排除されるべきもの2
「今はちょっと休んでたいのよ。何か急ぐことがあるの?」
むくれる千夜に、光彰と辰之助は顔を見合わせる。二人は千夜がここ最近急に夜の調査に出かけなくなってしまったことに違和感を持っていた。
光彰が命令を出して動かす時にはなんの反抗もしないため、二人はそれを気分によるものだと思っていたのだが、ある日ふと、体調というものが存在しない霊体に、気分の浮き沈みというものがあるのかという疑問にぶつかった。
そこで、ちょうど今家に戻るタイミングになったのであれば、千夜を肉体に戻して逃げ場を無くし、話をさせようということになったのだ。
もちろん、大切に思っている千夜に、ただ嫌な思いをさせるだけになることは避けている。光彰は千夜の機嫌を取るために、彼女が好きだった香を仕入れて来た。
小さなろうそくに火を灯し、その炎にスティックタイプの香をかざす。その先端に火が燃えるのを確認すると、真っ直ぐにそれを保持して炎が落ち着くのを待つ。
ベッドサイドに置いてあるホルダーにセットすると、千夜がすんと鼻を鳴らして顔を綻ばせた。
「気が乗らないところ悪いな。でも、今回ばかりはお前の助けが必要だ。自分のこともあって忙しいだろうけれど、力を貸してくれ。そうしないと、俺はこのまま二人を殺害した殺人犯として捕まえられるかも知れない。下手したら、死刑だぞ」
「そうね、今のままだとそうなってしまうわね」
乗り気では無いものの、光彰が自分のために以前愛用していた香を準備してくれていたことに気をよくしたのか、千夜はほんの少しだけ血色の良くなった笑顔を彼らに向ける。それを見て、二人は安堵の色を見せた。
「まあ、普段ならあんたに何を言われようと、やりたくない時は何もしないんだけどね。わざわざこんな、私の好きなものを買って来てまで、機嫌を取られるなんてね……。これで断るわけにはいかないわ。仕方がないから協力してあげる」
高飛車なふりをしながらそう答える千夜に、辰之助が目尻に皺を寄せ、柔らかな笑顔を見せた。
「これじゃあどっちが主人なのか分からないね。さすが千夜さんだ。光彰、しっかりしないとな」
「——ちょっと先が思いやられますけどね。がんばります」
仕方がないといいながら、光彰もそう言って笑う。そんな息子の背中を、辰之助は励ますようにぽんと叩いた。
「ところで千夜さん、君は光彰からの命で何度か夜の時計塔の見回りに行っているんだろう? それはニセ千夜を仕掛けている人物を探るために行ってるんだよね? それなら、君が光彰にその人物が誰なのかを教えてくれれば、あとは物的証拠さえ押さえられれば事件解決になると思うんだ。でも、君はその犯人に対峙すると、毎回記憶を無くしてしまうらしいね。それに関して、何か心当たりになる事はあるかい?」
笑いを収めた辰之助が、すぐに穏やかながらも真剣な面持ちに戻ると、千夜に優しく問いかけた。辰之助と光彰がこの三年間何度もぶつかった疑問だ。
毎回この話題にはなるのだが、その度に千夜はかぶりを振っている。
「いえ、わかりません。いつも気がついたらベッドにいます」
この一連の事件には、最初からこの疑問が付き纏っている。
時計塔からの転落は、温田見の件を除いていつも深夜に起きている。生徒はその時間自室の外に出ることは基本的に不可能で、他の関係者は時計塔には近づかない。
そのため、事故の起きる時間にそこに人がいれば容疑者たりうるので、その人物を見つければいい。そのために千夜が夜間に監視をしている。
しかし、千夜は犯人を目撃してたとしても、なぜかその記憶を毎回無くしてしまうのだ。
彼女が目撃さえしてくれれば、その後の解決は容易になる。しかし、よほど覚えていたく無いことがあるらしく、どうしてもその事だけは覚えていられないのだと千夜は言う。
そのことがネックとなり、調査は難航していた。
「それでですね、父さん。この事件の犯人は、千夜と関わりがあった人物ということになるんじゃないかと俺は思っているんです。あの噂も、適当に『時計塔の千夜』を使っているのではなくて、本当に千夜と関連があるんじゃないかと俺は考えています」
「千夜さんの実際の知人が、この呪いの噂に関わってると言いたいのかい?」
「はい。そうでもないと、千夜が何度も忘れる理由がわかりません。相手が霊能力者とかであれば、最上に話が来るはずですから、その可能性はありません。霊能力を持たないものが霊体の記憶を奪うことは出来ないはずです。そうなると、千夜自身が何かしらのショックを受けて自ら記憶を消していると考える方が妥当かなと考えます」
光彰の母が準備してくれていたというコーヒーを片手に、彼は父にずっと頭の隅にあった可能性を告げた。
彼はその事がどうしても気になっていた。なぜ、これほど毎回綺麗に全てを忘れるのか。記憶を消す術が他にないのであれば、彼女自身が『忘れたい』と思って記憶を消している可能性が高い。光彰はそう思うようになっていた。
それを聞いて驚いたのは、辰之助ではなく千夜だった。千夜自身は、そんな風に考えた事が無かったのだと言う。
「やだ、それどういう意味? 私を知っている人が、私のニセ者を作って、生徒を殺してるっていうの? 何でそんなことをする必要があるのよ」
千夜は、何を言うのかと言いたげに目を大きく見開き、呆れていた。少々腹を立てているようにも見える。光彰はその顔を見て、慌てて言葉を付け足した。
「ああ、いや……。語弊があったな。友人知人のように近しい人という意味じゃない。ただ、過去のお前の人生に何かしらの形で関わりがあった人物って事だ」
それに、辰之助が神妙な面持ちで口を挟んだ。




