排除されるべきもの5
「しかし、それはさておき。『牡丹の朝露』の意味をあの学園での出来事に当てはめるとする。そうすると、おそらく『獅子身中の虫』が表すものは、生徒が学園に反旗を翻すようなことだと言えるかも知れないね。もしかしたら、光彰のことをそういう目で見ている大人がいるということかも知れない。学園に守られている身でありながら、一撃で学校を潰せるくらいの力を持っているわけだからね。キングって呼ばれているあたりも、獅子に準えているのかもしれない。ただなあ、『獅子身中の虫』も『牡丹の朝露』も、間違っても子供の日常会話の中で口からポロッと出てくるような言葉ではないんじゃないだろうか。よほど仏教に詳しい子でもないと、そう使わないだろう。現に君には思いもよらない言葉だったんだからね」
辰之助に水を向けられて、光彰は肩を竦めた。まだ恥ずかしさはあるものの、もうそうしておどけるくらいの余裕は出て来たらしい。
「そうですね、僕の生活では触れることが無いものでした。もし知っていたとしても、それほど口に出して使うことは無いと思います」
「そうだよね。では、考えてみようか。ふと口をついて出てくる言葉というものは、一体どういうものだろう」
父からの問いかけに、光彰は頭を悩ませる。千夜も一緒になって、眉間に深い皺を寄せていた。
「思わず言ってしまうような言葉でしょ? 反射のような感じでってことかしら」
「うん、そうだね。言わないようにしてるのに、思わず言ってしまう言葉だ」
「そうですね……。咄嗟に口をついて出てくる言葉といえば、使い慣れている言葉か、思い入れのある言葉。もしくは……、聞き慣れている言葉といったところでしょうか。口にはあまり出さなくても、心の中で繰り返すような言葉も、驚いた時などにはうっかり口にするかもしれません」
「なるほどね。では、こうは考えられないかな。田岡くんが日常的に使用している可能性が低いとするなら、誰かが田岡くんの前でその言葉を多用していて、彼はそれを聞き慣れていた。そう考えるのはどうだろう?」
心が弾んでいるのだろうか、検証している内容にそぐわないほどに、辰之助はとても楽しそうな様子で光彰にそう尋ねる。
「田岡の知り合いで『牡丹の朝露』という言葉をよく使う人物ですか? あいつの周りにそんな人がいるんでしょうか」
「でも、そうでなければなかなか口にしない言葉だと思うんだ。聞きなれている言葉だからこそ、自分を嗜めようとした君に向かって言い返そうとした時に、思わず口からそれが飛び出した。感情が昂っている時ほど、言ってはいけない言葉が口をついて出たりするだろう? 『牡丹の朝露』は獅子の虫下しだ。君に、『それを飲んで、そのイライラの虫を下せばいい』と言いたかったんじゃないかな」
辰之助はそう言うと一層きらきらと瞳を輝かせた。しかし、それを見ている光彰の方は、面白くなさそうな表情を浮かべている。
「父さん、あのそれはつまり、かんの虫を下せと、そう言いたいということですか? あなたは俺をいくつだと思ってるんですか。というよりも、それはさすがに発想が古いですよ。学生の考えることでは無いような気がするんですが……」
そこで光彰はハッとした。発想が古く、自分を忌み嫌っている人物に、たった一人思い当たる人物がいたからだ。
そしてまさに今、彼はその人物によって学園から排除されようとしている。
清水田学園という檻に守られている学生の分際で、それに楯突くような行動をとっている生意気な虫。それが光彰だと思っている人物であれば、この諺を使っていたとしても不思議はないのかもしれない。
その宿主となる学校を統べる人物といえば、それは校長となるだろう。それはつまり——恵那ということになる。
「父さん、まさか恵那校長が生徒殺しの犯人だと思っているんですか?」
驚いた光彰が辰之助にそう訊ねると、彼は以外にも即座にそれを否定した。ゆったりとかぶりを振っている。そして、それまでいつになく口数少なく話を聞いていた千夜が、突然刺々しい口調で二人の間に割って入ってきた。
「いやいや、光彰。何言ってるのよ。あの男は、絶対自分の手は汚さないでしょ。そのあたりは徹底してるわよ。指示も命令もしないの。ただ、うまく誘導するだけよ。でも、おそらく今年度の事件には全く関与してないと思うわ。恵那が得をするようなことが、今のところ何も見つかってないの。現時点ではむしろ損しかしてないはずよ 次の理事長選だって、光彰がここまで嫌われてなかったら、おじさまが圧倒的に優勢だったでしょうからね。あんた、いい加減におじさまの足を引っ張るのをやめたらどうなのよ」
「悪かったな、どうせ俺は嫌われ者だ。でも、仕方がないだろう、周りがあまりに幼稚なんだから。生徒だけならまだしも、教師もだ。だから、俺からあいつらに興味を持つことなどあり得ない。とてもじゃないが、愛想を振り撒くなんて出来ないな。——なあ、千夜。お前がそんなに俺に突っかかるなら、こっちにも考えがあるぞ。お前をすぐに向こう側に送って、事故調査への協力はやめる。それでいいんだよな?」
思わぬ攻撃を受けた光彰は、珍しくむくれていた。千夜の言葉に反抗すると、不貞腐れた表情を見せる。それを見て千夜は慌てた。彼の機嫌を損ねて、自分の思い残したことが解消出来なければ、彼女は永遠にこの世に止まってしまうことになる。それはどうしても避けたいようだ。
「あ、う、うそです、うそです! ごめん光彰。機嫌直してよー!」
そう言うと、必死に両手を合わせて謝っている。光彰はそんな千夜の姿を見ながら、それでもまだむくれていた。
彼がこんな風に誰かと言い合いをすることなど、あまりあることでは無い。辰之助は二人のその様子を眺めながら、懐かしい想いに浸っていた。
光彰がこうして自分らしく話が出来るのは、その相手が千夜の時だけだった。黎を相手にしている時ですら、どこか遠慮していた時期がある。彼の苦しい幼少期に、それを打破するきっかけを与えたのは、生前の千夜——つまり、かつての柳野千晃だけだった。




