驚いて目をむいた。
地縛霊を使役するという力を持つと聞いたのだから、彼が千夜を使役しているというのも納得がいく話なのかも知れない。ただ、そうだとしても、あの噂との関連を考えると、不安になっても仕方が無いだろう。
真意を問いたいと言葉を探している黎の視界に、ふっと何かが揺らめくのが見えた。ゆらゆらと揺れているものに誘われるように、目が引き寄せられていく。
「なんだ、あれ……」
それは、突然現れた。
目が覚めるようなレモンイエローの波。暗い夜空の中に浮かぶ、柔らかなその波は、サマードレスの裾だった。その上には、揺らめく長い銀色の流れ。そして、その銀色の波の上には、物憂げに月を見上げる少女の顔があった。
「あ、あれって、もしかして……」
黎はその姿に目を奪われた。そこには、はっきりと一人の少女が座っている姿が見えている。
「やっぱり現れたな」
光彰は彼女を睨みつけると、吐き捨てるようにその名を呟いた。
「黎、あれがこの学園で唯一名前のついている地縛霊とされる存在、『時計塔の千夜』だ」
そうして、自分が使役していて無害であるはずの千夜を、なぜかギロリと睨みつけた。




