異変3
しかし、この敷地の中だけで暮らしていると、当然フラストレーションは溜まっていく。それを発散するためには何をすればいいだろうかと思っているところへあの贈り物が届いた。黎は光彰へ相談を持ちかけ、学園敷地内でなら一人でも走って構わないという許可を取り付けた。
そうして始めたランニングなのだが、予想以上に彼に合っていたらしく、黎はすぐに走るという行為の爽快感に魅了された。それ以来、嫌なことがある度に、こうして校庭を走るようになっている。
無心になって走り続けていると、そのうちに体に一定のリズムが刻まれる。それは、彼に言いようのない安心感を与えてくれた。それを感じながら風を切り続けていると、次第に心が潤いを取り戻すようになる。黎にはそれが心地よく、より長くそれを感じようと、続けて足を前に運ぶのだった。
「あー、気持ちいい」
土を蹴る小気味よい音を鳴らしながら、黎は自分の心の靄がすうっと晴れていくのを感じた。落ち着き始めれば、どれほど視野が狭まっていたのかにも気づくことが出来るようになる。次第に、周囲の様子を気にするだけの余裕も出て来始めた。校庭にある自然の装いをその目に映しながら走ろうと、少しずつペースを落としていく。
春先の夕暮れは、しっとりとした空気の中に温まった土の匂いを孕んでいて、何かの始まりを思わせる。今はその中に、夕焼けに燃える時計塔が見えていた。塔の先端は先ほどよりも濃くなった茜色に染まっており、反射した光は赤橙色に輝いている。
「きれいだなあ。なあ、光彰……」
彼はふと自分のすぐそばに誰かが並走してくれているような気がして、思わず右隣に話しかけてしまった。しかし、走り始めた時は一人だった。当然、隣には誰もいない。
「あ、そうだ。俺一人なんだ……」
しかし、どうしてだろうか。彼は今、自分が誰かと一緒にいるような気がしてならないのだ。不思議に思い足を止めると、突然世界がぐらりと揺れた。目の前には、暖かく輝く時計等ともう一つ同じような景色がぼんやりと重なって写っている。
「あれ? なんだ……、目が、おかしい……」
目の疲れだろうかと思い、黎は瞼を擦った。しかし、何度そうしても、やはり景色が二重に見えている。瞬きを繰り返してもそれは変わらず、彼はもしかしたらどこか体調が悪いのかもしれないと考え始めていた。その上、突然走ったからだろうか、思考もまとまらず、だんだんと体が重だるくなって来たような気がしている。
「やば、倒れそ……」
その言葉を言い終わる前に、黎はその場に頽れた。
夕暮れの校庭には、彼の他には誰もいない。しかし、青白い顔で目を閉じた黎は、薄れゆく意識に中に、やはり誰かがいるように思えてならなかった。




