依代5
「こんなところで何をしてたんだ! 最近ここで落ちて亡くなる事故が多発してるんだから、近寄っちゃダメだろう! そもそもここは立ち入り禁止だよ。入っちゃいけない所なんだよ? 決まりはちゃんと守らないとダメじゃないか!」
才見はそういって黎の肩を握る手に力を込めていく。ぎゅっと握った指が真っ白になっていた。間近でそれを見ていた八木は、その様子に妙な迫力を感じていた。
——なんだ、この違和感……。
はっきりと言葉では言い表せないような、一般の教師と生徒にはあり得ないようなものを、才見に感じていた。
彼の怒りは、まともな教師であれば当然のものなのかも知れない。しかし、八木の目には、その熱量が尋常では無いように見えたのだ。
彼は、この学園に潜り込んで三年目を迎える。
異様なまでに利己主義な大人の集まったここで過ごして来たからか、本来なら至極まともであるはずの生徒思いな教師が、必要以上に熱苦しく思えるのかも知れない。
そう思いはした。
それにしても、だ。
得も言われぬ違和感に、八木の背中がぞくりと震えた。
「先生、落ち着いて下さい。先生もですけど、柳野くんもまだパニック状態みたいですから」
八木はそう言いながらなるべく才見を刺激しないように黎を彼から引き離した。その時の反応を確認して、顔を顰める。
才見はというと、引き離されたにも関わらず、また黎へと近づいて来て、熱心に彼の服の汚れをはたき落とし始めた。
冷静を装ってはいるものの、体が小刻みに震えている。
——柳野に好意があるのか……?
そう思わざるを得ないほどに、必死になって彼の世話をしようとしている。
その姿を見て、黎もようやく我に帰った。規則違反を叱るよりも先に自分の身を案じてくれている才見に気付き、自分の行いがどれほど無謀だったのかを実感する。
「す、すみません、先生」
猛省し、才見に向かって頭を下げる。
そして、黎も才見に倣って制服についた土埃を落とそうと、軽く叩いていく。すると、才見がぽつりと囁くように彼に声をかけて来た。
「きみ、もしかして最上くんのことを思ってたのかい?」
「——えっ?」
思わぬ言葉に驚き、黎は才見を見た。階段を昇って来た時には煌めいていたその姿が、今は逆光で翳っている。影に沈んだ表情は暗く、心配そうに黎を見ていた。
しかし、黎は、すぐに答えることが出来ない。なぜ才見がそんなことを訊いて来るのかを、理解出来ずにいたからだ。
「あ、あの、それってどういう意味ですか?」
すると才見は、ふっと力を抜くように微笑んだ。
「ああ、ごめんね。あまりにも唐突だったよね」
そして、その笑顔と同じくらいに優しい手つきで、徐に黎の頭を撫で始める。そして、まるで小さな子供をあやすかのように、優しい声で話し始めた。
「最上くんが停学になった話は、職員会議で通達されたから、教師は全員知ってる。もちろん僕もだ。君たちはとても仲がいいだろう? だから、離れ離れになるのは寂しいだろうなと思ったんだよ。従兄弟で、幼馴染で、仲良しだ。生まれた頃から、ほぼずっと一緒にいると聞いてる。そんな相手が急にいなくなってしまったら、寂しくて相手を思うだろう?」
「ああ、そういうことですか。そうですね、それは確かにそうです。今すごく寂しい……」
「そうだよね。その気持ち、わかるよ。僕も大切な人が突然いなくなったことがあるから。すごく寂しい。耐えられなくなるくらいに……」
才見は大切なものを扱うように、黎の頬を両手でそっと包み込んだ。そして、その目の奥をじっと見つめてくる。
その目には不思議な熱があった。それは、八木の目にも認められた。それは紛れもなく、恋情と呼ばれる類のものだった。
ただ、そこに卑しさはまるで感じられない。そういう肉体的なものではなく、もっと深いつながり……、言うなれば、魂でのつながりを求めているような、切迫したものが感じられるようだ。
八木の『胸の内』が騒つく。
——どういうことだ?
八木の混乱をよそに、才見は黎に話し続ける。
「君はそれに加えて、悔しいとも思っているよね? 仲のいい友人が殺人犯扱いされていて、それを教師が誰も否定しなかった。誰一人として最上くんの味方をしなかった。それが悔しい。そうだよね?」
その言葉を聞いて、黎は嫌悪感をあらわにした。
確かにその通りなのだが、それを言うのなら、才見だってその教師のうちの一人だろう。それにしては、今の言葉は無責任だ。
自分が守ってやれなかったということには、全く触れないつもりなのだろうか。黎には、それはそれでずるいのでは無いかという思いがある。
そして、才見もそれを察知したのだろう。一瞬身を固くした黎に気づくと、すっと体を離した。そして、改めて彼に頭を下げると、恭しく謝罪を始めた。
「いや、ごめん。今の言い方は少し卑怯だったね。僕だってその教師のうちの一人だ。生徒一人守ってやる事が出来なくて、本当に申し訳なかった。僕も、もっと言える事があったんじゃないかと思ってる。でも、それがまだわからなくて、実は僕もその事をゆっくり考えたくてここに来たんだ。だからだよ。君もそうなんじゃ無いかなと思ったんだ」
そう言うと、深々と頭を下げた。
黎は一瞬何をされているのかが理解出来ずにいた。こんな光景を、この学園で見ることになるとは思いもしなかったからだ。
生徒に自分の無力を詫びた上に頭を下げ、その非を改善しようと努めていると言う。こんなふうに生徒に頭を下げる先生など、この学園内に他にいるだろうか。
あまりに見慣れないものを目にしたからか、黎は思わず才見のその姿を呆然と眺めることになってしまった。
「あの、先生。光彰の事を考えるためにここに来たって言うのは……」
「——うん。僕はね、出来れば彼の無実を証明するために動きたいと思っている。だって、いくらなんでも、呪いで人を殺すなんて馬鹿げてるじゃないか。そんな非現実的なことで停学にするなんて、教育者としてあるまじき行為だよ。そんなことで彼の未来を奪っていいわけが無い。君もそう思うだろう?」
「あ、えっと……。そ、そうです、ね」
黎は才見の言葉に動揺した。
この学園内に、彼の事をそんな風に見てくれている人が、これまでに一人でもいただろうか。最上光彰をただの生徒として見ていた教師が、一人でもいただろうか。そう考えると、才見の言葉が胸に響いた。
誰もが最上家の後嗣として彼を見ており、自分たちが得をするために彼を持ち上げようとして必死だった。
そこに彼の人間性は関係なく、光彰からどんな扱いを受けようとも、彼らは媚び諂い続けた。光彰は、何よりもそれを嫌っていた。
では、これまでの才見はどうだっただろうか。思い出せる大きな出来事が一つある。それは始業式の朝、彼と光彰の出会いの際の彼の行動だ。思い出すと、まさにそれを物語っている。
その彼がそう言うのなら、信じてもいいのかも知れない。黎はそう思い始めていた。




