異変8
「——あれ? 光彰?」
焦点が定まる頃には、すっかりいつもの彼に戻っていた。
「大丈夫か、黎。顔色が悪いぞ。走りすぎたんじゃ無いのか?」
光彰は何事もなかったかのように黎の隣へ行き、ジャケットを脱いで彼の肩にかけた。そして、そのまま彼の返事を待たずにその背中へ手を添えると、僅かに押し出すようにして押して彼を寮棟へ戻るように促していく。そうしながら、するりと彼の首元を触った。
「いたっ!」
黎はそう言うと、痛んだ右の首筋を摩りながら顔を顰める。何が起きたのかわからないようで、困惑した様子で光彰を見つめた。
「——なあ、お前今何か刺した? 何だか首がすごく痛むんだけど」
「ああ、悪い。ほら、ここに葉っぱがついてたんだ。それを取ったんだが、爪が引っかかったみたいだな。すまなかった」
光彰がそう言いながら差し出した手のひらには、小さめだが艶のある牡丹の葉が載せられていた。それは、校庭と校舎を仕切っている花壇に咲いているものに似ている。光彰は、黎の首にこれが張り付いていたのだと言い、その葉をひらひらと振って見せた。
「え? あ、本当だ。校庭を走ってる時につけてきたんだろうな。いや、それなら悪い。お前を疑ってないでお礼するところだよな。ありがとう」
首筋をしきりに手で摩りながら、黎は彼にふわりと笑いかける。しかし、その表情には、少しの混乱が見えた。無理も無いだろう、彼には自分がなぜここにいるのかが、全く分かっていなかったからだ。
放課後の教室で葉咲の話を聞き、不快な思いをした。それを考えまいとして走り始めた。そこまでは、はっきりと覚えている。
ただ、走り始めた後のことを思い出そうとすると、何故か酷く頭が痛んだ。校庭を走り始めてから今光彰に声を掛けられるまでの、およそ十五分間のことを、彼は覚えていなかったのだ。
「うわっ! おい、ちょっと……」
覚えていないことがあるという事実に打ちのめされている黎を、光彰はなぜか突然抱き上げた。そして、そのまま寮へと向かって歩き始める。
「お前、なんでここにいるのかを分かっていないんだろう?」
「え? あー、うん。走ってたら気分が悪くなって……。そこから覚えてない」
そう言いながら俯く黎を見て、光彰はため息を吐いた。もう少し早く校長との話を切り上げるべきだったと反省する。彼がこうなることを予想していなかった自分を恥じていた。
「多分校庭で倒れたんだろうな。そこから無意識でここまで来てるってことだろう? お前時々そうなるんだよ。大体こうなった後には熱を出して寝込むから、このまま連れて帰るからな」
「いや、待てよちょっと……。歩く! 歩けるよ!」
「ダメだ。大人しくしてろ」
光彰は黎の言葉を聞き入れず、彼を抱き上げたまま階段を降り始めた。




